咎人の行方
果てない雪原、ささやかな日の光を跳ね返すその鏡面を一人の男が、足元を掘り返しつつ歩いていた。
その男は大きな黒い外套を羽織っており、さながら影が歩いているようであった。その右腕だけが後ろへと伸び、鎖に連なった十二もの棺桶を引き摺っている。
彼が目指す山は、未だ遠い。太陽の光を背に浴びて、後光を四方へ伸ばすその山は、フレーゼ山と呼ばれている。凍りついた地面に拒まれた死者が葬られる、この地域唯一の山だ。
しかし、そこへ死者を連れていく者は、当然動ける者でなければならない。あの生きる者全てを拒む絶氷の砦に、幾つもの棺桶を引き摺って立ち向かわなければならないのだ。――この男のように。
その地へ死者を運ぶ者を選ぶには、ある決まりがあった。罪を犯した者であること、だ。フレーゼ山は裁きと氷の神であるモスクモルの住まう聖地である。死者はその地に運ばれて、生前のあらゆる罪を氷に閉ざして来世へと旅立ち、死者をその地へ運んだ咎人はその功績をモスクモルに認められれば救われる。
だから、彼は歩き続けている――訳ではない。
彼は、この罰を受けてから一度も何も口にしていない。腹はその中身がないことを訴えることにも飽き、喉は枯れている上に凍りつき、かじかんだ肌はもう寒さを感じることも出来なくなっていた。それでも、この聖行を行うためにかけられた時止めの魔法によって、彼は生き続けていた。
彼は何度も辞めようかと考えた。実際、足を止めた回数は一度や二度ではない。それでもフレーゼ山を目にする所まで歩いてきた。
彼は、神殺し以外の、人間が悪行と思うことを全てやってきた。もっとも、神などはモスクモルのように全てが人間の手が触れられない場所に引きこもっているのだから、手の出しようもない。そのような者が、いくら捕まったとは言え、このような殉教に粛々と頷くことがあろうか。
だが、彼にはこの聖行をやりきる決意があった。
それは彼自身が下らない理由だと思っている。ただ単純に、女性に泣かれたからだ。一人の村娘が涙を流して、祖父を頼む、と言っただけだ。だが、何故であろうか。彼はその涙に答えなければならないと感じた。彼は引きこもった神が、生まれる時に自分に良き心の種を植えておいたなどとは全く信じていないが、彼女の涙だけは裏切ってはならないと思った。
だから彼は、このように死ぬことすらも許されないままに、十二の棺桶を引き摺って歩いているのだ。この果てない雪の鏡の上を。
この鏡は、全てを映している。
男の黒さ、棺桶の重さ、鎖の醜さ、日の暖かさ、風の冷たさ、雪の白さ、月の優しさ、星の偉大さ、兎の健気さ、熊の強さ、そして、あの涙の清らかさ。
だから、彼は歩き続ける。
自分の罪を清算するためにではなく、たった一人の少女が流した涙のために。
フレーゼ山は、まだ遠かった。
He has never stopped.
冬というテーマで書いた作品です。
冬の静けさ、寒さ、厳しさ、遠さ、美しさ――そんな冬のイメージを集めて一つに凍らせたようなイメージで書きました。冬を思い出していただけたら、うれしいです。
また、この作品はシェアドワールドである『ラグナガルド』のとある地域の風習を書いた作品であります。もし、これを読んで興味を持っていただけた方で、『ラグナガルド』の世界で物語を書きたいという気持ちが湧いたなら、是非報せてください。
では、あなたの冬が愛おしいものであることを願って。
ちなみに、わたしは冬が大好きです。