6-7
海から近いエリザベスが滞在している宿に戻ることにした。びしょぬれの姿を見て宿のおかみが
”あれまあ。服で泳いだんかね”
と呆れながら、すぐに風呂を使わせてくれた。
”着替えがいるやろ? 勝手に部屋入って荷物開けてかまん?”
エリザベスが頷くと、部屋の荷物から着替えを取って来てくれた。
バスタブはなく、壷に貯められたお湯をすくってかける方式で、お湯が減ると隣の釜で温められたお湯が足される仕組みだ。エリザベスが風呂から上がると、フロランも風呂から上がったところだった。おかみが厚意で使わせてくれたようだ。
二人ともまだ髪が濡れていて、食堂を使うのは気が引けた。
「…部屋、来る?」
「うん」
フロランと共に借りている部屋に行き、ソファの上に置いてあった荷物を床に下ろしてフロランに座ってもらい、エリザベスはベッドに腰かけた。
「今日は、…ありがとう」
「エリー、死ぬつもり、…なかった?」
疑われて当然のことをしてしまったが、エリザベスは首を大きく横に振った。
「全然…。あの船に乗ってここから離れたら楽になれるような…、何故かそんな気がして…。魔がさしたというか、…なんであんなことしたんだろう」
振り返ってみれば無茶なことをしたと思う。それを無茶だと思わないくらい、この場から消えたい思いに駆られていた。海に誘われたかのようだった。どこかに行ってしまいたかった。そのどこかはあの世だったかもしれないが…
「死ぬダメ。ワタシ置いて死ぬ、許さない」
手を取られ、持ち上がった腕を引かれて、よろめくままエリザベスはフロランの胸の中に納まった。
「やっと、エリー会えた。エリー捕まえた。これからずっと一緒。もう離さない」
エリザベスは抱きしめ返さなかった。頬と頬が触れ合うほど近くにいながら、小さな声で弱々しく言葉が漏れた。
「嘘つき…」
驚いたフロランは、エリザベスの両腕をつかみ、少し引き離して顔を覘きこんだ。
エリザベスの頬には涙が伝っていた。表情は凍り付いたように変わらないまま、漏れ出るようにただ涙があふれ出ていた。
「エリー…?」
「待っててって言ったくせに、もう、…もう、帝都に、来るなって…」
確かにフロランは叔父である大公代理にそういう意味の伝言を託した。伝言は伝わっているのに、どうしてエリザベスが曲解しているのか。フロランはもう一度叔父に託した言葉を口にした。
「エリー帝都行ったら、行き違い。だからエリー帝都来ない、ここで待ってる、言った」
「…待ってるなんて、…言われなかった。来なくていいとしか言われなかったもん。…フロランは大公になるって。大公に、なるから、…わたしは、身を、…引けって…」
エリザベスの声はさらに小さくなっていった。
フロランは苦々しげに顔をしかめた。どうしてそういう話になっているのか。
「大公ならない、言った。大公叔父に返した。フロレンシオ死んだ。次大公、叔父ね」
「大公代理が言ったもん。フロランは自分の娘と結婚して大公になるって」
フロランはここでもエリザベスが自分の元から追い払われようとしたことに怒りを覚えた。エリザベスのことを何も知らない、わかろうともしない権力者が、見せかけの利益のために「フロランのため」とうそぶき、エリザベスを傷つける。ここに来ればそんな世界からは離れられると思っていたのに。
だが、まずは何よりもエリザベスの誤解を解かなければいけない。
「ワタシ大公ならない。そのためフロレンシオちゃんと殺した。皇族…地図?、経路? 〝皇族系譜〝、死んだ記録した。死亡証明出した。ワタシそのため宰相補佐なった。大公、結婚相手大公なれない。叔父知ってる。大公なるは子供。次、叔父の娘。大公の夫、大公なる無理」
娘の夫は大公になれない? エリザベスが大公代理から聞いた話と違う。あれは、大公代理の独断によるものだったのだろうか。
フロランは一度は断り、まだ大公になるとは決まっていない。だけどこれからきっとそういう話に持っていかれるのだ。いつだってエリザベスでは足りないと、フロランのそばにいるにはふさわしくないと、周りが決めつける。
「それが…フロランがここにいられる条件にされたら…? フロランはもう皇族には、帝国には戻りたくないでしょ? それなら…」
「フロラン・バルリエ、エルヒューム国民なる。ワタシ条件それだけ。国民なって、エリーと生きていく。…エリー、それダメ?」
大公ではなく、エルヒューム国民として、ここで暮らす。
本当にフロランはただ居場所を求めていた。エリザベスと共に生きるための居場所を…。それがわかった途端、エリザベスは顔を歪ませてぼろぼろと涙をこぼした。ただ我慢して、我慢しきれず漏れた涙とは違う。
「ダメじゃない。…それが、できるなら…」
そのままフロランに腕を伸ばし、首にしがみついて声をあげて泣いた。
自分の考えていたゴールをもっと早くエリザベスに伝えるべきだったのだろう。フロランはエリザベスに申し訳なく思った。しかしこの案件は国家間の問題が絡んでいた。企んでいる事が漏れ、先手を打たれてはどうしようもない。法律を確認し、条約を調べ、しっかりとした裏付けをとり、帝国に隙を見せずに独立国家として次の代に引き継ぐ。そうしなければこの国もまた他国同様に帝国に飲み込まれる可能性があった。
大公である母と結婚し、労せず国が手に入ったと勘違いした前皇帝。欲しいものを奪い取って満足し、母の死後は母のことも大公国のことも忘れていた父の傲慢さに、今回ばかりは感謝した。




