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神泉の聖女  作者: サトム
18/25

労働の対価とヴェルド班長

 学生時代は飲食店でアルバイトをしていたので、仕事を理解するのは容易かった。最初は戸惑った酒の銘柄も持ち前の記憶力の良さでなんとか乗り切り、そつなく仕事をこなしていく。品物と引き替えに代金を頂くので客が帰ったことに気が付かないということもあったが、給仕サービスへのチップがあったり、気安く話しかけられたりと楽しく働くことが出来た。

 ヴァルターの説明通り、非番の人間が多いらしく深酒をするような客はいない。カウンターからギルベルトに睨まれていればそうそう諍いを起こす人間はいないだろうし、世間の常識に疎いルーフェリアを働かせるにはうってつけの職場でもあった。


「いらっしゃいませ」


 閉店まで残り30分というところで騎士の一団が入ってくる。私服の彼等は上質そうな服を身につけて全員が帯剣しているのだが、その中の一人に見覚えがあった。相手もこちらを認識すると途端に嫌そうに顔を顰める。


「あれ? マスター、アイリちゃんは?」


「怪我で休みだ」


 気まずさに視線を逸らしている間にギルベルトに気軽に声を掛けていた騎士達はテーブルへと歩みを進めていた。一人残る形になった見知った騎士が慌てて仲間にむかって声を掛ける。


「すまない。やっぱり気分悪いから帰るな」


 そう言って片手を挨拶代わりに上げると返事も聞かずに店を出て行ってしまう。突然の態度の豹変に驚いていた騎士達だったが、あまり深く考えることはせずに注文を始めた。


「すみません。先程の騎士様は私がいたから帰ってしまわれたんだと思います」


 注文をマスターに届けながら謝罪すると、ギルベルトはカウンターの中で酒を注ぎながら青い目をチラリと入り口へと向ける。


「気にするな。元々白騎士の連中がここに来ることの方が稀なんだ。たまたまお前を知っている人間が初日に来ただけなんだからな」


 そう。先程の彼はルーフェリアを知っていた。前々回の自殺未遂の時に罰を受けた護衛の白騎士だったのだ。信用の置ける者にだけ与えられていた任務だと聞いているが、プライベートにまで顔を突き合わせるのは嫌だったのだろう。当たり前なのだがルーフェリアの悪い行いのツケはどこまでも付きまとう。

 救いなのは悪い行いを知っていてなお雇ってくれたギルベルトの存在だ。恐らくだが彼がここで雇わなければ働くことは出来なかった。ヴァルターの付き人は酒場で働くついでに頼まれた仕事だったのだから。


「はい。ありがとうございます」


「どうかしたのか?」


 お礼直後に背中からかけられた声にビクリと肩を揺らして驚く。その声がすぐにヴァルターのものだと判っても一度高鳴った動悸が収まることはなく、振り返ると黒紫の髪を持つ青年騎士が不思議そうに見下ろしていた。


「いらっしゃいませ、ヴァルター様」


 仕事、仕事と頭の中で唱えながら営業スマイルを浮かべると、彼は説明を求めるように視線をギルベルトへと移す。カウンター内の彼はグラスを拭きながら小さな声で一言呟いた。


「護衛騎士が来た」


 その一言で理解したらしい彼はそのままカウンターに座り、ルーフェリアは客の帰ったテーブルからグラスと皿を下げながら再び働き始めた。カウンターの客は注文を直接マスターにするので働く方としては楽なのだが、マスターの元の身分のせいかなかなか席が埋まることはない。今入ってきた男性もカウンターではなく空いたばかりのテーブルに腰を下ろしている。

 しばらく仕事に集中していたルーフェリアだったが、フッと視線を感じて辺りを見回す。客の誰かが呼んでいるのかとも思ったが、閉店間際の店内で客は自分達の話に集中しており、後は帰るだけという状態で誰もこちらを見てはいなかった。


「ルーフェリア。外の看板を外してくれないか」


 間もなく閉店の時間なのだろう。看板を外して店の中に片付けると、それまでゆっくりと飲んでいた客達が帰り支度を始める。


「ありがとうございました」


 テーブルを片付けながら帰る客にお礼の挨拶をしていると、先程の白騎士の一団から金髪の男性が一人、すぐ傍までやってきた。


「君、これで仕事上がりだろ? 家まで送ってあげるよ」


 男性にしては柔らかな声で誘われ、やはり来たかとにっこり笑って見上げる。ルーフェリアは美少女だ。ナンパ対策はアステルからみっちり仕込まれていた。


「ありがとうございます、白騎士様。ですがこれから後片付けと帳簿付けがありますのですぐに帰ることは出来ません。お気持ちだけいただきますね」


 格上の相手には丁寧にへりくだりつつ、理由を付けてきっぱり断る。その際は「また今度」などと相手に近寄らせる隙は与えないこと。神殿に帰るためにも帰宅時間を明確にしてはならないと眉間にしわを寄せながら従兄弟殿が言っていた。


「大丈夫。俺は待てるよ」


 それでもしつこい輩には……


「すまないが、今日は私が送ることになっている」


 カウンターでマスターと話をしていたはずのヴァルターが背後から合流してきた。ギルベルト様が助けて下さるはずじゃ?と慌てて視線を向けると、彼はヒゲを撫でながら苦笑するのみ。止める間もなかったのかも知れない。

 一瞬不機嫌そうな感情が目の前の青年騎士に宿るも、背後にいた仲間から小声でディルグレイスの名が出た途端、表情を取り繕って引き下がった。


「それでは心配ないね。では、俺はこれで失礼するよ」


 酒を飲んだというのに若干顔を青くした青年達が店から出ると、ヴァルターはルーフェリアの頭をポンポンと軽く叩いてカウンターへと戻っていく。


「ふむ。酔っぱらい相手にまずまずのあしらい方だったな」


「アステル様に指導されましたから」


 ギルベルトにお褒めの言葉をもらいつつ、皿とグラスをすべて下げ、テーブルを拭いて各テーブルに置かれたランプを消していく。床は資材の搬入時に若い人がしてくれるらしく、簡単に室内の掃除を済ませると預かったポーチをカウンターに置いて中身を取り出し勘定を合わせ始めた。


「チップは取っておけ」


 ギルベルトがグラスを磨きながら告げてきて、初めて労働の対価として稼いだそれを少額ながらそっと握りしめる。それは初めてバイト代を貰った時のような、自分の足で歩き始めた印のような誇らしい気持ちに似ていて。

 これは多分ルーフェリアの気持ちだ。

 何も知らなかった彼女が初めて感じた自分の行動に伴った感情に思わずにやけてしまった。まるで自分の娘が少しだけ大人になったような、それを目撃したような穏やかな気持ち。

 そんなどこにでもある、なんの変哲もない硬貨を宝物のように見つめるルーフェリアを、カウンターにいた男性二人は暖かく見守っていた。








 酒場で働き始めて三日。

 ここは本当に異世界なのだとコレで実感したと言ったら、あの創世の青年はどんな顔をするだろうか。

 ポタポタと金糸の髪から青臭い雫が垂れ、周囲を歩く人々がクスクス笑いながら遠巻きにこちらを見ている。物語や漫画の中だけだと思っていた行為を受けて驚いて立ち竦んでいると、二階から楽しそうに見下ろしていた女性が笑いながら階段を下りてきた。


「あら、下に人がいると思わなかったわ」


 下女の服よりも質の良い侍女服を身に纏った女性は、茶色の髪を結い上げ、翡翠の目を鋭く輝かせて嘲笑する。背後には仲間らしい同じ制服の侍女が3人ほど付き従い、彼女たちの力関係を伺わせた。


「ですが、お陰で少しは綺麗になったのではなくて?」


「そうですわね」


「相変わらず匂いますけれど」


 そう言ってクスクスと嘲るように笑う女性達を前にして、ルーフェリアの胸中が冒頭の感想だと知ったら彼女たちはどんな顔をするだろう。明確に身分制度があるが故に、こうして公然と加害を加えるのだ。下位だが貴族の娘と平民の女では言葉の重みが違い、彼女たちが白と言えばそれが覆ることはないのだろう。

 だがここで黙ってみているほど大人しい性格ではない。やりすぎれば更なる被害を被るが、だからといって笑ってやり過ごすことは出来なかった。馬鹿にされたのは『ルーフェリア』なのだから。

 スッと顎を引いて彼女たちを見下ろすと、声に棘が入らぬよう注意しながら、周りで立ち止まっている人々に聞こえるように話し出す。


「不注意の事故なのでしたら仕方がありません。ですが、淑女を自称するなら窓から何かを投げ捨てるなどというはしない真似をするのは、およしになられた方が宜しいかと思われます」


 ご自分の品位を疑われますよ?とのアドバイスに、女性達は顔を赤くして怒りだした。公衆の面前で指摘されれば同じ事を繰り返すことは恥ずかしくて出来ないはずなのだが、加害を加えているという認識のない彼女たちの辞書に羞恥という言葉はないのかもしれない。

 突然手に持っていた花瓶を投げつけられたのには驚いた。両手で庇うも、いつまでも花瓶が当たることはなく、顔を上げるとそこには黒い影が割り込んでいた。

 身長はアステルと同じくらいだろうか。黒髪に黒騎士の制服と花瓶を持つ手は灰色に近く見える。女性達の方を向いているために顔は見えないが、細身の体躯に形容しがたい力を感じた。

 花瓶を受け止めた彼は一言も発することなくそれを彼女へと手渡すと、正面で彼を見ていた女性達は顔を青ざめさせて一目散に逃げ出したように見える。周囲で見物していた人垣もいつのまにか散り、足早に立ち去ると辺りに人気がなくなった。

 そこで初めて青年がこちらを見る。

 黒髪に惑わされがちだが、その顔は思っていた以上に幼く感じた。見た感じ18、9歳なのだが、歳に似合わぬ鋭い金の目と額に生えた小さな二本の角が彼の種族を物語る。


「ありがとうございました」


 お陰で痛い思いをしなくて済んだと頭を下げると、見た目に準じた耳に心地良い声と乾いた布が頭の上から降ってきた。


「使え」


 首元に巻いていた紫の飾り布であったそれを慌てて濡れた髪から遠ざける。


「こんな高そうな布、お借り出来ません」


「まだある」


 そう言って空中から同じ飾り布を取りだした彼を見て、無表情のマジシャンを連想したのは失礼だっただろうか。拭き終えるまで動く気のなさそうな彼を見て、ルーフェリアは遠慮することを止めることにした。確かに雫は落ちなくなったがべたつく肌を拭わせてもらえるのはありがたく、濡れたままヴァルターの執務室に行くわけにもいかなかので大変助かるのだ。


「ではお借りしますね」


 そう言って主に水を被った髪と顔、首元をようやく拭うことが出来た。


「こちらは洗ってお返しします。黒騎士様、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


 返すにしてもお礼をするにしても、名前が判らなければ届けることが出来ない。種族は判っているが種族名で探すわけにはいかないだろうしと訊ねると、青年はなぜか嫌そうにポツリと名を告げた。


「ヴェルド」


 聞き覚えのある名は、数日前、ヴァルターが簡単に紹介した班長達の中にあった。あの時はあの場にいなかったので顔を見たのは初めてだが、確か「肌が浅黒いヴェルド」と言っていたはずだ。


「第三隊のヴェルド班長ですね。ヴァルター様の付き人をさせていただいておりますルーフェリアと申します」


 改めて自己紹介すると、彼の金の目が微かに見開いた。その反応に間違えたかとヒヤリとするも、ジッとこちらを無言で見つめるヴェルドの反応では何が間違えたのか判らなかった。


「あの……ヴェルド班長ではなかったのでしょうか?」


「いや。間違ってはいないが、俺の事を知らないのか」


 重ねて問われてもここに来て日の浅い自分に判ることなど他にはなく。種族的に何か失礼なことをしてしまったのかと青くなって謝罪する。


「申し訳ありません。田舎から出てきたばかりで何も判らなくて」


 怒らせてしまったのだろうかと借りた布を握りしめると、不機嫌そうに眉を寄せたヴェルドが突然大声を上げた。


「サレイユ!」


 驚いて身体をビクつかせると柱の影で爆笑が起こり、数日前に紹介された濃緑の髪を持つ青年騎士が現れる。何が原因か判らないが目の前の男性の怒気にオロオロと視線を迷わせると、班長の一人であるサレイユはようやく笑いを納めた。


「ルーちゃん。ヴェルドは魔族なんだよ」


「はい。存じています」


「ついでにハーフなんだ」


「はぁ」


 ヴァルターの説明にもあったし、種族的特徴も勉強していたので彼が珍しい魔族であることは判っていたのだが、自分の言葉を聞いても反応の薄いルーフェリアにサレイユは首を傾げる。


「これは……」


 え? なんでしょう? なにかヘマをやらかしてしまったんでしょうかと不安になっていると、サレイユは腕を組んで呆れたようにため息を吐いた。


「魔族を怖がらないなんて、君は余程田舎から出てきたんだな」


 指摘されてようやく思い当たる。力が強大な魔族は数が少なく、人里に降りることが稀なので畏怖の対象なのだったと。花瓶を投げつけてきた侍女だけでなく見物人まで逃げ去ったのだが、それが普通の一般人の反応なのである。


「……はい」


 繕いきれない失敗は笑って誤魔化すに限る。アステルの助言通りにぎこちなくだが笑みを浮かべると、サレイユがヴェルドの肩を叩いた。


「それにコイツは怒ってる訳じゃないよ、ルーちゃん。いつもと違う反応を返されて驚いて照れてるだけだから。それよりそのカッコじゃ風邪ひくよ。早く着替えないと」


 言い当てられて怒るヴェルドから逃げるようにサレイユに腰を抱かれてエスコートされ、そのあまりに自然な動作に文句を言う間もなく建物内へと連れ込まれた。

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