日常生活とアップルパイ
前言撤回。人間関係の改善を目標にしたのは早かったようだ。
最初の目標は普通の生活を送れるようになろうにすることにする……人間関係の改善を目標にしたのは5分ほど前だったはずなのだが、諦め早すぎるだろう私。
街に出たいと護衛の騎士に頼んだら即座に断られたのだ。彼曰く、聖女が外に出る必要はないのだという。言葉の裏にお前が外に出るのは俺達が面倒だという意識が見え隠れしていた。
こんなにあからさまに反対してクビにならないのだろうか?と疑問に思ったが、よく考えれば聖女護衛の任から外れることは彼らの望む事なのだろう。たとえ外れたとしてもルーフェリアの評判が悪すぎて騎士廃業になどはならないだろうし。
とにかく適当に立てた計画が早くも頓挫するが、そこは専業主婦。無いものを悔やんでもねたんでも仕方がない。あるもので代用させるのは得意だ。それに思いの外、聖女の家はしっかり物が揃っていた。恐らくだが、新しい聖女が地方から来るということで修繕が入ったのかも知れない。
実際来たのは我が儘娘だったから、そこに住むことにはならずにそのまま放置されたのだろう。
服は自室から必要最低限を運び込み、食材や調味料は神殿の食料庫から持ち出す。ついでにお昼と夜の食事を侍女さんたちと同じ献立でトレーに乗せて貰うようにお願いした。さすがに今日一日で食事を作れるほどにはならないだろうという見立てだ。
そのついでに何とか話をきいてみると、ルーフェリアをお世話していた侍女さん達は彼女の専属と言うわけではないらしい。だから私が部屋から去ったとしても失業する恐れもないし、平民のくせに自分の事も出来ない不出来な聖女の世話をする手間が省けると喜ばれた。……話を聞けたのは良かったが、私の事をルーフェリアだって気が付いてないようだったから心情としては微妙だったけど。
「こんなもんか」
納めるものを納めるべき所に納め、井戸に向かいながら必要な物を脳内に書き込んでいく。
「裁縫道具とお菓子のレシピ、その前に魔具の使い方を誰かに聞かないと」
井戸の水が綺麗になるまで漕ぎながら頭上に登った太陽に目を向けた。お昼が近いのだろう。正午になれば神殿の鐘が鳴るはずだ。
そこまで考えて苛つくようにこちらを見ていた護衛の騎士の姿が目に入る。自分の作業中、ずっと立って見ていたのだろうか。そう言えば生活の管理者であるドゥーイにはここに住むと知らせたが、守護騎士であるラザフォードにはまだ告げていなかった。早い方が良いかもしれない。神殿内部では廊下にずっと立っていたが、この小さな家の外に立ち通しは辛いはずだ。前の聖女の時のような護衛形態に変更するとしても彼の采配が必要なのだろうから。
「あの……」
護衛の騎士の顔は早く交代来ないかな~だったが、いつ話しかけても不機嫌になるのだろうと諦めて声を掛けた。
今の護衛騎士は年若いようだった。柔和な微笑みを浮かべた今までにはない反応に、おや?と気付かれない程度に首を傾げる。
「何か?」
言葉も柔らかい。棘や侮蔑といったものが少ないように感じた。ルーフェリアの護衛になって日が浅いのかもしれない。だから彼女の悪評を知らないのかも……と自虐に満ちた感想を持つ。
「先程ドゥーイ様にもお願いしたのですが、思いの外掃除が進みましたので今日からこちらで生活していこうと思います。守護騎士のラザフォード様にお伝え願えますか?」
伝言をお願いすると目を糸のように細めた騎士が笑った。
「『平民ごっこ』ですか?お暇なようで羨ましいですね」
心の中ではまったく正反対を思っているであろう彼の言葉に、こちらを睨んでいたのは気のせいではなかったと肩を落とす。だが異世界生活二日目であるのにも関わらず、いい加減この反応にも慣れてきた。彼らにいい顔を晒しても無駄なのだろうとまで考えて身体を硬直させる。
こんな風に考え始めてルーフェリアは周囲から孤立していった。自分の中に確かに根付く彼女の考えに、流されかけたのだと気が付いてグッと拳を握る。
「本来私が居るべき場所に戻るだけです。それではお願いしますね」
相手にへりくだるわけでもなく、にっこり愛想笑いを浮かべながら事実を述べて厨房へと歩き出した。背後から吹き付ける怒気に大きくため息を吐きながら。
私の舌は庶民だったことが判明した。
本日のお昼はキノコたっぷりのラザニアと黒パン、レタスとパプリカのバジルソースサラダと野菜たっぷりのコンソメスープ……のようなもの。スープ以外がワンプレートに盛られ暖かい状態で用意されていた。家まで運んで食べたのだが、昨日の夜食べたコース料理よりも美味しいと感じたのだ。こぢんまりとした部屋という馴染みの環境で食べられたという事も大きかったとは思うが。
「テーブルクロスも欲しいな」
素朴な木のテーブルは表面がボコボコしているので、パンくずを落とすと隙間に入り込んでしまう。多分これからも細々と必要な物が出てくるだろうから早めに街に出たいのだが、守護騎士の様子からして当分無理かもしれない。
と、そこまで考えて祭司長からの提案を思い出す。
「私に常識とマナーを教えてくださる先生は騎士様だって言ってたっけ」
仕事の忙しい祭司長に代わって自分の味方になってくれる……かもしれない人。
『あやつを味方に付ければ大概の事は出来るようになるじゃろ。そして味方に付けたいのならお菓子を作る事だ』
祭司長の言葉はルーフェリアに向けたものではない。異世界人の私が作る異世界のお菓子を期待されているのだろう。
井戸から桶で水を汲み、流しのたらいに入れる。厨房から快く貸して貰った丸いスポンジ(正体は海草を乾燥させたものらしい)と洗剤で食べた食器を洗いながらポツリと呟いた。
「お菓子なんて無理だよ」
同じく厨房から貰ってきたふきんで食器の水分を拭き取りつつため息を吐く。
読んでいた小説などでも良く出てきたのは、異世界の料理やお菓子を作って生活していく主人公達。自分たちのいた世界とほぼ同じ食材で作るのはいいのだが、料理はともかく、お菓子はそう簡単にいかないと思えた。
例えば料理なら多少の融通が利く。今日のお昼に出たコンソメ風野菜スープの中身は、キャベツ、タマネギ、ニンジン(らしきもの)だったが、これがベーコン、ジャガイモ、グリーンピースでも美味しく食べられる。倍の量を作りたければ、分量を倍にすればいい。
だがお菓子はそうもいかない。薄力粉を強力粉で代用すれば食感が変わってくるし、ダイエットしたいからと砂糖の分量を大幅に減らせば見た目も変わってくる。牛乳から生クリームを作るなんて知識を持っている人間の方が少ないだろうし、脂肪分の問題もあるから必ずフワフワホイップになるとは限らない。分量だって大雑把では美味しいものは作れないのだ。お菓子のレシピとは、長い年月を掛けてパティシエや料理人、母や祖母たちがいかに美味しく出来るか試行錯誤を繰り返して完成させたものなのだから。
子供のおやつはスーパーで買ってくるか、おにぎりなどで代用しますといったグータラ主婦に、レシピもなしに作れって無茶過ぎる。せいぜい作れてホットケーキくらいか。
「それだってベーキングパウダーがあればの話だし」
元の世界ではホットケーキミックスという魔法の粉を使っていた。成分も調整され、その上、粉なのに振るいに掛ける必要がないという優れ物である。
食べ終えた食器を厨房まで運び、ふくらし粉らしきものがあるか聞いてみると……きっちり無視される。護衛の騎士から私の素性を聞いたらしい厨房の方々は、それは嫌そうに頭を下げて一言も話そうとはしなかったのだ。
ルーフェリアの評判の悪さを再認識した気がした。
周囲に見放されてはいたが、私が1人で暮らすならと無表情の侍女さん達が必要最低限の事を教えてくれた。生活に密着した魔具の使用方法から、ゴミの出し方まで。
何なの、この人。子供でも知っているようなことを知らないなんて。
侍女さん達に教えを請うようになって一週間。毎日向けられた視線である。聖女とはいえ所詮平民なのだ。本当、ルーフェリアの教育が不十分でご迷惑をお掛けしましたと何度謝りそうになったことか。
それでも主婦の知恵を持つ今はそれなりに生活を送っている。
食事は適当だが自分で作るし、井戸を使った洗濯も慣れた。小さな家だからほうきで掃けばあっという間に綺麗になるし、何より掃いたゴミをそのまま外に捨てられる気軽さに満足している。マンションだった我が家では考えられない事だ。お風呂もお湯を沸かして丁度いい湯加減にする事もこなせるようになったし、薪のオーブンも焦がさずに焼けるようになっていた。
相変わらず街に出ることは許されないが、食料などは神殿に搬入されるものを分けて貰っている。裁縫道具は侍女さんにお願いして買ってきてもらった。お陰で酷い縫い目のテーブルクロスが出来上がったが、自分では満足しているし人に嫌われていてお客も来ないので良しとしている。
「さて、今日こそは完成させてみようか」
腕まくりをしてエプロンを身につけながら、紫色の細長い果物を手に取ると皮を剥いて一口大に切る。大量のそれを鍋に入れて上から適当な量の砂糖を入れると、蓋をして弱火に掛けた。
祭司長から出された課題、異世界のお菓子作りである。
私はアップルパイが大好きだった。買って食べるのも美味しいが、焼きたてを食べる至福を憶えてからは時折自分で作ったりしていたのだ。冷凍のパイシートもあるが、パイ生地から作る程度のこだわりと情熱もあったし。中に入れる林檎のフィリングが柔らかすぎたり、シナモンが無かったりしたこともあったが、概ね美味しく出来たことを思い出して今に至る。何が身を助けるか判らないものだなぁとしみじみと思いながら。
分量などはさすがに憶えていなかったが、パイ生地を作ったことのある人なら判るだろう。パイ生地は粉と水、バターを均一に混ぜたものではない。粉と水の生地の層とバターの層が交互に重なることであのサクサク感になるのだ。固めのハードパンを作る粉とバターの量の確認に何度か試し焼きをしているが、決定的な失敗には至らなかったので林檎に似た果物を貰って試作品一号を焼いてみることにした。
「シナモンも欲しかったけど、仕方ないか」
あればさらに美味しいが、無くても作れないことはない。
辺りに漂う甘い匂いは微かな酸味も含んでいるから本当に林檎のフィリングだ。昨日から寝かせていたパイ生地を伸ばしてバターを塗った陶器に敷き、フォークで穴を開けてから冷ましたフィリングを入れる。その上からもう一枚パイ生地を乗せて縁を押さえ、飾り包丁と卵黄を塗って暖めておいたオーブンに入れた。
「久しぶりにアップルパイが食べられるかも」
人との会話がほとんど無い日常は慣れない異世界生活で気にもならなかったが、それでも限度はある。そのストレスを甘いお菓子で発散させる良い機会になるだろう。なにせ今焼いているパイは、丸々ワンホール自分の物なのだから。
「焼き上がるのにもうしばらく掛かるから……後片付けをしたらお布団を干してこよう。それからお茶を用意すればいいかな」
独り暮らしで護衛の騎士も常時張り付くようなことが無くなったので、悲しいことに独り言が多くなったと思う。
敷き布団と掛け布団の両方を一気に持つ。それでも羽毛掛け布団並みに軽いのだから驚くが、異世界の特殊な素材なのだろう。家の庭にある丸太を半分に切って並べたものに足を付けたテーブルに、同じく丸太を半分に切って作ったらしい長椅子のところまで運ぶと、お日様が良く当たるように広げた。
そのまま井戸で水を汲んでやかんに入れると火に掛ける。
コンコン
ポットを用意しているとノックが聞こえた。
「はい?」
気のせいかと思ったが一応ドアを開けると、そこにいた人物を見上げる。
清潔感の漂う短い黒髪は柔らかく風に揺れ、切れ長の紫の目が観察するように見下ろしてきた。薄いブルーのシャツは首元のボタンが三つほど外され、程良く日に焼けた肌と逞しい胸板を覗かせる。ズボンは紺のスラックスのように見え、上質だがシンプルな服には不釣り合いな厳ついベルトには彼の腕の長さ程もある無骨な剣が吊り下げられていた。
背筋を伸ばし穏やかな空気を湛えた、呆れるほど背の高い貴族階級の男性が家のドアの前に立っていた。