ブラックピンクスカイブルー
────懸命であった。
野口大次郎は、世間一般で言うところのブラック企業に勤労する、生真面目で心根の優しい中年男である。
短く切り揃えた毛髪は後退の兆しを見せ始め、腹は毎夜の晩酌により風船の如く膨れ上がっていた。
かと言って、パッとしない顔からは風格や威厳など微塵も感じられず、ひたすらに人の良さだけが滲み出ていた。
商品を飛び込みで個人へ売りつけることを生業にしている大次郎だが、その営業成績は今ひとつ。月曜日の契約件数報告会では毎週の如く吊るし上げられ、年下上司にいびられ続け、厳しいノルマを達成できずにいる日々を送っていた。
いわゆる、窓際社員である。
だが、大次郎はひたすらに懸命であった。顧客のニーズに出来る限り寄り添い、顧客の満足度が高い契約をごく稀であるが取ってくるのである。彼の実直な性格を好む細い人脈が、彼の首を繋ぐ唯一の皮なのだ。
「野口さん、このお店知っていますか」
そんなとある日の夕暮れ時、二十代前半の女性社員らが声をかけてきた。珍しいこともあるものだ、と訝しげに「な、なんだい?」と聞き返すと、女性社員らは顔を強張らせながら、一枚のチラシを渡してきた。
『夢想堂』と書かれたチラシには古風な外観を備える店が写っていた。その他、住所程度の情報しかない、随分不親切な印象を受けた。
「ここの会社から近いんですけど、美味しいコーヒーが飲めるみたいなんですよ。野口さん、いつも缶コーヒー飲んでらっしゃるじゃないですか、なので」
「そうなんだね。わかった、行ってみるよ。ありがとう」
大次郎が笑顔を見せると、女性社員らはより一層顔を強張らせたまま、その場から去って行った。
どこか痛いところでもあるのだろうか可哀想に、と同情してからもう一度チラシを眺めみて、そっとポケットへしまった。
────やられた。
そんな思いが大次郎の中を駆け巡り、ひどく後悔した。
大次郎の視界には桃色と水色ばかりが広がり、甘ったるげな匂いが鼻腔を刺激した。どうやらカフェスペースも存在しており、コーヒーは飲めるらしいがこれはあまりにも場違いであった。
だが駅前なのにも関わらず、店内は閑散としており店員がカウンターの奥で作業をしているのみで、客は自分以外にいなかった。
「社会科見学と思って────」
大次郎はため息をつきながら、せっかくだからと店内を巡り始めた。淡い色合いや丸みのあるキャラクターら、そして節々に見え隠れする暗さが売りであり、店内のポップからこれが"ゆめかわ"という部類なのだと学んだ。
ふと、店内の高い位置に並べられていたユニコーンのぬいぐるみが目に入った。商品棚ではない、まるで祠のような場所に鎮座していた。
その違和感からか、ユニコーンから目が離せなくなった大次郎は、横目で店員を確認してから、背伸びをしてそれを手に取った。
────刹那、まるで瞬きをするように、視界が幾度か明滅した。