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フロランが亡き母の国に受け入れてもらうことを考えたのは、ローディアからイングレイに戻らされる道中だった。
今まで全く交流はなかったが、今は帝国の属国になっているその国の独立と引き換えになら、自分を受け入れてくれるのではないか。
宰相を補佐する仕事を打診され、躊躇なく引き受けたのは、その下調べをする資料を自由に閲覧できるからだ。
古い資料を探す中で、皇帝である父と母の馴れ初めを知ったフロランは衝撃を受けた。
皇城での夜会で皇帝に気に入られた母は既に結婚していた。
隣国の王女の結婚式に呼ばれた母とその夫。そのパーティに賊が押し入り、夫は殺され、母は略奪された。賊に扮していたのは帝国の兵、その首領は皇帝自身だった。
母は凌辱され、監禁され、婚姻を迫られた。
母は大公国の元首、大公だった。皇帝は母だけでなく母の国も手に入れたかったのだ。承諾しなければ力づくで奪い取ると言われ、帝国の兵に国を破壊されることを避けたかった母は婚姻を受けた。正妃にしてやってもいいと言われたが断った。離れて暮らす側妃の一人、それが母の妥協点だった。
婚姻を受け入れれば国に帰れる。甘い期待を抱いていたが、国に戻ることは許されなかった。大公でありながら国を離れたまま、他の側妃たちと共に城内で暮らす日々。国と民を人質に取られ、帝国に牙を向けようとする者をなだめた。いつか皇帝から忘れられ、飽きられて国に戻れる日が来ることを願い続けたが、皇帝は妻としての興味を失った後も、離縁も帰国も許されなかった。母は最後まで人質だった。
その事実を知り、フロランはどうしても母の国を帝国の属国から切り離さなければいけないと思うようになった。自分のためだけではない。母の願いを叶えるために。
気持ちは焦るのに、資料を探す暇さえない多忙な日々が続いていた。
時間ができれば資料室に入り、帝国が威圧と兵力で広めてきた領土の経過を洗い出した。大半は破壊と共に侵略され、中には中央都市がすべて焼き尽くされた国もあった。特に父親が皇帝になってからは苛烈だった。侵略を受けず属国になったのは大公国くらいだ。
あの皇帝の血が自分の中にも流れている。その恐ろしさは例えようもなかった。
調べれば調べるほど、皇帝の罪が自分の罪のように思えていた。
気がつけばエリザベスのことを後回しにしていて、その隙にエリザベスは城から追い払われていた。
自分とエリザベスの居場所を作りたくて始めた調査は、エリザベスがいなくなってももはや放置できる問題ではなくなっていた。
エリザベスが城を去り、フロランは二日の休みをひたすら寝て過ごした。
起き上がる気力もなく、食事もどうでもよかった。溜まった疲れは眠ればなんとかなる。そう思っていたが、眠るほどに沼にはまり、底のない世界に落ちていくような感覚にとらわれた。緩やかに確実に自分を束縛し、闇の中に閉じ込められていく。二度と明るい世界を望むような愚かしい思いを抱かないように…
休みが明けると何もなかったように仕事に向かい、変わらず遅くまで働き続けた。
仕事はこなしている。しかし本当にやりたい仕事に時間がかけられず、焦りが募る。宰相の補佐をする四人の中で一番量をこなしているのに、他の補佐が面倒な仕事を回してくる。
仕事をしていなければ頭の中が不安であふれ、絶望に飲み込まれてしまう。今までどうやって希望を持つことを諦めていたのか、その方法が思い出せない。
エリザベスがいた頃以上にフロランは自室に戻らなくなり、たまに戻ると閉じこもったまま出て来なくなった。
皇帝の呼び出しにも仕事でないと知ると背を向けた。命じられて席に着いても俯き気味で時に小さく溜息のように息をつき、話を聞き逃して返事さえも忘れる。茶会を名目にした見合いは成り立たなかった。やつれが目立ち、髪は伸ばしたまま紐で一つにくくり、会議のない日は無精ひげが生えていることもある。それは令嬢達が望む貴族令息の姿ではなかった。本来の「皇子様」の姿を知る者は、こんな姿になっているのは多忙なせい、あくまで一時的でまた元のように輝くと信じ、勇気を出して声をかけたが、偽の笑みさえふりまかなくなったフロランが向ける視線は冷ややかで、恐怖さえ感じた。
皇子様に憧れていた令嬢は諦め、家の繁栄を求める令嬢は見かけだけを望むライバルが減ったことに喜んだ。しかしどんなに機嫌を取ろうとしても相手にされない。元皇子の婚約者候補の一人、それ以上の存在になれる者はいなかった。
ある朝、同僚が出勤するとフロランは机の上にうつ伏せたままだった。居眠りをしていると思った同僚達は面白いことになると思い、そのまま起こすことなく宰相が来るのを待った。
宰相が出勤し、眠っているフロランに気がついた。声をかけても反応がなく、揺さぶっても起きなかった。ただの居眠りではないと気付いた宰相はすぐにフロランを自室に運ばせ、医師を呼んだ。
働き過ぎで心も体も疲れ切っていて、しばらく休むよう言われた。
眠りから覚めてもまだ夢を見ているようで、二日ほどで熱は下がったが部屋に運ばれた食事は半分ものどを通らなかった。部屋から出ることはなく、時々エリザベスの使っていた部屋に行き、何をするでもなくぼんやりと座り込んでいた。




