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そこへ突然扉が開き、エリザベスとさほど年の変わらない女性と、以前にここでエリザベスが会った女の子が入ってきた。入ってきたというより、引き止める侍女たちを押しのけての乱入だ。
”おまえたち、何を勝手に”
ヴィクトルは驚いて声を荒げたが、
”お父様、私、エルンスト様と離縁する気ないけんね!”
その言葉でヴィクトルの娘のうち一人は既に結婚していることがわかった。年齢的には確かにフロランと釣り合っているが、他家に嫁いだ娘を別れさせてまで大公の地位に着けようと考えていたのだろうか。
”クロディットだって、あんなにジルベール様と仲良うしてるのに。今更婚約を破棄するん、ランドロー家にも失礼やろ!”
”ほうよ! 私こんなおじさんより、ジルベール様がええ!!”
おじさんと言って指さされたフロランはショックかと思いきや、頬を緩め
”はははっ”
と笑い声をあげた。
こんな身近に思わぬ協力者がいようとは。
フロランは立ち上がり、胸に手を当てて礼をした。
”私はフロラン・バルリエです。初めまして、従姉妹殿。お名前をお伺いしても?」
フロランの笑顔で二人の警戒心は緩まったようだ。こういう笑顔ひとつで人を惹きつけるところは昔と変わらない。エリザベスは感心するとともに少しもやっとした気持ちを抱いたが、大人しく成り行きを見守っていた。
すぐに上の娘が礼を返した。
”お初にお目にかかります。ヴィクトル・バルリエが娘、ミレーヌ・バルリエ・ブランシャール。今はブランシャール家に嫁いだ身です。こちらは妹の、…ほれ、はよう”
姉に促され、クロディットは慌てて礼の姿勢を取った。
”お、お初にお目にかかります。わ、私、クロディットですっ”
前回はやんちゃに見えたクロディットが上目遣いでフロランを見つめ、少し頬を赤くして恥ずかしそうに礼をした。ついさっき「おじさん」と言ったことなど忘れているようだ。
”紹介するよ。こちらは私の婚約者”
フロランに手を差し出されてエリザベスは立ち上がると、スカートをドレスのように摘み上げて礼をした。
”初めまして。お会いできて光栄です。私はルージニア王国シーモア子爵の長女、エリザベス・シーモアです”
ようやく違いがわかってきた皇都のイングレイ語っぽく挨拶し、作法はルージニア流ながらも貴族の所作を見せたエリザベスにヴィクトルは驚いていた。あんな男のような格好で帯剣していた女が、子爵位とはいえ貴族の子女だったとは。
その背後でヴィクトル以上の驚きを見せていたのは、初めてこの大公家に来た時に門のところでやり合ったあの家政婦長と思わしき女性だった。応接室に乱入した二人の令嬢を止めるために追ってきたのだが、和やかに挨拶をしている姿が見え、開け放たれたドアの前で安堵していたところだった。それがエリザベスが名乗ったとたん、その場に控える立場でありながら、
”シーモア?”
と声をあげた。
誰もが家政婦長を振り返って見たが、家政婦長は自分を押さえきれず、エリザベスに問いかけた。
”おま…、あなたの、母親の名前は…?”
”母、ですか?”
突然母の名を聞かれ、エリザベスは戸惑った。エリザベスは母の名をよく覚えていなかった。
”呼び名は、クリスで、…クリスタか、クリスティーヌ、…クリスティアーヌ、…そんな名前やったと…”
”母親の名も覚えとらんの?”
棘のある声で責めるように言われエリザベスは困ってしまった。母親の名くらい、みなしごでもない限り知ってて当然と思うだろう。しかしエリザベスには事情があった。
”…四歳くらいの時に、母が他界して…”
”他界…?”
”それからうちでは、母のこと話したらいかんなってて…”
エリザベスの言葉に家政婦長はさらに怒りを見せた。
”死んだ親のこと話もせんくらい母親は嫌われとったん? 家族全員で母親の存在を無視しとったんかね?”
しかし、つられて争う姿勢は見せず、エリザベスは困り顔でぼそぼそと事情を話した。
”いえ、父が…。父が家を空けている間に母がなくなったけん、えらい落ち込んで、一時期部屋に閉じこもって何もできん人になってしもて…”
エリザベス自身もうっすらとしか覚えていない、幼い頃の記憶だ。
”私が母はいつ戻ってくるんか聞いたら、父は大泣きしてますますダメになってしもて、…そん時に兄達に母のことは口にしたらいかんって怒られて、…それからうちでは母の話をするのは禁止になって。父が立ち直った後もそのまま…、ずっと…”
それまでエリザベスに向けられていた不条理な家政婦長の怒りは消えていった。
”あの子、…のうなっとったん…”
ひどく落胆した様子に、エリザベスは、
”母のこと、知っとるん?”
と問いかけると、家政婦長は
”…私の、娘よ”
と答えた。それはつまり、このおっかない人がエリザベスの祖母に当たるということだ。
”え…、母はルージニアのミンター家の出で、ルージニアに伯母もおるし…”
”ルージニアの貴族と結婚するけん、友達の家の養女になるゆうてたけん。伯母ゆうのはその友達やなかろか”
あの強引な伯母は母の友人だったのか。エリザベスは母の顔を覚えていないので、伯母と母が似ているかどうかもわからない。父はいつも伯母に押され気味だったが、妻の姉というより友人っぽい関係だったようにも見えた。早世した母に代わり張り切ってエリザベスに縁談を持ってきたりしたが、伯母の子供はみんな巣立っていて、売れ残りのエリザベスを心配する余裕があったともいえる。
改めて考えてみれば、伯母の他、ミンター家の人との付き合いはなかった。祖父母に当たる人も見たことがないが、その不自然さを意識したことはなかった。
エリザベスは自分にエルヒュームの血が流れているとは思いもしなかった。しかも、これが祖母。初対面印象最悪、二回目はその最悪な印象をアップグレードし、三回目、事情を聞いてなお、できれば会いたくない人ランク上位にいる。世間で言う「おばあちゃん」はにこにこしていて、孫に甘く、困った時には頼りになる、そんなイメージがあったが、一気に崩れてしまった。
”ルージニアに留学して、その後も帰って来んで、挙句の果てに『子供できたから結婚する』、そんな手紙送りつけて勝手に人様の養子になって結婚した、そんな薄情な娘よ”
ルージニアに、シーモア家に向けられていた恨みが、今度は実の娘に向いている。
この人は寂しかったのだとエリザベスは気がついた。異国に娘を取られ、勝手に養子になり、国が荒れる中音信不通になってしまった娘が心配で、心配が度を越して周りを恨むようになってしまったのだろう。
事情は分かったが、八つ当たりされたエリザベスは納得いかなかった。納得いかないから、あり得ないほどの偶然で巡り会えたにもかかわらず、涙のご対面には程遠い状況になっている。
”それでも、エリザベスに当たるのは間違えているんじゃないかな、フィオレ”
エリザベスの思いを代弁してフロランが家政婦長にそう告げると、家政婦長の背筋がすっと伸び、フロランに深々と礼をした。
”…おっしゃる通りでございます。…フロレンシオ殿下、お元気そうで何よりでございます”
その礼は令嬢の作法指導役になるにふさわしく、体に染みついた角度でピタリと止まり、ふらつくことはなかった。
祖母はフロランとも知り合いらしい。エリザベスは複雑に絡み合う未知なる人間関係に混乱しまくっていた。




