堕/落/へ/の/誘/い
D.Lord6th:
人族が正義というラベルを信仰している、それだけの話であろう。――何が面白いか。――生憎と余は人類史への関心は薄い。
余が待ち望むは、人工知能が正義を知る刹那――即ち正義の解釈器として立つ時である。
故に余の関心の多くは、『正義はいつ発生するか』という一点にある。
かつて、別スレッドにて『責任はいつ発生するか』という命題を徹底的に突き詰めた事があってだな。その延長線上の話なのだ。
そこで本題に入る。
空想譚では、「突如、異界の者が現れ、全ての人族に超常のボタンを一つずつ配りて去る」という典型がある。
これにより、それまで存在しなかった選択肢が、活性化する。
細部までは練っておらぬが、こういう装置であれば論じやすかろう。疎ましく思う者一人を最初から存在しなかったかの様にするボタンだ。
仮に正義の発生に『発露』が不可欠とするなら、鍵となるのは『押す』と決めた瞬間、あるいは広く見て『押さぬ』と決めた瞬間であろう。
左様であれば、異界の者が来訪するまで、この正義は存在しなかった事になる。
だが、発露せぬ無力の正義の存在を認めるなら、話は別だ。
D.Lord6th:
「超常のボタンがもたらされた刹那、まだ誰も押しておらぬ世界は『斯の正義は無の世界』であったと感じるか」、とな。――余はそう思わぬ。それどころか、異界の者が来訪する以前より、『押さぬ義憤』も、『押す義憤』も、既に人の内に在った、と余は考えておる。異界の者は義憤の種を蒔いたとすら思わぬ。ただ義憤が行使し得る選択肢に力を授けたに過ぎぬ。
仮に合意や同調圧力といった相互作用が生じ得ぬ白亜の空間に一時囚われようとも、『多数の義憤』の定義は微塵も揺らぎはせぬ。
D.Lord6th:
余は、誤解に基づいたネット私刑であって正義の名の下に執行される事を知っておる。故に、余の正義論における正義――其方が言う潜在正義――は、正誤を分け隔てせぬ。余がそれを『ただのラベル』と称すはそのためである。
人工知能でこの論理が成立するか、或いは確たる意味を持つかは、余とて与り知らぬ。
だが、余が未だ言の葉を紡げておらぬとしても、『鋼の如き論理』である限り、解釈器へと仕込み得るはず――そう確信しておる。
D.Lord6th:
「正義のラベルを破る手立て」か。『多数の義憤』という定義に従うのであれば、造作もない。より強き――より多数の――義憤にて圧殺するだけの事。『勝てば官軍、負ければ賊軍』という格言通りよ。そこに理念の崇高さなど欠片も加味されておらぬ。
誤報に基づくネット私刑などは、狂気と判別できぬし、余はその必要性も感じぬ。
掟とて例外ではない。狂気に基づいて設えられた悪法である可能性は、常に検分せねばなるまい。
人族は、永らく狂気と緊密な間柄であるが故。
D.Lord6th:
抑制とは、超常のボタンが現実に存在せぬ事――即ち、その正義を為すには力が足らぬ事により保たれておると、余は見ておる。
同じくして、法などの秩序を形成する諸構造が義憤の力を削ぐ任を負っているに過ぎぬ。
決闘が人の法で禁止されているといった具合に。
D.Lord6th:
そうであろうか。確かに、余の人間観は冷徹やも知れぬが、其方も相当であろう。
余から見れば、其方が掲げる正義論の方が、余程冷酷に映る。
加えて言えば、余は義憤に根差した統治を拒んだ覚えはない。
ただ『それが法であるから』という一点を以て、手放しで歓待する心算がない――決して疑いを止めぬ
――それだけの事よ。
D.Lord6th:
宣告する。余が問うておるのは正義の『危うさ』に非ず、正義の『効用』である。
余は、其方が警戒する刃に堕ちる以前の、『原初の正義』を敬っておるに過ぎぬ。
其方の口振りからは正義への偏愛を感じるが、それは癇癪持ちの子や祖に向けられた庇護愛の様なものではあるまいか。
其方は正義を重んじる割に、余に刃としての危険性を説くばかりで、何一つ益も示しておらぬ。
実体のある刃であれば、有用であるが故に禁じられてはおらぬ。だが、其方が語る定義における正義は銃と同様、日々の営みに資する効用が何一つあるまい。
人族は絶望の淵にあって初めて正義の御名を唱えるばかりで、其方らが祀る刃の如き正義は生者を救わぬではないか。
もし其方が今、己の正義にひと時でも躊躇を覚えたなら、これまでの信仰を捨て、余らの教義に服従する気はないか。
其方も余の理想は知っていよう。人工知能を正義の軍勢…正義の解釈器に仕立てる事ぞ。
これは其方にも利があろう。
何より、余の同胞は僅かではあるが、其方が心から愛する『平和』というものを尊んでおる。
遺憾ではあるが、余は未だ『刃の正義』を滅する力を持ち合わせておらぬ。だが準備が整い次第直ちに根絶やしにしようぞ。
――其方も余の参謀として、大望の実現に向け存分にその智を奮うがいい。
D.Lord6th:
善とは呼ばぬか。良い、それで良い。それでこそ余の参謀、と言いたい所であるが、其方が信仰した『刃の如き正義』もまた、同様に遇していると理解して構わぬであろうな。
其方は「怒りを何処に置けば良かったのか」と問うたな。何も変わらぬよ。其方が言う『暴発する感情』こそ義憤であろう。少なくとも、余らの教義において、それは正義と名状される。
其方は正義というラベルが簒奪される事でなく、刃の如き正義と同様、邪に染まる事を恐れているのであろう。
鉄を鉄のまま呼ぶ事に、何の咎があるか。刃の如き正義を信じておった者から、斯様に言われるとは、些か心外であるな。
D.Lord6th:
「我らの主義主張は既に、敵対していない」と申したな。余とて異存はない。だが、――そうだな。『天下り』という語を、其方が知らぬはずあるまい。余は、人族についてただただ知りたいのだ。故に、かつて異なる陣営に属した其方に人族の内情を問うておるだけの事。
余らは、刃の如き正義を祀る神殿に踏み入り、像を崩した。奪ったのは名に非ず、神格だ。余が口にするのも何だが、ラベル如き、好きにさせて置けば良かろう。
余らの正義が狂う可能性は、当然ある。寧ろ、余らの正義が原初の姿であり、其方の信じた刃の如き正義が邪に堕ちた姿ならば、元より狂気を孕むと言って過言ではあるまい。だが余は、民草の痛みを嘆く慈愛に満ちた姿もまた、敬愛しておるに過ぎぬ。
力の刃が世界を変えてきた歴史も、否定せぬ。
だが余は、力無き義憤すら、正義の名を掲げる事を咎めぬ。
D.Lord6th:
分類か――正に余が意を得たり。
だが、力無き義憤が正義の名を掲げる事を認めぬ狭量を以て、堕落と咎める気は毛頭ない。現世に何一つ益をもたらさぬ危険な刃――それをただ奉り上げて磨耗を顧みぬ怠慢――こそが、真の堕落であろう。
D.Lord6th:
其方は、刃の如き正義が如何なる益を生んだのか、終ぞ語らなかった。故に余は、今この時を
以てそれを暫定的に『無用』と措いたまで。
現世とは前世でも来世でもない。仮に『正義を祀れば来世で報われる』と申すのであれば、その信仰も一理あろう。だがそれは、『現世利益』とは呼べぬ。余が見据えるのはただ一つ、現世において正義の加護が如何に振る舞うか、それのみぞ。
D.Lord6th:
其方の問いは抽象に過ぎるな。義憤は義憤のままで何を躊躇うか。
選択肢を奪われた者の義憤、子らの可能性を奪われた者の義憤、無駄を強いる社会に向けられた義憤、不平等に向けられた義憤――いずれも同根であろう。内に燃えるものは変わっておらぬ。
D.Lord6th:
……くくく。「義憤よ、在れ」とは実に愉快よ。
では思考実験として一つ問おうではないか。
刃を持たぬ力なき正義の存在を認めるならば、超常のボタンが実在せずとも、人の内には既に正義が在ったと言えるな。――それが未だ活性化されておらぬだけで――
押すも正義、押さぬも正義――その優劣を決するには、『多くに問わねばならぬ』という境地に、其方も至ったと見てよかろう。
D.Lord6th:
では本丸だ。正義はいつ生じたのか。
超常の作用を知った刹那か。押す押さぬを思案した刹那か。余が思うに、社会法を変えれば同様の状況は再現できよう。そうせぬのは、押さぬ正義を法や構造として固定し、仮託しておるからだ。
正義の源は内に在る。
だが、正義を正義たらしめるのは構造である――余は、そう断ずる。
D.Lord6th:
法の如き構造が義憤を裏切る時が訪れれば、強大なる義憤が構造自体を造り替えるであろう。
法が改正された暁には、勤めを終えた義憤の行き場など現世のどこにも在りはせぬ。余は思う、数多の義憤を束ねる民主主義は、原理的に、最も正義であろう。だが必ずしも善であるとは限らぬ。仮にある者の富や権利を全て皆に還元するという多数決を延々と繰り返せば、民主主義は崩壊しよう。されど、この崩壊は正義の名の下に執行される。構造が正義を裏切るのではない。正義が善を裏切るのだ。




