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▲最終章▼△いーけないんだ♪ いけないんだ♪▽

「ネムっち、ネムっち、ネムっち! ネムっち!」

 何度もネムの名を呼びながらガキがビョンビョンと室内を跳ね回る。

「なんだ、なんだ、なんだ、って、うるせぇな! 座って話せよ! はい! ここ座りなさい!」

 最後に大きくビョンと跳ねてガキがソファーにボズンと音を立て深々と埋まる。

 埋まると言うよりは刺さる形となったが当の本人はあまり気にしてはいないようだ。

「はぁはぁ、あのね。ネムっちまたお手紙来てたよ。はいどうぞ!」

 暴れ回って息を切らしたガキが、期待を込めた眼差しでネムへと手紙を渡す。

「また爆弾魔とかじゃねぇだろうな?」


 ――先日起きた爆弾魔による都市伝説的な事件は、一週間もすれば世間が口にすることも少なくなり、やっとのことで平穏な日々が戻って来るかと思われた。……のだが、幸か不幸か、彼女たちの元にまた一通の手紙が届いてしまった。

 金色の封筒にはどこかで見た覚えのある刻印が記されている。


「きっと今度こそ食べ放題のチケットだよ。アタシには見えるの。この高級そうな封筒の感じからして絶対だよ。ネムっち、早く開けてみて?」

 ガキが口から涎を滴らせて、何の根拠もないのにキッパリと中身を予想して見せた。

「いやいや、いくら飯の話だからって、そんなうまい話がある訳……」

 封筒の封を切ってネムがぴたりと動きを止めた。

「お前のその勘はどっから湧いて出てくるんだ。正解だよチケットだ」

「ほらね! やった! 今日のアタシは冴えてるのだ! そしてその差出人はねっ!」

 皆まで言わずとも分かっている。ただし、

「残念なことに、食い放題じゃねぇけどな。……いや、強ち間違ってないか。ほら、舞踏会のお誘いだぜ」

 ネムは中に入っていた便箋に目を通して、浮かない顔をしながらガキへと手渡した。

「冴えに冴えてるガキちゃんの予想通り、ニーナからじゃんっ」

 綺麗に折り畳まれていた折り目を伸ばしてガキが便箋に書かれた文書を読み上げた。


 ――ごきげんよう。ビッチな三人娘様方。

 先日のテミス様との恋仲を縮めてもらう件ですが、ワタクシは貴方たちに頼んだのが失敗だと心底後悔いたしましたわ。ですが、結果としてワタクシとテミス様の距離を近づけて頂けたことには変わりありませんので、(癪に障りますが)舞踏会へと招待いたしますわ。つきましては、『正装』で『気品ある立ち振る舞い』での参加を ど う ぞ よろしくお願いいたします。

 p.s あわよくばテミス様との距離を近づけて頂きますから。頼みますわよ。

 麗しのニーナより。


「――だってさ。招待とか言っておきながらなんか図々しいね。ところどころイラっとさせられるし、結局ペニーと仲良くしたいだけなんじゃん。と言ったところで嫌味でも何でも、食べ放題には変わりはないか。どうするー? エチは行くのー?」

「うん~。勿論イクぅ~」

 裁縫道具を腕に付け、ベビードール姿で自分の服を縫っていたエチが即答する。

「エチ行くって。ネムっちは?」

 向き直ってネムへと問うガキだが、ネムは言葉を発するよりも先に、ものすごーく嫌そうな顔でガキを仰ぎ見ていた。

「うわ、なんかすごく嫌そう」

「……オレはパス。正装ってことはドレスで来いってことだろ? オレはあんなフリフリしたのを着るなんて御免だぜ」

「……ネムちゃん、本当にそれだけ~?」

 それを聞いたエチが座り方を直しながらネムに対して少し遠回しな言い方をする。

 そう言われて黙りこくってしまうネム。

「……まぁ、ワタシはネムちゃんがどうしようと別に構わないのだけれど~。ガキちゃん舞踏会っていつぅ?」

 冷たい一言だけを添えて、話の矛先をガキに移すエチ。

「ポストの中を覗いたのが久しぶりだけど、いつだろ? ……て、今日の夕時からじゃん。場所はいつもの場所……自称お嬢様のあの家かぁ。何にも支度してないや」

「あそこ遠いじゃないのよ~。ドレスでステムパンクを登る訳にもいかないし……汽車で行きたいわねぇ……」

 エチが裁縫を終え、クローゼットの中からドレスを漁り始める。

「その辺は抜かりないみたい。手紙と一緒に汽車のチケット入ってるよ。えっと……四枚。アタシたち三人分はいいとして、あと一枚は誰のかなぁ? ネムっち?」

 扇状にチケットを広げてガキが団扇の様にネムを仰ぐ。

「さぁ誰かしらねぇ? 見当もつかないわねぇ? ね? ネムちゃん?」

 二人してネムに嫌味のように言葉をかけるが、依然としてネムは反応を示さない。

「さ、ガキちゃん、移動にも困らないみたいだしちゃちゃっと準備て早速出発しましょ?」

「そだね! アタシ、ドレス着るのなんて久々だよ! 何処にしまったかなぁ……」

 封筒を指で弾いて机に投げ出すと、ピョンとソファーから飛び降りてガキが自室へと入っていく。

 ガキが去ったのを確認したエチが黙ったままのネムに寄って、チケットを一枚だけこっそりとポケットへと忍ばせる。

「たまには顔を見せに帰ったらぁ? 別にそこまで深い意味で言っているんじゃないけど、舞踏会くらい楽しめばいいのにぃ。アレに会うとは限らないのだし」

 エチがクローゼットから取り出したドレス数着を手に掛け、鏡に向かって衣装合わせをしながらそう告げた。

「チッ……オレ、おっさんとこ行ってくる」

 その一言が癪に障ったのか、ネムはエチの方へ振り向くことなく席を立つと、チケットを一枚手に取ってふてくされた態度で外へと出て行ってしまった。

「んもぅ……」

「ねぇ、エチーっ! これどうやって着るんだっけーっ!?」

 扉から消えた背中へ呆れた声を漏らすと、ドレスの着方に四苦八苦してるガキを手伝うためにエチは部屋を移動した。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 すっかりお馴染みとなったステムパンクの標高二〇〇メートル地点、ホテル『ウテルスパンク』にて、事務所のソファーにだらしなく身を投げ出したネムがため息をついた。

「はぁ……。憂鬱だ。エチの野郎、余計なことばっか言いやがって。普段あんなに人の話を聞きやしない『馬鹿』なのに、なんでああいう時だけ勘が鋭いんだ」

 その項垂れたネムに対して、受付に頬杖を突きながらおっさんが口を尖らす。

「おぅ、どうしたネム。店に来るなり不躾にソファを占領しやがって。俺の店にそんな辛気臭ぇ顔して来んなや。つーか、人のことなんて言えないくらいのクソビッチが珍しく落ち込んでるじゃねぇか。なんだ? また男と間違えられたか?」

「あぁ? そのグラサンカチ割ってぶっ飛ばすぞ、ゴミ糞蛆虫が。はぁ……」

 ジロリとおっさんを睨みつけ、悪態を吐いた後に再度ため息をつく。

「店主、掃除終わりましたよ。まだ何かやることありますか? ――って、そこに寝転がってるのはネムじゃないか。いらっしゃい。何か飲む?」

 事務所の扉から顔を覗かせてネムへと話しかける人物。

 それはチェックのベストに黒の蝶ネクタイをした、フォーマルな格好のイケメン。

「あぁ、ペニー。その格好も中々様になってるじゃないか。いつもの汚らしい道化師とは大違いだぜ。あと、飲み物はココアを一杯恵んでくれ」

「オッケー、ココアだね。ちょっと待っててね」

 扉から顔を引っ込めて、事務所の磨りガラス越しにテミスがトタトタとキッチンの方へ向かっていった。


 ――彼がなぜウテルスパンクにいるかというと、早い話が住み込みだ。

 ただでさえあの寂れた料理街で稼ぎが少ないにも関わらず、アホとバカのせいでロクに呼び込みも出来無くなった上に、半裸で町中を引きずり回されて、おまけに爆弾事件で相当な想いをさせてしまった。

 会うたびに凄惨な思いをさせてしまう彼に、どうにか罪滅ぼしをしたいと考えていたネム。

 テミスを繁華街に連れて行く段階で、予めおっさんに話を持ち掛けていた。

 正確には無言のやりとりが一瞬行われただけだったが、おっさんはネムの眼を見て察したのか、その交換条件で汽車代をネムたちに渡した。

 それがまさに、ガキがネムとおっさんのやり取りに対して底知れぬ恐怖を抱いたあの瞬間だったと言う訳だ。

 少なからずテミス自身が別の道で稼げる可能性もあったので、ウテルスパンクでの仕事と同時に店先で客寄せがてらにピエロをして一石二鳥の稼ぎ方を考案した。

 そんなこんなでテミスはウテルスパンクにいる。

 ……いつかおっさんの魔の手が伸びそうではあるが、ネムが釘を刺してる限りは大丈夫だと願いたい。


「おまたせ。ココアはアイスでよかったかな? ネム、何か思い詰めてるみたいだけど大丈夫? よかったら僕が話を聞くよ?」

 ココアを淹れて来たテミスがネムの前にティーカップを置き、しれっと自分のカップを片手にソファへと腰かけた。

「ペニーお前、ちょっと見ない間に上手いサボり方が出来るようになったな」

「えへへ」

「褒めてねぇよ。働け」

 身も蓋もなく一蹴してテミスがしょぼんと肩を落とした。

「今日、ニーナの家で舞踏会なんだとよ。ほら、お前も誘われてる」

 ネムが諦めたように口を開き、胸ポケットからチケットを一枚取り出すとテミスへと手渡した。

「お前 も ってことはネムも行くのかい?」

 不用意に喋ったせいで口を滑らせたネムは「しまった」という表情でココアのカップを手に取る。

「行かねぇよ。行くんだったらこんなとこに来る訳ねぇだろ」

「あれ? 僕にチケットを届けてくれるために来たんじゃないのかい? え? あれ? もしかしてネムは本当に行かないの? なんで?」

 テミスの問いに答えることなく、ココアを飲み干してネムがソファーに踏ん反り返る。

「そこのビッチは家出中だからな。家に戻りたくねぇんだよ」

 おっさんが嫌味っぽく鼻を鳴らして言う。

「余計なこと言うんじゃねぇよ! クソ雑魚ナメクジが!」

 ネムがキッとおっさんを睨むも、中途半端な情報だけではテミスの疑問が尽きないだろうと、渋々口を開く。

「なぁ、ペニー。お前はこのステムパンクの天辺に何があるか知ってるか?」

 その天辺とはステムパンク内で最も高い位置であり、そこに造られたとある建物。

「知ってるよ。水上工業『ステム・パンク』でしょ?」


 ――『水上工業都市ステムパンク』その名の由来はこの都市内最高位置に建設された一つの会社から来ている。

 その名も水上工業『ステム・パンク』

 都市であるステムパンクで一番太い塔の一番頂上に建っているその会社は、都市内の移動手段を開発している。車であったり汽車の部品で会ったり、船の建造までもだ。

 都市内に新しい技術を供給するその会社は、まさしくこの都市の名を関する一大企業だ。


 そして、その会社こそが。

「……オレの家なんだ」

「…………ふーん」

 愛想のない返事でココアを一口だけ口に運び、理解するのに時間の掛かるテミス。

 数秒の間の後。

「えぇぇぇええぇえぇえぇええ!?」

 目の玉が飛び出んばかりに驚愕し、そこでようやく頭の理解が追い付いた。

「ネ、ネムの家が『ステム・パンク』ってことは、もしかして君は、あの家の、お……お嬢様ってこと!?」

 チッと舌打ちしてネムが顔を背ける。

「言いたくなかったんだがな。あんな家クソくらえだ」

「そんなまさかネムがあそこの娘だなんて。今日の舞踏会も『ステム・パンク』で開かれるんだよね? っていうことは……」

「皆まで言うな」

「ニーナは君の姉妹ってこと!?」

「はぁ――――――――――――――っ」

 全身の空気を絞り出しているのではないかというくらい大きなため息を吐いたネム。

「おっさん、テメェのせいだぞ」

「あ? なんのことかわかんねぇなクソビッチ。辛気臭ぇ顔が居たもんだからちょっとちょっかいかけてやっただけなんだが? お? どうした? なんか気に障ったか? はっはっはっは」

 ニヤニヤと嘲り笑うおっさんに顔をしかめたネムが、机を蹴って立ち上がった。

「あ……」

 この時点でテミスは聞いてはいけないことを聞いてしまったと、後悔の念に押された。

「おっさん。ペニーを連れて来た時点でこの間の借りはチャラだからな。あんまり余計な事をベラベラ喋るんじゃねぇよ。……チケット、確かに渡したからな」

「おぉ、こわ。お前、お嬢様ならもうちょっと優雅に振舞ってみろよ。ヒラヒラのドレス来てよぉ? 『あたしねむちゃん、だんすがとってもじょうずなの~』ってな。っはっはっはっは」

 憤りを抑えた声でオッサンを睨むネムに対し、尚も煽り続けるおっさん。

 腹の虫がおさまらないネムは事務所の扉を思いっきり蹴飛ばして部屋を出た。


「店主! 言い過ぎですよ! 待ってネム!!」

 テミスがおっさんに抗議して走り出そうすると、おっさんがサングラスをずらしてテミスを睨む。

「おいこらクソガキ。あのビッチが抱えてるもんもわからずに口を出すんじゃねぇよ。仕事も半人前、客寄せも半人前で自分のケツも拭えねぇくせに偉そうなことを言うなよ?」

 ビクッと跳ねるテミスだったが、ネムのこととなれば彼も引くに引けない。

「ケ、ケツは拭けなくても行動次第では彼女の心を少しでも軽く出来るかもしれないじゃないですか!」

「寝言は寝て言え。いいか? お前があのビッチに何が出来る? ビッチに体を差し出すか? 追って行って話を聞くか? 無駄だろうな。お前は何にもわかってない」

 背もたれに両肘を広げてもたれ掛かる。

「ネムがこの店にお前を紹介した意味を考えろ。そして何故舞踏会にお前を誘うためにわざわざここまで登って来たのかを考えろ。お前に出来ることは『少し』じゃねぇ。なぁ? 俺の言いたいことが分かるか? お前がやたらと目を掛けられてる理由も、ビッチたちと一緒に飯に連れて行ってもらった理由も。全部ホントにタダの罪滅ぼしなんかだと思ってんのか?」

 テミスはおっさんの目から、ただ脅している訳じゃないことを悟った。

 それが正しいのかはわからなかったが、それ以外の手立てが思いつかなかった。

「店主! 今日、お休みをもらいます!」

「どの道お前は舞踏会に行くんだろうが。ヘマすんなよクソガキ」

 ネムから手渡されたチケットを握りしめ、テミスはウテルスパンクを飛び出した。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


「ネム! 待って! 待ってよ!」

 ゆっくりとだが屋根や路地を伝って移動するネムに、テミスは必死に走って追いつこうとしていた。テミスの声は聞こえているはずなのだが、ネムは歩みを止めない。

「はぁ、待って! はぁ……はぁ……うぐっ」

 ドシャリと屋根の隙間に足を引っ掛けてテミスが転がる。

 服が解れ、膝を擦り向いて痛みに悶え足を抱えた。

 それでもテミスはネムを追うのをやめなかった。

 テミスに手渡されたチケットは二枚。

 一枚はネムが手にしていた物。もう一枚はエチがこっそりと忍ばせた物。

「僕に手渡す段階でネムは気付いてたはずなんだ。彼女が自分の分ごと手渡すなんて些細なミスをするはずがないっ」

 ――この一枚の意味は……。


 そんな考え事をしていたことが仇となった。

 飛び移る屋根のヘリに足を取られ、家屋の隙間に体が落ちる。空が遠くなる。

 死に物狂いで壁に手を伸ばし、腕一本で家屋の窓にぶら下がる状態となった。

「たすけ……!」

 そこまで言いかけてハッと我に返ったテミス。

 今ここで助け何て呼べない。ここで呼んでしまったらまた同じことの繰り返しだ。

 己の力では思い悩む女の子一人助けられないのかとテミスは自らの力不足を恨んだ。。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 彼の人生は幼きにして暗かった。

 親に見放されどこにも居場所が無い世界。一人で生きることすらままならない世界。

 自分の人生は一体なんのためにあるのか。そう悩んでいた。

 特技何て呼べるほどのことなんて何も無かった。だから死に物狂いで培った道化師としての技術で誰かに笑って欲しかった。自分が少しでも誰かに必要とされたかった。

 しかし現実は厳しく、儲けが少ないその日暮らしの日々。


 そんなある日、彼の元に現れたちょっとした有名人。

「最初に会った時はあんなにもハチャメチャな人たちだと思わなかったな。節操が無くってすぐにエッチなことをしようとするし、自由に好きなことだけをして生きている天真爛漫な人たちだと思った」

 でも実際は違った。

「彼女たちは一生懸命生きていた。日常の苦悩を楽しいと思える程に精一杯で、誰かの為に戦える強さを持っていた。僕はその光に満ちた生き方に魅かれて――」


 ――彼女たちといたいと思ったんだ。


 そしてその光の輝きが陰った時、彼女たちのために生きれる人間になるんだ。

「それが今なのに……! 僕が……助けなきゃ……」

 しかし、決意虚しく彼には限界が訪れる。

 指先から力が抜け、ズルリと目下百メートルはあろう虚空へ落下する。

 浮遊感に囚われ、絶望と後悔が募る。

 走馬燈すら感じる間もなく、一つ彼の身体に衝撃があった。


 彼のヒーローはいつだって突拍子もなく現れる。

 その手を取るのはこれからだってきっと彼女たちだ。

「ペニー、お前助けぐらい呼べよ!」

 そこには壁の鉄パイプをひん曲げて、テミスの腕を取る彼女がいた。

 助かった安堵以上に深い感情に、彼の瞳からは自然と涙が零れ落ちた。


 屋根に引っ張り上げてネムが息を切らす。

「お前。マジでふざけんなよ! 突然消えやがって!」

 後ろから呼ぶ声に気づいていたネムだが、逆にその声が途絶えたことによって不審に思い戻ってきたのだ。

「ごめん、ごめんよ」

 今度は先ほどの涙とは別に、自分の無力さに泣きながらテミスが謝る。

「ホントは、ひっく、僕が君のことを止めて、君のことを助けたいって、うぇ……」

「メソメソすんな! お前、膝怪我してんじゃねぇか! 待ってろ!」

 胸元のポケットからハンカチを取り出すと、ネムがテミスの膝へとハンカチを当てがって巻きつける。

「おっし、とりあえずはこれでいいだろ」

 ネムが汗を拭って胡坐をかく。

「ありがとう、ネム。やっぱり君はヒーローだよ」

「あ?」

「君は困った僕をいつも助けてくれる。僕にはそんな勇気も力もないから……。君やガキとエチに出会えてよかった。『プッシードールズ』は僕にとってヒーローなんだよ」

「オレがヒーローだって? そんな訳あるか。そんなものはおとぎ話の世界にしかいねぇんだよ。こんなクソビッチがヒーローなんて……本物に笑われちまう」

「……本物のヒーローっていうのは、ブリキのヒーローのことかい?」

 一拍程間を置いてネムは答えた。

「あぁ、そうだよ。ブリキのヒーローだ。よくもまぁ、あんなマイナーな絵本を知っていたもんだ」

「昔、僕の誕生日に両親がたまたまくれたんだ。僕はどうにもあの本が他人事には思えなくてさ。一人ぼっちのブリキのヒーローはいつも誰かを助けてるヒーローだ。でも心はブリキのように冷たくて、一人ぼっちでいることが寂しくて、いつも誰かに助けてを求めてる」

「まるでお前みたいだな――」

 そう言いかけたネムのセリフを遮ってテミスは食い気味にこう答えた。

「――まるで君みたいだ」

 ネムは虚を突かれた。

 外の世界を知って、自分が今まで誰かに助けを求めたことなどないと思っていたからだ。

 家を出てからネムは強くあり続けた。ガキとエチに出会うまでも、出会ってからも。

 弱いところを見せることも避けて来た。二人の不安を煽りたくなかったから。プッシードールズの一員として自由でいたいと願っていたから。

 誰も、自分の境遇なんて知るはずがない。

 それなのに――。

「ネム?」

「あぁ、悪い。ちょっと考え事だ」


 外へ出て手に入れた自由の先で彼女が抱いた夢は誰かの役に立つことだった。

 欲望のまま生きるということは、自分のしたいことをすることである。

 そのしたいことが他者を助けることだなんていうのもおかしな話じゃない。

 過去の自分が求めたように、誰かもまた助けを求めている。

 誰かを助けるためにも自分は強くあるべきなのだ。


「……で、お前がヒーローと呼ぶソイツに何か用があって追いかけて来たんじゃねぇのか?」

「う、うん! ネム! 一緒に……舞踏会に行こう!」

「断る」

「え?」

 流れからして完璧に舞踏会に連れ立って行ける。……と思っていたのに。

「お前を助けたのと舞踏会へ行くことでは話が別だ。オレは怒ってるんだ。思い上がるんじゃない」

 そう吐き捨ててネムが歩き始める。

「な、なんだよ! この、ワガママビッチ!」

「んだと、コラァ!? ペニーのくせに生意気言うんじゃねぇ!」

 ネムを追うようにテミスも足を庇ってついて来る。

「僕は、ペニーじゃない! 『テミス』だ!」

「オレは帰って寝るんだよ! ついてくんな!」

「嫌だね! 僕は君を舞踏会へ連れて行くって決めたんだ!」

「なんでだよ! お前にはオレが舞踏会へ行こうが行かまいが関係ない話だろ!」

「関係なくなんかない!!」

 ――ピタッと足を止めるネム。

「君にステム・パンクで何があったかはわからない。けれど君は今、自分の嫌なことから逃げているんじゃないか。自分を強く見せたいだけで、弱いところは見せたくないから逃げて。でも心の中ではずっと誰かに助けて欲しがってるんだ……ちがうかい?」

「違う! ただオレは、オレは自由でいたいだけで……」

「なら、尚更じゃないか! 嫌なことから逃げているなんて本当の自由じゃないよ! 僕の知っているネムは怖いものなんてなくて、誰かを守ってあげられる強くて優しい女の子のはずだ! それが『プッシードールズ(かわいい聖人君子)』なんじゃないのか!」

「そんな大層なもんじゃねぇ! プッシードールズってのはビッチなオレたちにお似合いな『ビッチ人形』って意味だ! ヒーローなんていうお前の妄想を勝手に押し付けるな!」

「妄想なんかじゃない! 僕の前にいる君は、現実だ!」

「オレたちがやってることは生きるためなんだよ! 金を稼いで、食いっぱぐれないようにするだけで精一杯なんだ! 善意だけで人助け出来る程人生は甘くねぇ!」

「じゃぁ、僕のことを助けてくれたのも金稼ぎだって言うのか!」

「……あぁ! そうだ! お前を『ウテルスパンク』に放り込んだのも爆弾事件があったあの日の汽車代としてなんだよ!」

「嘘だ! 君は自分の境遇と僕を重ねて僕へ生きる選択肢を与えてくれたんだ!」

「じゃあお前の選んだ選択肢ってのは仕事もせず俺を追っかけて来ることだってのかよ!?」

「そうだ! 君を舞踏会へ連れて行くために追って来たんだ!」

「こんなクソビッチがどの面下げて帰れるって言うんだよ! 誰もオレなんか待っちゃいない!」

「そんなわけないだろう! ニーナは君のことをずっと連れ戻そうと必死だったじゃないか! エチやガキだってそうだよ! きっと君の到着を心待ちにしてる! それに君は僕に一枚多くチケットを手渡した!」

「だからなんなんだよ! 知らぬ間に一枚持って来ちまっただけだろ。そんなチケットくれてやるよ」

「本当のことを言ってくれよ! 君は、舞踏会へ行くつもりなんだろう!?」

「いいか! これが最後だぞ! 誰かが待ってようがなかろうが、チケットがあろうがなかろうが、オレは帰らねぇ! それがオレの答えだ! わかったか!」

 そう一喝されてテミスは反論することが出来なくなった。


「ネム……君は僕を新しい世界へと連れ出してくれただろう……?」


 その一言が聞こえたのかはわからなかったが、ネムが答えない以上テミスは黙るしかなかった。

 二人が言い合いを重ねて都市を降り続けた結果、気づいた時にはかなりの距離を進んでいた。

 テミスが押し黙った頃にはいつのまにやらアパートの前まで到達してしまってる。

「……もう、いいだろ。オレは舞踏会へは行かない。お前の中のヒーローももういない。……じゃぁな」

 彼女が寂しげな背中でアパートのドアを開け、薄暗い室内へと消えかける。

 その扉を潜ってしまったら、彼女の闇は晴れることはないだろう。

 何か。どうにか。ネムを

「ぼ……、僕が……」

 ――その言葉は。

 ――彼女の運命を変える。


「僕が君のヒーローになってやる!!」


 アパートの周りに響くような大声で。

 心臓が、空気が、震える。

 静かに閉じたアパートの扉。

 彼女は室内で扉にもたれ、小さく、外には聞こえぬよう嗚咽を漏らした。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 標高水面から八八八メートル地点。

 水上工業『ステム・パンク』中庭。

「おいしいおいしい!」

 ドレス姿のガキが、音符マークを飛ばして上機嫌に机の上の料理を平らげていく。

「ガキちゃん呑気ねぇ……」

 食事を貪るガキの後ろで頬に手を当て小首をかしげ、何度もため息をつく。

「ん? エチ珍しいね。ご飯も男も食べないなんて」

「どうしてもネムちゃんが気がかりでねぇ? ペニーも舞踏会には来てないみたいだし、二人でイチャイチャしてるんじゃないかって不安で不安で……」

「なんだ、そんなことかー。大丈夫じゃない? 少なくともペニーが此処にいないってことは、おっさんの所で仕事中だろうし。まぁ、そのせいで一人落ち着かないのもいるみたいだけど」

 ガキが片手で持った肉をステージの方へと向ける。

 そこには執事に宥められるニーナの姿があった。

「なんでテミス様がいらっしゃらないんですの!? これじゃぁ、ワタクシの舞踏会のお相手がいないじゃないですの!」

「まぁまぁ、ニーナお嬢様、いざとなれば自分と踊りましょう? あ、偶然を装ってそちらのピンヒールで踏んでいただいても構いませんので」

「キーッ! 貴方は夜にお相手して差し上げますから大人しくディナーでも召し上がってらっしゃいな! テミス様ぁーっ!」

 ぴぃぴぃと子供のように喚き散らすニーナ。

「お嬢様の見る影もない。あんなのだから『自称お嬢様』って皮肉ってるんだけどさ」

 ドレスを料理のソースでベタベタにし、口にいっぱい食べ物を詰め込んでガキが嘲笑う。


 そろそろこの舞踏会も佳境へと至る。

 最後の曲が流れ始め、ステージ上で一組のシルエットが躍り始めた。

「もう舞踏会も終わりねぇ」

「結局ペニーは来なかったね」

 そう話す二人に、未だ遠くで悲壮感漂う声で喚くニーナ。

 ライトが会場を再度照らし始めて、順繰り回ったスポットライトが舞台を照らす。

 来客が皆それぞれ踊り出した頃合いだった。

 照らされたそのステージに釘付けとなった物が四人いた。


「足を踏むな! 痛いだろうが! 下手くそ!」

「ご、ごめん! 僕、踊るのなんて初めてで!」

「紳士の嗜みだぞ! ピエロやってんなら即興でこれくらい合わせろよ!」

「そう言う君だってドレスを着るのにどれだけかかったと思ってるんだ! 淑女の嗜みだろう!」


 その聞き覚えのある声にニーナが走り出す。

 次いで、食事を食べ続けようとするガキを引っ張ってエチがステージへ近づく。

 ぎこちない踊りを続けるステージ上の二人の元へ一同が会する。

「ネムっち!? 絶対来ないと思ったのに!」

「どっかの弱虫が行き方が分からないなんて言うからなー。その付き添いだぞー。本当はとても不本意だがなー。あー不本意だー」

 棒読みで視線を逸らすネムにガキとエチはニッと口角を上げるのだった。

「愛しのテミス様ぁぁぁああぁぁ!」

「う、うわぁ! ニーナ!」

 ステージの階段を駆け上がってニーナがテミスへと抱き着き、その勢いに重心が逸れてステージへと転倒した。

「やっぱり、来て頂けましたのね! ワタクシ、これからは積極的に貴方様に近づいていくことに決めましたの! どこかのビッチたちに貴方様を盗られるよりも積極的に!」

 馬乗りになってニーナが目をキラキラさせる。

「ダメだよ! ペニーはみんなのものだから! 遊んだらちゃんと他にも廻してあげるのがルールなの!」

「あらぁ、そんな決まり在りませんわ。それに、ワタクシの恋を手助けしてくれるという件もまだ終わってませんわ。アホはそこで指を咥えて自家発電でもしてらっしゃいな」

「ぐぬぅ! 自称お嬢様の変態娘のくせにぃ! ペニーから離れろぉ!!」

「ちょっと、二人ともやめて! あっ……!」

 ぐりぐりとテミスの股間の上で暴れ回るガキとニーナに、苦悶の表情で静止を掛けるも無駄な足掻きだ。得も言われぬ刺激で身体がピクリと跳ねる。

「んん、ペニー、今可愛い声出したねぇ」

「ワタクシ、劣情を催してしまいそうですわ」

 二人の魔の手が伸びようとしたところをネムがするりと助け出し、言葉を介さず自身の後ろへとテミスを避難させた。

 呆気に取られたガキだったが、ニヤニヤと良からぬことを考えているようだった。

 そんなネムとテミスの手を引いて、エチが口を開く。

「ネムちゃん、おかえりなさい。ワタシはおかえりなんて言うのも変な話だけれど……。せっかくのお食事もあるんだから一緒に食べましょうよ」

 珍しく人を気遣うエチに動じる様子もなく、腹の音を鳴らしたネムが嬉しそうに笑う。

「おう! 朝から何も食べてなくて腹減っちまったよ!」

「テミス様もささ、ご一緒に! ワタクシの使用人たちが作った自慢の料理ですのよ」

 さり気なく後を付けてニーナがテミスへと擦り寄って席へと歩を進める。


「久々にお屋敷の食事だな」

「あれもおいしいよ、あ、これもおいしいよ!」

 優雅に食べるネムの皿へとガキがどんどん料理を盛っていく。

「さて、ワタシも肩の荷が下りたし、そろそろ頂きに行こうかしらぁ? 玉の輿玉の輿~」

 エチが舌なめずりをしてヒョイヒョイと男性陣の群がる元へとスキップしていく。

「テミス様。あ~ん?」

「あ、あーん……」

 ニッコニコと食事をテミスの口へと運ぶニーナと、参ったといった顔のテミスが窮屈そうにしていた。


 食事も終えて、ニーナが来客へと挨拶をし始めた頃合い。漸くテミスも彼女から解放されて、自由に食事を取れる。

「そう言えば――」

 と、テミスが二人の元へ椅子を寄せた。

「ネムは家出娘だったわけだけど、ガキとエチはどうやって知り合ったんだい?」

 ネムがジトっとした目でテミスを見る。

「あ、いや、変な意味じゃなくて……単純に興味があるっていうか……」

 しどろもどろとテミスが目を泳がせる。

 ガキがテーブルに上半身を付き、一口料理を頬張ったところでフォークを使って自分と遥か遠くにいるエチを交互に差して言う。

「アタシ、捨て子。物心つく前に路地裏に捨てられた。エチは孤児。エチの場合小さい時に親がこの世を去ったの」

 淡々とそう言うと、再度料理にフォークを刺す。

「へ、へぇ~……」

「だからどうしたってことだけどね。強いて言うなら、アタシは食べ物に困って来たから今たらふく食べてるし、エチは人肌が恋しいからああやって男漁りしてる。ネムっちは……」

 訝し気な顔をしてそこで話すのを止めたガキ。チラッとネムの方を見て口を噤む。

「……オレは母親がいない。いるのは親父だけ。言うまでもないが、ここの社長だよ。とんでもねぇクソ野郎なんだぜ」

 ネムが歯を見せて笑う。少し影の掛かった笑い顔に、決して笑いごとではない話だと感じる。

「ペニー、アンタにはまだ親がいるでしょ。『その時』が来た時に逃げちゃダメだよ。逃げたらどこかで必ず後悔する時が来る。アタシたちは会いたくても会えないんだから」

「あ、うん……」

 そう言って、ガキはテーブルから体を起こした。

 ガキが淡々と真面目なことを言うのは普段とは違った意味で怖かったけれど、テミスは親の居る自分と、家出したネムと、両親のいないガキとエチに対しての思いが混濁して顔を伏せた。

「ほら、噂をすればネムっち。ラストワルツの相手がお目見えだよ」

 音楽も鳴りやみ、静けさが伴うステム・パンクの中庭へ現れた人影に、ネムは目を逸らしたくて仕方が無かった。


『皆様、本日もご来賓頂き誠にありがとうございます』


 ステージへと立ち、周りに会釈をする人物。

 彼こそが水上工業都市『ステム・パンク』市長、兼、社長。

 そして……ネムの父親だ。

「大丈夫かい? ネム……」

 心配そうにネムの顔を覗き込むテミスと、じっとネムを見るガキ。

「なぁに、ちょっとただいまと一言伝えるだけだろ。余裕だって」

 笑う彼女だったが、カタカタと手が震えてしまっていた。

 ドレスを揺らしながらゆっくりとステージへ近づく。


「足元にお気をつけてお帰り下さい。海へ真っ逆さまなんてことがないように。どうも。いやぁ、どうも」

 来客へ笑顔を振り撒き、軽いジョークを交えての舞踏会の閉会。

 ネムがステージに登り始めて、社長がその存在に気付く。

 数年ぶりの再会だ。分からなくても仕方がない。

「どうなさいました? 私に何かご用事でしょうか?」

「……お父様。ただいま戻りました」

 社長は一瞬何が起きたのか分からないようで、困惑の表情を見せた。

 が、すぐに察したように声を荒げた。

「まさか……!!」

「…………はい、ネムです。ただいま戻りました」

 ステージ上で父親と話していることに気づいたのか、ニーナが走り寄って来る。

 久々の家族での集合だ。

 今まで苦悩して、やっとのことで戻って来てくれたネム。

 そんな彼女の帰還が姉妹として嬉しくないはずがない。

「お父様、ついにネムが戻ってきてくれたのですわ!」

「あぁ、そうだねニーナ。とても久しぶりの再会だ」

 社長がネムの肩を抱く。

 思わずニーナの目から涙が溢れそうになる。

 ネムの足元では小さな雫が床に触れて散って行く。

「久しぶりの再会に感動しているのですわ! よしよし、ネムちゃん。よしよし……」

 ニーナがネムの頭を優しく撫でる。

「さぁ、また家族の時間を過ごそう」

「是非そうしましょう! お父様、ネムが戻ってくる間にいろんなことがありましたの。三人で楽しいお喋りの時間ですわ!」


「そうだねニーナ。今はそんなことは置いておこう。お前は少し席を外してはくれないか?」

「…………え?」

 思わず強張るニーナの表情を尻目に、社長は続けた。

「やっとのことで戻ってきた私の愛しい家族だ。お前が触れていいはずないだろう?」

「あ、あの、お父様?」

 思っていた反応と違う父親に恐る恐る声をかけるが、そんなニーナを無視して社長は続けた。

「やっと私の元へ『返って』来たと思えば、そのドレスは何だ。私が君のために誂えた特注品があるだろう? 心配する必要はない。君が戻って来るのを見越して幾つも用意してある。君がいつ戻ってこようと困らないように。さて、いいかいニーナ。今は私たちの時間を邪魔しないでおくれ。お前のことは執事に任せてある。さ。早くこの場を去りなさい」

「あ……あぁ……も、申し訳ありません……」

 ぐっと唇を噛んでニーナは俯いた。

「お父様……今日帰って来たのは友達を紹介したいからなんだ……」

 社長の手から離れ、萎縮したニーナを抱いて、細い声でネムが呟く。

 その言動に社長は仮面のような笑顔を顕した。

「友達を? 何を言っているんだ。……いや、分かっているとも。外の世界で悪い虫に憑かれたんだな。どうやら君にはお仕置きが必要なようだ。なに、心配することはない、君が出て行く前に施していたように寵愛をするだけだ」

 仮面の下に見える黒い影にネムの身体が強張る。

「お父様ごめんなさい。オレはもう逃げたりなんかしませんから……」

「……オレ? そんな汚い言葉まで覚えてきてしまったのか。まぁいい。舞踏会もこれで閉幕だ。ゆっくりと二人で話し合おうじゃないか――」


「――ユリ……」


「あぁ……」

 その名を聞いてネムの目からは止め処なく雫が零れる。

「ひどいですわ……その名で呼ぶなんて、いくらお父様と言えど……」

 崩れるネムの体を支えながら、流石のニーナもその言葉には憤りを覚えた。

 ――その名は、ネムの『母親』の名前だ。

 社長の眼にはネムの姿など最初から映っていなかったのだ。

「床にへたり込むなんてお行儀が悪い。とても疲れているようだな。さぁ、こちらへおいで。君がいなかった分すべて愛してあげよう。とても待ち望んでいた営みをしよう」

 泣き崩れたネムを抱え上げようと歩み寄る魔の手。

 その手をバシリと払い除けてニーナがキッと睨みつけた。

「お父様! どうしてしまったのですか! 貴方はそんな方ではなかったはずです! いつものお父様にお戻りください!」

 無言で払われた手を摩り、一つ呼吸を置いたかと思うと……

 ――バキッ!

「きゃっ!!」

 ニーナの頬に平手を喰らわせる。

「ニーナ。聞き分けのない子は嫌いだよ」

 転倒したニーナには目もくれず、ネムの身体を抱きあげる。

 呆然自失のネムはもう、逆らう気力すら無いようだった。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 ――六年前。

 笑顔の絶えない家族の間に起きた悲劇。


 花に囲まれた棺の中で女性が一人、安らかな顔をしていた。

 取り巻く人々は皆一様に黒尽くめの正装で、顔を覆い嘆く者や目頭を強く押さえる者が大半だった。

 まだ幼い少女はその意味を理解できずにいた。

「ねぇ、お父様。なんでお母様は起きてくれないの?」

 少女のあどけない疑問は周囲をより一層悲観的な面持ちにさせた。

「ニーナお姉様。お母様は何故お花に囲まれているの?」

「ネムちゃん、それはね……お母様が遠いところへ行っても寂しくないようにですわ」

「お母様、帰ってくる?」

「ネムちゃんがいい子にしていたら帰って来るかもしれませんわね」

「じゃあ、頑張っていい子になる。お母様が帰ってきたらブリキノヒーローよりも強くなってみんなを守るの」

 彼女の手には余る程大きな絵本。

『ブリキノヒーロー』と書かれたその本を大事そうに胸に抱き、少女は笑った。

 その屈託のない笑顔はこの場で唯一の光であった。


 ――標高ゼロメートル地点。

 棺は静かに地に埋められていった。

「ユリ……ユリ……何故なんだ。ようやく私がこの地位まで登り詰めたのに、これからというときに……。残された娘たちはどうなる。君がいなかったら私は何のために……」

 若くしてステム・パンク社の後継人となった彼は、未熟な権力故に民衆から批判を受けることが多々あった。

 そんな彼を影ながら支えてきた妻・ユリがこの世を去った。

 社長の心身は擦り切れ、葬儀を執り行う頃には既に廃人のようになってしまっていた。

「お父様泣かないで? ここにネムがいるわ。お母様は遠くへ行ってしまうとお姉さまが言っていたの。でも、お父様にはネムがいるもの。寂しくないでしょ?」

 うら悲しげな顔をした社長が面を上げて少女の額へ自身の額を寄せた

「あぁ……そうだね。私にはお前がいる。なんだ……いなくなってなどいなかったのだね」

 ――ユリ。

 その瞬間、彼の記憶から娘が一人消えた。さも、最初から娘は一人しか存在していなかったかのように。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


「やっと……私のもとに戻ってきた……」

 数年の歳月の末に、社長の眼には愛しの妻が帰って来ていた。

 妻の姿にこれ以上ないほどの喜びと安穏を感じていた。

 しかし、その歪んだ愛情と思惑は、何もかもが間違っていた。

 狂ってしまった歯車は正しい運命へと変遷していくことになる。


 感慨に浸る社長の背中に、外れた音程で後ろ指をさす者がいた。

「いーけないんだ♪ いけないんだ♪」

「シャッチョさんなのにいけないんだ♪」

 嫌味なフレーズに子供のような煽り文句。

「お嬢様はさておき、ネムッちを泣かせるなんてとんでもない父親がいたもんだねー。そんな人でなしの親の顔が見て見たいなぁ~」

「ねぇ~、本当に酷いわ。せーっかく勇気を出して里帰りしたのに他の女の名前で呼ばれるなんて、浮気心も甚だしいわぁ~、ほらぁ、ペニーも何か言ってやって?」

「え、あっと……」

 突然話を振られても困惑する他ない。

 その話声を聞いて社長は笑顔で振り返った。

「おや、舞踏会はもう閉幕ですよ。お嬢さん方も足元にお気をつけてお帰りください」

「なんて白々しい笑顔! こんな嘘つき初めて見るわぁ~!」

「ペテンな笑顔貼り付けちゃってさ! これはベッドの上でも独り善がりなセ●クスするタイプだよ!」

 ケタケタと嫌味ばかり並べる少女たち。

 一頻り言い終えて満足したのか、ふぅと息を吐いた。

「そこのシャッチョサン。その子、アタシたちの友達なの。まだヤり残したことがたっくさんあるんだよね。この後も約束入っちゃってるからさ、一緒に帰らせてくれない?」

「ねぇ、ネムちゃん。どうしてそんなにションボリとフラれた子猫みたいな顔をしているのよぉ。いつもみたいにおっぱいへビンタするくらいの威勢はどこにいっちゃったの?」

「ニーナ。大丈夫かい? 血は出てない? 口の中を切ってしまってもないかい?」

「えぇ、大丈夫ですわテミス様。お気遣いありがとうございます」

 スカートの裾を払いながらニーナは社長を一瞥する。

「お嬢様もお怒りねぇ。そりゃそうよね。実の娘にあんな仕打ちをするなんて親失格だもの」

「ね、自称お嬢様。アンタの今の気持ち、正直に言ってごらんよ。無茶苦茶言ったってだーれも責めないよ。だって、今ここにいるメンバーみんな同じ気持ちだもん」

 ガキにそう唆されたニーナは、肩を竦ませて鼻で笑った。

「あら、そうですの? ワタクシあまりそういったことは得意ではないですし……。そうですわね、一度お父様にお伺いしてみますわ」

 ツカツカと社長の元まで行きブリッ子全開でニーナはこう述べた。

「お父様、ワタクシ、テミス様と結婚するためにこのお屋敷を出て行きますわ」

「え、僕!?」

 唐突な婚約宣言に一番驚いたのはテミスだ。

 社長は顔を崩すとまではいかないでも、口角と眉をピクリと跳ねさせた。

「ネムちゃんを放してくださいませ。貴方のような下衆でクソッタレな蛆虫野郎にワタクシの可愛い妹を弄ばれて堪るものですか」

 ニーナの罵倒が聞いたのか、社長は薄っぺらい笑顔が剥がれ掛ける。

「おやおや、ニーナ。お前も悪い虫に相当毒されたようだ。その台詞を覚えておきなさい。私はお前を許さないからな」

「構いませんわ。そのような脅しに屈するワタクシじゃなくてよ。貴方のしたことは全て知っているのですから」

 強気な態度でニーナは続ける。

「今の今まで性質の悪い冗談だと思っていましたが、確信に変わりましたわ。お父様があの日以来ネムちゃんを監禁し酷い目に遭わせ続けていたこと。ワタクシに嘘を吐いてネムちゃんが家出したと仰ったこと。家出なんかじゃありません……逃げ果せたのですわ。日頃のお父様の態度から自らに『そんなはずはない』と言い聞かせてきました。ネムちゃんが戻ってくれば全てわかる。お父様もきっと優しく迎えてくれるはず。……淡い希望でした。…………ワタクシ、ニーナは金輪際お父様と一切の関係を断つことをここに誓います」

 何故そのことを。そう言いたげに社長は顔を歪めた。

「ネム! こちらへいらっしゃい!」

 虚脱状態のネムの手を取り、社長から引き剥がそうとする。

 社長もそうはさせまいと声を荒げた。

「私のユリに触るなぁ!! 調子に乗るなよクソビッチ共が!! ユリは誰にも渡さない! 私だけのものだ! お前らのようなクソガキ共が私に盾突いていいはずがないだろう!! やはり殺しておくべきだったんだ! あの時、列車ごと沈めておくべきだった! ユリだけを連れ戻せと依頼したのに、失敗に終わったなんて許されるはずがないだろう!」


 ――この発言により爆弾魔による列車の爆破事件。その依頼主の正体が発覚した。

 そしてその発言により、彼女たちに火がついてしまう。

「はっはーん! なるほどね! やっと繋がったよ!」

「まぁまぁ……マッドボマー・ユナの『目的』ってそういう……」

 納得の表情を示すガキとエチ。

 その納得は徐々に憤りに変わって行く。

「じゃぁ、やっぱり許せないや」

「ネムちゃんを解放してくれればいいと思ったけどそれじゃぁ気が済まないわねぇ」

 気が触れた社長に対し、あくまでも冷静に、静かに闘志を剥き出しにして……。


「ネムちゃんもさぁ、いつまでもそんな所にいないで、早く帰ってきなさいよぉ」

「ネムっちの居場所はそこじゃないでしょ。ネムっちの家族はアタシたちなんだから」


 狂乱状態の社長は少女たちから逃げ出す姿勢を見せるが、ニーナがガッシリとネムの腕を握って離さない。

 ガキとエチも憤る気持ちを抑え、カツカツと踵を鳴らして歩み寄る

「来るな! お前たちに! 私のユリを! 奪われてたまるか! やめろ!」

 吠えて錯乱状態になる社長の腕の中、心此処に在らずだったネムの瞳には『転寝合歓うたたねねむ』という存在を受け入れてくれる人々が映る。

 彼女はプッシードールズ内で誰よりも強かった。だから、誰よりも耐えてきた。

 そんな彼女が自らの心を露わにする瞬間だった。

 泣きながら、縋る様に、彼女はこう告げた。


「…………助けて」


 ――その言葉でその瞬間だけ、その場にいた誰よりも熱いやつが走った。

 大きく振りかぶった拳は不格好で、当たったダメージもヘッポコだ。

 それでも『彼』を『英雄』と呼ぶには充分な行動だった。

 走って全体重を乗せた拳は、社長の顎へ痛烈にヒットし鈍い音を立てた。

 とても間抜けた声を発して社長がステージの裏手へと吹き飛ぶ。

 同時にネムを引き剥がしてニーナはまたステージ上に転がった。

 闇の中に差し込んだ僅かな光に、奮起を起こしたヒーロー。

 その名は『テミス』


「わーっい! 派手にやっちゃった!!」

「いい気味だわぁ!」

 ガキとエチが恍惚の表情で手を組み跳び上がる。

 彼の手は熱く、彼の心臓は今までの人生で最も激しく脈動していた。

「どうしよう……っ!!」

 我に返って自分の仕出かしたことに後悔を覚え始めるヒーローはまたいつもの臆病に逆戻りだ。カタカタと小刻みに震え始め、少女たちに目で助言を求めている。

 少女たちはそんなテミスにニヤニヤとした表情で物申す。

「あーぁ。やっちゃったねぇ、ペニー?」

「まさか、ステム・パンクの社長をぶん殴っちゃうなんてねぇ……。もうステムパンク内じゃ生きていけないわねぇ……」

 小動物を甚振るかのように煽り文句を垂れる。

「ご、ごめんなさ……」

 謝罪の念を唱える彼の頭にポンッと、優しく手が触れた。

 少なからず彼の行動によって、運命の歯車は正しく回り出した。


「……まぁ、お前にしては上出来なんじゃないか? オレのヒーローさん」

 弱々しくも、しっかりと自身の足で立つ姿がそこにはあった。

「ネムっ!」

「おう、ネムだぞ」

 その顏は涙でぐしゃぐしゃになっていたが、確かにいつものネムだ。

「ネムっち! 大丈夫?」

「大丈夫なもんか。こっちはトラウマ全開で今すぐにでもここを去りたいんだぞ」

「そうねぇ。走れるようならちゃっちゃとトンズラこいちゃいましょう~」

「と、言いたいところなんだがまだ足がガックガクだ。オレを背負って最下層まで逃げ切れるか……?」

「それは無理」

「無理ねぇ。三人で走ってペニーを投げ回すだけで精一杯よぉ?」

「……だよな」

「そこのビッチさんたち。ワタクシの心配もして欲しいですわ……」

 転がってスカートの中身が丸出しになっていたニーナが、コホンと咳払いをして自分の存在をアピールする。

「あぁ、忘れてた。自称お嬢様、お手柄だね。今回だけは礼を言っておくよ」

「ネムちゃんのためですもの。姉として守るのは当然のことですわ。あと、今回だけでなく毎回ワタクシに迷惑をかけていることをちゃんと理解してくださいな」

「ニーナ!」

「あぁん。テミス様! 御手を怪我されてはいませんか?」

「僕は大丈夫。それよりもごめんよ、君のお父さんを殴ってしまったよ……」

「いいんですのよテミス様。あんなクソオヤジ様。当然の報いですわ」

 ふんっと小馬鹿にしたように笑ってニーナは腕を組んだ。

「さて、どうやってここから脱するか……だが……」

 どうにも逃げる算段は整わない。

 いくらガキとエチでも一人ずつテミスとネムを背負ってパルクールをするには限度がある。最下層の彼女たちの隠れ家まで到達する前に落下死してしまう可能性だって付き纏う。

 かといってのんびりとしていては……。


「……私を殴ってタダで済むと思うなよ。そこの小僧……」

 攻撃力の低いテミスのパンチでは数十秒悶える程度が限度だろう。

 案の定、一分程度で社長が起き上がってステージの上に登って来る。

 逆鱗に触れたテミスへと向けられる、明確な『殺意』。

 分別など付くはずもなく、その手には会食用の机に添えてあったナイフを握りしめている。

「ぶっ殺してやる! ぶっ殺してやるぅ!!」

 テミス目がけて怒号を発しながら振りかざされたナイフ。

「テミス様っ!!」

 その軌道上へとテミスを押しのけて飛び込む少女。

 ――グサリとその刃は肉を抉る。

 ぽたり、ぽたりと赤黒い液体が滴る。

 その場にいた皆が唖然とした。

 息を乱した社長も例外なくその光景に動きを止めた。


「旦那様。そろそろ目を覚まされたらいかがですか?」

 肉汁を溢れさせる肉塊。来賓の口には運ばれることのなかったレアで焼かれたステーキの塊だ。

 その肉へナイフは深々と刺さり貫通していた。

 もうあと数センチ深く抉っていたらニーナの眼球すらをも貫通していたであろう。

 舞踏会の途中から姿を消し、今しがたこの場に戻ってきた人物がいた。

「少々時間が掛かってしまいましたが、ニーナお嬢様、ネムお嬢様。お怪我はありませんか?」

 冷静な口調で淡々と手に持った肉とナイフを片し、手袋を換える。

「旦那様。大変申し上げにくいのですが、旦那様は少々お心の安寧を図られた方がいいと思います。仕置きならば自分が受けますのでどうかこの場はお引き取り願えませんか」


 このお屋敷に仕え、日々ニーナと行動を共にする執事。彼女が何故メイドではなく執事と呼ばれるか。

 執事とは本来、使用人の中で男女関係なく最高位に仕える者のことである。

 つまり、執事と呼ばれる彼女は屋敷の中でも主人に対して口利きが聞く人物なのだ。

 だからと言ってこの場が治まる訳でもなく。

「何故私の邪魔をした! 使用人風情が私に口を出していいと思っているのか!」

「いいえ。旦那様。本来ならば私目が発言できるような場ではないと心得ております。が、お嬢様方に危害を加えるとなっては話が別です。私目の職務はお嬢様の護衛なのですから」

「ならばその任務は今ここで終わりだ! お前はクビだ! さぁ、そこをどけ。私はそこの小汚い小僧に死んでもらわなくてはならない。小僧だけじゃない。私からユリを奪い、ユリを穢し、あまつさえこんな『男のように』毒した奴ら全員だ! 絶対に許さないぞ、絶対にだ!!」

 この場で不当に解雇された執事にはもう執事としての役職は無い。

 よってニーナたちを職務として守る必要も無くなってしまった。故に……。

「畏まりました。では私目は今よりニーナお嬢様、及びこちらのプッシードールズの介助に全力を尽くさせていただきます」

 職務ではなく、彼女自身の判断でこの場で最も守るべき人物たちへと加担する。

 執事が深々と頭を下げ、続けて言った。

「しかしながら、私目が助力を担うまでもないようですよ……」

 執事が言い終わる前にその背後から跳躍した人物がいた。

 ガタついていた足が嘘のように口からは白く濃い吐息を漏らして。

「だぁれが! 『男』だと!! このクソオヤジがぁあああぁぁぁあああ!!」


 その瞬間、社長の眼には誰が映っていたのだろうか。

 テミスの時とは比べものにならない打撃で社長は物言う前に吹き飛んだ。

 閑散としていたステム・パンクの中庭で、テーブルをひっくり返しながら食器や椅子をも盛大に巻き込んで転がる。

 脳震盪で薄れゆく意識の中、社長は大きく瞬きをした。

「あぁ……ユリ。君に初めて会った時を思い出すよ。あの時も思い切り叩かれたね……。女心のわからない私を君は最初、忌み嫌っていたっけ。――君に似て、とても元気に育ってくれたよ……私と君の娘『たち』は……」

 テミスとは比べ物にならない力で吹き飛ばされた社長。

 今度こそは地べたから起き上がることなく気を失った。

「えぇ……ネムッちめっちゃ動けるじゃん」

 逃げ出すことなど出来ないと言っていたにも関わらず機敏に動き、ガキの中では負けイベントのラスボスだとまで思っていた社長を倒してしまった。

 結果として時間にかなりの猶予が出来たが、この後を考えるとあまり長居するのは得策ではない。

「……なんか、体が勝手に動いちまった。でも、スッキリしたぜ。こんなに清々しいのなんてこの家を出て以来かもしれないな」

 大きく伸びをしてネムは深呼吸をした。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


「さぁ! ここからトンズラするぞ!」

 ガキとエチ、そしてテミスの肩を順に軽く叩いてネムがズカズカと前を歩く。

「もー。ネムっち勝手なんだからー」

「トンズラってどうやって帰るのよぉ〜」

「そんなもん決まってんだろ。ペニー回しながら降ってくんだよ」

「えぇ……面倒臭い……。汽車のチケットないの?」

 今にして思えば、チケットが四枚封入されていたのに疑問を抱くべきだった。

 四枚のチケットはそれぞれ文字通りの片道切符しかない。当初のニーナの予定ではこんな大惨事になるなど想定してなかったのだ。ネムとテミスを舞踏会へと誘って、楽しく会食した後にお屋敷から逃すまいと密かに策略していた。

 ガキとエチに関しては先日の一件に対するお礼程度であって、帰りまで考えてはいなかった。

「ご心配なく。ネムお嬢様」

 ネムを呼び止めて、執事が懐から数枚の紙切れを手渡した。

「このような事態を見越して自分が予めチケットを用意しておきました。お屋敷前の駅からご乗車いただけますよ。自分は体力がありませんからね。旦那様との邂逅にはギリギリになってしまいましたが事前に予測してこれくらいのテクニックでイかせる程度、造作もありません」

 手渡されたチケットをポッケに入れて、ネムはバツが悪そうに頭を掻いた。

「また、お屋敷から出てっちまうが、いいのか?」

「勿論でございます。しっかりとその目で外の世界を、自由を、我儘を、謳歌して来てくださいネムお嬢様」

「その、お嬢様って言うのはやめてくれねえかな。もうあの時は違うんだ。執事もクビになっちまっただろ? 今はもう他人同士だ」

「そう仰るのなら、ネム様。お気をつけていってらっしゃいませ」

「あんまり変わってねぇな。ま、この家から出て行くのもこれで最後にしたいな『三度目』なんて懲り懲りだぜ。……あの時から、長い間世話掛けちまったな」

 ネムの含みのある言い方に執事は無言で頭を下げるだけだった。

 ネムは向き直ってニーナへと歩み寄る。

「ごめんな」

「ネムちゃん……いいえ、ネム。ワタクシは何もできませんでしたわ。貴方の境遇も知っていたのに自分を欺いていました。今更帰って来てくださいなんて言えません……。お父様のこれからもキチンとお話をつけさせて頂きます」

「あぁ。あのクソ親父の後始末は大変だろうが、頼んだぜ」

 ギュッとニーナを抱き締めて、ネムは言った。


「鬼ごっこはまだ終わっちゃいねぇんだ。またお前がオレを連れ戻しに来るのを待ってる。こんなクソッタレな妹を想い続けてくれてありがとうな」

「ネム……」

 ニーナが言葉に詰まったところでネムは勢いよく踵を返した。

 まだ言い足りないことがあったが、それは『次』でいい。


「行くぞ! ガキ、エチ! あとオマケのペニー!」

「僕はオマケ扱いなの!?」

「ネムちゃん、もういいの? 伝え忘れたことはなぁい?」

「あー、一個忘れてたわ!」

 ステム・パンクの門を潜ろうとしたところで、ネムは大きく声を張った。


「ニーナァ!! お前の花婿は預かっておくからな! 早く来ないとコイツの童貞喰っちまうぜー!?」

 中庭の遠く、ステージの上で社長を介抱し始めていたニーナ。

 その呼び声に反応して何やら喚いていたが聞き取ることはできなかった。

 ネムたち一行は高笑いをしながら門を潜り、水上工業『ステム・パンク』を後にするのだった。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


「あ~ぁ。アタシまだご飯食べたかったなぁ。……ていうかご飯もそうだけどアタシ今日一人も引っ掻けてないや! うあー、勿体ないーっ」

「ガキちゃんもなのぉ? ワタシも食べ足りないわぁ~。何人だったかしら……」

 一から順に指折り数えて両手が必要になるエチ。

「充分ヤってんじゃねぇか」

「んでもぉ、玉の輿よ? 数あって困ることはないじゃないのぉ」

「言いたかないが一応ウチのお得意様たちだぞ。見境なしかよ」

「そんなこと言ってネムちゃんはペニーをしっぽり頂いちゃったんでしょぉ?」

 テミスの後ろからたわわな双丘を頭に乗せて抱き付くエチ。

「ぐ、重たっ……」

 ついテミスが正直な感想を述べてしまう。

「重たくないわよ~。ねぇペニー、ネムちゃんに食べられちゃったのぉ? 教えて~?」

 ン~と尖らせた唇を近づけてエチが甘い声で尋ねた。

「誰が食うか! そんな暇なかったわ!」

「あら、時間があったら食べちゃったのかしら。じゃ、今から頂いちゃいましょ。ペニーお姉さんと一発ヤらない?」

「あ、ズルいエチ。アタシも食べたい!」

 テミスの正面からはガキが抱き付いて胸に顔が埋まる。

「歩きづらいよガキ~」

「ヤるな、食うな、寝るな。コイツの童貞は然るべき時にオレがもらう」

「ほら~! やっぱネムっちも狙ってんじゃん。みんなの物だよ。ちゃんと代わりばんこでヤるの。……ていうかアレ?」

 やっと違和感に気づいたようで、ガキはテミスの顔を覗き込んだ。

「ペニーが全然慌てないね」

「あらぁそういえば。おっぱいで挟んでるのに全然物怖じしないのねぇ……」

「ペニーも一皮剥けたってことだな」

 自慢げにネムがテミスを二人の間から引き寄せて抱き締める。

「一皮って、ネムッちやっぱりなんかあったんだ!」

「なによぉ、二人で何シたの~。教えてちょうだいよ~」

「なんもねぇって。強いて言うなら、お前らが知らないペニーを先に見ちまったんだよ」

「ずるぅい……」

「二人がピンチになったときにわかるさ。な、ヒーロー?」

 ヒーローと呼ばれることに気恥ずかしさを感じたテミスだったが、胸を張ってこう言った。


「これが僕の選んだ人生だからね!」


 まだその意味を理解できないエチとガキ。

 でもそれはいつか自ずとわかるときが来るはずだ。

 一足先に知った『英雄』の笑顔に、少女が一人顔を綻ばす。

「僕に任せてよ『プッシードールズ』(可愛いお人形さんたち)」

 鼻高々にドヤ顔を見せるテミス。

 すぐさま調子に乗り過ぎだ、と三人に頭をぐりぐり撫でまわされた。


 ――その空間にはひたすらに笑顔が絶えない時間が流れていた。


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