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神泉の聖女  作者: サトム
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聖堂と事故

 沈黙が二人の間を満たしていた。ざわめく周囲には祭司や一般人が行き交い、ある者は頭を下げ、ある者は不可思議なものを見るような眼差しを向けてくる。

 副祭司長のドゥーイと聖女ルーフェリアが同じ目的地に向かって歩いていた。

 自分より頭一つ分以上背の高い彼が長い足で歩いていくのに対し、ルーフェリアは走らない程度の早足で付いていくのがやっとの状態。まるで麗しの副祭司長を追いかけ回しているようだと感じながら、自分から頼んだが故に文句も言わずにただひたすら足を動かす。

 やがて相当年季の入った石造りの建物が見えてきた。


「あれが聖堂です」


 不機嫌そうな一言に、ようやく目的地に着いたとホッとする。


「ありがとうございます。あそこで祈ればいいんですよね?」


 乱れた息を整えながら目を向けた聖堂は、いつ崩れてもおかしくないように見えて思わず眉を寄せた。


「祈り方が判らないなんて事は……」


「一応聖女として必要最低元な事は地方次祭様から伺っています」


 立って会話を続ける二人の周囲を人々が通りすぎていく。杖を突いた老人と息子や小さな男の子の手を握って歩く親子、商人らしい風体の男性や年若い女性まで、様々な年齢の人々が思い思いに聖堂へと入ったり出てきたりしていた。

 実は創世者たる青年にお願いがあってここまで連れてきて貰ったのだ。それはホットケーキの粉をこちらに送ってくれないかなぁというもの。

 教師でもあるヴァルターは三日と空かずにルーフェリアの元へと通ってくれるのだが、毎回カイユのパイでもてなすのでは飽きてしまう。フィリングの果物を変えて今まで対応してきたが、そろそろネタも尽きそうなのだ。

 食料庫の棚に買い置きのミックス粉があるので、それでもいいから送ってくれないだろうかという一縷の望みを胸に、ルーフェリアはここまでドゥーイと共に歩いてきたのだが。


「初めて聖堂に立ち入るのですから、最初くらいは私が案内します」


 言っている言葉は優しいが、声の雰囲気は不機嫌で迷惑極まりないと彼の心情を表していた。神に近い存在の十柱の聖女が、今まで本神殿の聖堂で祈ったことがないという酷い事実があるので、彼の気持ちは良く判るから何も言う気はない。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 教育の成果で幾分綺麗に出来るようになったお辞儀をすると、流れるような銀髪をなびかせてドゥーイは今にも崩れそうな聖堂へと入っていく。窓のほとんどない内部はあちらこちらにロウソクが灯され、歳月を感じさせる壁や柱の表面は朽ちかけていた。


「ここ……崩れないんですか?」


 地震の多い国に住んでいたために持ってしまう不安をドゥーイは鼻で笑い飛ばす。


「ここは創世神の力で覆われています。その上、土属性の魔導師が補強の魔導を掛けているので、崩れるなどありませんよ」


 綺麗に磨かれた床には、色の違う石がはめ込まれて緻密で瀟洒な模様を作り出していた。建物の無骨さに比べると、見るべきは床なのでは?と思うほどだ。

 そうやって床に気を取られて歩いていたために、突然立ち止まったドゥーイの背中にぶつかりそうになる。ついでにピリッとした緊張感を感じてローブの影から彼の前をのぞき見ると、あごひげを整えた壮年の男性と護衛らしき騎士二人、そして頭からすっぽりマントを被った小柄な人間が歩いてきた。


「これは副祭司長殿」


 頭を下げた自分たちに声を掛けてきた男性は、良く響くバリトンで挨拶をしてくる。


「お久しぶりでございます、カーマイン卿」


 言葉少なに挨拶を返すドゥーイを訝しく思いながらも、話の邪魔にならぬよう気配を殺す。出来ることならこのまま立ち去りたいのだが、まるで自分を彼等から隠すように身体の位置を変える副祭司長を見て黙ったまま背後に控えた。

 時節の挨拶や最近あった王宮での当たり障りのない話題の後、何事もなく立ち去る貴族を見送って、再び歩き始めた不機嫌なドゥーイが心配で声を掛けようと口を開いた時。


『憎しみの果て。黒き炎と呪われし刃。地を這う蛇となりて……砕けろ!』


 背後で聞こえた慣れない魔法言語に振り向くと同時に聖堂内部が爆発した。








 ようやく収まってきた土埃を刺すような日の光が、辛うじて壁の間から射し込む。


「ゲホッ……大丈夫ですか」


 先程まで立っていた場所にはなぜか膝を付くドゥーイの姿。白いローブは灰色に染まり、それでも鮮烈な銀髪は他者を何者からも守るように毅然と立つ背に流れる。


「怪我はありませんか」


 小さな光の玉を三個ほど浮かべながら彼が問いかけるのは、運悪く聖堂にいた一般人へ。入り口に一番近かったのが自分たちだったのが幸いして、大きな怪我を負った人はいないようだ。


「おーい! 中は無事か!」


 外から掛けられた大声に、天井からパラパラと小石が降り注ぎ、出口の埋まった聖堂内に悲鳴が上がる。小さく舌打ちしてより残骸に近い穴に歩き出したドゥーイは、いつもの威圧感の漂う声で外に指示を出した。


「大声を出すな。補強魔法が消えて、聖堂の強度そのものが下がってる。急いで土属性の魔導師を集めてきなさい。それからでないと中の人々を救出することは無理です」


 二階部分の屋根が斜めに落ちてきている為に逃げ道がないのだ。子供が通れるほどの隙間はあるのだが、今にも崩れそうで、通っている最中に押しつぶされる確率も高いだろう。

 ゴホゴホと咳き込む老人や子供の姿に、何か出来ないだろうかと辺りを見回し……記憶が蘇る。


『私の眷属、水の精霊。お願い。不浄なものを取り除く水の幕をここに』


 手のひらに生まれた小さな水の玉が、みるみる大きくなり薄くなる。さながら風船を膨らませた時と酷似して、けれどその大きさは残った聖堂内部の半分ほどの大きさになった。ルーフェリアはもちろん、近くにいた老人と青年や商人らしき男性も取り込まれる。

 水の幕を透過しながら出ると、驚きに見守っていた他の人々を呼び寄せた。


「この中の空気は清浄です。中に入って助けを待ちましょう。副祭司長様がいらっしゃるのですから必ず助かります」


 外と連絡を取っているドゥーイの邪魔にならぬようにと提案すれば、人々は恐る恐る幕の中に入り不安そうに手を取り合う。光の玉のお陰で見えるその顔色は蒼白だ。


「コレを張ったのは貴女ですね」


 いつの間にか傍に来ていたドゥーイが不機嫌そうに見下ろしてくる。この人は常にこの表情なんだろうか?と思いながら肯くと、そっと幕の表面に手のひらを当てた。


「知っていたんですか?」


「………この魔導の事でしょうか?」


 出来るならもう少し言葉が欲しいが、何とか言いたいことは汲んだらしい。小さく肯く青年に昔、一度だけ教えてもらったと答える。

 答えた後も何も言わない厳しい表情のドゥーイを見上げていると、幕の中で人々の気配が大きく動いた。覗き込むと人々が一組の親子を取り囲み、男の子の母を呼ぶ声が聞こえる。


「どうしまし……」


 問いかけようとして一目見てどういう状況か理解する。

 少年の母親は臨月間近の妊婦だった。彼女の足の間に水たまりが出来ていて、爆発の衝撃と緊張で破水してしまったらしい。


「出産の立ち会い経験は?」


 もちろん聞いたのはドゥーイにだ。祭司が医師も兼ねるこの世界では、産婆か祭司が赤子を取り上げると本に書いてあった。


「私は魔導の癒しと守りの専門です。医師としての知識は皆無なんです」


 悔しそうに語る彼もどうしたらいいのか判らないらしい。ざっと集まった人を見るが出産経験豊富な女性はいなかった。

 急激に陣痛の始まった女性を見る。心臓がもの凄い勢いで打ち、暑くもないのに汗が浮かび始めるが、心配そうに母親の手を握る男の子と後ろから支え、声をかけ続ける夫の姿に覚悟を決めた。


「ドゥーイ様。救助はどれくらい掛かりそうですか?」


 腕まくりをしながらそう問えば、彼は「少なくとも三、四時間」と答える。それを聞いて親子の元へと歩み寄ると、跪いて母親の顔を覗き込んだ。


「救助されるまで三、四時間掛かるようです。破水もしていますし、二人目ですからその前に生まれてしまうかもしれません。ですから、ここで産む準備を始めます。いいですか?」


 陣痛の合間にこちらに向けられた翡翠の目は母の強さを宿し、不安は夫の手を握ることで紛らわせていた女性がしっかりと肯いた。


「無理だ!」


 背後で副祭司長の否定の声が上がる。立ち上がって向き直ると、震える声で言い募った。


「それではどうしろと?赤ちゃんは待ってくれませんよ。破水している以上、お腹の中にいることは安全ではなかったはずです。それなら、積極的に準備をしていた方が赤ちゃんにとっても母親にとってもいいはず」


 元の世界では、破水後の入浴は禁じられていた。細菌が入り込み危険だからという理由だったはずだ。いきまなければ赤ちゃんは出てこないが、だからといって救出されるまで子宮の中に入れておくわけにはいかないだろう。

 言い返せない青年の頭をそっと撫でる。


「出産は病気じゃありません。初産ならともかく、二人目となれば母親も落ち着いているでしょう。ですからここは女の私に任せて貰えませんか?もちろんドゥーイ様には外に連絡を取ってもらって、医師を待機させてもらいたいんです。判らないことがあればいつでも聞けるように」


「…………なんで頭を撫でてるんだ」


 地獄の底から響くような低い声にクスリと笑って。


「私も不安なんです。だからアニマルセラピー効果を期待して」


 言葉の意味が判らないといつものように不機嫌になるドゥーイ。落ち着いた彼を見て安心したルーフェリアは小さく震える手で頬を叩き気合いを入れると、『万が一』の事態に備えて準備を始めた。








「ドゥーイ様。そのローブは替えのきかないものでしょうか?例えば伝説のローブとか、もの凄いお金のかかった魔法のローブとか……」


「そんなもの聞いたことがないな。これはただの司祭のローブだ」


「では脱いで地面に敷いて下さい。それと」


 もう一つ水の幕を出すと、手伝えない人員をそちらに移動させながらナイフを持っている人がいないか声を掛ける。


「これでいいか?」


 シャツにズボンという身軽な姿になったドゥーイが隠し持っていたらしい小型ナイフを差し出してきた。


「充分です。これを煮沸消毒します」


「出産に使うのか?」


 彼の質問に自分の顔の血の気が引くのが判る。


「これは緊急事態に使用します」


「つまり?」


「母子共に危なくなった時、これで切って胎児を取り出します」


 麻酔はないが祭司には眠りの魔導があるらしい。その上、癒しの魔導は骨折も切り傷も治すことが出来るから不可能ではない……はずだ。


「使わないに越したことはないんだけど」


 煮沸消毒するために聖堂に飾ってあった綺麗な壺に魔法で水を入れ、火の魔導の得意な商人に沸騰させてもらう。その間にドゥーイのローブの上に母親を移し、彼女にしがみつき不安そうにしている少年の隣りに跪いた。

 フワフワの茶色の髪と母親に似た翠の大きな目が涙を溜めて見上げる。なるべくゆっくり優しい声で、彼の不安を取り除けるように笑みを浮かべた。


「あなたにして欲しい仕事があるの」


 大事な仕事だと真剣な色も含める。


「お母様はお父様が支えるわ。あなたが産まれる時にもそうだったように。だからあなたはお腹の赤ちゃんを励まして欲しいの。赤ちゃんが不安にならないように『お兄ちゃんがいるから大丈夫。頑張ってゆっくり出ておいで』って声を掛けてあげて。出来るかしら?」


 首を傾げて聞けば少年は涙の溜まった目元を袖でグイッと拭い、強い決意を込めた目でしっかり肯く。幼い子供に無理を言っているのは判っているが、彼の手助けはどうしても必要だった。


「それじゃ、お母様のお腹に手を当てて硬くなったら声を掛けてあげてね」


 彼を説得している間にも細長い窓のような所から布に包まれた柔らかな布が差し入れられる。産まれた子供を包む物らしい。それを祭壇から運んできた小さなテーブルの上に置き、これまた高価そうな壺に水を張る。グラスには魔力の水を同じく魔導で注ぎ、煮沸してくれている男性に飲むように勧めた。


「私は何をすればいい?」


 忙しく駆け回っていたはずのドゥーイが背後から問いかけてくる。


「絶対ここが潰れないように手を打って下さい。酸欠の心配もなく食べ物も差し入れられる現状で、一番危険なのは建物の崩壊ですから。時間がかかっても構いませんから、安全第一の救助活動を望みます」


 手を尽くしてくれているのは判っているのだが思わず不安をぶつけると、大きな手で頭を撫でられた。

 呆気にとられて見上げれば、いつもの不機嫌そうな紅い目が目尻を赤く染めて見下ろしてきて。肩の力が抜けたところで彼の手が離れた。


「それと、もう一つお願いが。私が冷静さを欠くようなら殴っても構いませんので正気に返らせて下さい」


「私に貴女を殴れと?」


 復唱する言葉がやけに嬉しそうに聞こえるのは気のせいじゃない。この人、恨み骨髄に徹するとばかりに嬉々として殴るんじゃないだろうなと、疑いの眼差しを向けたルーフェリアを責めることは誰にも出来ないだろう。完全に自業自得だが。

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