6-14
最初に会った時と同じく男同然のパンツ姿で現れた孫にフィオレは渋い表情を見せ、エリザベスは一瞬退いた。フロランはエリザベスの耳元に顔を寄せ
“無理してない?”
と声をかけたが、
“……負けられん…”
とつぶやき、一睨みして気合を入れてから席に着いた。
“今日、来たんは、…母親の話を聞かしてもらえたら思て…”
フィオレはこれまでのケンカ腰でエリザベスを問い詰めてきた口調を改め、ゆっくりと話しかけてきた。フィオレの敵意のない依頼にエリザベスの気合は効果をなくし、目をそらせて俯いた。
“この前も言うたけど、母は小さい頃に亡くなって、覚えとることがあんまり、…ないんやけど…”
“エルヒュームの言葉、どこで覚えたん?”
“言葉はフロランが…”
チラッと当人に視線を送ったが、フロランはただほのかな笑みを返しただけだった。
“学生の頃、フロランがイングレイ語言うて教えてくれたけん、私はイングレイ語やと思って覚えたんやけど…、違っとったみたい…”
じろりと睨むと、フロランはさっと目をそらした。しかしフィオレは
“フロレンシオ様よりおまえの方がずっと流暢やけど…。母親からエルヒュームの言葉習とったん違うん?”
母親から?
エリザベスは何か思い出せるか考えを巡らせた。
ベッドの上の母はいつも窓に背を向けて座っていて、微笑んでいるとわかるのに、逆光で影になった顔は思い出せないままだ。
“なんでもええけん、思い出せることあったら教えてくれんやろか。あの子をルージニアに取られて、一度も帰って来んうちに帝国の侵略が広がって、この国も帝国に取られてしもて…。ルージニアは帝国と離れとるけん、ここより安全やと思とったのに…。何であの子は死んだん?”
何故、母は亡くなったのか。その問いはエリザベスの心に忘れかけていた痛みを思い出させた。
“私が覚えとる母はずっとベッドの上で、私を産んでからずっと体調崩しとって、…私を産まんかったら元気でおれたのにゆうて周りの人が言うとったけん…、私を産んだんがいかんかったんやと…“
父からは何も言われたことはなかったが、父のいない所では時々そんな会話が聞こえてきた。父の再婚話を持ってきては子供の前でも平気で「次は若くて健康な人がいい」「嫁は自国の女がいい」などと言う人達。「男が四人もいたら充分で今更娘はいらなかっただろうに。無理するから命を縮めた」、そんな言葉を聞くうちに、母が死んだのは自分のせいだと思い、罪悪感を抱くようになっていた。
”眠ってた母が冷たなっとったん、見つけたんは私やった。でも私は母が死んだこと、ちゃんとわかっとらんかった。葬儀はじいやとばあや、下の兄達と私で見送って、父と一番上の兄はアビントンの騎士団と一緒に帝国に侵略されかけとったフォスタリアに加勢に行っとって、帰ってきたんは母が死んで二、三か月経っとったけん、葬儀も埋葬も終わっとって…”
“お母さん、苦しまんかった?”
“寝とるみたいやったけん、多分、苦しんどらんと思う…”
“ほう…”
強気な祖母が見せた悲しげな顔を見て、エリザベスは母のことをほとんど何も思い出せない自分を悔しく思った。もう何年も経ち、父の中でも既に思い出にできていただろうに、昔兄に叱られたままずっと言いつけを守り、母のことをタブー視していた。祖母が疑ったように母を蔑ろにしていると思われても仕方がない。
幼い頃のエリザベスの遊び場は母の部屋だった。
母のそばで人形で遊んだり、絵本を読んだり、体調のいい時は一緒に散歩したりもしたが、散歩もできなくなると庭の様子を母に語り、花を摘んで、剣術をしごかれる兄達の様子を話して聞かせた。母の調子が悪くなると侍女を呼ぶよう言われていた。今思えば、父や兄の不在に付け込んで侍女は母の看護役を幼いエリザベスにも担わせていたのだろう。眠るようにこの世を去った母にエリザベスが気付き、侍女を呼んだが、既に息をしておらず大慌てしていた。一人で母の死に遭遇したエリザベスを気遣うどころか、侍女でありながら付き添っていなかった自分達の罪を取り繕うことに必死だった。
”その恰好、剣術やってるんやろ? 母親に教えてもろたん?”
どうやら母親は剣を使える人だったようだ。しかし、エリザベスには剣を振るう姿を見た記憶はなかった。
”ううん、母が剣術習っとったんも知らんかった。…母がおらんなってから私と一緒におってくれる人が誰もおらんなって、寂しいけん、兄達の気引きとうて剣を始めたん”
母がいなくなった後、兄達も使用人達もエリザベスのことは二の次で、どんなに寂しいと訴えても無視された。衣食の最低限の世話はしてもらえたが、大半の時間を一人で過ごすしかなかった。
その後ようやく父と長兄が戻ってきたが、父は泣き崩れ、長兄は父に代わって家のことを仕切るのに忙しく、エリザベスに構っている余裕はなかった。下の兄達は長兄にこき使われていたが、幼過ぎるエリザベスは任される仕事はない代わりに、邪魔にならないように大人しくしておくしかなかった。
父に母はいつ戻ってくるのか聞いたら父が大泣きし、兄に叱られ、母のことは口にしてはいけないのだと悟った。
少しでも兄達の気を引きたくて、母としてきた遊びを捨てて剣を学んだ。強くなれば兄達はエリザベスに関心を持ち、一緒に遊んでくれるようになった。
かわいい服は新調されないままサイズが合わなくなり、人形やままごとの道具も親戚や領の子供達にもらわれていった。家族の気を引くには母との思い出を抑え込むしかなかった。自分が我慢すれば家族の仲間に入れてもらえる。そのうちそれを我慢だと思わなくなった。
そうやって母のことを思い出せなくなっていた。
”もしかしたら、兄達は無視したんやなくて、私の言葉がわからんかったんかもしれん。兄達にわかってもらえる言葉を必死に思い出して、「おなかすいた」て叫んだら、やっと振り返ってくれた。…私と母だけで過ごしとった時はエルヒュームの言葉話しとったんかも…”
兄達にとってエリザベスは母と謎の言葉で語り、母の愛を一身に受ける「特別」な存在だったに違いない。いつも大騒ぎするせいで病に伏しがちな母に会わせてもらえない兄達はエリザベスを羨ましく思い、エリザベスは外で自由に動き回る兄達を羨ましいと思いながらも、母のそばから離れることはできなかった。
母がいなくなった後、ルージニア語を思い出せてやっと、エリザベスは兄達と家族になれた。封印したエルヒューム語はやがてエリザベスの中から消え去り、よく似ているはずのイングレイ語にも嫌悪し、少しも身につかなかった。フロランからもう一度その言葉を習うまで。




