6-16
ぽかんとしているエリザベスを前に、
”…変わらないなあ、フィオレは”
フロランがかつてを懐かしみながら浮かべた笑みは柔らかだった。
”結婚には反対してないって言いに来たんだろうなあ。それなのに自分の知らないところで結婚されて拗ねてるのかもしれないね”
”そうなん…? 全然そんな風に見えんかったけど”
フロランにとって昔なじみのフィオレは気心が知れ、エリザベスと口論するところを見てもなお信頼できるのだろう。一方、エリザベスは血のつながった祖母とは言え、常に戦闘モードで立ち向かってばかりで未だ警戒は消えていない。
”披露宴か……。張り切って皇室並みの事をしないといいけど”
フロランの言葉に、エリザベスは露骨に嫌そうな顔をした。
”皇室、並み…? 全然知り合いおらんのに?”
”大丈夫だよ、エリー。心配ならちょっと手を回しておこうか…”
大丈夫と言いながら、フロランは皇子スマイルを見せた。
”エリーの母親もエルヒュームの人だったなんてね。なんだか運命を感じるな”
フロランに言われて、改めて考えれば、確かにルージニアで知り合った二人の母親が同郷というのはなかなかない偶然だ。それを「運命」と言われると気恥かしいが、縁のある人は何かがつながっているものなのかもしれない。
”私、小さい頃エルヒュームの言葉使っとったなんて、全然記憶なかった”
”それなのに、イングレイ語が苦手だったのは不思議だな”
イングレイ語とエルヒューム語は方言程度によく似ている。それなら学校でイングレイ語を習った時にもっと身近に感じてよかったはずだ。しかし現実には少しも頭に入らず、全くやる気が起きなかった。
”思い出したくなかったんやろか…。母がおらんなった後、誰にも振り向いてもらえんかった淋しさは今でも覚えとるけん…”
フロランはエリザベスの言葉を意外に思った。
”家族とは仲良さそうに見えたけど”
”剣を覚えてからはね。…多分、父も兄達もただ一人の女の子をどう扱うたらええんかわからんかったんやなかろか。私がシーモア家の五男になったけん受け入れてもらえたんやろ。私も男として扱われるの、嫌やなかったし”
笑って話すエリザベスを見ていて、フロランは胸が苦しくなった。
”…エリーはずっと我慢してばかりだ”
”そんなに…、言うほど我慢しとらんよ”
我慢強いというより、我慢に慣れてしまっている。それにフロランも甘えてきた。何度も泣かせてしまうほどに。
”…これからは、そんなに我慢しないでほしい。今までたくさん、たくさん我慢して、僕も君に我慢を強いてきた。こうして一緒にいられるのは君のおかげだけど、…だからこそ、もっと身軽に、自由になってほしいんだ”
フロランの言葉は励ましにはなったが、エリザベスはわかっていた。
平凡で、見る人によれば平凡以下の令嬢らしくない剣士の妻に対して、元皇族にして大公家の血縁、そんな身分がなくても人目を惹き、笑顔で人を魅了できる夫。
”うーん、フロランを夫にした時点で我慢ゼロは無理やない? …ま、少なにしてくれたら嬉しいけど”
エリザベスはフロランの肩に頭を乗せた。
”こうやってフロランにもたれられるんは、私だけの特権にしといてね”
頭だけでは物足りなかったフロランはエリザベスの肩を引き寄せた。エリザベスが緊張を解き、徐々にその身を委ねてくるのがわかり、目を細めながら
”もちろん、君だけだ”
と耳元でささやいた。
フィオレから二人が結婚したと聞いた大公ヴィクトルは、即座に教会や公館に人を送り、その事実を確認させた。先回りして差し止める指示を出していなかった自分も甘いが、簡易な宣誓式を行い、そのまま街の公館に届け出る、あの二人がそんな程度の婚姻で済ませるとは思えなかったのだ。
ヴィクトルの娘ミレーヌの婚姻では、この街の貿易商の長男と結婚し平民に下りはしたが、大公の身内として引けを取らない華やかな式を挙げた。教会では高位の司祭を三人招き、大勢の来客を前に格の高い宣誓式を執り行った。親類だけではない。国の名士、交流のある貴族、多くの取引先、海の向こうからも来賓が訪れた。セリオンから楽団を呼び寄せ、内外の珍しい食べ物を取り寄せて来賓はもちろん、国民にも振舞ったものだ。クロディーヌにも同等の、いや婚家の家格からすればさらに絢爛な式典をすべきだと考えている。それは大公家であるバルリエ家の威信を示すものでもある。
それなのに、二人は布施も安価な常駐の司祭にその場で祈祷を頼み、装飾もない宣誓書を受け取り、そのまま公館に立ち寄って公的承認の手続きを終えた。それは庶民の中でも金のない者や家族の反対を受けた者がひっそりと行う最低限のものだ。元皇族、他国とは言え子爵家の令嬢が何故そんなことで満足できるのか。いや、満足してはいけないだろう。
二人を追い詰めたせいでこうなってしまったのか。しかし娘との結婚とは違う道を模索したとして、あの護衛のような令嬢ではとても大公妃には…
”閣下。このような婚姻を許せる訳がございません”
フィオレがそう言った時、後押しされた思いで婚姻無効の手立てを取ることを考えた。しかし、フィオレの真意は違った。
”婚姻の宣誓はともかく、披露宴もないなんて。こんなことが許されるはずがございません。披露宴だけでも、私どもユベール家の名誉にかけ執り行わせていただきます”
”ひろ…、執り行うんか? 準備だけでも数カ月はかかろうが”
”いいえ。意地でも一週間で準備してご覧に入れます。つきましては、こちらのお屋敷の広間をお借りできますでしょうか”
”いや、貸さんこともないが…、おまえはあの二人の結婚を許すんか?”
”許すも許さんも、もう結婚しとるんです。下手したら待つ言うた三日目過ぎたらフロレンシオ様連れてふらっとおらんなっとるかもしれん。一人でルージニアからここまで来るような子よ。やることなすことクリスそっくりやけん、次は何しでかすか…”
フィオレは子供のころから面倒を見てきたヴィクトルに対し、主人としての体裁を取り繕うのをやめていた。
”ゆうてもなあ…、あんな男みたいな恰好の令嬢で、子爵家て…”
”…ルージニアのシーモア家、…今新聞騒がせとるやろ”
ピンと来ていないヴィクトルに、フィオレが
”アビントン辺境伯の”
と言葉を加えると、ヴィクトルも数日前の新聞記事を思い出した。
アビントン領のすぐそばにある小さな領、アビントンのコバンザメと揶揄される子爵家が今アビントンを飲み込もうとしている。自分の息子に見切りをつけた前辺境伯に、アビントンの名を遺すなら両領を併合してもいいとまで言わせながら、それを子爵が断った。このままいけばシーモア辺境伯が誕生するのではないか。
と他国のことながら新聞が面白げに伝えていた、今話題の家だ。
”うちの娘が剣術で勝てんかった男がレナード・シーモア、あのシーモア子爵よ。もし辺境伯になったら、あの子は辺境伯令嬢になる。…前も辺境騎士団長辞退して小さい領の子爵位を選んだような男やけんね。欲がないけん今回も引き受けんかもしれんけど、子供らの誰かがアビントン領継ぐ可能性は大いにある。そうなったら、たとえ大陸の遥か東の国とは言え、あのアビントンを後ろ盾に持つようになる子よ。…価値がないとは言わせんよ”
エリザベスが自分の価値をアピールできないなら、身内として売り込むくらいのことはする。フィオレのあの二人の婚姻を祝福する決意に揺るぎはなかった。
”フロレンシオ様が言うこと聞くんは今はあの子だけよ。それだけでも価値があろうがね。上辺だけ見ず、よう考えとうみ。…私は準備で忙しいけん。そっちはそっちでフロレンシオ様引き留めること考えときよ”
いくつになってもたくましいフィオレに後押しされ、ヴィクトルは再度フロランと話し合うことにした。




