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ブリジット・レポート  作者: 河辺 螢
第六章 エルヒューム編
77/81

6-15

 どこにしまい込まれていた言葉だろう。

 心の奥で眠ってしまった記憶を手繰り寄せるうちに、とある記憶が蘇った。

 窓の向こうで剣を振る兄達をじっと見ていたエリザベスに、母が声をかけた。しかし母が心配だったエリザベスは笑って首を横に振り、母の部屋を離れることはなかった。


“母が、“兄様達と一緒に遊んでかまんのよ”て言うてた。“女の子やからしたらいかんことなんかないんよ。かわいい服着ても、お人形さんで遊んでも、剣振るても、木登っても、馬乗っても、何したってかまんの。お母さんはやりたいことやった”…”


 恐らく母は侍女に言われるまま母のそばを離れないエリザベスを心配し、何度も声をかけてくれたのだろう。言葉だけではない。忘れていた母の声も蘇ってきた。深い息には小さく喘鳴が混じり、少し低めの声でゆっくりと、

““好きなこと、楽しいこと、いっぱいおやり”、って”

 その言葉は、確かにエルヒュームの言葉だった。

“…あの子らしいわ。楽しいことばっかりやなかったろに…”

 祖母フィオレは母親の顔になり、淋しげな笑みを見せた後、孫のなかに残る娘の名残を見つめていた。


“ありがとう。…あの子とはようけんかしたけど、孫ともけんかしてしもたがね。話し方が似とるせいかいね…。もうルージニアの事、悪う言わんし、フロレンシオ様とのことも口出しせんけん。…二人を”

 毒気の抜けたフィオレにエリザベスは驚きはしたが、それでも安心できず、隠しきれない格闘モードのまま答えた。

“もう結婚したし。反対されても言うこと聞かんけん”

 それにフィオレは即座に反応した。

“…今、何言うたん? 結婚した?”

“した”

 指輪を見せつけ、得意げにニヒヒーっと笑うエリザベスに、フィオレの切ったはずのスイッチが入った。

“いつよ?”

“昨日”

“昨日?? 二人だけでかね”

“うん。二人揃たら手続きできるっておばあさまも言うたやろ?”

 結婚という人生の一大行事を簡単に済ませ、それで満足しているエリザベスに、フィオレの心に再び怒りの炎が沸きおこった。

“…何で…、何で勝手に結婚しよん、あんたら親子は! 結婚ゆうたら家族揃て、みんなに祝福されて、ウェディングドレスも用意して、…それを…。あんただけやない、フロレンシオ様ほどの方が二人だけで結婚て、そんなん許される訳ないやろがね!”

”なんも言わんゆうたくせに、思いっきり言いよるし”

”あんたが大概なけんよ”

”私だってみんなに祝福されたい思てた。おめでとうゆうて言われたかったわ。ほやけど帝国でもここでも私のこといらんて決めつけて、フロランから引き離そうとしよったろがね! フロランには似合わん、フロラン誑かしたって…。お祝い言うてくれたんは司祭様と食堂のおっちゃんくらいよ。ほやけど、それがどんだけ、…どんだけ嬉しかったか…”

 もう泣かなくていいはずだったのに、気がついたらまた涙が漏れていた。もう結婚したのに。昨日で全て振り切れたはずなのに…


”エリー…”

 それまで黙って二人の話を聞いていたフロランだったが、口調は穏やかに、しかしはっきりとフィオレに自分の思いを伝えた。

”フィオレ、エリーに結婚しようと言ったのは私だ。私がエリーを選んだんだ。シーモア家との間で婚約を交わした正式な婚約者だ。それなのに帝国でも、ここでも、エリーと私を引き離そうとする。それならもう誰にも引き裂かれないよう、二人だけの意思で結婚することにしたんだ。決めたのは私だよ。…だからエリーを責めないでほしい”


 フィオレは孫をかばうフロレンシオの姿を見て心が満たされると同時に、自分の言葉が孫を傷つけてばかりいることを改めて自覚した。それでもなお、納得いかない苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。


 フィオレはすっくと立ちあがると、二人の前で深々と礼をした。

”フロレンシオ様、エリザベス、ご結婚おめでとうございます”

 突然の敬意を込めた祝意に、エリザベスは驚いて祖母を見た。フロランに向けられた言葉であっても、そこに自分の名も添えられている。


”フロレンシオ様には大公となりこの国に留まっていただきたい思いはあります。ですが、それは大公家の問題。私が関わるには分にそぐわないものでございました。大変申し訳ございません。この婚姻が大公の継承に影響あろうとなかろうと、今はただお二人が末永く幸せであることをお祈り申し上げます”


 会うことはないと思っていた、異国に嫁いだ娘の孫。敬愛する大公の忘れ形見にしてずっと見守ってきた元皇子。二人の人生を祝う気持ちに陰りはないが、フィオレの人生の中での二大心残りを目の前に、このまま「おめでとう、よかったね」で済ませる気持ちは毛頭なかった。

”…ですが、すでに終えられた宣誓式はともかく、披露宴は改めて行わせていただきます。あなた様の乳母、教育係を務めたこの身として、また娘クリスティアーヌの婚儀に参加できなかった私の個人的な思いもあり、これだけは絶っ対に引けませんっ。お二人の婚姻を祝し、近日中に執り行わせていただきますので、それまでここ、エルヒュームにご滞在くたさいませ”


 フィオレは言いたいことを言うと、二人に反論する隙を与えず、

”では”

と一言を残し、さっさと部屋から出ていった。


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