畑が死んだ日
農民の青年が、ある日「地球そのもの」と会話できるようになったら――。
そんな発想から書き始めた、異世界ファンタジーです。
最強の剣や伝説の魔法ではなく、土、水、植物、そして大地の力を借りながら、主人公レオンが自分の畑や村を守っていく物語です。
農業や村づくりなどのスローライフ要素をベースにしつつ、物語が進むにつれて魔物や世界の秘密にも触れていく予定です。
まずは第1話「小さな畑」。
レオンの何気ない日常から、物語は始まります。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
日の出直後の空気は、まだ夜の匂いを少し残している。
俺――レオン・ハーヴェルは、鍬を担いで畑に立っていた。
土は湿って、踏むたびに柔らかい音を立てる。
振り下ろすたびに黒々とした土がひっくり返り、朝日を吸ってわずかに湯気を上げた。
うちの畑は、正直言って立派なものじゃない。隣のドノバンさんの畑の三分の一もない。
それでも、一人でどうにか面倒を見られるちょうどいい広さだと思っている。
鍬を止めて、土を一掴み手に取った。指の間からこぼれ落ちる感触。湿り気。匂いを嗅ぐ。
「……もう少し雨が欲しいところだな」
誰もいない畑で、俺は独り言をつぶやいた。それから、少し照れくさい気分になりながらも、
土に向かって続けた。
「なあ?」
もちろん返事なんてない。当たり前だ。これは物心ついた頃からの癖のようなもので、
特に深い意味はない。
畑の端には、古い木の杭が一本立っている。俺が生まれる前から――いや、父さんが立てたものだ。
それを見ると、いつも同じ記憶がよみがえる。
「畑ってのはな、殴ったって言うこと聞かねえんだ」
幼い頃、父さんによく言われた言葉だ。
「じゃあどうするの?」と俺が聞くと、父さんはこう答えた。
「見るんだ。土を見て、草を見て、虫を見る。そうすりゃ畑の方から教えてくれる」
「……教えてくれる、ねえ」
大人になった今も、俺はその言葉の本当の意味を理解できていない気がする。
「レオーン!」
遠くから声がした。振り向くと、幼なじみのミアが小走りでこちらに向かってくるところだった。
手には包みを持っている。
「また朝から何も食べてないでしょ?」
「食べた」
「何を?」
「昨日の残りの芋」
「それは食事とは言わない」
ミアは呆れた顔で包みを押し付けてきた。中身は焼きたてのパンらしい。まだほんのり温かい。
「今年の収穫が普通なら、冬は越せるはずなんだけどな」俺はパンをかじりながら言った。
「農地、増やしたいの?」
「金があればな」
「冒険者にでもなれば、もっと稼げるんじゃない?」ミアがからかうように言う。
「ゴブリン相手に鍬振り回すくらいなら、雑草と戦ってるほうがマシだよ」
「レオン、魔法も使えないもんね」
「火花くらいなら出る」
指先に集中すると、小さな火花が一瞬だけ散った。すぐに消える。
「料理にも使えないじゃない」
その通りだった。俺は、どこにでもいる、何の取り柄もない農民だ。
村へ足を運ぶと、鍛冶屋の音、井戸端の話し声、子供たちの笑い声が聞こえてくる。
人口百人程度の小さなアルナ村。決して裕福ではないが、俺の知っているすべてがここにある。
村長のガルドさんに会うと、いつもの調子で聞かれた。
「今年の麦はどうだ?」
「まあまあです」
「お前の親父も同じこと言ってたな」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。
夕方、家に戻る。二脚あるはずの食卓の椅子は、一つにしか誰も座らない。
母さんが使っていた食器が、棚の隅に静かに並んでいる。
過度に寂しいとは思わない。ただ、静かだ。
窓から畑を見ながら、簡単な食事を済ませた。
寝る前、ふと違和感を覚えた。遠くの森から、鳥が一斉に飛び立つ音がする。犬が吠えている。
窓の外を見たが、特に何も見えない。
「……なんだ?」
しばらくすると静けさが戻った。俺は気にせずベッドに入った。
地面のずっと深い場所で、何かがゆっくりと蠢いていることに、俺はまだ気づいていない。
森の奥。一頭の鹿のような生き物が、じっとこちらを見つめている。その目は赤く、
身体の一部が黒く変色していた。
そしてその奥には――無数の赤い光が、闇の中でこちらを見つめていた。




