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神泉の聖女  作者: サトム
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聖女と願い

 泣いて良いですか。

 寝室に戻ってから誰ともなくそう問いかけて、これでもか!とフリルの使われたベッドへとうつ伏せで沈み込む。

 四面楚歌という言葉が頭を過ぎる。いや、四面楚歌ならまだいいかもしれない。降伏だって出来るし、そう長くは掛からずに事態は収束する。けれど今のルーフェリアの現状は、こちらが意識して変えなければ生きている限り変わることはないのだ。

 このままでは二年間どころか一週間すら耐えられないだろう。多分私には無理だ。


「はぁ」


 少なくとも1人くらいは理解者が欲しい。そうでなければルーフェリアを全く知らない環境に逃げ込んで新しく人間関係を築くか……

 それとこの世界の常識が知りたい。籠の鳥の彼女はこの世界の通貨単位すら知らない。自分の食事がどのようにして作られているかも知らないのだ。マナーも必要最低限。それは私でも知っている程度の知識だ。


「よし!」


 勢い良く起き上がり、片手を握りしめて頭上に突き上げる。


「やるだけやってみるか!」


 自分の子供が不良になってしまった親の気分だ。環境の被害者であるルーフェリアに同情した面も多分にある。これ以上悪くなりようがないのなら、どう動こうとも彼女にマイナスになる事は無いはずだと決意を固めて、今の状況を改善すべく金糸の髪を持つ美少女は自室のドアを開けた。








「駄目です」


 廊下にいた護衛の騎士に祭司長に会いたい旨を伝えると、どこかに連絡を取ることもなく断られた。


「お願いします。回復魔導へのお礼も言いたいですし」


「駄目です」


「いろいろと相談したいん」


「駄目です」


 こちらの言葉を聞く気もなく「駄目です」を連発する護衛騎士。無表情なその顔は優しそうなのにな、と見上げながら思案する。


「どうすれば祭司長様にお会いできますか?」


 「駄目です」以外の言葉を言わせてやろうと質問すると、茶色の目が初めてこちらを見た。


「副祭司長様の許可が必要ですが、今は無駄な回復魔導を使用した為に祭司長様はお倒れになられました。貴女が会うことは許されないでしょう」


 やっと「駄目です」以外の言葉を聞けたかと思ったら嫌味を言われて項垂れる。仕方なく1人で部屋を出ようとすると「お戻り下さい」と二人がかりで廊下を塞がれた。


「この程度で諦めると思うなよ」


 部屋に戻りどうにかならないかとルーフェリアの記憶を掘り返す。彼女は過去の出来事をある程度鮮明に憶えていて、自分の頭と出来が違うのだ。


「ここから……こう行って、左に曲がって階段を上がって……」


 何度か行ったことのある祭司長の部屋を思い出すと、意外と近いことが判明した。

 今いる建物は上から見るとカタカナのヨの字に似ている。真ん中の横線が半分ほどしかなく、開いている部分は中庭になっていて木が茂っていた。ルーフェリアの部屋が下の横線の中庭側にあるとしたら、祭司長の部屋は短い真ん中の線の上側にある。

 声が届かない距離じゃない。

 身体能力的に部屋を抜け出すことも出来るようだが、これ以上無茶を続けると地下に監禁されかねない。彼らにとってルーフェリアは『生きている』だけでいいのだから。

 中庭側の窓を開けると柔らかな風が吹き込む。薄い水色のワンピースが風に揺れ、下ろされたままの髪が頬をくすぐった。「女は度胸」と小さく呟いて外へと声を張り上げる。


「祭司長様!回復魔導、ありがとうございました!お見舞いに伺いたかったのですが、駄目だと言われたので、ここから失礼します!お大事にして下さい!」


 ルーフェリアの声は良く通り、人を引きつける魅力がある。それは大声であっても変わらないようだ。

 届いたかな?

 しばらく反応を伺うと廊下に人の気配。私にでも判るのだからその人物はたいそう怒っているのかも知れないと窓を閉めると、案の定、紅い目に氷点下の冷たさを湛えて副祭司長のドゥーイが入ってきた。


「どういうつもりですか」


 見目麗しい青年が本気で怒ると本当に怖い。意味もなくごめんなさいと謝罪したくなるが、負けるわけにはいかない。毅然と顔を上げ彼の怒りを真っ向から受け止めた。


「先程叫んだ通りですが?」


 見舞いたかったのに駄目だと言われたから、ここから叫んだと言ったはず。聞こえなかったのだろうかと首を傾げると、忌々しげな視線に晒された。


「……祭司長様がお呼びです」


 おっしゃ!思わずガッツポーズをしそうになって跳ねる身体に力を入れると、水のように流れる美しい銀髪の後についていく。もちろん部屋を出た後には護衛の騎士も付いてきた。

 記憶の通りに廊下を曲がり、案内された先は覚えのある扉。この建物の中で一番身分の高い人物がいる重要区画。


「失礼します。聖女ルーフェリアをお連れしました」


 いつも聞く声は嘘なんじゃないかと思えるほど穏やかなドゥーイの声に目を丸くしながら、白と紺で統一された落ち着いた室内へと足を踏み入れる。以前に通された執務室の隣りに位置するその部屋は祭司長の私室であるらしく、ベッドと簡易応接セット、机などの家具が置かれていた。

 そして二つの窓の間に置かれたベッドに横たわる高齢の人物が目に入る。


「祭司長様……」


 その姿はルーフェリアの記憶にあるものと相違はない。短く整えられた白い髪と海の底のように穏やかな青い目、顔に刻まれた皺は老いを感じさせるものの、その肌は驚くほど健康的だ。

 ただ記憶にある覇気が感じられない。老いてなお精力的に活動されていた方が、力無くベッドへと横たわっている姿が痛々しく見えた。

 フラフラと近づくと警戒するように銀の麗人が立ちはだかった。


「ルーフェリア、こちらへ」


 自分に向けられるピリピリとした緊張とはかけ離れた落ち着いた声に、小さく舌打ちしたドゥーイが道を譲る。恐る恐る近付くと祭司長は柔らかく微笑んだ。


「お見舞いの言葉、感謝いたします。私よりも貴女の体調はいかがですか?」


 先程の大声を見舞いと感謝して、こちらの体調を気遣う祭司長に慌てて頭を下げる。


「私はもう平気です。それよりも体調不良は私のせいだと聞きました。本当に申し訳ありません」


「それは良かった。ところで私の体調不良が貴女の責任だと誰が貴女に言ったのですか?」


 謝罪の言葉に穏やかだった青い目の雰囲気がガラリと変わる。思わず一歩引きそうになりながら、言ってはいけなかったのだろうかと狼狽えていると、祭司長は再び身に纏う空気を軟化させて微笑んだ。


「私が寝込んでいるのは貴女の責任ではありません。貴女に癒しの魔導を掛けた後、執務から逃げだそうとしてドゥーイに取り押さえられた時に腰を捻りましてな。その為に安静にしておるのですよ」


 ……それはつまり自業自得というやつで。そして原因は私じゃなくて、後ろで不機嫌そうに目を細めているであろう副祭司長その人。それに関して護衛騎士に嫌味も言われたし、それを理由にお見舞いも断られていたのだから、本当は謝罪を要求したい!けれど。


「今までの私の態度が態度でしたから、誤解されるのも仕方のないことだと思います」


 諦めと共に特大のため息を吐くと、祭司長が小さく手を振った。


「2人きりにしてもらえるか」


「しかし!」


「人払いを」


 反論するドゥーイに有無を言わせず指示を出す祭司長。護衛の騎士もまるで私が危害を加えるのではないかと警戒するように鋭い視線を飛ばしてくる。


「部屋の外で待機しております。何かありましたらすぐにお呼び下さい」


 一礼して部屋を出る副祭司長に続いて不満そうな護衛騎士も退室してから、祭司長はベッドの上を叩いて私を呼んだ。


「立ちっぱなしは疲れるだろう?」


 そう言って片目を瞑るお茶目さに思わず笑いを零すと、応接セットの1人掛け用ソファをベッド脇へと運んでくる。


「腰が痛いならベッドが揺れるだけでもお辛いでしょう。これでも良いですか?」


 相手の気遣いを遠慮なく受け取ってイスに座ると、それまでの穏やかな雰囲気から一変して祭司長の空気を身に纏った男性が、齢を重ねた眼差しで対峙してきた。


「初めまして、と申しましょう。異世界の聖女」


 言い当てられて、けれど驚きはしない。会った時から感じていた。この老人は私の事を知っている、と。


「初めまして。こちらの世界の創世者に請われて、2年間だけお邪魔させていただきます」


「それと謝罪を。ルーフェリアを取り巻く環境は決して良いものとは言えない」


「ええ、そのようですね。そのことでお願いがあって参りました」


 祭司長の謝罪を当然のように受け入れて本題に入る。


「神泉の聖女は魔力の泉を湧かせる存在で、世界を支える十本の柱の一つ。現在の柱が6本しかない現状で、これ以上欠けさせる訳にはいかないという事は理解しています」


 ルーフェリアに詰め込まれた知識の確認に横になっている祭司長は肯いて肯定する。


「まして今は『蝕』の時期。魔物の活動が活発で、魔力の泉が減ることは人にとって大きな痛手となる。だからこそ神泉の聖女が大事なのは判るのですが」


 一度言葉を切って訴える。


「籠の鳥扱いでは本物のルーフェリアが戻ってきても、再び今回のような事態に陥るでしょう。それに残念ながら私はあちらの世界で普通の主婦として生きてきました。彼女のように傍若無人に振る舞い生活するのは大変苦痛です。誤魔化したつもりなのですが、すでにドゥーイ様やラザフォード様に私の態度がおかしいと言われてしまっています」


「確かに。今までのルーフェリアにあるまじき素直な態度でしたな」


 どこか楽しそうにこちらを見る祭司長は何かを見極めるように視線を逸らすことはなく、私もまた、聞き入れて欲しくて真剣さを言葉に乗せた。


「ですから、祭司長様から今回の事故で私がおかしくなったと言って欲しいのです」


 真剣さの割に突飛もない言葉を発すると、青い目が驚きに見開かれる。


「もちろん、そのままではどこかに閉じこめられてお終いでしょう。ですから、以前読んだことのある本の主人公になりきっていると思われたいんです」


「頭を打って、自分を本の主人公だと思っていると?」


「はい。記憶喪失も考えたのですが、すでにいろいろと会話をしてしまっているので手遅れな状況です。今までの知識があって、けれど別人格なら違和感も納得されやすいと思いました」


 私の頭ではこの設定を思いつくのが精一杯だった。これ以上良い手があればもちろん乗り換える気ではいるが。

 祭司長はしばらく考え込むと小さく肯く。


「常識のある人間ならばルーフェリアの真似をしろと言っても無理がある。『これ』が貴女にとって一番負担の少ない方法であり、突飛な行動を取っていた彼女だからこそ、納得されやすい理由でもありますな」


 神殿の最高責任者が容認すれば話は運びやすい。聖女は死んだわけでもないし、病気でもない。生きているだけでいいのなら、今回の出来事の反応は最小限に抑えられるはずだ。


「それともう一つお願いが。私に常識を教えて下さい」


 かなり切実な訴えに祭司長は声をあげて笑いだした。


「それは……どういう……」


 こみ上げてくる笑いを納める為に苦労しながら話を続ける祭司長。笑いすぎです!と拗ねながらも言いたいことは言っておく。


「ルーフェリアの常識のなさは驚きです。成人しているのに自分の住んでいる国の通貨しらしらないなんて、虐待と一緒ですよ!大人が責任を持って教えなければならないはずの知識が彼女には欠けています!」


「いや、その通り。笑ってすまないね」


 腰の痛みを堪えながらようやく笑いを納めた祭司長が再び思案顔で見上げてきた。


「ルーフェリアが常識という言葉を口にするとは……長生きはするものだな。さて、その常識なのだが平民のものか?それとも貴族のものか?」


 問われて答えに詰まる。

 ルーフェリアの元の身分は平民だ。この国の小さな村の農家の出。だが聖女である以上、王侯貴族との付き合いは避けられない。現に実質的に自分を管轄している副祭司長は公爵家の四男で、何かとマナーに煩いのも知っていた。守護騎士のラザフォード様を始めとして、恐らく護衛騎士の中にも貴族はいるだろう。


「聖女って死ぬまで聖女なのですか?」


 知識にないので聞いてみると「そうだ」と肯定が返ってくる。


「それなら両方教えて下さい」


 言いながら子供の夏休みの宿題を手伝う親の気分を味わう。ちゃんとやっておかないから後で苦労するのよ!と言いたいけれど、肝心の叱るべき相手はここにはいないのだ。


「判った。私の推薦する人物を紹介しよう。ただし条件がある」


 祭司長の不思議な条件に肯いてから、この歳で常識を勉強することになるとは……と頭を抱える。憶えられるだろうかと不安を抱えつつも、第1段階はクリアしたと私は部屋を後にした。

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