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ブリジット・レポート  作者: 河辺 螢
第五章 イングレイ編
57/59

5-10

 セリオンの北の村から少しばかり南に移動すると平野になった。振り返った先に見える山は雪をかぶっている。あのふもとにいたのかと、移動してようやく自分のいたあたりがつかめてきた。


 馬車の中でこの先の村でビール祭りをやっていると聞き、ふらりと立ち寄った。ビールに羊料理、豪快な羊の丸焼きがセンターを飾っている。多種多様なウインナーが実においしい。勝負を仕掛けてきたおっさん三人を飲み比べで倒し、酒代は奢りになった。さらに上機嫌だ。


 村の近くは宿が取れず、荷馬車に乗せてもらってもう少し大きな町まで移動した。椅子のない荷台は実に乗りにくい。フォスタリアからの救出の旅では二人に無理をさせていたんだなと申し訳なく思い、クッションを用意してくれたライボルト伯爵家の使用人を心の奥で称えた。



 無事宿が取れ、エリザベスが食堂の端の席でホットワインを片手に旅のノートを綴っていると、ノートを後ろから覗き込んでいる男がいた。

"なんか、面白いもの書いてるね"

 エリザベスは慌ててノートを隠した。

”俺、セリオンタイムズの記者でさ。知ってる? 週に2回発行してる地方の小さな新聞なんだけど”

 残念ながら知らない。エリザベスは首を横に振ったが、男は気にする様子もなかった。

”遠くから来たの?”

”…ルージニアから”

 人怖じしないのは職業柄だろうか。

”ルージニアからこんなところへ? ここ、何もないでしょう?”

 「こんなところ」とは地元の人に失礼だ。

”この辺のことを記事に書けって言われて来てるんだけど、事件もないし、ネタを探してるんだ。ちょっと話、聞かせてよ”

”…この先の村でビール祭りやっとったけど”


 セリオンタイムズの記者ディルクに聞かれるままビール祭りの話をし、豪快な羊の丸焼き、ビール対決で勝ったこと、ウインナーの種類が多く白いのが一番好みだったことなどをかいつまんで話をすると、ディルクはそれをメモっていた。まさかエリザベスの話をメモった程度で取材を終えるつもりだろうか。いや、この話をもとに明日にでも取材に行くつもりかもしれない。他に何かあったっけ? と例のノートにちらっと目を落とすと、ノートを手から抜かれた。

”あ、ちょっと!”

”日記…というより、お堅い記録っぽいのに、…なんか面白いなあ…。誰かに読ませるために書いてたりして?”

 普段から文章を書く人にはわかるのだろうか。エリザベスの伝えたい思いが。しかしそこは無言で通した。それで何を察したのか、

”もしかして、失恋旅行?”

 嫌なことを聞かれて、思わず

”…教えん”

と答えた。プイッと横を向いたせいで、図星と確信したのだろう。にやにや笑われたが気にしない。まだフラれてはいないのだから。まだ。…今のところ。


”今聞いた話とかさ、このノートのちょっとした部分を『失恋旅行する異国の女性の目で見たセリオンレポート』って感じで記事にしたいんだけど。原稿料出すから、これ載っけていい?”

 女だと気付かれていた。まあ長く話していればわかることだが。突然の原稿依頼だったが、エリザベスは酔っていることもあって気前よく答えた。

”ええよ。失恋旅行は余計やけど。…ノートはあげれんよ”

 仕事のネタを見つけたディルクは大喜びだ。

”じゃ、何か所か書き写させてもらうよ。後で返すから”

”ちょっとくらいやったら文章変えてもええし。私のイングレイ語、変やろ?”

”いうほど変でもないし、ちょっと変わってるのもガイコクジンっぽくていい味だよ”

 本当に「異国の女性の旅行記」にする気だ。


”名前は出さんといてね”

”名前なしじゃ様にならないな。…偽名でどう? ベルグリンダとか、チャリオティアとか…”

 意味の分からない名前を挙げてきたディルクのネーミングセンスに、エリザベスは思いっきり眉間にしわを寄せた。偽名でも名乗るのが恥ずかしい。

 その時、何気に思い浮かんだのはブリジットだった。レポートと言えばエリザベスの中では

"ブリジット、レポート”

 ふと思い出しただけなのに、うっかり声に出していた。するとディルクはそれをさらりと書き留めた。

”了解。ブリジットね。『旅人ブリジットのセリオン・レポート』、よし、これで行こう!”

 まあ、よくある名前なので、公爵令嬢が由来とはわかるまい。いいとしよう。エリザベスはディルクと乾杯した。よく見ると、ディルクはホットミルクだ。


 ぬるくなったホットミルクをくいっと飲み干し、

”あ、採用されなかったら原稿料出ないけど。そん時はごめんね!”

 そう言い残し、ディルクは自室に戻っていった。

 それを聞いて、エリザベスはくじ引きで一等を当てる程度の期待感しか持たなかった。ちょっとほっとしたのが本音だ。



 翌日、ディルクからノートの返却とセリオンタイムズを一部もらった。セリオン地区、旧セリオン王国だけで読まれている少部数の地方紙。それなら万が一エリザベスの記事が採用されたところで大したことはないだろう。


 セリオンタイムズを広げてみたが、地方の新聞では帝国からの独立を目指す団体の記事もあった。いわゆる反帝国派に近い。こんなのを掲載して大丈夫なのだろうか。あっち派もこっち派も載せるという意味では中立でいいのかもしれない。

 帝国政府の新しい法律の話や、来年の税率、帝国が一部地域を属国から外そうとしている話なども載っている。

 ルージニアの貴族の間では新聞を読むのは男性の嗜みと言われていたが、料理レシピや婦人会活動の記事もあり、男女を問わず関心をそそる記事がある。多くの人に読まれる記事、これこそ地方紙が購読を維持する秘訣だろう。


”またなんか面白い話あったら、ここの住所に送って”

 ディルクは新聞に書かれている発行元の住所を指さした。

”採用されるかもわからんのに?”

”確かに”

 ディルクは笑いながら、新聞社のある町へと帰って行った。エリザベスもまた翌日には次の町へと旅立った。




 数日後、移動した先でセリオンタイムズを見つけ、買って読んでみると自分の記事が載っていた。本当に「旅人ブリジットのセリオン・レポート」のタイトルで載っている。

 よく考えると、原稿料ってどうやって渡すつもりなんだろう。

 まあ、載っただけでもくじ引き三等くらいの価値はあるか、とエリザベスは自身の新聞デビューを祝し、記事を切り抜いてノートに貼った。


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