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ブリジット・レポート  作者: 河辺 螢
第五章 イングレイ編
56/81

5-9

 廊下の先で一人で警備する護衛が、何かの用事で呼ばれた隙に、エリザベスは皇城の居住区を出た。

 みんな忙しく、いつもの姿でうろつくエリザベスを見かけたところで気にも留めない。そのまま皇城の広場を通りかかると、多くの市民が奉祝に集まっていた。姿が見えない戴冠式を待ち、その後の皇帝のお出ましを待っているのだろう。帝都民は新しい皇帝に好意的だ。



 皇城を出るのは予想通り簡単だった。この日を選んだのは正解だった。

 貴族の住む街並みを抜け、商店が続く地区に行くと屋台も多く出ていた。お祭りの賑わいで人も多い。

 屋台で鳥のローストを買ったが、スパイスが効いてなかなかおいしかった。感想を言い合う相手もなく、一緒に街をうろつけたら、とふと思い浮かぶ人に鼻の奥がツンと痛くなった。追い出されたのに一人で逃げてしまったような気分になるのは何故だろう。


 思いを振り切り馬車の駅まで歩いたが、皇都を訪れる人が多すぎて道は渋滞していた。一部の道は貴族専用になっていて、庶民の使える道は更に混雑を増している。駅馬車が駅までたどり着けず、三の壁の外に臨時駅ができていると駅馬車の係員が教えてくれた。

 明日からは復路の便が混むと聞いて、夜の分の食べ物を買って急ぎ臨時駅に行った。

 どの駅馬車も時刻通りには運航していない。何台も止まってはいるが、大半は明日からの帰りのための待機で馬が外されている。今日帝都から離れる便に乗る人は少なく、今日は運休し明日出発することになった便もある。こんな状況で今から皇都で宿探しはごめんだ。


”間もなく出発でーす”

と言われ、あわてて飛び乗った馬車は、予定していた南東のルリオン行きではなく、真北にあるセリオン行きだった。



 寒い季節はあったかいところに行こうと計画を立てていたのだが、最初からしくじった。

 揺られること三日。一つ手前の賑わっている街で降りておけばよかったのに、ぼーっとしているうちに終点だった。終点はなかなかの田舎だった。馬車を降りたら空気が違った。寒い。昼間でもものすごく寒い。この冬一番の冷え込みらしく、やがて雪が降り始めた。

”雪だ!”

 子供達は走り回り、大人たちは凍える季節の到来に重い溜め息をついていた。



 充分な冬支度をしていなかったので、エリザベスは服を買い込むところから始めなければいけなかった。宿は空いていて苦労なく取れたが、数日間やまない雪をぼーっと見る生活が続いた。

 北の地域の部屋の中は思いのほか暖かい。部屋の中だけなら他の地域よりずっと過ごしやすいように思えたが、観光客にとって出歩けないのは致命的だ。

 おいしい食べ物は堪能できたが、もっと寒くなると保存食がメインになるらしい。


 この宿の食堂は村の住人もよく利用していた。宿よりも食堂が本業のようだ。

 村人の話を聞くところによると、帝都の復興が北の地にも影響していて、家を建て直すのに必要な木材をここからも供給しているようだ。


”俺達が薪にする分まで持っていっちまおうとするんだ。皇帝さんのいる都で木がたくさんいるとか言ってよ、こっちでやーっすく買って、街行くとえらい値段が上がって、それでこっちに税を増やすってったって儲けてるもんからとらねばどうにもなんねえさ、なあ”

”帝都の連中がどこぞで山買って、そこの木全部切って、山をつんつるてんにしたらしいぞ。その払いが金貨でなくて、紙の金だったとかゆっとったなあ”

”紙なんて、信用できんのかぁ?”

”金燃やして暖取ることになるのはごめんだわ。はっはっは”

”そうともよ。俺達は薪がないと冬を越せねえんだ。それもわかってねえもんがケチだのなんだの…、まあけちって言われようが、山を守る方が大事だからな”

”なんも生えてこねえ山じゃ、精霊様も住んでくれんで、山の恵みもなくなっちまわあ”


 いつもより聞き取りの難しい言葉で地元の人が話しているが、身振り手振りでなんとなく理解できた。

 お城での引きこもり生活から抜け、今度は雪での引きこもり。習慣となりつつある日々の記録ノートだけが充実していった。



 今シーズン初めての雪がようやく止んだのは三日後。時期の早い雪は解けるのも早かった。宿に食事を取りに来た村人とも顔見知りになり、山の中の滝に連れて行ってもらった。道は端に雪が残る程度で歩けはしたが、土と解けた雪でぬかるんでいてどろどろになった。真冬になると全体が凍るらしい滝は今はまだそこまではいっていなかったが、散った水しぶきで周りの草が少し凍っている。それが光に当たるとキラキラと輝き、ぽたりと落ちたしずくに束の間の美しさを感じた。


 ノートにたまった面白そうな話。

 送ったところで届けてはもらえないかもしれない。何せ家主である皇帝陛下と勝負しているのに、敵に塩を送るようなことはしないだろう。それでも無事に旅していることを伝えたくなり、エリザベスはいくつかの話をピックアップして手紙に書き、フロランにあてて送ることにした。

 届く頃にはこの場所から移動しているだろうし、相手は忙しい身だ。返信は期待せず、滞在地の地名は書いたが滞在先の住所までは書かなかった。


 父にも絵葉書を送ってみた。旅行の記念だということにして、元気だとだけ書いたが、婚約者が同行していないと知ったら怒ってここまで迎えに来るかもしれない。余計なことは書かないに限る。

 婚約に同意してくれたのに、ふがいない娘だ。それでも、もしダメになったと家に戻れば受け入れてくれ、一緒に怒ってくれるだろう。そう思えるのはたった一日でも家族に会え、昔のようにバカ騒ぎできたから。導いてくれたのはフロランだった。

「……、…泣いてま、せん!」

 一人の部屋に独り言が響いた。ペンから手を離し、袖で頬を拭った。


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