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”あ、いた! おーい”
南から戻って一週間ほどした頃、知り合いなどいないはずのピネタの街の中で声をかけてきたのは、セリオンタイムズのディルクだった。
”え、どしたん? 仕事でここまで来たん?”
”仕事仕事。ほら、これ”
リュックを下ろし、手渡された布袋には何と大銀貨が十枚入っていた。
”原稿料”
”…多すぎやろ”
”それがさあ、ブリジッドの旅レポート、トリティーク以外の新聞からも声がかかってさ”
”えー、他の新聞にも載せたん? …恥ずかしんやけど”
”旅の順路からして次はエルヒュームかなあと思って、わざわざ届けに来た訳だ。あと、これも”
渡されたのはブリジットの旅レポートが載っているセリオンタイムズのバックナンバーだ。
”…ありがとう”
ちょっと恥ずかしいながらもちらっと広げてみて、自分の記事を見て驚いた。
”ちょ…、な、…なにしよんよー!”
初めの頃はエリザベスが書いたイングレイ語を誤字脱字など多少修正して載せていたはずだ。それなのに、いつしかエリザベスがノートに斜め書きしたルージニア語の落書きまでご丁寧にイングレイ語に訳して掲載している。
”誰がルージニア語のとこ載せてええゆうたん!”
”イングレイ語だけとは聞いてないけど?”
にやにや笑っているディルクは確信犯だ。
”これはちょっと…、ないやろぉ"
イングレイ語で書いている内容には心のぼやきだけでなく、フロランへのメッセージだってある。それを訳して載せられると、まるで当初の企画「失恋旅行記」みたいに見えてしまうではないか!
”エルヒュームに着いてから手紙が来ないからさ、次のノートを見せてもらいたいなと…”
どうやら原稿の徴収のために来たようだ。当たり前のように見せろと言ってきたが、エリザベスはきっぱり断った。
”絶っ対、見せん”
”いや、今渡した銀貨、次のお代も含めてるし。俺の出張費も込み込みでいいから。ここまで来て手ぶらで帰ったら怒られるよー”
”そんなん知らんし!”
エリザベスはそっぽ向いた。
”お願いっ! 読者の皆さんも待ってるから。ほら、この手紙見て。ブリジット様へ応援メッセージ”
袋に入れられた手紙を渡されちょっと驚いた。すべてが好意的とは限らないだろうが、それなりに反響はあったらしい。それでも、
”知らん!”
エリザベスはくるりとディルクに背を向け、歩き出した。
”どこ泊ってんの?”
”教えんけん。ついて来んで”
”いやいや、取材先が同じ方向で…”
乗合馬車にまで乗り込んでついてきて、結局エリザベスのいる宿を確認され、ディルクの泊っている宿の名前と場所を書いたメモを渡された。
”ネタがあったらよろしく! また明日!”
それだけ言うと、あっさりといなくなった。
さすがにノートよこせとは言われなかったが…。
…また明日?
手の中にあるセリオンタイムズとファンレター??に、どうしたものかとエリザベスは眉間にしわを作った。
いただいたご意見は、見ておいた方がいいのだろうが…。
変なこと書かれていたら嫌だな、と思い、しばらく机の上に置いておいたが、やはり気になって、エリザベスはもらった手紙を開けてみることにした。
いわゆるファンレターあり、面白かったとの感想、紹介された街に行ってみましたのレポート、どうしてうちには来なかったのかというありがたいお叱り、ちょっと内容が違うから来年も来て取材し直せというポジティブなクレーム。いろいろある。
次の一通を開封し、中を広げて思わず差出人を再確認した。
名前はない。
しかしそこに入っていたのは、一人分の署名が入った婚姻届だった。
フロラン・バルリエ
そう書いてある。
中身はこれ一枚。何の解説も、どうしてほしいとも書いてない。メモさえ入っていない。
…これ、本物?
字は見慣れたあの字に近い。
そもそも何でセリオンタイムズ社にこんなものを?? 皇都でもブリジット・レポートが載っていたのだろうか。…エリザベスの唯一の連絡先だから??
にしても、だ。レポートの感想もなく、あんな去り方をしたのに言い訳もなく突然婚姻届を送り付ける? しかもこれの説明すらないなんて。
出せというのか? エルヒュームにいるとも知らないくせに? ここで出していいのか? 帝国領ならどこでもあり?? 預かっておくだけ? 誰かのいたずら??
そもそも結婚は教会とか役所とかに両人が出向き、二人で婚姻の書類に署名し、成立するものじゃなかったっけ? でないと、偽の婚姻届で見知らぬ人と結婚させられて大変なことになっても教会も役所も責任取れないし…。
エリザベスは困った。
困って、しばらくその紙を広げたまま机の上に置き、腕を組んでじっとにらめっこしていたが、おなかが空いてきたので食事に出かけることにした。最近は宿のご飯だけでなく街の食堂にも出向き、いろんな味を試すようにしている。宿の周りにも何件かあり、ピネタの中心部までいけば食べる所に事欠かない。
広げたままにしておくのもどうかと思い、もう一度たたんで封筒にしまい、他の手紙の入った袋を上に置いた。
そして食事から戻って、一旦は布団に入ったが、どうしても気になってもう一度広げてみた。
サインしといたから出しとけ、でいい??
居場所はどうなったんだろう。名前だけの結婚で済ませる気?
エリザベスが了解しているのか、確認する気もない? 確認するまでもなくエリザベスが惚れ込んでると思われてる? …まさか。
考えているうちに、なんだかムカついてきた。
エリザベスにとって、とことん悪い男運の一番の頂点は、フロランではないのか。
フロランと出会ってからずっと振り回されて、人生変えられて、今や大陸の西の端、エルヒュームまで来てしまった。…そこまでしなきゃいけない人だった? ちょっと会って、再会が嬉しくて、舞い上がって、好きだと錯覚していただけでは?
全ては恋愛経験がなさ過ぎたエリザベスの未熟さがもたらした、ただの思い込みではないかと思えてきた。
知り合いもいない城に閉じ込めて、ご飯さえもいっしょに食べる時間も作れない男。他の女をエスコートしてパーティに出るような男だ。もっと怒っていい。いつだってとっとと怒らず、ひたすら我慢してるから最後は爆発してしまうのだ。
しかし、怒ろうにも本人は遠く皇都の空の下。
いきなりこんなものを送られても…。
喜ぶとでも思ったんだろうか。
エリザベスは頬に伝ってきた涙を隠すように、目の上で腕を組んだ。
期限まで一カ月半になっていた。
皇都までは一番近い街道をまっすぐ行っても一か月はかかるだろう。
これは本人に確認しなければ。惚れた弱みで何だってホイホイ従うと思ったら大間違いだ!
エリザベスは婚姻届をポイっと投げ捨てて布団をかぶった。
しかし結局気になって眠れず、拾い上げて机の上に裏返しで置き、再び布団の中に入った。




