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人魚になった日

作者: 穐亨

「ふっざけんなーっ!!!」

長い髪を振り乱しながら、少女は有らん限りの力を込めて叫んだ。歳は15歳を間もなく迎える頃で、彼女の住む島ではそろそろ成人の扱いとなる。とは言え、顔にはまだ幼さが残り、特にどんぐりのような大きな黒い瞳が、それに拍車をかけている。目と同じ色をした腰まである髪は、彼女の性格を示すかのように真っ直ぐで、袖のないワンピースからのびる手足は健康そのものである小麦色だ。

本来は愛嬌のある顔立ちだが、今はその顔を赤く染め、太めの眉はぎゅっと寄せられていた。細い肩をめいっぱいにいからせ、両手は固く拳を握っている。臀部から下はびっしょりと塗れ、スカートの裾が華奢な両足にぴたりと絡み付いている。

彼女が立っているのは港だった。視線の先にあるのは、遠ざかっていく数艘の帆船だ。

「ふざけんなっ、クソ爺い共…ッくそ!」

「レーン、どうしたの」

背後から柔らかな声をかけられ、少女--レンユィキはキッと勢いよく振り返った。

「ジェン兄っ! どうもこうも、あの爺い共ってば最低だ!! ヒトのコト、こそ泥鼠だとか、カナヅチの役立たずだとか、さんざん言って浅瀬に突き飛ばしやがった!」

激昂しているレンユィキの言葉を聞き、フージェンは彼女に良く似た眉をハの字にして、大きな掌で頭をそっと撫でてきた。

「それは酷いね。どうして、そんなことになったの?」

「おじさん達だって、いきなりそんなことはしないよね」と言う、歳の離れた兄の問いかけに、レンユィキは一度もごもごと口を動かし、尖らせ、ようやくぼそぼそ声を出した。

「……あたしが、爺い達の船にこっそり乗り込んだから……」

レンユィキの言葉を聞いたフージェンは苦笑した。小馬鹿にされているように感じ、レンユィキは下から上目遣いに兄を睨んだ。優しげな顔立ちをした兄は、事実性格もその通りで、他の島の男達と比べて穏やかな性質だ。レンユィキはそんな兄を尊敬し、他の兄達よりも信頼していたが、それでも必死で行った自分の行動を馬鹿にされると良い気分はしない。

レンユィキらが住む小さな島は、漁業が盛んである以外、特産物や資源もない。島の男らは皆、帆船を持ち漁を行っている。島の人々が信仰する「海の女神」は嫉妬深く、船に女を乗せることを嫌うと言う。そのため女達は船に乗ることを禁忌とされ、島から出る者はいない。

だがレンユィキは船が好きだった。父や兄、親戚ら、そして近所の男達が乗る船を、小さな頃から一日中厭きもせずに眺めては、自分も船に乗りたいと駄々をこねて周囲の大人達を困らせてきた。最近では、停泊している船にこっそりと忍び込むことが多く、出港前に見つかってはことごとく大目玉をくらって追い出されている。

「まぁ……でも、海に突き飛ばすのはさすがにやり過ぎかもね。どっちもどっちかな」

困った顔で、ぽつりとフージェンが言った。

「ヨァンさんにやられたの?」と血の気の多い漁師の名を挙げる兄に、レンユィキは大きく頷いた。

「あの爺いさいてーだよ! ほんとに……」

調子づいて言いかけるレンユィキの口許に、フージェンが人差し指を添えた。少しだけ、眉を寄せて。

「どっちもどっち、でヨァンさんがやり過ぎだったとしても、それはレーンが悪くないってことにはならないよ。レーンも同じくらい悪いことをしたってこと。もう直ぐ大人なんだから、自分の行動についてよく考えなさい」

「……っ」

そう言われると、レンユィキは言葉に詰まった。「海の女神」の怒りを買えば、その船は嵐にあい沈むと言う。もしレンユィキがこっそり乗り込んだ船がそのような目にあえば、それは確かにレンユィキのせいであるとされてしまうだろう。

「でも……あたしだって、船に乗りたいんだ……。海に出て、外からこの島を見てみたい」

「……うん。そうだね」

外の世界を知る兄は、レンユィキの言葉に一つ頷き、軽く背中を撫でてきた。レンユィキにだって分かっている。この優しい兄でさえ、レンユィキの望みを叶えることはできないのだ。もしフージェンの一存でレンユィキを船に乗せ、万が一本当に船が沈んでしまえば、失われるものがあまりにも多すぎる。

潮の香りのきつい風が身体を撫で、冷える下半身に小さく身震いする。

「分かってる……あたしだって……」

そのあまりに小さな呟きを、フージェンが聞いたかは分からない。だが、レンユィキは一つの決意を込めて、遠ざかっていく帆を睨んだ。


月の美しい夜だ。真円を描くその温度を感じさせない輝きは、今のレンユィキにとってはかえって優しく感じられた。

もう二回、満月がくれば、レンユィキは成人になるための儀式に参加することになっている。それも島の習わしであり、そうなれば今以上にレンユィキの自由はなくなってしまう。

だからその前に、できうる限りのことをしておきたい。

浜辺に出たレンユィキは兄の服を身に付け、髪は肩にも届かない程になっていた。腰まであった髪は、こっそり家を抜け出す前に切り落とし、自分の部屋に置いてきた。それは神の目を欺くためであり、もしものときの形見分けのためでもあった。

岩陰にこっそりと隠しておいたのは、本当に小さな木舟だった。古くなり放置されていたものを、こっそりと回収しておいたのだ。

それを海に浮かべ、レンユィキはごくりと喉を鳴らして舟に乗り込んだ。頼りなげに浮かぶ木舟は、更に大きく揺れるがなんとか耐えたようだ。少しだけほっとすると共に、不安は大きく膨らむ。だが、ここで止めるわけにはいかない。レンユィキはゆっくりと櫂を漕いだ。

見よう見まねであるため、舟はなかなか思う通りに進まない。それでも、波に乗ってなんとか沖合いの方へと向かっていく。遠ざかっていく岸辺を、不思議な感情で見つめる。

波は穏やかで、舟は小さく揺られながら進んでいく。泳ぐことのできないレンユィキにとって、その場から見る風景は正しく初めてのものだった。

「なんか……意外と、あっけない感じなんだな……」

そんなことをぽつりと呟いたときだった。波が不意に高くなり、舟が大きく揺れる。

「うわっ」

慌てて舟にしがみつくが、その拍子に櫂を手放してしまった。

「やば……ッ」

舟は更に大きく傾ぎ、波が舟の中に水を注ぐ。

「やばい……どうしよう……どうしようやだ助けて……」

先程までは、あんなに静かな海だったのに。もしこの舟が沈めば、泳ぐことのできない自分は助からない。覚悟はしてきたつもりだったが、背筋がぞっと凍る。

あんなに美しい海が、今は黒々とした口を開く魔物にさえ思える。

「やだ……ごめんなさい女神さま……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ッ」

一際大きい波が、舟を襲う。悲鳴を上げる間もなく、レンユィキは冷たい海へと放り出された。

「……ッ!?」

手足をばたつかせ、もがけばもがくほどに、まるで見えない何かに引きずり込まれるかのようだ。直ぐに息が苦しくなり、頭の中が真っ白になる。目も開けられず、身体はどんどん重くなっていく。

(女神さまのいじわる……!)

折角の一大決心を、こんなふうに潰さなくても良いのに。

だが同時に、他の船に潜り込まずに良かったと思う。意地悪なヨァンだって、もしレンユィキのせいでこんな目にあってしまったとしたら、それこそやりきれない。

(本当に、反省しているの?)

ふと頭に聞こえてきたのは、懐かしさを覚える声だった。きっと、そう。これは、レンユィキが幼い頃に亡くした、母の声だ。

(反省してるよ……わがままだったこと。でも……あたし……それでも、感じたかったし、見たかったんだ……。この海と島を……。どっちも、大好きだから……)

そして船に乗る人々も。その逞しさも。できることなら、自分もその一員になりたかったのだけど。

(……仕方のない子ね)

苦笑するように、頭の中に声が響く。

途端、周囲がぱっと明るくなり、息苦しさが消える。驚いたレンユィキが思わず目を開くと、碧く透明な世界がそこには広がっていた。周囲を泳ぐのは、オレンジや黄色の魚たち。色とりどりの珊瑚礁。ふと影ができて上を向くと、巨大な平たい魚が悠々と泳いでいく。

「……きれい……」

涙が出そうだった。どうしようもなく、それ以上の言葉は浮かばなかった。

透き通る水の遥か下に、模型のようなものが見えた。それは、レンユィキらが住む島の形をしていた。

(あそこに、お帰りなさい)

また声が聞こえ、そっと背中を押される。抗う気持ちも起きぬまま、レンユィキは吸い込まれるように島の模型へと近づいていった。

振り返ろうとすると、長い長い髪が視界に入った。

「あの……あなた、もしかして」

くすりと、耳元で笑い声がした。首筋に、細い指が触れるのが分かる。

(また会いましょう。愛しい子)

それを最後に、レンユィキの意識は途切れた。


「おぉーい! レンユィキ、さっさと荷物を運べーっ」

船上から響く怒号に、レンユィキは「はぁいっ!」と怒鳴り返すように返事をし、重いロープを持って船上へと駆け上がった。

あの後。レンユィキが目を覚ましたのは、木舟を漕ぎ出した浜辺だった。周囲には漁に出るところだったらしい島の男たちが集まり、ざわついていた。そこに兄たちや親戚も駆け付け、ぼんやりとしていたレンユィキを抱き締めた。どうやら、レンユィキが小舟で沖に出てから10日程経っていたらしい。

ことの顛末を説明すれば、島の大人たちから厳しい叱責を受けた。だが同時に、老人たちは複雑な表情を浮かべながら、レンユィキの首筋を凝視していた。そこには痣ができており、複雑な模様を刻んでいた。人魚の絵のようにも見える。

「それはな」と、島の長がゆっくりとレンユィキに語った。

「女神さまのお印だ。女神さまの寵愛を受けた者だけが、その印を付けて島に戻ってくる。その者が船に乗れば大漁に恵まれ、荒れていた波は穏やかになると言う。儂が小さい頃にも、同じ印を受けた男がおった。そやつは確かに、海に愛されておった。そして……ある時、自ら海へと還っていったよ……」

レンユィキは下働きながらも、特別に船員の一人として船に乗ることを許された。印のお陰か、今のところ魚にも波にも恵まれた漁となっている。

そして、船上から海を見下ろし、ふと思うのだ。

自分もいつか、この海に還る日が来るのだろうかと。

レンユィキは以前、創作交流サイトで創ったキャラで、とても思い入れのある子です。

交流サイトで話を考えていた頃は違う運命を辿ったのですが、今回は彼女の住む島だけで話を完結させるとしたらどうなるかと思い、一新して書いてみました。

なんだかパラレルワールドのようで、書いている身としては楽しかったです。

機会があれば、この島やレンユィキの話はまた書きたいなと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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