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神泉の聖女  作者: サトム
10/25

出産と救出

 サブタイトル通り多少リアルな出産描写があります。ご注意下さい。

 苦痛を逃そうと母親は深呼吸を繰り返す。あまり呼吸をしすぎても過酸素状態になりかねないので、背後から支える夫に手足の痺れを確認してもらいながら内診していた手を抜いた。


「子宮口は八センチ程開いています。もうしばらくしたら赤ちゃんを産みましょうね」


 手を洗いながら陣痛の合間に話しかけると、母親もおっとりと肯く。


「誰に似たのかしらね? せっかちなのは私の父かしら」


 陣痛のない間に水を口に含むと、彼女は愛おしそうにお腹に語りかけた。


「さぁ、旦那さんもお兄ちゃんも頑張って! もうすぐ赤ちゃんと会えますよ」


 二人を励ましてから水の膜の外で自分を呼ぶドゥーイの元へと近付く。どこまで効くか判らないが、細菌などからの感染を防ぐために外に出ることはないし、彼も入って来ないと事前に話し合っていた。


「土の魔導師が建物の補強を始めてる。二階までの補強を終えたら、壁に穴を開けて救出する予定だ……どうなんだ?」


 憂いを含んだ紅い目が一組の親子を映すと、彼を安心させるように笑ってみせた。


「今のところは順調です。もう間もなく生まれますよ」


 エコーや分娩監視装置などはない。本当は順調かどうか判らない。自分の二人目の出産の時は息子の首にへその緒が巻き付いて、いきんでいる最中に心拍が低下した。急遽吸引分娩で出したので事なきを得たが、ソレが今起こっても自分たちではどうしようもないだろう。


「大丈夫だぞ! お兄ちゃんがいるからな!」


 それでも幼い声が不安を瞳に乗せながらも頼もしく励ます姿を見て、自分も準備をしなければと立ち去ろうとすると、背後の青年がいつもの凛とした声で名を呼んだ。


「ルーフェリア」


「はい?」


 珍しい。なんだろうと振り向くと、まるで初めて自分の子供が産まれる父親のように落ち着きのない副祭司長がいて。強がっていても独身男性にはきついものがあるか……と、場違いな感想を持つ。


「何かあればすぐに呼べ」


 それでも掛けられた言葉は心の支えになった。


「もちろんです。私が辛うじて彼女の出産に立ち会えるのは貴方がここにいるお陰なんですよ、ドゥーイ様」


 強がる余裕もないので正直に心情を明かせば。


「…………そうか」


 なんだかもの凄い間を空けて返事が返ってくる。ルーフェリアが嫌いなのは判るが、今くらいは嘘でも即答して欲しかったと言うのは贅沢だろうかと、少々肩を落としつつ妊婦の元へと戻っていった。








 パラパラと小石が落ちてくる。水の膜に阻まれて中まで落ちては来ないが、透明なはずの膜の天井部は小石と埃で真っ白だ。石でできた老朽化した建物の崩壊が進んでいることが判る。辛うじて保っている均衡が崩れ始めているのだろう。


「いきんで!」


 断続的に続く陣痛に母親の苦痛の声が響く。赤ちゃんの頭が見えてきて、逆子でなかったことに安堵した。それと同時に頭の中で出産、育児書を懸命に思い出す。

 胎児は身体を回転させながら産道を抜けてくるはずだ。一番大きな頭が出たら母胎をリラックスさせて身体が出てくるのを待つ……だったような。


「もっと真面目に読んでおけば良かった~」


 泣き言を言っても仕方がない。息子達を産む時は、出産への恐怖や痛みを減らすためにどのようにして胎児が出てくるかを勉強させられたのだ。それを知っていたからといってどの程度痛みが減ったのかは分からないが、妊娠初期を過ぎてもつわりに苦しんだ私には真面目に聞く余裕がなかった。


「もうすぐよ!」


 羊水と血液に濡れた頭を受け止めようと手を差し出す。順調に顔を下に向けて出てきた乳児を震える手で受け止めると、母親に身体の力を抜くように指示を出した。

 同時に室内に魔法の光ではない温かなぬくもりが差し込む。魔法で壁の一部に穴を開けて救助作業が始まったのだ。

 自然の理で乳児の身体が出てきて、床に敷いてあった厚手の布の上へとそっと下ろす。そして窓から差し入れられていた器具で鼻や口の中の羊水や異物を取り除くと、光の満ちた室内に元気のいい泣き声が響き渡った。


「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」


 そう言ってへその緒の付いたまま布ごと乳児を母親の胸に乗せれば、周囲から祝福の歓声が上がった。


「代わりますよ」


 掛けられた声に無意識に振り向くと、祭司の服を身につけた恰幅のいい中年女性がにこやかに立っていた。


「よろしく、お願いします」


 辛うじてそれだけ告げ、ヨロヨロと膜の外へと出る。別の膜に避難していた人達も無事に救出されたらしく、聖堂に残っているのは自分たちだけだったようだ。そのまま埃っぽい床に座り込み、日の光に反射する埃を見つめていると誰かが近付いてくる。


「良くやった」


 耳に心地いい声にようやく頭が現実を認識する。強ばった身体から力が抜け、震える手で自身を抱きしめてから声の主を見上げると。


「酷い格好」


 頭から埃を被って汚れた私服のドゥーイに強ばった顔で笑みらしきものを浮かべた。


「お互い様だろう」


 言われて初めて自分の服が血まみれだと気が付く。水の膜を透過しても取れなかったのなら、余程汚れていたのだろう。


「立てるか?」


 差し出された手は土まみれで、救助活動に大変な困難があったことが窺えた。それでも男性にしては柔らかな手を遠慮なく掴むと震える膝で立ち上がる。先程まで聞こえていた赤子の泣き声は聞こえない。母親のおっぱいを飲んで眠っているのだろうかと頭の隅で考えた。

 そのまま自分たちの他に逃げ遅れた人かいないか確認したドゥーイと共に外に出ようとした時。


「危ない!」


 突然、二階の床部分が前触れもなく崩れ落ちてきた。とっさに頭を庇いしゃがみ込むも……激しい音のわりにはまったく来ない衝撃に目を開ける。


「大丈夫か」


 片手を頭上に掲げたドゥーイの姿に、爆発直後、前を歩いていた彼がなぜ自分の背後にいたのかを理解した。彼の手の先にはうっすらと虹色の壁があり、魔導で出来たそれが先程は爆発から、今は落ちてきた瓦礫から自分を守ってくれたのだ。


「ありがとうございます」


 礼を言うのと激しく土埃が舞う中を腕を取られて建物の外に出たのは一緒だった。


「……結構危なかったんだね」


 外から見た聖堂は一階部分が氷漬けになっていた。主要な柱全てにひびが入り、何時間も持つような状態ではなかったのが見て取れる。それを無理矢理凍らせて持たせていたらしい。

 それでもすぐに救助が出来なかったのは二階部分が落ちてくる可能性があったからだ。土属性の魔導師が二階部分を固めたことで、ようやく壁に穴を開けることが出来たといったところだろう。


「ドゥーイ様、祭司長様がお呼びです」


 ドゥーイと同じ祭司服を身につけた青年が走り寄ってきて礼と共に告げると、遅れて駆け寄ってきた若い女性司祭達が休むように進言する。


「いくらドゥーイ様でもお身体が辛いはずです! どうかお休み下さい」


「判りました、すぐに行きます。それとこの程度でどうにかなるような鍛え方をしてはいません。私よりも他の魔導師達をよろしく頼みます」


 青年に返事をすると、周囲の女性司祭達にそう言い置いて神殿に向かって歩き出す……ルーフェリアの手を繋いだまま。


「ドゥーイ様?」


 呼ばれたのは貴方だけですよね? 私は家に帰りたいのですが……という意図が伝わったのだろう。紅い目が冷ややかな温度で振り返る。


「話が聞きたい。が、その前に身支度をしてこい。護衛は付ける」


 あまりにも酷い惨状はお互い様だと言いかけて、止める。ピリッとした小さな緊張感に、今回の件がまだ収束していないことを悟ったのだ。


「任せて良いか?」


 現場の最高責任者として走り回っていたらしいドゥーイが、近付いてくる白騎士に問うと彼らはもちろんだと肯く。


「ラザフォード卿と祭司長様がお待ちだ。風呂も用意させているから、聖女の部屋で着替えてくるといい」


 埃だらけの頭に汚れた大きな手が置かれポンポンと軽く叩かれると、なぜか汚れていても損なわれない美貌で首を傾げた。


「……良く判らないな。アニマなんとかと言っていたか? なぜこれで安心する?」


 破水した妊婦を前にして経験がないと落ち込んでいた彼が可愛くてつい撫でてしまったことを憶えていたらしい。精神的に年下の彼を元気付けようとしてしまったなんて言えない。恐怖に負けそうで、適当な理由を付けて自分が癒されるために頭を撫でたなんて絶対言えない。まさか貴方のその綺麗な銀髪にヘニョリと垂れる耳と尻尾の幻が見えたから……などと口が裂けても言えない!


「わ、私は安心するんですよ」


 見目麗しい男性に頭を撫でられているというのに顔を赤らめるどころか青ざめさせてしまったルーフェリアは、前後を護衛に囲まれたままドゥーイと共に聖女の部屋へと誘われると逃げ込むように部屋へと駆け込んだ。








 パタリとドアが閉じるのを確認し部屋の前で待機していた侍女に目をやると、彼女は鳶色の目を光らせて小さく肯く。白騎士二人が今までのようにドアの外に立番するのを見届けると、ドゥーイは自身も身なりを整えるべく廊下を歩きだした。

 いくつか考えなければならないことがあるのだが、落ち着いたところで思い出すのはルーフェリアの姿。

 妊婦の破水という重なった緊急事態に、多少動揺していたものの的確な対応を取った彼女を撫でてしまった自分の手を見る。

 頭も性格も悪い最低な女だった聖女が見せた意外な一面に動揺しているだけだと言い訳をしながら、それでも今回の彼女の態度は立派だったと認めなければならないだろう。

 あの事件を境に性格の変わった聖女。柔らかな金糸の髪も、自分の意志を乗せる紅と蒼の目も、時折思慮深い様子を見せる整った美貌も、そして小さく震えながらも差し出した手を取って立ち上がる華奢な身体も……


「ふざけるな! アレはルーフェリアだぞ!」


 廊下で突如叫んだ副祭司長の姿を見て、祭司達が噂する。

 また聖女が無理難題を言いだしたらしい、と。それを聞いたルーフェリアが首を捻るのは仕方のないことかもしれない。

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