目覚めと頭痛
暗闇から意識が浮上する。
創世の『美』青年と会ったことも夢であったようにも感じるが……自身の中にある見知らぬ記憶に、本当に引き受けてしまったのだと覚悟を決めて目を開けると、柔らかな銀髪が目に入った。
「目覚めたか」
不機嫌で心底残念そうな声音に、いつもの事だと思う自分がいて可笑しくなった。
これは私の記憶じゃない。この身体の持ち主のものだ。
「このまま死んでくれても構わなかったのにな。お前の浪費する支出が減って、この国の為になっただろう」
辛辣な言葉で毒突く青年を見上げると、深紅の目を不愉快そうに歪ませた女性と見紛う程の綺麗な顔があった。
「副祭司長……ドゥーイ・エレ……様」
記憶では遠慮なくドゥーイと呼び捨てていたが、呼ばれるたびにきつくなっていく視線も一緒に思い出して、最後に敬称を付けてしまった。決して相手の鮮烈な美貌に屈したわけでも、身に纏う神々しさに畏怖を憶えたからじゃない。……違うはずだ。
「……本当に頭を打ったらしい。自分より身分が上なのは創世神以外いないと不遜な態度を取っていたお前に様付けされるとは……」
蔑むような視線に縮こまりつつ部屋を見回すと、覚えのある自室ではないようだ。だが、たたそれだけで彼は忌々しそうに背を向ける。
「何を思って3階から飛び降りたのかは知らないが、死にたいのならもっと確実な手段を取れ。祭司長が自ら回復術を掛けなければ、誰もお前を治しはしなかった」
そう言い捨てて部屋を出ていくドゥーイを黙って見送り、自分の手を広げて見つめる。白く細く、まるで労働などしたことのないお姫様のような華奢な手。
私は知っている。この身体は本当にただ一度たりとも働いたことがないのだ。ただ存在するだけで、生きているだけで良いのだから。
彼女の名前はルーフェリア。神泉の聖女と呼ばれる神の力の代行者。芸術の粋を集めたような金糸の髪とルビーとサファイアの色を持つオッドアイを身に纏った18歳の美少女。適度な大きさの胸と細くくびれたウエスト、小ぶりだが弾力のあるお尻とスラッと長くて細い足は人とは思えないほど整っていて。
存在するだけで魔力の泉を沸かせる彼女は、周囲の人々から徹底的に嫌われていた。
頭痛い。
無表情の侍女に案内されて病室から自分の部屋へと戻ったルーフェリアを待っていたのは、けたたましい騒音だった。
いや、正確には見舞客の男性が5人。それぞれ抱えるような花束や煌びやかな装飾品を持って、こちらの体調などお構いなしに自分がどれだけ心配していたかと挙げ連ねている。誰も彼もがお互いを出し抜こうとするあまり、肝心のルーフェリアの言葉など全く聞こうとはしていない。
コレが彼女の友達だ。
彼女にとって耳に心地良い事ばかりを言う者達を集めた結果、打算と欲にまみれた者達だけが周りに残ることになってしまった。
まるで格安価格、超優良物件と言われて買ったのは良いけれど、本当はその部屋で人が殺されていましたと後で知った気分だわ……と、創世者への恨み言を脳内で挙げ連ねながら、どうにかしてこの連中を追い出そうと苦心する。
「あの……気分が良くないので」
「ああ!では私がさすって差し上げましょう」
「いえいえ、私がベッドまでお運びしますよ」
「可哀想なルーフェリア!僕が代わってあげられたらいいのに!」
「それよりも我が家の別荘で療養するのはどうです?」
「俺が温めてやるよ。2人っきりでな」
一言洩らせば5つ返ってきて、その5つにそれぞれ反論が5回と終わりが見えない言い合いが続く。その様子を聖女ルーフェリアは「自分を取り合っているのだ」と優越感を持って見ていた記憶に目眩がした。
これは媚びへつらっているだけだ。決してルーフェリアを想って言っている訳じゃない。
「出ていって下さい」
沸々とわき上がる怒りを腹の奥底に押し止めてオッドアイを光らせながら低く呟くと、さすがに部屋の主の不機嫌を感じとったのだろう、彼らにとって都合の良い言い訳と理由を挙げながら5人の男達は部屋をそそくさと出ていく。
頭痛い。この短時間で変な頭痛持ちになりそうだ。
自分に会いに来る可能性がある人間はあと少しいる。聖女ルーフェリアの世界はかなり狭いのを知っているから。……いや、狭いと『判って』しまったから。
華美な装飾と何度も張り替えられたであろう真っ白なソファに、思いの外緊張していた身体を沈めながら目を瞑る。
ルーフェリアは自分たちの髪や瞳の色とは似ても似つかない色を持って生まれたという理由で親に捨てられた。物心つく頃には『聖女』として神殿に預けられ、『聖女』として扱われ敬われる。14歳までを地方の神殿で過ごしたのは、そこの神殿長が自分の野心の為に本神殿から彼女の存在を隠していたからだ。自分と一部の取り巻きにだけ懐くように教育を施し、聖女として自分がいかに世界にとって大切であるかだけは教えられたが、人として大切なことは何も教えて貰えなかった。
部下である祭司の内部告発でルーフェリアの存在を初めて知った本神殿が急いで彼女を引き取ったが、彼女の歪んだ性格はもう手の施しようがなかったようだ。
思い出しても腹が立つ。主に周りの大人の言動に。
私だって子供を持つ母親だ。子供が間違ったことをしたら教えるのが大人の義務であることを知っている。だと言うのに彼女には親身になって怒られたという記憶が少なかった。地方神殿ではもとより、本神殿に移ってからも。彼女の周りにはその立場故に優秀な人間が集められたようだが、それらは歳若い者が多く、子育てに関しては素人ばかりだったのだ。あの麗しの副祭司長ですら怒らずに嫌味を言っているのだから。嫌味を言われて自分を矯正出来る人間など大人でも皆無だろう。
本神殿に移った当初は彼女のために怒ってくれた人達もいた。侍女のマーサや護衛のロベルトはある程度歳も取っていたので心配してくれたのだが……先程の男達のようにルーフェリアに取り入ろうとした貴族の甘言に乗せられて彼女自身がクビにしてしまっていた。
今や叱ってくれる人間で唯一残っているのは祭司長のみだ。彼はその地位の高さから簡単に排除というわけにはいかなかったらしい。
「祭司長様に協力を仰げるかなぁ」
こちらの世界へ来てこの身体に入って理解した。ルーフェリアの魂が消耗した訳。
偏った知識と聖女という身分、人として愛情を注がれなかった歪みがストレスになっていたのだろう。
記憶では彼女は常に怒っていた。何があっても全て他人のせい。自分の意見は通って当たり前で、通らないなど我慢ならない。皆が自分を中心に回り、自分の気に入らない者など世界から弾かれて当然だと思っていた。
そんな態度でいれば良識のある者達は徐々に離れていく。護衛などでやむを得ず傍にいる場合でも無視と無関心を貫き通し、侮蔑と蔑みの視線を遠慮なく向けられた。それらが歪みの増大に拍車をかけるとも知らずに。
ゴンゴン。
やや乱暴にドアが叩かれた。これまで何度も行われてきたやり取りを思い出して泣きそうになりながら入室の許可を出す。
「どうぞ」
ドアを開けて入ってきたのは燃えるような赤い髪を持つ美丈夫。身長は今まで会った人の中で一番高く、白い胸当てと腰に剣を帯びていた。翡翠の目は切れそうに冷ややかで、迷惑だという雰囲気をその精悍な顔に隠しもせずに浮かばせている。
さっきのドゥーイといい彼といい、なぜこんなに美形なのか。10人に聞けば9人が肯定するだろう美貌の持ち主に、こうも続けて睨まれるとなんだか癖になってくるような……いけない、いけない。私にそっちの趣味はないはずだ。
何かが目覚めそうな気配に身震いして頭を振ると、彼の他に同じような身なりの騎士が2人、控えるように入室してくる。
彼らにも見覚えがある。ルーフェリアが窓から落ちた時にドアの外で護衛をしてくれていた人達だ。『彼女』が気にもかけなかったせいで名前は判らないが。
「お久しぶりです。ラザフォード様」
なるべく違和感を持たれないように、それでも失礼に当たらないように気を付けながら挨拶する。
「本当に頭を打ったんだな。気味が悪い」
強いエメラルドの視線を浴びながら曖昧に微笑んでいると、護衛対象に関わらず暴言を吐いてきた。
ええ、貴方に暴言を吐かれるような事をルーフェリアはしておりますしね。その気持ちも判るので言い返したりしませんよ、ルーフィス・フィル・ラザフォード様。
ドゥーイよりも更に背の高い彼を見上げながら、彼を『手に入れよう』と画策したルーフェリアの悪事を思い出してため息を吐く。あまりの稚拙さに頭が痛くなるが、それは今まで取った数多の無礼の中のほんの一部に過ぎない。
「お前を守れなかったコイツらの処遇を聞きに来た」
そしていかにも不本意を声に滲ませて問うてくるラザフォードの言葉に頭を抱えたくなった。
ルーフェリアは過去2度にわたって自殺未遂のようなものを起こし、護衛の人間に処罰を与えていたのだ。怪我そのものは大したことがない。はっきり言えばかすり傷だ。しかも護衛を自室に入れないのに、その自室内で怪我をするのだから護衛の責任ではないような気がするのだが、自分以外に全ての責任があると思っている彼女は、さも当然のように護衛の処罰を要求したのだった。
それでわざわざ伺いに来たわけか。守護騎士でありながら顔を見るのは2週間ぶりのラザフォード様。
どんな理由があろうとも職務怠慢だと皮肉りながら3人を見つめる。前回は鞭打ちだったか。だが彼らに責はない。不審がられないように祈りながら、自分の気持ちを正直に口にする。
「私から言うことは何もありません。今回の出来事は完全に私の不注意です。後はお任せいたします」
彼らにしても私の護衛などしたくはないだろうし、お咎めなしでは護衛を外れることも出来ない。罰という形でそちらの良いように計らってくれることを期待すると、ラザフォードの視線がますますきつくなった。
「それは……前回よりも重い罰を科せということか?」
怒気を含んだ低い声にビクつきながら、若い男に負けてたまるか!と顔を上げて言葉を重ねる。
「今回の出来事は私の不注意です、と申し上げたはずです。後はお任せしたのです、ラザフォード様」
今までの言動が悪すぎて信じてもらえないのは判っているから、言質を取れ!と発破をかけた。不干渉をこちらが口に出したのだから、そちらがどんな処罰を下そうとも文句を言う権利はないはずだと。
「お前・・・」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。お役目、ご苦労様でした」
にっこり笑って退室を促すと、驚きで見開かれたエメラルドの目を無視して寝室へと逃げ込んだ。