6-9
2026.1.8 6-9 エピソード抜けに気がつき加筆しました。少々長くなっていますがご了承のほど。(完結後二分割する予定)
海辺の宿に一人で長期滞在していたエリザベスが突如やってきた男と一夜を過ごし、共に部屋から出て来て仲良く朝食を食べ、緊張感の取れた柔らかな笑顔を見せている。
宿のおかみも、旦那さんも、常連さんも、そんな様子を暖かーい目で見守っていた。人生のかかった話し合いの果て、進展はちゅーまでとは誰も思わないだろう。
その日、フロランは叔父であるヴィクトル・バルリエと会うことになっていた。手紙では何度かやり取りしてきたが、直に会うのは初めてだった。
エリザベスも同行を希望したので一緒に行くことにした。
エリザベスは行きたいと言いはしたが、本心は行かなければいけないという義務感だ。自分を追い払おうとした相手だが、フロランが折れるにしろ、ヴィクトルが折れるにしろ、自分の今後に直結するフロランのこれからを見届けたい気持ちが強かった。
エリザベスは世話になった礼を言って海辺の宿を引き上げ、フロランが呼んだ貸切馬車で街の中心部にあるホテルに移動した。
フロランが滞在するのはいわゆる高級ホテルだが、広い部屋にはトランクが何個も置いてあり、物置状態になっていた。
懐かしい自分のトランクもあった。ちゃんと持ってきてくれていたことが、本当にエリザベスとの再会を望んでいたことを伝えてくれた。中にはあの日置いてきたあのレモン色のスカートも入っていた。
大公家に行くにあたり、エリザベスはフォーマルなドレスではなくこのレモン色の服を着ることにした。前回はパンツ姿だったことを考えれば、はるかにましといえる。
「エリー、ワタシ婚姻届送った、届いた?」
あのセリオンタイムズ社に届いたファンレターの中の婚姻届。送ったのはやはりフロラン本人だったようだ。
「…うん。届いてた、よ」
「やっぱり、ブリジット・レポート、エリー書いたね。新聞見つけてずっと読んでた」
「…うん。…あれ、…どうして送って来たの?」
「ラブレターね。誰読む、わからない。でもワタシ本気、伝えたくて送った」
「届けてほしかったんじゃ、…なかった?」
「届ける、いいよ! とても嬉しい」
フロランは上機嫌になったが、あれをめぐっていろいろあったせいで、エリザベスにはとても喜ばしい気持ちにはなれなかった。重い、重すぎる一枚…。
「…届けようと、したけど…」
「届けよう、した? ホント?」
エリザベスが先んじて婚姻届を出そうとしたことを知り、フロランは喜びをそのままはじけそうな笑顔にした。しかしエリザベスが冴えない表情をしているのを見て、その笑顔が止まった。
「受け取って、もらえなかったし…。男騙して、勝手に結婚しようとしてるみたいに言われたし…」
フロランはしょげるエリザベスを引き寄せ、抱き締めた。自分の送ったメッセージがエリザベスを苦しめる原因になっていたなど思いもしなかった。
”ごめん。困らせるつもりはなかったんだ。旅する君に思いを伝えたくて…。エリーの旅の言葉に返事を書きたくて、どうかまだ待っていてほしいと、きっと期限までに迎えに行くと、そう伝えたかった…”
”…私も、……早とちりしとったし。…その…。思えば、一人でフライングして、ちょっと恥ずかし……”
”恥ずかしくなんてない。エリーがそういう気持ちでいてくれたことがすごく…、すごく嬉しい。トリティークで読んだ新聞にもブリジット・レポートが載っていたよ。エリーがエルヒュームに来てるって知って、入れ違いにならないように叔父に連絡を入れたんだ。…それを悪用されるとは思わなかったけど。エルヒュームに着いたらすぐピネタの海の見える宿を探して、エリーに会えてエリーさえいいと言ってくれたらすぐにでも婚姻届を出すつもりだった”
あれは二人が再会してから出したのでよかったのだ。それまでは心のお守りでもにしておけばよかったのに、フロランの思いを解釈しきれず、すっ飛んだ方向に動いてしまった。
あれを出そうと動いた時点で、エリザベスは間違いなくフロランのことを本気で思っていた。それに気付くと、昨日の弱気な自分が余計恥ずかしくなってきた。本当に好きかと悩む程度の相手なら、これほどのことをする訳がないのに。
「はっずーーーっ。もうやだー!」
エリザベスは今の自分も、昨日の自分も、結婚届を出しに行った自分も、受け取ってからずっと悩んでいた自分も、全部恥ずかしくて仕方がなかった。穴を掘って埋まりたいくらいの心境だった。
取り乱してジタバタしているエリザベスを見ているうちに、フロランは胸が熱くなり、この上ない喜びで心が沸騰しそうだった。
”婚姻届、預かっていい?”
エリザベスは小さく頷き、あの悩みの種をフロランに手渡した。
馬車で移動したので、大公家に着くのにさほど時間はかからず、慣れない靴を履いていても不安はなかった。
今日の話の中心はフロランであり、エリザベスは付き添い。何より一人ではない。それでも落ち着かず、口数が少なくなったが、そっと手の甲に手が添えられ、エリザベスは指先を軽く絡ませた。
ヴィクトルは窓から降り立った客を見ていた。初めて会う姉の息子フロランは一人ではなく、先日フロランのことを諦めるよう説得した恋人のエリザベスが同行していた。前回とは違い、白いブラウスに爽やかな黄色のロングスカート、淡い黄色のリボンでポニーテイルにした髪を結んでいる。年齢相応の女性らしい格好でセンスは悪くないが、庶民の一張羅にすぎない。
再びエリザベスに会うのは気まずいが、これからフロランに話すことは先日エリザベスに話した内容と同じだ。前回の様子から庶民では大公の相手にふさわしくないことくらいは理解しているはずだが、愛妾希望ならフロランに任せるしかないだろう。
ヴィクトルはエリザベスも共に迎え入れることにした。
”ようきたなフロレンシオ…、いや、フロラン”
ヴィクトルは笑顔でフロランと握手を交わした。
”大公継承では世話んなったな。無事大公は私が引き継ぐようなった。ようやくこの国も帝国と関係のうなったわ”
”血縁関係を理由にした鉱山の無償発掘も有償に切り替えました。発掘権を譲渡していなくてよかったです。皇城に大公家の者がいなくなった今、品位維持費も養育費も支払う必要はありません。フロレンシオの死後の過分な支払いは後日返還されます”
これらの手続きはフロランが宰相代理として手続きし、これから独立を承認する二つの国の書類に紛れ込ませ、決裁を通した。
決裁通りに処理されたのを見届け、宰相補佐の退職届を出したのはやめる当日だった。フロランの事情を知っている宰相は引き止めなかった。
”帝国はこの国の独立を認めたいうことやな”
”いいえ”
フロランの否定にヴィクトルは驚いていたが、フロランは静かな笑みを浮かべて答えた。
”この国は独立国です。かつても、今も”
皇帝は大公を拉致したが、大公国を手に入れてはいなかった。その事実をつかむためにどれほど苦労したことか…。粘り強く探した甲斐があり、自分という帝国とのつながりを切ることでこの国を帝国から切り離すことができた。
後は、この目の前の新大公がつまらない義理を果たそうなどと思わなければ…。
”大公継承への協力には、私と家族をこの国の国民として受け入れていただくことを条件にしました”
フロランはエリザベスに先に送っておいた婚姻届を取り出した。
”婚姻届が必要かと思い、先に書類を提出してもらおうと彼女に託したのですが、二人そろって届け出ないと受理できないと聞きました。そこで彼女、エリザベス・シーモアをここに同席させました。今なら受け付けていただけますよね?”
ヴィクトルが娘との婚姻の話を切り出すより早く、フロランは同行する女性が結婚相手だとヴィクトルに示した。
ヴィクトルもこの女がフロランの相手であることは知っていた。知っていてなお自分の分を知り身を引くように伝えたのだ。そのことがフロランに伝わっていないとは思えないが、そんな事実はなかったかのようにただ手続きを求めてくる。少し不気味だったが、
”その件は、…承認できん”
ヴィクトルはあの時と同じ結論を繰り返した。
”バルリエの名を持つおまえは、市民やのうて大公家の一員じゃ”
フロランは大公をまっすぐ見たまま、口を挟むことなくその話を聞いていた。エリザベスはやはりそうなるんだと、半ばあきらめ気味に俯いた。
”大公家の一員としてこの国に尽くす、それがこの家に生まれた者の務めじゃけん。おまえは大公の称号をもっとったのに、知らんまま死んだことにされてしもた。ほやけどおまえは大公になる素質があると私は思とる”
ヴィクトルが褒めようとフロランの表情は変わることなく、ヴィクトルをまっすぐ見据えたままだ。それを話を聞く気があるととらえたが、その表情は読めないものだった。
”大公代理として姉上が戻るまでこの国を守る。それが私の仕事やった。姉上には子供がおったけん、この場所は大公閣下が戻るまで預かっとるだけで、いつかは返さないかんもんやと思っとる。正直言うて、私の娘らはとても大公の役を担うことはできん。次の代はフロラン、おまえこそ担うべきじゃ。それが姉上の意思やし、私の望む…”
”私に影武者になれとおっしゃりたいのですか?”
ようやく口を開いたフロランは軽い質問でもするように尋ねたが、「影武者」という言葉はヴィクトルの意図とは違っていても、事実上そうとしかなりえないフロランの立場をはっきりと現していた。
”そういうつもりやないが”
”自分の子供に大公を継承させ、実際に政治をするのはその配偶者。どこの家でも、皇家でさえも珍しくはない事例ですが、…お断りします。私は誰かの裏方になり、肩代わりの人生を送るつもりはありません”
反論は準備していたつもりだった。しかしフロランがはっきりと「裏方」「肩代わりの人生」と表現したことを否定できる要素はない。しかし、それでは困るのだ。
”大公家は私の代で終わってもええいうんか。この国を守るんはバルリエ家の務めやが。そこから逃れることは許されんぞ。家を守る、領を、国を守るんは貴族の役目。皇族やったらその重大さは誰よりもわかっとるやろが”
”次世代の準備を怠ったのはあなたの怠慢だ。帝国に乗っ取られたと思い込み、ただの執行官に成り下がっていたのなら、それを受け入れればよかった。大公を引き受けなければよかったんです。帝国は喜んでこの国を属国にしてくれますよ”
ヴィクトルは答えに詰まった。




