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期限一か月前が迫ってきて、エリザベスは重い腰を上げることにした。
帝都に返事を聞きに行かなければいけない。約束は守らなければ。
ここピネタからトリティーク行きの駅馬車に乗って山を越え、トリティークからは街道をひたすら東へと進めば帝都アルデバランに着ける、はずだ。日数はよくわからない。なんせ帝国内の駅馬車がいつ出るのかをまとめた情報がないのだ。運航している曜日だけでもわかればもうちょっと計画的に進められるのだが、馬車待ちで時間を取られることも覚悟しなくては。
もう海を見ることはないかもしれない。ちょっと残念だが、それも仕方がない。
機会があればこの海の向こうの国に行ってみたい。もしフラれたらエルヒュームに戻ってこの先の国に行ってみるのもいいかもしれない。
荷物の片付けが一段落ついた頃、宿のおかみさんが来てエリザベスを訪ねて来た人がいると告げた。
ディルクもいなくなった今、知り合いなどいないのだが。
宿の受付に行くと、それなりに身なりを整えた若者がいた。どこかの家の執事見習いといったところか。
”エリザベス・シーモアさんです?”
見たことのない人が、自分の名前を知っている。
”ほやけど。どちら様?”
ちょっと怪しんでいると、
”大公家より使いで参りました。大公代理がお目にかかりたいとお呼びです”
呼び出した人は、想定外の大物だった。代理がたてられているということは、今は大公が不在ということだろう。何でそんな人がエリザベスのことを知っているのだろう。
相手はこの国のトップ、呼ばれたら行くのは必至だ。
公的な場で着られるような服はなく、いつものパンツ姿に帯剣したまま行くことにした。
宿の前に馬車が用意されていて、街の真ん中にある小高い丘の上の屋敷まで運んでくれた。これは楽ちんだ。前回は門の前でおっかないばあさんにけんかをふっかけられたが、今日もいるだろうか。会わないで済むことを祈った。
応接室に通され、しばらく待っていると中年の男の人が現れた。面識のない人だ。落ち着いた印象を受けたが、貴族なら見た目と中身が違うのはあるあるなので、警戒は怠らない。
”エリザベス・シーモアさんやね?”
”はい”
”私はヴィクトル・バルリエ。このエルヒューム大公国の大公代理よ”
目の前に大公代理がいること以上に、その家名に驚いた。バルリエ、フロランと同じだ。
フロランの親戚だろうか。
エリザベスがエルヒュームの言葉を話している、その元をたどればフロランがここエルヒュームに縁があってもおかしくはない。しかも皇帝に選ばれるくらいだ。それなりの地位にある家の出身となると、フロランの母親がエルヒュームの大公家出身の可能性は高い。
そんなことも考えず、こんな普段着で、しかもパンツ姿で訪問してしまった。エリザベスは察しの悪い自分を悔やんだ。
”フロラン・バルリエを知っとるやろ?”
”はい。…知っとる、…ます”
”フロランから伝言を頼まれとる。『帝都アルデバランに来る必要はない』やと”
帝都に来る必要はない。
エリザベスは帝都に行かなくてもいい、つまり、もう待たなくてもいい、答えを聞く必要はないということか。
ずっと、…そのためにずっと帝国内を渡り歩きながら待っていたのに。
衝撃的な伝言だったが、思ったより取り乱さなかった。こうなることは心のどこかでわかっていた。
やはり無理だった。居場所を作ることも、婚約を果たすことも、フロランと一緒にいることさえも。
黙って伝言を聞き、聞いてなお口を閉ざしているエリザベスにちらりと目線をやり、ヴィクトルから話しかけた。
”おまえはフロランの、…恋人やったんか?”
”…はい”
恋人どころか婚約者だが、過去形で語られた言葉に、これから言われることの察しがついた。
”フロランは私の娘と結婚し、ここエルヒュームの大公を継ぐことになっとる”
娘と結婚…、エルヒュームの大公に。
フロランは皇族を離れ、自分の居場所を作ることはできたようだ。約束よりもひと月も早く。ただそこがエリザベスの居場所ではないだけ。
”おまえには悪いけど”
エリザベスはヴィクトルの言葉を遮るように立ち上がり、ぼそりとつぶやいた。
”ほうなん…。ほやけん、待たんでええん…”
涙も出なかった。これが二年待った答え。
もう、あの嫌な帝都に行かなくてもいい。
もう待たなくてもいい。
これでおしまい。
”…もう、帰るけん。幸せに、と、伝えて…、もらえるやろか”
顔をこわばらせたまま、ヴィクトルと目を合わせることもなく、エリザベスは部屋を出た。
ヴィクトルは少しは抵抗され泣かれるかもしれないと覚悟していたが、あまりにあっけなく引いたエリザベスに、フロランのことはその程度で本気ではなかったのだろうと思った。
フロラン・バルリエ。エルヒューム大公だった姉セラフィーヌのたった一人の息子。フロレンシオ・バルリエ・イングレイが生きているなら、この国の現大公だった。たとえこの地に一度も足を踏み入れたことがなくても。
死の噂はあったが、帝国に照会しても何の回答もなかった。姉の死も当時の侍女頭から手紙が一通届いたが葬儀も終わった事後のことで、葬儀に参加することもできず、亡骸を取り戻すことも許されなかった。
しかしここにきてセラフィーヌもフロレンシオも帝国から正式な死亡証明書が発行された。
これでエルヒュームの大公は前大公の弟であるヴィクトルが継ぐことになるが、書類の上では死んだことになっていても本当はまだ生きている姉の子供から大公の座を奪い取ることにヴィクトルは抵抗を感じていた。
帝国と縁を切り、なおかつ甥に大公を継がせるには、その死を受け入れたうえで自分の娘と結婚させればいい。名義上は娘が大公になろうとも、その実、大公と同等だ。帝国での宰相補佐としての仕事ぶりを見ればこの国を任せるに足りる。そしてその子がこの国を継いでいけば何の問題もない。
相手も簡単にあきらめてくれたことだ。ヴィクトルは自分の信じる最良の案を進めることにした。
玄関に向かったエリザベスは、あの家政婦長と出くわした。
前回と同じく憎々し気な目でエリザベスを睨んでいる。しかし、今のエリザベスには睨み返す気力もなかった。
”よりにもよって、フロレンシオ様を誑かしとったんかね。勝手に婚姻届を出そなんて図々しいにもほどがあらい。あのお方はおまえなんかが手の届くお方やないけん。諦めてとっととルージニアにお帰り!”
エリザベスは反論もせず、早足で家政婦長の横を通り過ぎ、振り返りもしなかった。
馬車はまだ車止めに寄せたままだったが、馬車には乗らず、小走りで逃げるように大公家を後にした。




