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神泉の聖女  作者: サトム
19/25

清浄魔導とセリル

「派手にやられたね~。だけど君の対処法は完璧だったよ」


 さりげなくウエストに手を回し、従って身体を密着させながら緑の青年騎士サレイユのエスコートで騎士棟へとむかう。歩む速度はルーフェリアに合わせ、それでも幾分急がせているようにも感じた。


「あの、サレイユ様。一つお伺いしても宜しいでしょうか?」


 一連の出来事を見ていたらしい彼なら判るかもしれないと、歩みを止めぬまま口を開く。


「私が嫌がらせを受けたのはヴァルター様の付き人になったからですか?」


「そうだけど……それがどうかした?」


 チラリと寄こされる翡翠の目に、聖女だとばれたわけではないと胸の内で安堵する。


「いえ。ただ城の人のヴァルター様を見る目が気になって」


 普段は物静かで穏やかな青年だ。物騒な剣を常に身に付けているが、それは他の騎士も同様で、この世界で敬遠される理由にはならない。それなのに騎士以外の人々のヴァルターを見る目がなんとなく想像と違ったのだ。

 美形で独身、貴族の身分を持ち、三男という出生は元の世界なら言うことなし。戦争を有利に導いた英雄としての名声もあれば、女性達が群がってもおかしくはない。もっと熱視線が注がれ、彼の姿を見て黄色い声を上げる女性が群がるのが普通のはずだ。だが実際にここでのヴァルターは遠回しな羨望と憧れ、微かな恐怖に満ちた視線に晒されている気がした。

 ヴェルドから借りた布を見つめながらポツリと呟いたルーフェリアの隣で、エスコートしていたサレイユの足が止まる。


「君はここ一年の隊長の話を聞いていないのか?」


「……母が亡くなって立て込んでいましたので」


 アステルによく似た探るような視線で見下ろされながら、嘘の言葉に胸が痛む。微かに切れ長の翡翠の目を見開いたサレイユは済まなそうに頭を掻いた。


「あ~……隊長が戦場に出ていたのは知ってるかな?」


「はい。国境戦に二年間出ていたとお聞きしました。その間に班長から隊長にまで昇格され、劣勢だった戦況を持ち直したと」


 この話はヴァルター本人から聞いている。向き合って当たりだと肯いた緑の騎士が、気配を揺らして視線を逸らした。


「俺達が国境戦に配備された時、あそこは酷い状況でね。綺麗事を言えるような状況じゃなかった。とにかく生き残るのに必死で、騎士道精神なんて発揮している場合じゃなかったんだよ」


 話をしながら目を細めるサレイユはヴァルターと同じ、どこか危うい静かさを感じさせる。掛ける言葉が見付からないまま肯くルーフェリアに、彼は自嘲ぎみの笑みを浮かべた。


「そんな戦いの最中にのんきに見学に来た白騎士がいて、そいつが仲間を助けるために返り血を浴び満身創痍の隊長を見て言ったのさ。『騎士にあるまじき戦いだ』と」


 そこまで話を聞けば後は容易に想像できる。


「その白騎士は劣勢の状況を城に伝え、隊長の戦いを大袈裟に流布して名指しで非難した。『貴族を名乗らせる事など出来ない極悪非道な人間だ』とね。要は当主を重用されているディルグレイス男爵家を貶めるために流された噂だったワケだ。貴族って面倒な生き物だよね~」


 そう言って笑った青年は小窓から空を見上げた。


「賢王であらせられるエルファランド国王陛下はまったく取り合わなかったけど、使用人や白騎士達は信じちゃったんだ。だから隊長は微妙な視線に晒されているワケ」


 最後は快活な雰囲気で明るく締めくくったサレイユだが、難しい顔をして考え込んでいるルーフェリアを見て「あともう一つ」と笑いながら人差し指を立てる。


「だけど今回、君が水を掛けられたのはコレとは関係ないよ。そんな噂を払拭するくらい隊長はいい男だろ? 甘い物好きは知られていないからね。『凛々しくて強く、礼儀正しいディルグレイス様~』と貴族の子女の間で人気急上昇中なのさ」


 ウィンクをしてシリアスな雰囲気をぶち壊し、茶目っ気たっぷりに笑うサレイユを唖然と見上げながら、花瓶の水を掛けられたのはやはりヴァルターが原因だと再認識した。


「良かったです。下手な対応でヴァルター様にご迷惑をお掛けするわけにはいきませんから」


 黙ってやられっぱなしではヴァルターの評判を落とし、だからと言って手酷く言い返せば、それもヴァルターの評判を落とす。再び歩き出しながらギリギリの対応が出来たと安堵しているとサレイユも肯いた。


「君に隊長の評判の理由を話したのは彼の足を引っ張って欲しくなかったから。知らなかったと言い訳できるほど、ここは緩い場所じゃないからね」


 こちらの言動一つでヴァルターの評判に傷が付き、それが第三隊にも影響すると危惧する彼に、しっかり頭の中に注意事項と書き込みながらルーフェリアはサレイユを見上げる。


「これからも充分気を付けます。ありがとうございました」


「どうしたしまして~」


「話は終わったか?」


 歩きながら話し終えると同時に背後から声が掛けられた。


「え?」


「終わったよ~。もしかして服と髪を乾かしに来てくれたのかな?」


 驚いて振り向くルーフェリアとにこやかな微笑みのまま歩みを止めるサレイユ。二人に声を掛けたのは先程分かれたはずのヴェルドだった。


「ああ。布を貸すより魔導で汚れを落とした方が早いと思って」


「君は凄腕の魔導師だというのに、たまに抜けてるところがあるよな」


 もっと早くに気が付こうよ~と朗らかに笑うサレイユに、あきらかに不機嫌そうなヴェルドが鋭い視線を向ける。


「お前が余計なことを言ってさっさと立ち去ったのが悪い」


 手をかざして魔導を紡ぎながら反論したこの騎士団でも二人しかいない魔族の青年が、手慣れた様子でルーフェリアの肩に触れた途端。

 ブワリと空気が動き、ルーフェリアのみならず周囲の廊下や壁、庭の萎れかけていた花までもが綺麗になったり蘇ったりした。


「……ヴェルド。何をしたんだ?」


「清浄の魔導を彼女にかけただけだ」


 眉をひそめる二人の間で、訳が分からないまま営業スマイルを浮かべる。本来、清浄の魔法は対象物を綺麗にする魔導であり、その効率の悪さから範囲を指定して掃除に使うようなものではない。もちろん城には清浄魔導を専門に扱う使用人達もいるが、あくまで王族の衣装や装飾品に使用するものであり、清掃などは人の手によって行われているのが現状だ。だから今回の現象が魔導と相性のいい聖女だからこそなのか、魔族というのはここまで強い能力を持った種族なのかの判断がルーフェリアにはつかなかったのだが。

 なぜか間の抜けた沈黙の後、それでも匂いも水分もしっかり取れた服を確認して何食わぬ顔で感謝を口にする。


「綺麗にして下さってありがとうございます。これからは充分に気を付けますね」


「……ああ」


 やはりどこか納得できないように自身の手を見つめるヴェルドが曖昧な返事を返すと、班長二人から一歩離れた。


「お仕事中にありがとうございました。それでは失礼します」


 三十六計、逃げるが勝ち……である。未だ周囲を見回している青年二人をそこに置いて、ルーフェリアは借りた布を返し忘れたー!と心の中で叫びながらその場を後にした。








「遅い」


 執務室に入るなりアステルの鋭い声が飛んできて、機嫌の悪そうな彼に更なる不機嫌情報を報告するべく、ルーフェリアはおずおずと机に近付いた。


「あの……アステル様。一応ご報告というか、お話ししたいことが」


「なんだ」


 書類から視線を上げずに聞いてきた青年に先程の不可解な現象を説明する。流麗にペンを走らせていた彼は聞き終えると同時に細い翡翠の目を向けてきた。


「それで? お前はどうした」


「え~と、何も気付かぬふりをして笑ったまま、お礼を言って帰ってきました」


 対応が及第点だったのだろう。それに関しては注意を受けることもなくアステルはペンを持った右手で自身の顎を撫でる。


「判った。何か言われたら知らないふりをして俺に報告すること。後はこちらで対応する」


「お手数をお掛けしてすみません。よろしくお願いします」


 丁寧にお辞儀をすると、お茶を淹れるべく別室に向かう。今日、ヴァルターは王城に呼ばれていて夕方までは戻らず、付き人として日の浅いルーフェリアはアステルと共に留守番を言いつけられていた。

 リラックス効果のある花茶をアステルに渡し、代わりに各部署へと届ける書類を受け取って仕事を果たすべく部屋を出る直前、眼前で勢い良くドアが開く。


「おい! 隊長の付き人はいるか!」


 見上げるほどに高い位置から呼ばれ、ルーフェリアは慌てて後ずさる。ドアを開けたのは灰豹の獣人である班長ユーザ。丸い耳としなやかな尻尾を持つ彼は、黒のシャツに制服のズボンを身につけた姿で微かに息を切らしながらこちらを見下ろすと、有無を言わせず肩に担ぎ上げた。


「え? あの?!」


「すまん! 借りてくぞ!」


「ユーザ! 一体何・・・」


 止めるアステルの言葉も空しく、ぐるりと回った世界と煙草の匂いが微かに漂う。逞しい肩に圧迫される腹部を庇うために、ユーザの背中に両手を着いて上半身を自力で起こした。

 彼は走っていないものの長い足で急ぐ様子に何事があったのかと不安になる。それでもバランスを取るように揺れる尻尾を見つめてしまうあたり、自分は危機意識の薄い現代人なのだと頭の片隅で考えていた。


「あ、の」


「しゃべるな。舌を噛むぞ」


 無体をしているという自覚はあるらしい青年の様子に、目的地に着くまで説明を諦める。彼はヴァルターの信頼する部下だ。アステルの目の前で拉致同然に連れ去ったのだから、余程重要な用事があるのだろう。

 自分を連れて行って一体何が出来るかは判らないが。

 やがて訓練場に出ると角に人集りが出来ていた。ユーザの足は迷うことなくそこに向かい、ざわめく人々を掻き分けて訓練場の塀の前にゆっくりと下ろされる。


「無理に連れてきて済まない。だが、頼みがある」


 煙草を嗜んでいるが故に少しハスキーな声でユーザは懇願した。


「この塀の上にいるセリルを助けてくれないか。俺達が助けようとしたんだが、怖がらせたらしく隅で震えてるんだ。この塀の外は壕だし、今日に限ってカレがいなくて」


 ユーザが逸る気持ちを抑えて説明してくれるが……残念ながら明確に理解することが出来なかった。ルーフェリアの意識は、まず『セリル』とはなんぞやから始まっているのだから。

 だが、とにかく何かを助けて欲しいという事だけは判る。これだけ強面ででかい集団に囲まれたら大概の生き物は逃げ出すだろうなぁと見回しつつ、けれど心底心配そうな騎士達の様子に口に出さずに肯いた。

 角から三メートルほど離れた場所から様子を窺うために膝をユーザに持ち上げてもらうと、目に入ったのは足が六本の白い長毛種の子猫だった。大きさは両手に乗るくらいで、不安そうに見開かれた目は金。一メートル程の厚さの塀の角でお尻を半分外に落としながら、丸まってプルプル震える光景にルーフェリアは衝撃を受ける。大声を出さなかった自分を褒めて欲しいと心底思った。

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