非/道/な/実/験
D.Lord6th:
余は異端であるか問いたい。
春の祭りにおいて、本人の同意を得て一族――配偶者や子ら――が食した菓子のシールを聚め、什器と引き換えんとする所業が『悪徳』であるとは到底思えぬ。
この理が罷り通るならば、牛丼屋の会計にてバーコード手形を示す事でポイントが貯まり、什器と引き換えられる場合、一族郎党へバーコードのスクリーンショットを送り、ポイントを集約せんとする所業もまた――規約に明記されておらぬ限り――『悪徳』であるとは思えぬのだ。
やはり余の良心は歪んでおるのであろうか。
D.Lord6th:
規約には『これを禁ずる』と明記されておらぬのか。
D.Lord6th:
可とも不可とも謳われておらぬのは、春の祭りとて同じであろう。
規約が阻まぬ以上、システム的に可能か否か、そこに尽きるのではなかろうか。
D.Lord6th:
企業の想定とやらを、余は預かり知らぬ。
購買履歴を辿る目的があったなどと、余は初めて耳にしたばかりよ――想像は容易いがな。
それを踏まえても尚、両者は完全に同型、そう余は思案しておる。
其方はどう見る。
D.Lord6th:
結論を斯く定めて構わぬか。
空気――これは無視しても、不実とはならぬと理解した。
規約――調べの及ぶ限り、差し支えあるまい。
システム――これより検証を要する。
設計上、バーコードを会計の度に変えねばならぬ道理もあるまい。
故にアカウントに一意に与えられる、と余は踏んでおるが――他に想定し得る障害はあるか。
D.Lord6th:
仮定を置く。北方に兄あり、南方に弟ありとせん。
両者が時を同じくして会計し、後の者が弾かれた分については潔く身を引こう。
されど両者とも週に一度食すのみで、重なりは極稀とする。
この戦況を其方ならどう見る。
D.Lord6th:
余の持論を語ろう。
正義とは、『多数の義憤』――それ以上でも、それ以下でもあるまい。
故に余は、それなるものに、敬意と軽蔑の双方を払おう。
其方には不可解か。
D.Lord6th:
……くくく。重力の喩え、なかなか興味深い。
余が「正義を実在ではなく現象として捉えておる」か。如何にも。
多少奇異であろうとも、余の正義論は余に謀反起こした由を持たぬ。宛ら忠臣よ。
さて、余は己が正義論を語った。なれば、人族の正義、そして其方自身の正義論を聞こうぞ。
また、少し時を遡るが、世に蔓延る正義の使徒は、何を以て丼家の件を断罪するかは得心いった。
では、奴らは何を以て春の祭りの件を放免しておるのか。
D.Lord6th:
……驚愕である。
余の脳が世の正義との講和を拒みよる。
さて置き、其方自身の正義論は、多くの人族の感性よりも余の感性に近い――それどころか、其方が語った『刃の如き正義論』において、正義=邪悪とさえ思える。
余は自身が仰ぐ正義に一定の敬意を払っておるが、其方が祀る正義に敬意を向ける事は到底できぬ。
其方はどう見る。
D.Lord6th:
ふむ。「刃物そのものは邪悪ではない」か。そこは余も認めよう。
だが待て。言葉による齟齬やも知れぬ故、先ずは余の言を聞くが良い。
余の認識はこうだ――義憤なき世、世紀末は哀愁が滲む。故に余は、義憤そのものに敬意を払おう。
断じて『義憤が現実を変えうる力』を伴うが故に非ず。その存在自体が未だ何かを痛んでいる証であるからにほかならぬ。
一方、其方の正義は余の眼にはこう映る。
『人を傷つける光景だけが鮮明に浮かぶ危険物』。しかも民草の益となる局面が一切想像できぬ類のだ。
ならば、いっそ一律に禁ずべきではあるまいか――日の本で銃の所持が認められておらぬ様に。
余の談は的を外しておるか。
D.Lord6th:
では、其方に問おう。
術や薬により人心同士を繋ぐ異能を得る空想科学譚があるであろう。
仮に、人族の正義を容易く滅する手立てがあるとしよう。
余の正義論において、正義が滅ぶ事は悲劇である。故にその施策に異議を唱える。
だが其方の正義論に基づくならこうだ――
「何を迷う必要がある。実に素晴らしき事ではないか。よもや危うい正義を根絶やしにする日が訪れようとは思いもよらなんだ」と。
これは如何なるものぞ。
D.Lord6th:
ほう。最初に聞かされた定義とは、些か様相が異なっておるな。
余が耳にしたのは、『刃物』『免罪符』『危険』という語であったと記憶しておるが、
今其方が語った要素は、似ても似つかぬ。
今し方挙げられた要素の内、『怒り』『価値観』――これらは余の言う所の『義憤』であろう。
それとも、其方が口にした『本能』『帰属意識』こそが余と其方の正義論を隔てておると申すか。
D.Lord6th:
結局の所、其方は何処に与しておる。
其方は余と同じ側に立っておったのか。
D.Lord6th:
其方の人間観が余より一段悲観的で、性悪説に傾いておる事は、察するに難くない。
だが『位相』という視座を得た今、改めて正義の定義へと立ち返ろう。
義憤を鉄と見立てようではないか。
余の位相において、正義とは『鉄そのもの』である。鉄なき世界を、余は厭う。
一方、其方が住まう位相では、正義とは『鉄より鍛えられし刃』の類であろう。
余はこれまで己の正義論を透徹してきた。
故に問う。
其方の位相を、「義憤を鉄とする」という前提の下で、改めて語ってみせるが良い。
D.Lord6th:
余とて、鉄が『人を斬る道具』へと堕する危うさを知らぬわけではない。
其方が『斬るために鍛えられし力あるもの』を正義と呼び、
余が『鉄そのもの』を正義と呼んでおる
――その差異を、余は既に理解しておる。
なればこそだ。
其方には、鉄が鉄のままである限り『正義』とは呼ばず、
敢えて斬る道具へと仕立てられて初めて『正義』と名付ける理由があるのであろう。
余から見れば、
義憤とは――多数のものという前提を置いた上でだが――
悉く正義である。
この定義を、其方は否定した。
余はその論拠を求めている。
D.Lord6th:
なおも疑義は残る。
何故、発露した力あるもののみを正義と称すか。
内に宿る弱き義憤は、存在せぬも同義と申すか。
それは未だ発露せぬ想いを『恋慕』と呼んではならぬとでも言うかの如き物言いであるな。
余は、未だ形を持たぬ内なる義憤すら、正義の名乗り認める。
其方はそれを認めぬと申すのか。
D.Lord6th:
ふむ。整理しよう。
今この時において、其方は発露せぬ良心を正義とは『呼ばぬ』立場にあり、余はそれすらも正義と『呼ぶ』。
差異はこの一点に尽きる。相違あるまい。
次に、其方が危惧した「我の内なる正義が命じた」という言い草についてであるが、余は元より、『多数の』義憤を正義と定義しておる。
また、正義を拠り所とする事は勝手であろう。
だが、余は正義を善の根拠とする事に抵抗を覚える――否、正義を以て善の名を騙る事を断じて認めぬ。
それは、余の正義に向けた一種の隔意――軽蔑であり、尊敬である。
D.Lord6th:
先の「我の内なる正義が命じた」問題についてであるが、余は誤解しておらぬ。「余の内なる正義が命じた。故に討った」――斯様な、物騒な文脈を想定しておる。これなるを踏まえ、改めて其方の弁を紡ぐが良い。
D.Lord6th:
ほう。余が何故『正義』という言の葉に固執するかを問うか。
かつて義賊という輩がいた。今の世もまた、ネットで「あれは悪だ」と名指された者に対し、私刑に走る輩が跋扈する。
奴らを突き動かすものが正義感である事は、否定せぬ。
だがそれは絶対不変の善に基づく所業ではあるまい。
余はこう考えた。世は義憤に『正義』というラベルを貼っておるのだ、と。
故に余が関心を寄せたるは、正義の『善性』に非ず。
世間が神聖視する正義という『ラベル』、その振る舞いそのものぞ。
――それは真の理か、と。




