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▲プロローグ▼△ていうかパンツくらい履いてほしい▽


 ――紡がれるのは蒸気と水からなる幻想的な世界。

 水上工業都市『ステムパンク』と呼ばれるその一都市の内で、個性的な振る舞いを見せる女の子が三人。

 彼女たちがこの世界で繰り広げる一風変わった生き方の様子。

 一度覗いてみてはいかがだろうか。


「ねぇーネムっち~。もう疲れたよー。お仕事なんてめんどくさいよー。帰ろうよー」

 大通りを歩く人々を横目に、その近くにある家屋の屋根を歩きながらそんな台詞を漏らす少女。風になびいた猫耳付きパーカーのフードを整え、屋根沿いに設置された鉄パイプに座り込んでしまう。

 それに対し『ネム』と呼ばれた少女は、

「何言ってんだよ。まだあと一件残ってるっつーの。エチもなんか言ってやれ」

 と、草臥れた手帳を叩きながら、呆れ顔で苦言を呈す。

 大胆に胸元が開いた作業着に、肘の上辺りから指先まである仕事用の大きな手袋。

 その大きな手袋に持っている大量の付箋紙でパンパンの草臥れた革の手帳。

 その二人に並んで暑そうに胸元を仰いでいるところを『エチ』と名前を呼ばれ、足を止めた少女。

「ガキちゃん、がんばって~。それが終わったらネムちゃんがご飯を奢ってくれるのですってよ~」

 露出の多いスカート、黒地に白のレースをあしらったゴシックなワンピースに身を包む。

 たわわに育った胸元を強調し、一方の手で谷間に風を送りながら、もう片方の手でパイプに座り込んでしまっている『ガキ』と呼ばれた少女を撫でた。


 ――水上工業都市『ステムパンク』

 都市内は鉄製の配管やコンクリートで打ちっぱなしの壁が並び、改築の都度に増設した木造、鉄製、レンガといった様々な様式の家が重なり合って上に上にと積み重なる。

 煙突や工場が群となって建ち並ぶその様は、天高く聳えた異世界への架け橋をも彷彿とさせる。その時代も作りも新旧まちまちな鉄塔が何本も集まり一つの都市が完成していた。

 鉄塔同士を繋ぐ足場や通路は水面から一定区間毎に高架のように幾つも張り巡らされ、最下段の目下には海が広がっており、都市の間を交易船や客船が行き交う。


 ――このステムパンク内で様々な仕事をこなす彼女らの、一目見ただけで分かる個性的な容姿と、二目でも分からない彼女たちのぶっとんだ内面。

 その一風変わった生き方から、ちょっとした都市伝説として一部で名が通っている。

 それは、いい意味でも悪い意味でも……。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 ド迫力な胸を引っ提げた少女エチが「奢る」と言ったことに対してネムが眉を寄せた。

「あぁ? オレは奢るなんて一言も言ってないんだけど? どういうつもりだよ」

「あら〜こわーい~。せっかくのネムちゃんのかわい〜ぃお顔が台無しよ?」

 そっぽを向いて知らん顔をする巨乳娘に一層険しい顔を見せるネム。

「ぶーぶー、ご飯をネムっちが奢ってくれるのは当たり前じゃーん。でも、ご飯だけじゃ今のアタシの欲求は満たされないんだよねー。今一番嫌なのはお仕事なのー。あぁー、でもおなかも減ったなー。どうしよーっ。動きたくないなーっ!」

 奢るとか奢らない以前に、この場から動こうとせずに文句ばかりを漏らすガキ。

 その我儘な猫耳娘が俯いてパイプのボルトを弄っていたかと思うと、突如立ち上がってポンッ☆と手を叩いた。

「……あっ!」

 パッと顔を上げて閃いたといった様子で目を輝かせる。

「お、なんか知らんがやる気になったか?」

「ううん。違うよ」

 ネムの期待などお構いなしに無情にも首を横に振った後、ガキが人差し指を立てた。

「ここで仕事せずに帰ったとしたら、おウチでおいしいご飯も食べられるし、面倒なお仕事もしなくていいしでwin&winなんじゃないかと思って」

「お前はwinnerかもしれないけど、オレたちは社会的にloserになっちまうよ……」

 アホなことを言うガキに対し、ネムは大きくため息をついた。

「アタシ、ウィンナー大好きだよ。デカくて太くて食べ応えのあるやつは特に。でも、ルーザーて何だっけ? ルーズソックスとか? アタシ、ソックスよりセック……」

「だめよ、ガキちゃん。お仕事はちゃんとしないとね。さもないとガキちゃんが今日食べるべきご飯のお金ももらえないのよ?」

 ガキの言いかけた言葉を遮って、見兼ねたエチが言う。

 その言葉にうんうんと頷くネム。

「ふーんだ! 働かなくてもお金をもらえる方法なんかいっぱいあるもーん。今日はもうお仕事したくないのーっ! アタシののんびりルーズな時間を返してよー!」

 頬を膨らませてガキが唇を尖らせる。

「ソックスも時間もそっちのルーズじゃねぇんだがなぁ」

「アタシ語彙が多彩な、学んだことをすぐ活かせる天才っ子だからね」

「ほぉ、じゃあ天才のガキさんよ。お仕事は……」

「やっ」

「だよな。ホント我儘なやつだよ。バッグん中にでも何か入って無かったかなぁ……」

 いつもの『面倒臭がり』が発動してしまったこの「アホ」をどうにか奮い立たせられないかと、腰に提げたツールバックへと手を伸ばす。

 ごそごそと底の方を漁り、ピコンッと頭に電球マークを浮かべてネムはガキへと手を差し出した。

「ほらよ、ガキ。いいもんがあった。これやるよ」

 指先でくるくると回しながらガキの目の前にチラつかせたのは、小さなポップキャンディーだった。

「『シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ味』のポップキャンディーだ。前の仕事でもらったはいいけど、オレはこんな甘いモン食べられないから鞄の中に眠らせてたんだ」

 見るからに甘ったるくて喉が渇きそうな包装紙で包まれたポップキャンディー。

 そのキャンディーを見るや否や先ほどまでの態度はどこへ行ったのか、目を輝かせてにじり寄って来るアホ、もとい、ガキ。

「飴ちゃんだ! ネムっちマジ天使! ねぇ! 頂戴! 頂戴!」

 ぴょんこぴょんこと飛び跳ねながらネムの手元を追うガキ。

 そんなガキの頭の上をスイスイと仰いで、ポップキャンディーは無情にも再度ツールバックへと仕舞われてしまった。

「ありゃ?」

 首をひねって飴の行方を追うガキに、ネムが不敵な笑みを浮かべる。

「タダでやる訳にはいかないな」

 片手に持った手帳を開いて、そこに描かれた地図を見せながらパイプの間を指差した。

「そうだなぁー、ここから次の現場までオレと競争して、もしお前が勝ったらこの飴をくれてやるよ。どうだ? このゲーム。乗るか?」

 いやらしく口角を上げてそう挑発すると、

「ゲーム! そりゃあ! やるっきゃないでしょう!」

 ガキの目が一層キラリと光り、手を猫のように丸め地面へとついて腰を屈めた。

 ガキの着る服の尻尾がゆらゆらと地を撫でる。

「よっしゃ! そうこなくっちゃな! エチ、スターターやってくれ!」

 ここまで言い包めればしめたものだと、手帳をバッグへ突っ込み手袋のジッパーを一番上まであげる。ぐぐっと前屈姿勢になって、首から下げたゴーグルを額へと持ち上げた。

「ワタシも、飴が欲しいなぁ……」

 準備万端の二人に対して、エチがおずおずと間に割って入って来る。

 短いスカートの裾を括りながら甘ったれた声で上目遣いをする彼女に、困り顔で一瞬だけ姿勢を解いたネム。

「いや、お前はあの飴そんなに好きじゃないだろ……」

「人のモノって欲しくなっちゃうのよねぇ。はいスタート」

 ――パチンッと唐突なスタートコールがエチから発せられると同時、バガン! と、鉄骨で組まれた家屋の屋根が大きな振動と音を立てた。

 瞬きする間にガキとエチの姿が消える。

 しれっとエチが放った言葉と、遅れてやってきた思考。

 その意図を理解して、ネムが気づいた時にはもう遅い。

「……あのやろう……やってくれたなぁ!」

 二人はネムを置いて自分たちが先にダッシュすることでリードを図るつもりだったのだ。

 それも、口裏を合わせることなく。

 すぐさま姿勢を整えると同時にバガンッと足場を思いきり蹴り、向かいに見える赤錆びた鉄パイプが生える屋根へと飛び移っていく。

「あいつ等どこに行きやがった!」

 既にこの場に無くなった二人の影を追って、ビルのように聳えた壁面に取り付けられている階段と、固く留められた壁から生える大きなボルトへと飛びついて、グングンと上へと高度を稼ぐ。

 最下層の水面がどんどんと遠ざかって空が広く見えていく。

 登っている建物の頂上付近、開けた空間がある屋上へと飛び移ると、僅かな建物の隙間から、数十メートル先に人影が二つ見える。

 初手で遅れてだいぶ距離を取られてしまったが、

「オレも伊達に勝負しかけている側な訳じゃ無ぇんだよ!」

 ここで諦めたりしないのがネムだ。

 短い歩幅でガガッと屋上の床を蹴って助走をつける。トタン板で出来た屋上の淵辺の端がベゴリと音を立てる。大きく空中へ踏み切って、そのまま空中で前方へ一回転。

 張り出た家のベランダの手すりを足場にさらに前方へもう一回転。

 細いスロープの手すりを利用して、懸垂の容量で上へと跳び上がる。


 いくら屋上が開けた空間だとは言っても、『ステムパンク』内の狭い路地や不安定な足場を走っていることに変わりない。常人ならば一歩足を滑らせて真っ逆さまであろう高さと不安定な足場を彼女らは難なく走る。


 ネムが屋上から踏み切って僅か十数秒後、同じように壁を伝い路地を走り抜けるガキとエチへと追いついた。

「やっと追いついたぞ、このやろう!」

 猫のように体を捻った動きで足場を伝うガキと、雲のように跳ねて移動するエチの横へと並ぶ。

「えっ!? うわ! エチ! ネムっちが来るのめっちゃ速いよ!?」

 ギョッとした顔でネムを一瞥すると、エチの方を向いて焦りを見せるガキ。

 そんなガキに、分かっていたと言わんばかりに、

「それを見越してのフライン……いいえ、ごめんなさい。なんでもないわ。流石ネムちゃん、速いわねぇ」

 嫌味のようにわざと口を滑らせ、口元を手で覆う。

「おい! 今、完全にフライングって言おうとしたよな! ていうか、オレがスタート地点に取り残されてた時点でこの勝負はフェアじゃねぇよ! ノーカンだ、ノーカン!」

「ネムちゃんがワタシに『スターターやってくれ』って言ったのよぉ? 自分でやればよかったのにぃ」

 片方の手でスカートを抑えながら、そっぽを向いていやらしい笑みでエチが言う。

「あー、そうかい。そうかい。オレがお前らの性格を理解してなかったのが悪かったな」

「ネムっち反省した? じゃあこの勝負は続行ってことでいいね? 勿論ラストはアタシの勝ちに決まってるけどね! よいしょっと!」

 クルリとガキが隣の建物の上へとパイプを使って跳ね上がると、そこから大きく踏み切って空へと飛び出した。

 既に目的地は目前。

 大きな崖を挟んだ向こう岸に渡るためにラストスパートをかけるガキに対して、ネムも負けじと言い放つ。

「反省もしねぇし、オレが負けるわけねぇだろ! あらよっと!」

 廃れたビルの壁に取り付けられた老朽化したパイプを力ずくで引き剥がし、その先端を掴んで身を寄せる。

 ギギギギィ……と軋む音を立てながらパイプが撓って棒高跳びのように前方へと降下していく。

「あらぁ、今回のレース、ワタシは降りようかしら。飴ちゃんはまぁ、あの子の物かしら」

 特にラストスパートをかける手立ての思いつかなかったエチはスカートの中を気にする素振りもなく高所から飛び降りた。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 ――三人とは所変わって、ステムパンク内の標高八〇メートル地点。

『コックパーク』

 小さな遊具と砂場がある少し広めの公園だ。公園内の大きな煉瓦状の壁にビッシリと描かれた落書きと、その壁から少し離れた花壇の周りには、青色のベンチがいくつか並ぶ。


 その公園の一角に、遮光用のパラソルを立ててゆったりとくつろぐ人影があった。

 ウェーブの掛かった綺麗なブロンドの髪の毛に、気品漂うヘアカチューシャ。

 襟元に可愛らしい装飾が施されたワンピースに身を包む少女が、紅茶を啜ってテーブルへと置いた。

「いい天気ですわね」

 片手でシェルフを作りながら空を仰ぎ、今日の天気に嬉しそうな表情を見せる。

 その隣で、ロングのスカートを風になびかせる執事がティーポットを片手に微笑む。

「確かに、これだけ空が晴れていると気持ちがいいですね。【仁奈ニーナ】お嬢様。紅茶のおかわりはいかがですか?」

 ニーナと呼ばれた少女は小さく「お願いするわ」と言ってティーカップを執事へと差し伸べた。


――先ほどまでの三人とは相対的な物静かな二人。

 彼女らは今、定例の優雅なティータイムの真っ只中だった。

 だが、そのティータイムの終わりは唐突に訪れる。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 ――ドズシャアアアアッ!

 平穏な空から降ってきた猫耳の娘は『コックパーク』内の花壇の横を滑って、足元から小さな火花を散らす。

 濛々と巻き上がった砂塵の中、加速した身体にブレーキをかけ終えて胸を張った。

「どう! ネムっちより速い! このゲームはアタシの勝ちだね!」

 彼女が滑って高温になった広場がチリチリと音を立てる。

 その勝利宣言から数秒後、捕まっていたパイプが限界を超えて圧し折れる音と共に手袋の娘が地面に降り立つ。

「あ、折れちまった。ま、いっか。どうせ使われてない飾りみたいなもんだったろうし。あーあ、しっかし、ラストでパイプにしがみついたのは失敗だったなー。あのままお前よりも早く跳んじまえばよかった」

 折れたパイプを乱雑に投げ捨てて、ネムが肩を鳴らしていると、さらに遅れて淫らな格好の娘が空から降りてくる。

「どっちが勝ったぁ?」

 風に揺られてスカートの中が露わになっていることなど気にも留めない様子でエチが勝敗を聞く。優雅に降下して来ているようだが、単純に落ちて来ているだけだ。

 自由落下をするエチをお姫様抱っこで難なく受け止めながらネムが言う。

「オレが最後の道をミスったから、ふっ飛んできたガキの方が速かったよ」

「まぁね! でも、ネムっちもあそこでパイプを壁から剥がすなんて中々クレイジーだったね!」

「だろう? もう折れちまったからあの道でここには来れないけどな」

 先ほど投げたパイプを見ながらネムがゴーグルを首に下ろす。

「ワタシは上に登り過ぎちゃって踏み切る足場が無かったのよぉ? まぁ、ネムちゃんの本気のダッシュが見られたから満足だけど~」

 括ったスカートを解いて裾を払うエチ。


 ――彼女らの移動方法は乗り物を使うでもなく、既存の道を歩くでもない。

 周囲の環境を利用した身体動作で入りくんだ都市内を動き回り、体一つでアクロバティックに走り、飛び、転がってビル群を駆け巡る。

 その動きを俗に「パルクール」と言う。

 それは、高低差が激しい造りのこの都市を効率よく動くのにもってこいなのだ。

 一見して可愛らしい姿の彼女らがこれ程の動きをしても息を切らさないというのも、仕事で激しく飛び回り、長い距離を継続して走り回っているからと言える。


「そんなことより、勝ったんだから飴ちゃんを頂戴よ! は・や・く は・や・くーっ」

 猫のように手招きする仕草を見せながらガキが報酬を催促する。

「はいはい。今回はオレの負けだよ。ほらっ」

「わーい! いっただきまーす!」

 宙へ投げられた飴を受け取り、すぐさま口の中に放り込む。

「ん~っ。勝利の味っていいもんだね~っ!」

 飴をくわえて恍惚とした表情でほっぺたを抑えた。

「よかったわねぇガキちゃん。さてと、現場に着いたことだし、早速お仕事を始めましょうか~」

「アタシ、もう働きたくなーい」

 石垣の上に胡坐をかいて座り込むガキ。

 そんなガキを横目で見ながら、ネムは腰から下げていたツールバックを地面に置いた。

「あぁ。お前はしばらく休んどけ。まぁ、休むって言っても今日の晩飯のメニューでも考えている間に終わっちまうだろうけどな」

 そう言ってバッグの中からガチャガチャと仕事道具を取り出していく。

「一日のラストにこんなもん寄越しやがって、この規模で片すオレたちの労力を考えてみろよ。なぁ、エチ、どうだ、今回の作業は」

「うーん、まぁまぁ大変なんじゃないかしら……。二十……三十ってとこよぉ」

 エチが指でスケールを作って片目で覗き込む。

「オッケー。じゃー、どうするかな……」

 道具の金具をハメながらネムが顎に手を当てて考え込んでいると、エチが腕まくりをして尋ねてきた。

「特に何か言われてないのぉ?」

「まぁーそうだなぁ、馬鹿共の描いたお粗末な落書きを消してくれってお願いだからな。とりあえずは今のこの落書きが消えればいいんだろうぜ? でも、ただ消すだけじゃぁ、つまんねぇよなぁ? エチ、言いたいことわかるか?」

 壁に無数に描かれた素行の悪い馬鹿共のサインを指差してネムが言う。

「クソッタレ共を更生させなきゃね。二度とこんなことが出来ない様にさ。えへへ」

 飴を口からチラつかせて、ジュルリと涎をたらしそうになったガキ。

 その光景を見てしばし頭を捻ったエチは、ネムが言いたかったことに気づいたようだ。

「わかったぁ、ワタシたち好みにしろってことよねぇ? 勿論、この落書きだけじゃなく、落書きをしたお馬鹿さんたちも……」

「そういうこと。ほら、組み立てといたぞ」


 ――本件の依頼は落書きを消すことだったが、それ以外にも彼女たちには多くの仕事が舞い込んでくる。それは彼女たちの腕を見込んだ人々が依頼したり、突拍子もなく起きる事件に彼女たちが巻き込まれたりと、発端は様々だ。

 物によっては事件を起こすの「も」彼女たちなのだが、それは追々わかるだろう。


 エチは手渡された大きな脚立を軽々と抱え、壁の前に歩いていく。

 ガッチャガッチャと留め具を鳴らして壁に立てかけた脚立を登って伸びをすると、ちょうど壁の高さと同じぐらいになった。

「あ、しまったぁ。ネムちゃん~『アレ』投げて~」

 手を振って催促をするエチ。『アレ』とは数多く存在する彼女らの仕事道具の一つだ。その肝心の道具が無ければ、壁に寄ったところでどうしようもない。

「あぁ!? 自分で取りに来いよ! まったく……」

 小言を垂れながらもネムは渋々とツールバックの中から大きなCDケースのような物を取り出した。その断面にはカラースプレーや絵の具、マーカーなどの画材が円形に並べられて固定されている。

「おらよっと!」

 肩に据えるようにケースを持つと、振りかぶってエチに投擲する。

 フライングディスクのように弧を描きながらケースはエチの手元にうまい具合に飛んで行った。

「ナイスピッチング~」

 ケースをキャッチすると、その中からチョークを数本取り出して顏の前で構える。

 眉間にしわを寄せて「むむむ」と唸り始めたエチ。

「はぁ、俺もちょっと休憩。ガキとのレースで疲れちまったよ」

 どっかりとガキの隣へ腰を下ろして空を仰ぐ。聳える『ステムパンク』の間から覗く空は今日も快晴だ。

「いい天気だな……」

 ウトウトと睡魔がやって来たネムに対し、じっとエチのことを見据えていたガキが飴を噛み砕いてネムを揺する。

「ねぇねぇ、ネムっち」

「なんだ。俺は今丁度眠りに落ちる瞬間だったんだぞ」

「ああやって唸るエチを見てて思ったんだけどさ。エチってプロポーションだけはいいんだから、わざわざ露出の多いスカートを履いて動き回んなくても男なんていくらでも釣れるんじゃないの? ていうかパンツくらい履いてほしい」

「ん、あー……」

 物言い難そうな表情をしてネムがエチをチラ見して向き直る。

「ただでさえおっとりとした性格と口調でさ、男にナンパされることもあるのにさ。それに加えて本人があの巨乳を自覚して武器にしてるわけでしょ。恵まれすぎでしょ? パンツ履いてないけど」

「自分のアイデンティティをしっかり分かってるってのも重要なことだぞ。普段頭とか知恵とかが足りてなくても、なんだかんだで仕事の時は多少真面目にやってくれてるしな。どっかの面倒臭がりと違って。多少でなくホントは毎回真面目にやって欲しいけども」

「アタシ、流石にあそこまでおっぱいが大きいのは嫌だけど、男がすぐに釣れるのは羨ましいなぁ。いくらでもご飯奢ってもらえるじゃん。おっぱい吸ってねんねしてで三大欲求スピード解決じゃん。ね? ネムっち」

「なんでオレの胸を見てやたら胸のことを言うんだよ」

「……なんとなく。でもネムっちのウーちゃんサーちゃんにもまだ希望はあるよ。極僅かでも諦めちゃだめだよ」

「勝手に名前付けんな。はっ倒すぞ」

 そんな会話をして暇を潰しているとエチが呼びかけてくる。

「ネムちゃーん、これでどう~?」

 そう叫ぶエチの方を見れば、いつの間にやら壁に下地が塗られ、ベースとなるイメージがザックリと描かれている。

「あー、うん。はいはい? あれがこーでそこがあーで……よしわかった」

 納得したようにネムが壁に歩みを進め、エチと立ち位置を入れ替わる。

「そんじゃ、今日ラストのお仕事、やっちゃいますか。ちゃっちゃと終えてお家でグッドスリープナイトだ」

 手袋のジッパーをギュッと締めると、エチが投げた画材ケースをパシッと受け取る。中から黒と白のスプレーとチョークを取り出すと、脚立に乗ってガリガリと壁伝いに線を引き始める。

 そんなネムを見ながら、入れ替わりでガキの隣へと座ったエチが口を開いた。

「ねぇ、ガキちゃん、ネムちゃんはもうちょっとお淑やかになれないのかしらねぇ?」

 首をかしげてガキへと意見を窺う。

「今ね、ネムっちとエチのことについて話してたんだよ。ネムっちはなんというか、エチとは真逆だもん。雄々しいよね。女々しさの反対って感じ」

 舐め終わった飴の棒をガジガジとかじりながらガキが言う。

「男勝りな口調だし、お胸も慎ましやかだから男の子に間違われがちでしょぉ? それに拍車をかけるようにいっつも無骨な作業着じゃない? ワタシの服の一着や二着なら貸してあげるって言うのに、頑として拒否するのよねぇ。なんでかしら?」

「なんでかは火を見るより明らかだけど、作業着は動きやすいしね。ネムっちはあの性格で、綺麗好きだし、作業着をいくつか着回してたって不潔感の欠片もないからいいんじゃない? ああ見えて常に良い匂いしてるし、アタシは好きだよ。そういえば、ネムっちの手袋嗅いだことある? 蒸れてもあんなフローラルな香りを放つのはズルいと思うんだよね」

「マニアックなこと言うのねぇ。それはフェロモンってやつかしら。ワタシもそんなスメルが欲しいわ。この間なんて『スルメ臭い』って言われたのよ? 酷いわよねぇ。だからネムちゃんの力を借りて新しい玩具おもちゃを作りたいのに……」

「あぁ、そんなことだろうと思った。ネムっちはあんまり火遊びしないからなぁ。あれだけ男勝りなら、お相手が男性を好きなタイプの人でも一戦交えてお小遣い稼ぎ出来ると思うよ。ただ、身体こそペッタンだけど顔なんてアタシらで一番整ってるから男性側が遠慮しちゃうだろうけど」

「ふー……ワタシもネムちゃんみたいなお顔で生まれたかったわ……」

 エチがため息をつくと同時、ネムが呼びかけてくる。

「おーい。ガキ。お前の出番だぞーっ」

 白と黒で塗られた壁は先程固められたイメージをより鮮明に書き出しており、洗練されたモノクロ画がそこにはあった。

「えー、もうやだよ、めんどくさい。ネムっちのそれで完成でいいよー」

 面倒臭そうな表情でガキが言う。

「まぁ、オレはこれでもいいんだけどな。でも、せっかくだからお前で完成させたいんだよ。な? キュートなガキの端麗な腕前を見せてくれよ」

「やだー、面倒くさいー。やりたくないー」

「チッ。わかってはいたが、お世辞並べただけで動くようなタマじゃねぇよな……」

 ジタジタと駄々をこねるガキに対して、エチが頬を膨らませた。

「……ぷっぷくぷー。ワタシ、今日この後に約束があるから、ぱぱっとお仕事を終えたいのになぁ。ガキちゃんのせいで約束に遅れちゃったらきっとヒドイことされちゃうわっ」

 ぷんすかと腕組みをして頬を膨らませたエチに、ガキがたじろぐ。

「やーん、エチ、怒んないで。お仕事しなきゃいけないのはわかってるんだけど……んー、でもやる気がでないんだよぉ……」

 脚立から降りてきたネムが画材をケースに閉まって言う。

「飴はもうないしな。どうすっかな……。とりあえず、ガキ、受け取れっ」

 問答無用で画材ケースをガキに向けて投げつける。

 頭からぷんぷんマークを飛ばしていたエチが「そうだ」と、人指し指を立てる。

「ちなみにこの後の約束なんだけど、食べ放題って名目になってるの。ガキちゃんも来る?」

 その言葉を聞いてピンと立ち上がり、目を丸くした単純娘。

「食 べ 放 題!! それってどっちの!?」

 画材ケースが飛んでくるのを見もしないでキャッチする。

「い・つ・も・の・食べ放題よぉ? 言わずもがなって感じぃ。ガキちゃんの食べたい物はどっちも食べ放題よぉ。人数も二対六で一人につき三人までお持ち帰りオッケー☆」

 パァァっと表情が明るくなってガキが跳ねる。

「好条件じゃん! 行く行く行く! お仕事なんかぱぱぱっと終えちゃおう!」

 その切り替えの早さにネムとエチは同時に肩を落とした。

「「食べ物をチラつかせたら『こいつ』は、チョロい……」」

――と。

「ご飯のためなら体力は厭わないし、仕事は選ばないんだよ。ネムっち、道具貸して!」

 手にはケースを持っているのにネムに対して手を差し出す。

「いや、お前さっき自分で取っただろうが」

「あ、そっか。いつのまに」

 ふふんと鼻を鳴らしてぴょんこぴょんこと壁へと近づくガキ。

「よいしょ。面倒くさいけどこれもゲームだと思って、タイムアタックだ! よし! ネムっち、目標タイムは?」

 エチの言う食べ放題とやらまでに間に合えば無問題だろうと考えてネムが五本の指を立てた。

「あー、そうだなぁ……多く見積もって、五十っ……」

 その台詞を聞く前に早とちりしたアホは、

「え!? 五分!? それはちょっとあんまりにも……」

 慌てて作業に取り掛かるそぶりを見せ――


 ――数分後に筆を投げた。


「……あんまりにも遅すぎじゃないかなー?」

 わずかな時間でネムの書き上げたモノクロ画に、背景と色が付く。

 その出来栄えはこの殺風景な公園に奥行きが出来たかのようなリアルさと、今にも動き出しそうな花々の華やかさが絶妙に表現された、まさに芸術品だった。

 ただしそれは「彼女たちから見れば」の話だが。花々が咲き乱れる中央に描かれた艶めかしい裸婦の絵さえなければこの景観を壊すこともなかっただろうに。

「お見事」

「わぁ、さすがガキちゃんねぇ。ワタシの想像通りの仕上がりよ~」

 ぱちぱちと、嬉しそうにエチが拍手をした。

「ふっふっふ、サインとかも入れちゃってね!」

 ピッと隅の方を指差して自分たちが描いたことを証明するサインを見せびらかす。

 ただ、サインのサイズ比からして見るからにネムの名前だけがスペース不足で小さく詰まってしまっている。

「……おい。なんでオレの名前が小せえんだよ」

「ほら、そこはやっぱり仕事量の差かな?」

 ネムにドヤ顔をするガキ。

「三人ともちゃんと振り分けてやっただろうが!」

 その顔に激昂してネムが声を荒げた。

「そんなことないもん! 着色のアタシが一番大変だよ!」

「いいや、お前らをまとめ仕切りながら荷物の運搬もしているオレだね!」

 二人で額をすり合わせて肉迫する。

「ぐぬぬぬ!」

「やんのかこらぁ!」

「まぁまぁ……」

 宥めようとエチが仲介に入ろうとするが、ふと何を思ったのか。

「あれれ、これってワタシはもしかして仲間外れなの? それはいやねぇ。ねぇねぇ、ワタシも混ぜてよ~、おらおら~」

 そう言って、やる気なさそうに少し遠目からガキとネムにヤジを飛ばし始めた。

 なんだかんだ言いながらうまく平和を保っていた三人が、小さなサイン一つで仲違いを始める。みっともない争いで先に啖呵を切ったのはネムだった。

「もう怒った! お前は一回痛い目見ねぇとわかんねぇようだな!」

 イライラが限界に達したネムが地面に向けて足を振り下ろす。

 その足元にはこの場に到達した際に投げ捨てたパイプが転がっていた。

 そのパイプの端を踏みつけ、パイプは高速回転しながら空中に浮く。

「はぁ!? そんなもの使うとか、殺す気!?」

 ネムが回転するパイプを掴もうと手を伸ばしたところを、ガキがそうはさせまいと横振りの蹴りを繰り出し、ゴインッと鈍い音を立ててエチ目掛けてパイプが一直線に飛んでいった。

「もぉ、危ないわねぇ」

 眼前数センチの所で、余裕の表情で首をもたげてエチがパイプを避ける。

 しかし、エチが避けたことによって勢いの止まらなかったパイプがこの平和な『コックパーク』に悲劇を生むことになってしまう……。


         ▲▼         ▲▼         ▲▼         


 時を同じくして、『コックパーク』内で優雅にティータイムを楽しむニーナ。

 執事から紅茶のおかわりを受け取った彼女の耳に、やたらめったらと怒鳴り散らす声が静寂を切って入って来る。

「ねぇ、ちょっと、なんだかあちらが騒がしくありませんこと?」

 ニーナが髪の毛を掻き上げながらパラソルから顔を覗かせる。

「なんでも、壁の塗装を塗り替えているみたいですが……塗り終わった直後にそのグループ内でトラブルがあったみたいですね。ここからでは視認し辛いですが、どうやら女性方三人のようです」

 執事にそう言われてニーナは嫌な予感が背筋を走った。

「もしかして。ですけど……」

 パラソルの外へ身を乗り出そうとした時だった。

 ――バズンッ!!

 ティータイム中に涼むため立てたパラソル。

 その布地の部分を貫通し、圧し折れて先が尖ったパイプがニーナの眼前でピタッと止まった。

「……へ?」

 何が起きたのか理解するのに数秒を要し、自らの顔のすぐ前にある異物に焦点が合う。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 一歩間違えればそ確実に眉間に刺さっていたであろう鉄パイプからよろよろと後ずさりして悲鳴を上げるニーナ。

「お怪我はありませんか? ニーナお嬢様」

 ぐらりとバランスを崩したニーナを片手で支えて、本来ならパラソルもろともニーナを貫通していたはずのパイプを難なく片手で止めていた執事。

 我に返ったニーナは肩を震わせて悟った様子で声を荒げた。

「大丈夫ですわ! まったく! 死ぬかと思いました! ええ,もう今ので確信しました! こんなふざけたことをして、ワタクシに危害を及ぼすなんて彼女たちしかいませんもの!!」

 そう怒鳴ってパラソルから飛び出ていった。


 先程からキャットファイトを繰り広げる少女たち三人の元、公園内の少し高さのある遊具へと登ったニーナが三人を仁王立ちで指差す。

「そこのお馬鹿三人娘!!」

 目下に見える三人に呼びかけるニーナ。

「ん~?」

「あ?」

「あぁん?」

 その呼びかけに答えて眉間にしわを寄せた三人がニーナの方へと睨みを利かす。

「ニーナお嬢様、そのような振る舞いは少しばかりはしたないのではと思うのですが……」

 執事が後ろから申し訳なさそうにニーナへと寄る。

「いいのよ! あんな方々にはこの位置からで十分ですわ!」

 ニーナとその横に並ぶ執事を見てネムが肩を竦ませた。

「なんだ、『また』お前か。反応して損した」

 その一言の後、何事も無かったかのようにガキへと向き直る。

「え、ちょ……」

「……で、ガキ。さっきの続きだけどなぁー?」

「もうその話はいいでしょー。めんどくさいよー。ネムっちが向こう見ている間に、ほら、もうとっくに描き直したから、これでいいでしょ?」

 ビッと壁の隅を指差してガキが言った。

 バランスの悪いサインは三人の名前が上手く重なり合ったシンプルなロゴとなって纏まっていた。

「あ、なんだいつの間に。うん、そうだなこれなら文句ないな。んーいいね」

 サインが直されたことを確認すると同時にネムの怒りが一気に引いていく。

 とっくに喧嘩に飽きたエチはコンパクトミラーで身形を確認していた。

「ん~、じゃあ、今日のお仕事はお終いってことでぇ。さ、ガキちゃん行きましょ~? ネムちゃんは来るぅ?」

 ネムを例の意味深な食べ放題へと誘うエチ。

「いや、オレはこの後仕事の報告をしてから寝るよ。もう大分体にキてるしな。ふわ~ぁ」

 あくびをしながらネムが手帳にカリカリと仕事の内容をメモって、首を鳴らす。

「そう~、食べ放題じゃなくて、寝放題も程々にねぇ? じゃぁ、お疲れ様ぁ」

 ひらひらと手を振って、ガキとエチが路地の奥へと歩いていく。

「おう、おつかれ! お前らもあんまり食い漁るんじゃねぇぞ」

 脚立の留具を外しながらネムが二人へと手を振った。


 存在を認識されたにも関わらず一言であしらわれたニーナは、三人が解散するまでの一部始終を傍観していた。

 解散の流れを最後まで見て、自分が無視されていることに気づいて声をあげた。

「……あ、ちょちょちょっと! なんでワタクシを無視するんですの!」

「あぁっ?」

 慌てて呼び止めようとするニーナに対して、ネムが威嚇するように睨みつける。

「うっ……」

「なんだよ、オレたちは今日の仕事が全部終わって今から帰るとこなんだよ」

「お仕事ですって!? これが!? 壁にこんなふしだらな落書きをしておいてお仕事だなんて、なんて低俗なの!」

 驚いた表情で壁の方を指差してニーナが悪態をつく。

「うっせーな、こちとらまだ本番にまで行ってねぇっつーの。そもそもこりゃ頼まれて……」

「そこのお二人も! ワタクシを無視しないでくれませんこと!?」

 ネムのセリフを遮ってガキたちを呼び止める。

「じゃあエチとアタシで、一人三回ずつくらいで交た……あ? 何、呼んだ?」

「ええ、そうですわ、そこのビッチな三人組に対して言っているのですわ」

 交互に指差しながらネム、ガキ、エチへと言い放つニーナ。

「……ビッチって……何が?」

「さぁ? オレにはなんのことだか」

「遅刻しちゃうからワタシ早く行きたいんだけど……」

 ビッチと言う発言に心当たりが無いようで、三人が顔を見合わせて首をかしげる。

「恍けないでください! 毎日のように住宅を破壊したり、仕事だと言って街中に迷惑を掛けたり、貴方たちの行動は目に余るものがあるんです! 挙句の果てには見知らぬ男性と日々如何わしいお付き合いをしているそうじゃないですか! 不埒極まりない!」

「そんなこと言われてもねぇ~?」

 そこまで言われて何と無く自分たちのことではないかと悟ったガキとエチが言う。

「ね~、アタシたちがヤりたいようにヤってるんだから。部外者が口出さないでくれる?」

 それを聞いてわなわなと肩を震わせたニーナが声を張った。

「そ れ が 問題なんです! まだ若いと言うのに、三大欲求に忠実な精神がどれほど低俗なことか。貴方たちはそれが分っているんですの!?」

 矢継ぎ早に喋って――「まず」と、ニーナが指差して続ける。


「食欲に塗れた【飢餓餓鬼きが がき】! 食べることに関しては人一倍執着している貴方! 食べるといった表現では生温いですわ! 貪り食う! それほどの執着! さらに言うならば、食べ物の一つに若い男性を含むという点はどういうことですの!?」

「言われてんぞ」

「おいしいものはお腹いっぱい食べたいから仕方ないじゃんね?」


「次に【正常愛知せいじょう えち】! 性欲に溺れすぎていつでもどこでも頭の中はお花畑! 見た目もさることながらとてつもない肉食系女子! 男性を一目見ればナンパ。ナンパ。ナンパ! その性欲は一体どこから沸いて出ているんですの!?」

「それほどでもぉ~」

「いや、エチ。あれはたぶん褒めてないと思うよ」


「そして【転寝合歓うたたね ねむ】! ……は、まぁいいですわ」

「言えよ! 気になるだろうが!!」

「ぷぷぷ。ネムっち、仲間外れ~」

「自己紹介の手間が省けたわねぇ……」

「……とにかく! 食欲、性欲、睡眠欲に従順ならまだしも三人ともその根底が全部、性欲、性欲、性欲!! そんな欲望に忠実に生きていていいと思っていますの?!」

 ニーナが息継ぎも忘れるくらいに三人に対して物を申す。が、


 ――数秒の間を置いて。


「いいね」

「いいんじゃねぇの?」

「いいんじゃないかなぁ」

 同時に肯定の意を述べた。

「なっ……」

 その息の合い用に、ニーナが思わず後退りをする。

「ていうか、アンタ。えー、ニート」

 ガキが一瞬考えてわざと間違った名前を呼ぶ。

「ニ ー ナ で す わ ! わざと間違えないでくださる!?」

 流石にその呼ばれ方には腹が立ったのか食い気味に反論する。

「ああ、そう。なんでもいいや。そう言うアンタも大概じゃない? 仲の良かった妹がいなくなってさ、寂しさのあまりそこの執事と『親しい』間柄で平静を保ってるって聞くよ? 女同士だって言うのによくもまぁ飽きもせずイチャコラできるもんだね。それにさ、ニートってのも強ち間違いじゃないでしょ。親の脛はさぞ甘いんだろうね。羨ましいよ」

 ガキがニーナと執事の二人をピースの手で差して言う。

 ピクリと反応して、執事がニーナに耳打ちする。

「ニーナお嬢様、なぜ我々の関係が漏れているのです? 因みに自分ではございませんよ? 他言無用とお嬢様が仰っていましたから」

 と、ガキの話を一切否定せずに告げた。

 そんな小言に思わず顔を真っ赤にするニーナ。

「あ、ぐ……、どこでそんな話を聞いたのですか! でっち上げよ! 嘘っぱち! ワタクシだって働こうと思えば働けますし! というか貴方も否定しなさいよ! お馬鹿!」

 ペシンと執事の頭を平手で叩く。

「……そんなことしてももう後の祭りよねぇ? そんな耳打ち何てして~」

「認めちゃっているようなもんだしね。そもそも、その話だってアタシたちの中じゃ周知の事実だし」

 エチとガキが顔を見合わせて「ネー」と意思の疎通を図る。

「ニーナお嬢様。これは墓穴を掘ってしまいましたね」

 悪びれぬ素振りで淡々とニーナへと困り顔を向ける執事。

「貴方のせいでしょう!?」

 再度執事の頭を平手で叩く。

「墓穴だってガキちゃん」

「ね。掘る穴を間違えてるんじゃないの? 自称『お嬢様』?」

 皮肉たっぷりにガキとエチがクスクスと内緒話のようにして横目でニーナを卑下する。

「ほら、二〇〇メートル付近に『ウテルスパンク』って言うホテルがあるだろ? あそこの主人は口が軽くてな。ちょいと腹をつついてみればそんな話題がボロボロ出てくるんだ。ま、情報料なんてものを要求するから本当に必要な話は滅多に出来ねぇけどっ」

 手帳を開いてトントンと地図を指し示すネム。

「おっさんつつくとかアタシ無理~。可愛い男の子ならまだ考えるけどー」

 ガキが口角を下げながら気持ち悪がるように両手で嫌々とする。

「ワタシもあの人を誘惑はするんだけど、乗ってこないのよねぇ」

「エチはホントになんでもありだねー」

「でもワタシもたまには選り好みするもん~」

 ぷくーとほっぺたを膨らませるエチを置いてネムが口を開く。

「……で、ニーナ。まだなんかあんのか?」

「ぐ、ぬぬぬ、何かあるかですって! 貴方も何か言い返しなさいよ!」

 飽きて読書を始めていた執事の背中を押してニーナが一歩前へと出させる。

「あ、えっとそうですね。先ほどから聞いていればニーナお嬢様が可愛いだとか、愛くるしいとか、時々生意気だとか言っているようですけどね。その通りだと思いますよ。ニーナお嬢様の妹様がお帰りになった際の為にしこたまお嬢様の日常を記し、したためている自分が言うのですから間違いありません」

 言ってやったと言わんばかりのドヤ顔で佇む執事。

「いや、何の話だよ……ていうかその本、『にーなのにっき』って書いてあるが……」

「そうです。見てください。ベッドの中では自分に甘えっきりのお嬢様の写真を! なんというトロけた表情! ご自身で執筆なさってるのに恥ずかしげも無く自身のあられもない姿を書き著わすお嬢様のメンタル!」

「なんてもの持ってるのよ! ド変態執事!」

 執事から日記を奪ってビリビリに破く。

「大丈夫です。まだ沢山複製してありますから」

 それを見て「うわぁ……」とドン引きした様子でガキ。

「それも後で全て没収です! それに、誰が生意気ですって!? 覚えてらっしゃい!」

「至極光栄です」

 罵倒に対して執事は恍惚の表情で頭を下げる。

「うわぁ……、そう言う感じなんだぁ……」

 それを見て今度はエチがドン引きした様子を見せた。

「エチにまで引かれてるじゃねぇか」


「と、とにかく! 先程貴方たちお馬鹿三人娘が騒いでいたせいでワタクシの大事なティータイムが台無しになってしまったんですの! その上、危うくパイプが頭を貫通して死ぬところだったんですのよ!? 謝ってくださいませんこと?!」

 腰に手を当て、三人をそれぞれ指差してニーナが怒る。

「あー、はいはい、なんのことかわかんねぇけどスミマセンでした。お前らも一応謝っとけ」

 頭も下げず口頭だけで、悪びれた素振りを見せずにネムはそう言った。

「ごめんねっ」

「……さ、遅刻しちゃう前に早く食べ放題に行きましょ~。じゃあねネムちゃん、今度こそ行ってきまーす」

 エチに関しては謝罪の言葉すら出ない。

「おう、行ってらっしゃい」

 手を振って二人を見送ると、ネムは再度ツールバックを抱えようとした。

 ここまで馬鹿にされると流石にニーナも堪忍袋の緒が切れたようで、激昂の表情を見せた。

「もう頭に来ました! 一度痛い目に遭わせてやりなさいな!」

「ニーナお嬢様、どうせなら自分を痛い目に遭わせてくれないでしょうか?」

 涎を垂らしながらド変態執事が言う。

「うるさいわよドM! はやく!」

 バチンと先ほどより強く頭を叩いて執事の尻を蹴飛ばす。

「うむ、こういったお預けも悪くないかもしれない。という訳で……」

 叩かれて乱れた頭を整え、高台から飛び降りてネムへと近づいて行った。

「な、なんだ殴るのか!?」

 身構えて拳を握るネムの足元へと執事が腰を屈めツールバックへと手を伸ばす。

「いえ、仮にもお嬢様のお知り合いという立場になってらっしゃる方にそんな野蛮なことはしたくないので、ちょっとこちらを拝借」

「さぁ、悔しかったらそのツールバッグを取り返して御覧なさいな!」

 執事がツールバックを持ち上げる素振りを見せると、バッグを持ってくるより早くニーナが啖呵を切った。

 ――が。

「ニーナお嬢様。これ、すごく重たいです」

 無表情ながらも物凄い踏ん張りを見せて執事がニーナへと助けを乞う。

 ツールバックは一切動くことなく足だけがその場でズリズリと擦っていた。

「何やってんだ……」

 ジトっとした目で見下すネム。

「ちょっと! なにをやっていますの!」

「自分、体力には点で自信がないものでして。申し訳ありません」

 ジワっと涙を浮かべて執事は尚も必死にバッグを引き続ける。

「ドMのくせにちょっと自分が出来ないことがあるくらいで泣くんじゃないの!」

「……なぁ、もういいだろ。オレは眠さが限界なんだよ。早く仕事を報告して金もらって寝たいんだよ」

 涙を溜める執事ごとツールバックを引き寄せて腰のベルトに装着するネム。べちゃりと執事が地面に倒れこんだ。

「それじゃぁな。……ったく、余計な時間食っちまったぜ」

 後ろを向いてニーナへ手を振ると、ネムは路地に向かって歩き出した。


 その背中にニーナが話しかけてくる。

「あらぁ? 仕事の報告ですって?」

 何か含みある物言いでニーナがほほ笑む。

「報告するのに、この大事な手帳はいらなくて?」

 そう言われるや否や、ネムが振り返ってニーナの手元を見ると、先ほどポケットに仕舞った筈の手帳がそこにはあった。

「おい、ふざけんな! どういうことだ!」

 自分の服やバッグを探りながらネムが慌てふためく。

「体力こそ自信がないならばテクニックでイかせるくらいどうということはありません。余所見をしている間にこっそりお預かりしました」

 先程の涙はどこへ行ったのか、平然とした様子で執事が告げた。

「野蛮とか不埒とか言うくせにお前らの方がよっぽど汚いことしてるじゃねぇか!」

 ネムが高台へと走りながら手袋を装着する。

「あらぁ、ワタクシたちは名家の住人ですのよ? 性と悪の権化であるような貴方に言われたくありませんわっ」

 そう言い放つと、

「ごきげんよう」

 と一声残して、執事がニーナを抱え上げて路地へと消えていく。

「あぁ、そうかい。そうくるのかよ。テメェらがそういうつもりならこっちも徹底抗戦だ! この野郎!」

 ニーナたちの後を追い、ネムは公園にある遊具へと足をかけ、先ほど描き終えた壁へと跳躍した。その壁に足をかけて垂直に上方向へと跳ねて家屋の壁面へと登っていく。


 ――公園に到達するために水面近くまで下りて来ていることもあってか、沈みかけた夕日が水に反射して、『ステムパンク』を幻想的に写していた。

 遥か上へと続くビルや家屋の壁面は所々から蒸気を上げている。


 ――水上工業都市「ステムパンク」

 この「蒸気」と、「水」と、「鉄」で出来た世界で、個性的な女の子たちが描くちょっと変わった日常は、今日もまた波乱万丈な日々を映す。


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