1:終末の彼方にて
久しぶりに長いっす。ボリューミィっす。
幾千万の世界を内包する幾億の銀河を点在させた一つの宇宙が、
幾兆の吸滅暗黒天体に飲み込まれ、
遊星は愚か星屑の欠片すらも存在を許さぬかのような、
虚空と言える宇宙で、光と呼べるものは、
吸滅暗黒天体の廻る顎に削られる銀河の遺り燈以外無かった。
(今やいつ頃抱いたかは定かではない)
消え行く大いなる宇宙の片隅か、
或いは中心だったであろう空間に、
人貌の何者…いや、“何か”が漂っていた。
(儂は確かにこの世を恨み、憎しみ、滅ぼそうと決めた)
“何か”は暗黒天体に削り取られる残り僅かの世界を見つつ物思いに耽っていた。
(力を求めてあらゆる手を尽くし、力を得てからは世界の廃滅に奔走した…)
やがて数多の暗黒天体は“何か”の肉体も徐々に削り始めた。
“何か”は抗う素振りも見せず、微笑を浮かべた。
(年月を数えるのを止めたのはいつだったか…? まぁ、今更か)
“何か”の肉体は完全に消失していたが、精神体はまだ残っていた。
(…これも今さらだな。望みを叶えても消えぬ衝動…)
終に“何か”の精神体は暗黒天体に引き伸ばされながら飲み込まれていく。
(この世の神よ、その敵よ、不滅だとほざくならば、
今すぐ儂の滅したこの世を救ってみるがいい…)
存在そのものを塵芥にされつつも、“何か”確かに満面の笑みを浮かべていた。
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ぅぁ…
ぅぅぅぁぁぁ…
(…………待て、これは………)
“何か”は自らの終わりに違和感を覚えた。終末に委ねたはずの意識が、
単なる睡眠からの覚醒のような感覚で戻るはずが無いだろうと。
第一今己の声帯から泣き声のような声を上げてしまったことも妙だった。
(……目が見えぬが感知が使えるな)
“何か”は感知能力を発動する。
すると暗かった視界が開け、眼前にとんでもない光景が現れた。
(人間種…の妊婦…? …やれやれ…股を開いたままではないか)
“何か”の目の前にはだらしなく股を開き
仰向けに倒れている半裸の妊婦がいた。
(何故このような光景が…)
自らを含めた全てが終わるはずが終わらなかったという異常事態に
思わず“何か”は目の前に股を開き倒れている妊婦を観察してしまう。
(玉門より出ているモノは臓物…いや、これは臍の緒だったか)
どうやら妊婦は出産直後らしい。
そう判断して何故こんな光景がと考えて
“何か”は動かした体を感知してまた少し驚く。
(これは…)
妊婦の玉門より延びている臍の緒は自らの臍と繋がっていたのだ。
終わりの時に削り取られた筈のあの時の肉体とは似ても似つかぬ赤子の肉体に。
(成程…)
“何か”は自らが人間種の嬰児…即ち赤ん坊に転生したことを悟った。
幻覚を疑ったが、意識が消える気配もないし手足の感覚もある。
何より羊水まみれで外部に放り出されたままなので
全身を突き刺されたかと誤認するほど猛烈に寒い。
寒すぎて股間が縮み上がる程だ。
(………ふむ……どうやら結界は発動出来そうだな)
しかしながら誰も赤子…股間が縮み上がるほどに凍えた
男児である自分を取り上げすらしないことに何故か多少不愉快になったが、
改めて周りを伺ってみれば妊婦の周囲は野原だ。
下らない烏合の毒素や雑多な微生物如きに
自らの新たな肉体を冒されるのも癪に障るので
“何か”は自らの体表に薄く結界を張った。ついでに臍の緒も丁寧に除去した。
(こんな場所で子を産むとはいい神経をした母体だな)
赤子に対する仕打ちについ怒りの反応をした“何か”は
使えそうだと確認した念動力で自らの体を浮遊させる。
(どんな面か拝んでやるわ)
“何か”は自らを産み落とした妊婦をまだ目が開いてはいないので
感知能力で睨むように改めて見た。
(生命反応が感知されぬ……?)
“何か”が妊婦が既に事切れていたことを確認するのに時間はかからなかった。
(先程の皮肉は取り消す、今の儂を産んだ今の母よ)
流石に“何か”に死後時間経過した者を復活させる能力は無かった。
ならばせめてもの餞にと“何か”は自らの超能力で
母体者を光に還元して丁重に葬った。
羊水まみれの体は作り出した産湯を念動力を用いて洗い、
還元せずに残しておいた母体者の服を自分用に作り直して着る。
何処としれぬ場所だったが、辺りを漂っていたら
甲冑姿の人間種のアンデッドに出会ったのでついつい全てを「浄化」する。
(やれやれ…滅びを受け入れぬ存在には条件反射してしまうな…)
死せる者共を浄化する前に、というか母体者からもそうすれば良かったのだが、
脳内の記憶を読み取ることを失念していた事を反省し、
今の自分が摂取できそうな食糧を「作成」しつつ、周囲の把握探索に勤しむ。
この時今の感知能力である心眼以外に主力だった感知系の能力が
殆ど使えないことが判った“何か”は使えそうだと判明した
肉体変質強化能力を少しずつ使って今の肉体を様子見しつつジワジワと作り替え、
平行して攻撃用の各種超常異能力も殺傷威力の最弱から順に試していく。
今ここに魔法の使い手がいるのだとすれば、生まれて間もないであろう赤ん坊が
結界に包まれて宙に浮きつつゾンビやらレヴナントなどの
数多くのアンデッドを指先一つで次から次へ光とともに
虫けらのように消し飛ばしてく光景が目に映ったかと思えば
火、水、風、土、雷などの属性攻撃で地形が多少おかしくなるのも構わず
夥しい数の魔法を乱射しているという尋常ならざる光景が写っているのだが
残念ながらここにそんな人物はいなかった。多分、それは幸いなことであろう。
(調子に乗って自滅するのは流石に馬鹿馬鹿しいか)
“何か”はある程度自分の使用可能な能力を確認し、
次は今の肉体の同族たる人間種に接触を図るため行動を開始した。
(人間種は大なり小なり魔術が使える種と超能力が使える種、
両方使える種がいるはずだが、ここではどれが一般的なのだろうか)
道すがら出会う生き物にも一応、意思疎通を試みるが
全てが失神ないし怯えて逃げるか自棄で襲いかかってくるだけなので、
“何か”は彼らとの意思疎通は一旦諦めた。
とりあえず最初の場所から西に向かい、川にたどり着いたら流れに沿って進む。
赤子の肉体故に凡そ二時間おきに睡魔に悩まされるので
中々に時間がかかったが、漸く人間種が暮らしていると思われる
遠見で確認した小規模な集落らしき場所の近くへ到着する。
(……人の子が自らの力で空中浮遊するのは一般的では無かったか?)
何を今更だったが、無用なトラブルは避けようと
能力を解除した“何か”だったが。
(ふっ……なるほど…………………………………全く、動けん…ッ!!)
生まれたての赤子が魔術や超能力無しでは地力で動ける訳がない。
(やれやれ…)
無理矢理体を成長させられないこともない“何か”ではあったが、
強制成長の思わぬ代償までは失念していなかったようで、
さてどうしたものかと考えていたら集落の方から人影の団体を発見する。
(悩むことはない)
“何か”は普通の赤子らしく泣いて人影を呼び寄せる。
(……………うん?)
顔が解る距離まで近づいてきた人影は、知性こそありそうだったが、
いわゆる小人鬼とか醜人鬼と判断できる風体の者だった。
(ふっ…筆を誤ることもあるさ)
“何か”は早とちりに笑いたくなったが、知性があるなら
この際何でも良いかと思い、拾われるのを泣き真似しながら待っていたのだが
「うぉ? ニムゲ、ニムゲガクィル」
「ワイワイニムゲガクィル?」
「トリエズ、ガトシシムラ」
ゴブリン達はゴニョゴニョ話をしたかと思ったらそのうちの一匹が
普通に手に持った凶器を“何か”目掛けて降り下ろして来たので、
(低脳が)
舌打ちして“何か”は凶器を降り下ろしてきたゴブリンを
“何か”の元いた世界における風の魔術第一階術式
「風散弾」で粉砕してやった。
本来ならばこの魔法はゴブリンでも体が蜂の巣になる程度の威力なのだが、
行使したのが終末の宇宙で最後に死ぬような超越存在だった“何か”故に
彼がデコピンする程度の力具合で魔法を放てば
碌に魔防術式も展開していない無防備にも程があるゴブリンが
跡形も無く消し飛ぶのは仕方が無いことである。
「ワツ?!」
「グ、モ…グモ…バ、バニシケッタ」
(儂を餌としか見れぬ低脳愚物が、死ね、火急的速やかに滅びよ)
“何か”は狼狽する他のゴブリン達を雷の魔術第一階術式
「雷迅撃」で焼き潰していく。
「ワツガブランヌス!?」
「マギア?! アヌォニムゲガクィユズマギア!?」
「アルェリリリニムゲガクィ?!」
(善意には敬意と安らかなる祝福の滅びを…!
悪意には侮蔑と惨たらしい絶望の滅びを…!)
“何か”は状況を察したらしいオーク達を監視しつつゴブリンを時に焼き潰し、
時に細切れにし、時に擂り潰し確実に殲滅していく。
「ラナエィッ!」
「ワツァハッック?!」
(オークは逃げるのか? 彼奴共は仲間では無かったのか?)
このゴブリンとオークの混成団体がどのような団体なのか、
少しだけ気になった“何か”はどうにか原型を留めていた
一匹のゴブリンの死骸の頭部に触れて脳内の記憶を読み取る。
(……ふむ……………古典的だな)
読み取った内容はシンプルだ。
このオーク達とゴブリン達は支配する側とされる側で、
相関も想像に容易いものだった。
使い走りとはいえ一撃で瞬く間に殺される様に
オーク達はあっさりとゴブリン共を見捨てたのだ。
(同族でなけれは容易く見捨てるか、賢しくはあるが不愉快だ)
殺す前に何匹かから記憶を読みつつ“何か”はオークも殲滅する。
オーク肉の焼ける匂いは妙に香しかったが、食指は動かなかった。
> > >
オークとゴブリンの死屍累々な現場で“何か”は読み取った情報を整理する。
(…この辺りはオークやゴブリンを含めた
数多くの種族を隸属させられる列強種族の領域なのか)
最高位の支配種族は彼らの言葉で「完美族」と呼ばれている
長寿種にして所謂ところの「魔人族」だった。
肌の色合いは基本が赤・青・紫・蒼白で個体によっては
角や翼に尻尾付きとくれば魔族の方がしっくりくる。
おまけに体力・魔力に優れ、召喚獣や一部魔物を使役し、
他の種族を見下しがちときたのでこれまた古典的すぎて思わず鼻で笑ってしまう。
無論人間種も下等種扱いで、その事に対して
今の肉体に備わっている本能か何かにまたしても引き摺られたようで
若干不愉快ではあったが、彼らの支配する本国にある
国立大図書館なるものが気になったので、まずは彼らの本国を目指すことにした。
(まずはこの世界の情報だ)
“何か”は周囲を「浄化」した後、先に見える集落は無視して
完美族の本国方面に飛び去っていった。
> > >
魔人族の本領こと、
全央帝国の帝都:空曠大華龍に着いたまでは良かったのだが
流石に空中浮遊したまま帝都内をウロウロするわけにもいかなかったので、
適当に魔人族の中でも知的な―となると貴族等の裕福な家に限定されるだろうが―
者達が暮らしていそうな所に拾われ幾許か情報収集の為に世話になろうと考え、
暁頃に大きめな家の前で捨てられた風を装って泣いてみたのだが…
そこそこの時間泣き続けてから足早に玄関先に出てきたのは…
「えぇい喧しい!!」
今この状況を見た者の多数が口を揃えるだろう。
きっと姿同様に古典的な性格をしているであろう
溝ガエル野郎な中年貴族だった。歩を進める度に醜悪な下腹が揺れる。
(直視していては目が腐るかもしれない)
“何か”はそう思ったが、単に朝早くから起こされて
多少気が立っているだけかもしれない。追従する召使と思わしき者が
中々どうして盛大に欠伸を上げていることを見るも、
全く叱責する様子も無いので、中身は聖者かもしれない。
『魔人族の聖者』という字面に妙な矛盾感を覚え鼻で笑いたくなるが、
“何か”は堪えドブガエル…中年貴族が此方を伺ってから数秒後に泣くのをやめて
中年貴族を見やる。何なら笑顔でも向けてやろうかと思った“何か”だったが。
「ええい! そこの“生ゴミ”を片付けろ!!」
という叫び + 未だ眠たそうだが何の疑問も浮かべぬ召使が
「全く…下民の子を当家に捨てるとかマジありえねー的な下民…」等と言いつつ
もう推測するのも煩わしいがそのまま抱えて何処かに捨て直そうとしたので、
「Unverbesserliche Schrott männer!!(度し難い下郎共が!!)」
自らが赤子の姿であるにも関わらず思わず叫び、“何か”は
まずは良心の呵責を微塵も感じられない召使Aその他を
闇の魔術第三階術式「篤き暗黒の抱擁」で懺悔の暇も与えずに闇に溶かし、
呆気にとられるドブガエルは風の魔術第二術式「風斬撃」で四肢を切断し
断面は素早く火の魔術第一階術式「怒りの焼き鏝」で焼いて
安易な失血死など出来ないようにし、叫ばせてなるものかと
土と木霊の複合魔術第二階術式「蔓緊縛」で仕立てた猿轡を
窒 息 し な い 程 度 に 気 持 ち 強 め に 噛ませる。
「ぶごごごごぉ~ッ!?」
「Es sieht aus wie ein Schwein vor dem Schlachten...
(焼豚にされる前の豚が如し…)」
触れるのも汚らわしいと思った“何か”だったが、触れねば
この豚の脳内を覗き見ることも出来ないので赤ん坊にしては
尋常ではないレベルで悪魔的かつ醜悪に眉間にシワを寄せつつ中年貴族に触れる。
「………成程、貴様は法衣の伯爵だったのか…それも筆頭格…?
ククク…この分では伯爵連中のお里が知れるなぁ?
そうは思わぬか焼豚予備軍?」
「ぶごぉッ?!」
ドブガエル改め焼きトン予備軍と成り下がった中年伯爵は目を剥いた。
それもそのはずだ、先ほどまで中年伯爵には理解できない言語を発していた
宙に浮かぶ赤子こと“何か”が中年伯爵が分かる言語…即ち全央帝国の共通語…
しかも上位語と持て囃される全央京語を流暢に喋りだしたのだ。
「…ふん、焼豚には過ぎた魔力だな。
碌に使ってないせいか貴様の魔力回路も醜く萎縮している…
やれやれ…我沒有太多選擇的餘地?」
「ぶぐぅ?! ぶががががぁ!!」
“何か”の侮辱に自らの状況も忘れて焼豚伯爵は顔を真っ赤にし
喋れないと分かってはいるが如何にかして罵詈雑言を言わんと必死である。
「有用と思われる情報は有難く頂戴しよう。
では、あの世で良く出来た召使どもと仲良くするが良い筆頭☆伯爵殿?」
「ぶぎッ!? ぶがぁ?! !? …オゴォォォアァアァァアッ?!」
“何か”は焼豚伯爵が何かを伝えんとすることを待たずに
闇属性を主とした多属性複合魔術第一階術式「命魔力吸収」で
焼豚伯爵が急激にミイラ化すら飛び越して砂塵化するのも構わず
生命力ごと全ての内包魔力を吸い上げ、見る人が見れば垂涎な輝きを放つ
ブリリアントカットな青金剛石に見える魔宝石に固めて仕上げた。
「…とはいえ、この砂塵。同族“だけ”には聖人並であったか」
呼び方がいろいろありすぎて面倒になったので、
中年伯爵と一応は敬意を込めて呼ぶことにした“何か”。実際中年伯爵は
上位共通語たる全央京語は勿論、本当の意味での全央帝国共通語である
央国語に各種地方語を淀みなくというか高等なビジネスレベルで
使えるほどにマスターしている才覚に満ちていた人物のようだったらしく、
おかげで“何か”は全央帝国内であれば何処に居ようとも言葉の長城を
余裕綽々で突破できるようになったのである。
さらには西方諸国の言語も熱心に勉強していた(動機は不純だが)ようで、
「もう少し待ってやれば西方諸国も漫遊できたやもしれぬ…」と呟くほどだ。
「空曠大華龍…首都とはいえ…少し長いな」
“何か”の文句はともかく帝都ダーファロンを筆頭に
全央帝国および周辺国家の地理情報は中々に有難いものであった。
だがしかし当然“何か”の興味を引く国立図書館や魔術師組合といった
彼が最も求めている知識が集まっているであろう場所は警備云々が厳重であり、
まして赤子の姿である。能力を駆使すれば潜入は容易い事ではあるのだが
全盛の力を出せないことは百も承知なので、ふとした失念で
最悪全央帝国を灰燼に帰さねばならなくなる可能性は否定できない。
転生という状況に放り込まれた“何か”…
「はて…儂の名は…何であったかのう…?」
別に呆けているわけではない“何か”。
ただ最後に名乗ったのが幾千幾万も昔のことであったため、
大分大分大分前に前世で生まれたときの名前を忘れてしまったのだ。
「良き者に拾われたとして…善意であっても儂にとって妙な名は聊か業腹だ」
“逆”閑話休題。“何か”は自らの名を決めることにした。
「儂の顔の輪郭は…」
“何か”は感知能力で己の顔を確認する。
多少肉体変質強化能力で生まれたての状態から脱したとはいえ
未だ首が据わったばかりの乳飲み子ではあるので、
もう星無の民が如き顔ではない。ドブガエr…中年伯爵の知識を反芻すれば
(自分の顔は西方諸国の人間と…全央帝国から見て東の海を越えた先にある島国…
日輪皇国…? いや、全央の連中は自国の下民ほどではないが
案の定見下しているようだから倭央王国…まぁ儂にはどうでもいい事よのう…)
微妙に懊悩していたら何時までも戻ってこないことを心配したのか
中年伯爵の召使DだのEだのがぞろぞろとやってきたので
懊悩の片手間に「篤き暗黒の抱擁」でゴミのように葬りつつ
新しい名をじっくりたっぷりと考察する無情なる“何か”。
「嗚呼…邪魔だな…!」
ついには中年伯爵の近衛と思われる武人やら兵士やら騎士などが現れ始めたので
大騒ぎになる前に中年伯爵の邸宅と敷地内にいる全ての生命反応を検知して
問答無用で「篤き暗黒の抱擁」していく恐ろしき化け物こと“何か”。
> > >
検知できた戦闘能力順に中年伯爵の関係者達を処理し、最後の数人…
気持ちよさそうに眠っている…まだ幼さが残る者を含めた侍女達と
中年伯爵の男女の幼児+若き伯爵夫人(多分側室)を始末しようとしたところで、
自分の名前を全く考えていないことにハッとした“何か”は
無情なる「篤き暗黒の抱擁」乱発を中断した。
少しだけ閑話休題である。
(日輪皇国の者と西方の…西仏蘭狩魔…西方の西とはややこしい…
ともかくフランカリマ三方王国の者との混血児に近い顔立ちなのか…)
云云と唸りながら自分の新しい名前を煮詰めていく“何か”。
傍から見ると宙に浮いて腕を組む赤子が佇むという光景なわけだが、
暁+中年伯爵関係者はほぼ全滅…なので何も起きない起こりえない…。
「……あ…ぬん…うん…らぁー、ま…(こうなれば嘗て儂は
この間まで何と呼ばれていたかを思い出すのみ…!)」
“何か”を名称で呼称するものの多くが…というか…
ほぼ全て敵対者だったので大体が畏怖や侮蔑を意味する名称だったが…
どうにかマシな名称を思い出したので諳んじることにした“何か”。
「別禍神々上滅世界破者……って…
…これも蔑称といえば蔑称ではないか…いや、待てよ…?」
“何か”は今一度反芻する…
(別禍神々上滅世界破者…は表音も発音も長すぎるので縮めて略す…
コトマガツカミノヨサカイヲヤブリシモノ……コトマガツカミノ…
…コトマガツ…コトマ…コト、コト…ぐぬぬ、ピタリと嵌らぬ…
…というわけで…コトマ…トマ…トマガツ……む?
そういえば西フランカリマにはトマという男性名があったな…!)
「よろしい。儂は今日、この刻を以ってトマと名乗ろう。
…フランカリマの文字だと…“Thomas”…であろうか?…
ほう…“Thomas”の由来は西フランカリマの聖人か…いや、儂が聖人の名を
名乗るなど…待て、これはこれでそれとなく皮肉が利いていて良いではないか。
では全央国語で音当て字すると…ふむ、“兎麻”…であるか?
まぁ発音が揺らぐのは致し方あるまいよ…しかし“兎”の文字がなぁ…」
全央帝国では兎は帝国の代表的な動物らしい…のだが、
全央帝国では代表的は代表的でも「食肉、毛皮の原料」という意味で。
「兎が干し貝柱を携え目前に(通称:兎貝柱)」だの
「兎も狼王の気位」や「兎の居眠り」だとか「隣の貧乏、兎の味」に
「人を謗るは兎の味」ほか「醜い鬼子は後の兎の子」と
まぁ言い得て妙だがあまり良い意味ではない慣用句が沢山あるのだ。
…大概は「兎=美味な食物、利用し甲斐のあるモノ」に纏わるもので、
それゆえに人の名前としては正直おススメし難い名前なのだが…
「…こればかりは西フランカリマ語と併記して
“兎麻”は音の当て字である事を強く示さねばならんな…となれば…」
自分を拾ってくれるであろう善き貴族ないし知者は
少なくとも西フランカリマ語の人名程度には精通してなければならない…
というハードルが出来上がってしまったが…そこは“何か”…改めトマ。
中年伯爵の学友関係を洗いなおしてみれば思いのほか候補が上がるのだ。
「チンツィイ子爵…は駄目だ…この男は稚児趣味の疑いがある…
ジャンナン男爵…こいつは子供嫌い…パーピン伯爵…勉学の虫…無しだ…
文武両道の蒼月騎士爵なr…ぐぬぬ、没落が見えつつある賭博趣味…」
どいつもこいつも西フランカリマ語学の才は悪くないのだが、
抱えている短所が致命的なモノを含んでいるのだ。
他にも名だたる上位貴族がポコポコ出てくるのだが、
やはり悠久の前世を生きたトマとしては度し難い要素が
トマの良識に一々に衝きかかってくるのだ。
「……皇帝はまぁ、別に良いのだが…公爵家さえもも悉く
何かしらの目に余る腐敗要素があるとは…全央帝国…よくもまぁ滅ばぬものだ…」
怒りを通り越して呆れが入ってきたトマ…
仕方がないので殆ど情報のないが全央帝国よりはマシであろう
西方諸国の何処かに流れるべきかと情報を流し見ていたのだが、
「む」
…シャインユキッド・金龍=オーリ・ハルマローシュ三世。
全央帝国の字で表すと姓は張魔狼主。金龍=汪理が字で、名が遮陰融気道。
表記に関しては、彼は西フランカリマ系三世なので殆ど音当て字である。
言うまでもないことだが軽々しく口にしてはならぬ真名は鋼明
通称は金龍伯ないしハルマローシュ伯。。32歳、男。既婚。
全央帝国では劣等種と定められる諸種族に対しても寛容であり、
身分差は致し方ないが奴隷にも一定の財産の所有(自らを買い戻す行為)も許し、
正式に嘆願すれば解放奴隷となることもほぼ例外なく許可している。
そのためか彼のお膝元で解放奴隷となった後即座に正式な部下…
陪臣として仕えたがる者が多く、故に全央帝国でも中々に侮れない勢力を
必然的に持つため裏では悪辣系の貴族達からは快く思われていない。
魔人族としては珍しい極光魔術の使い手ということも相まって、
一部の者達からは「極光天魔卿」や「光大伯」、
特に「寛容公」等と呼ばれており、まだまだ若い方だが
燻し銀な魅力も出始めている…とは一部婦女子の談…
…調子に乗るなよクソgゲフンゲフン…である。
最近正妻として東方公ことセム公爵家から若い嫁も娶ったそうで、
夜道で刺されr…もげr…爆発しr…っていうか腕のいい殺しy…
…ウォッホン! …兎にも角にも将来有望な男である。(by中年伯爵)
「あのドブガエr、いや中年伯爵…ブレぬ奴よのぅ…」
思わず呟き、実際今までが今までだったので正直どこまで正しいのか
懐疑的ではあったが、駄目なら駄目でドブガエル処刑その2で良いかと
多少投げやりなトマは本格的に夜が明ける前に金龍ないし
ハルマローシュ伯の邸宅へ向かうことにした。
> > >
ここは飾り気こそ無いが中身が充実した広々とした書斎。
得意とする光の魔術と蝋燭の明かりを駆使して、
立場上逆らうことの出来ない上位貴族より押し付けられたといってよい
面倒な案件の書類仕事を蹴散らすべく夜通し机に向かう男がいた。
「く…ぬ…くぅぅ…」
強張った体に堪らず、立ち上がって大きく全身を伸ばす…
言われてみれば年齢にしては燻し銀な魅力が滲む蒼白の肌の男だ。
彼こそハルマローシュ伯。多少し畏まった言い方をすれば
彼こそが「寛容公」ことハルマローシュ三世閣下である。
ふぇぇぇ… ふぇぇぇぇん…
「おや…?」
夜通し書類と格闘していたハルマローシュ伯は最初に聞いたときこそ
「疲れてるのかな…赤ん坊の声が聞こえる…」と呟くのだが、
ふぇ… ふぇぇん… ふぇ、ぇ…
「これは…まさかッ…?!」
流石に幻聴と片付けてはいけない気がしたハルマローシュ伯は、
急ぎ(とはいえ他の家人を起こさぬよう気をつけて)泣き声の元へ向かう。
ハルマローシュ伯が辿り頑丈な魔法金属格子で閉ざされた
門の向こうの地面には一見すると美しい模様の包みに見えるが…
しかと見れば衣服の切れ端の縫い合わせでしかない布に包まれた赤ん坊だった。
「……あぁ…」
ハルマローシュ伯は理解した。
否応無く。
自分の批評も承知だ。
しかしそれでいて今まで同じことは未だ無かった。
だがとうとう危惧していたことが起きてしまったのである。
幼い子供の奴隷が門の向こうに座り込んでいることは多々あったが、
赤ん坊は未だ嘗て無かった。ハルマローシュ伯は貧しくとも苦しくとも
親という者は最期まで乳飲み子くらいは見捨てぬものだと信じていたからだ。
「……度し難い…ッ! 完美族も…人間種でさえも…っ!!」
怒りは自身の内包する魔力が沸騰するかのように湧き上がらせる。
魔力に中てられたのだろうか、先ほどまである程度聞こえていた泣き声が…
「!? しまったッ!!」
ハルマローシュ伯は数メートルある門を跳躍して飛び越え、音も無く着地する。
そしてまるで腕利きの忍者が如く物音を立てず、
だがしかし優しく赤子に近寄りふわりと抱き上げる。
「……………あーぅ…?」
「おぉ…よしよし…体内魔力も殆ど乱れていないな…」
「…おぉぉ…ぅ?」
赤ん坊の命に別状は無いことを確認したハルマローシュ伯は
安心しすぎて+疲れがピークで腰が抜けそうになる。
「ぬぐ…いかんいかん…よし、もう今日はこのまま昼近くまで…」
寝る前に早朝番の侍従たちにある程度説明して一時託すのが先決だと呟き、
少しふらつき始めてきたハルマローシュ伯は、赤子を抱いたまま
器用に魔法金属格子を開閉して自宅へと歩を進めるのであった。
「…うぁーぅ(気を抜いたら思わず普通に喋ってしまいそうだな…)」
「すまんな…小公子…御前の名を知らぬ…仮名で悪いな…少しだけ休んだら…
多くの未来がある御前に素晴らしい姓と名と字と真名を与えてやるからな…
あぁ、あと乳も…おい、梨凛よ…リリン…朝早くからすまんが…」
「あぅ?(しまった…力作の手紙を見えるように出しておくべきだっか…?)」
時は全央帝国統一皇暦1687年…鋼輝26年、
冬の残滓が僅かに残る陽雷の月初旬のこと。
この時、帝国の一伯爵に過ぎぬ男と出自の分からぬ赤子の出会いが
後に全央帝国の未来を大きく揺るがす事になろうとは
地上にいる誰もが予想などできなかった。
2:に続く
…フリガナで死に掛けるとは思いませんでした。