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ヨレヨレの制服を着替え、朝集まっているうちに挨拶をしておこうと班の部屋に顔を出したところ、
「おは…」
「いいご身分だよなぁ。仕事もほったらかしてイングレイ行きかよ。これだから女は…」
「尻拭いする身にもなってほしいもんだ」
挨拶より先に突っ込みどころ満載な皮肉で出迎えられた。
今日の仕事はしなくていいのかと確認したし、イングレイ行きは護衛だ。寿退職でもないのに。…限りなくそれに近いけれど。
班長は相変わらず部下に言いたいように言わせ、自分は我関せずを装っている。いつものスタンスだ。
今日の勤務の代替もしていないのだろうか。団長はエリザベスの勤務を止めただけでフォローなし? …この団、大丈夫? エリザベスはもうやめる職場ではあったが心配になった。
「今日まで勤務に当たるつもりだったんですけど、団章をお返ししたので団長に止められまして」
「嘘つけ、どうせサボりたくてとっとと団章返したんだろ」
子供かっ、と思ったが、これで最後、事を荒立てるのはやめよう。エリザベスは我慢、我慢と心の中で唱えた。
「昨日お会いした時に団長から返すよう言われたんです」
「よほどおまえをやめさせたかったんだな」
ああ言えばこう言う…。いや、我慢、我慢。嫌みな笑いもこれで見納めだ。
「そうかもしれませんね。後で団長にご挨拶する時に、急な勤務変更にみんな困っていたと伝えておきます」
そう言ってさらっと流そうとしたが、
「その必要はない!」
突然、班長が声を荒げた。
「班の足を引っ張る奴などいなくなってせいせいする。荷物もろくに持てず、持久力もなく、気も利かない。図々しく長々と休暇を取るかと思えば、昨日の今日でやめます、で終わり。仲間に迷惑かけるような奴など邪魔なだけだ」
「そうだそうだ!」
図々しく? 長々と休暇? 長い休暇を取ったのは、フロランを救出に行ったあの時くらいだ。
班長の言葉に、エリザベスの中で何かがプチッと切れた。
「休暇って…フォスタリアに行った時のことじゃ、ないですよね?」
エリザベスの握った拳がブルブル震えているのにも気が付かず、班長は同調する班員にどうだ、言ってやったぞ的な満足そうな顔を見せている。
おまえかぁぁぁ!
「…私は十日ほど休みたいと言いました。それを…班長、あなたが二週間休んでいいって、…言ったんでしょうがっ!」
声を荒げ、机を拳でたたいたエリザベスにその場にいた者は驚きを隠せなかった。班長にとってエリザベスは自分に忠実に従うことでしか団に残れない無能。役立たずのくせに、ここにきて豹変しようとは。
「そ、そんなことは言って」
「仲間に迷惑かけると思うなら、そん時に止めりゃあいいものを、偽善者ぶって『ゆっくり休んで来い』なんて言ってそっちから日数増やしといて、後からネチネチネチネチネチネチネチネチ…。周りが悪口言ってたのは、おまえのせいかっ!」
大人しく逆らうことを知らないと思っていたエリザベスの本気の怒りに、班のメンバーはこのまま全員殺されそうな恐怖を感じた。
「ええ、私なんかいなくなってせいせいするでしょうよ。班の足引っ張ってすみませんね。来週の倉庫の掃除、よろしく。もう役にも立たない雑用係はいないから、優秀な皆さんで分担して。ごみ当番も、道具の片付けも!」
物品管理、防具の手入れ、予算管理、業務日誌…、少しは役に立てと何でもエリザベスに押し付けてきたが、他ではみんなで分担してやっていることだ。
エリザベスは自分の私物を黙々と箱に詰め、
「お世話になりましたっ!」
と荒々しく別れの言葉を残し、部屋を出ていった。
もちろん仕事の引継ぎも一切しなかった。隣の班にでも愚痴りながら聞けばいい。どうせ一緒に悪口を言っては面白がってきたのだから。
続いて退団の手続きに事務室に行くと、
「団章、昨日返してますので、日付は昨日で書いてくださいね」
と言われ、退団届の書類を渡されたのはいいが、書いている途中で
「宿舎の退去は、今日の16時までです」
と言われ、想定外のリミットに驚いた。
「え、今晩もう一日使いたいんですけど…」
「昨日付の退団ですので、本来なら昨日のうちに退去いただくところです。16時には部屋の最終チェックに行きますから。鍵もご返却ください」
本来なら夜中に出て行けって?? 自分への意地悪? みんな同じ? 嫌がらせではなく規則が悪いのか? 空き部屋だってあるのに融通が利かない!
しかし何を言っても時間の無駄。今は急ぐしかない。
廊下の途中で団長に出くわした。多忙な人だ。後で探してもいないかもしれないので、こんな場所だが挨拶した。
「お世話になりました」
エリザベスを見て団長は足を止め、
「すまなかったな」
と言った。
「団章の件といい、おまえの班での待遇にも気付いてやれなかった。昨日、一昨日とおまえのシフトだけ長く負担の偏重が著しかったが、おまえから進んで仕事を引き受けていたような事実は」
そんなもの
「あるわけありません」
「…だろうな。今日はおまえのシフトは班長に代わるよう言ってある。気にせず片付けに時間を使うといい」
ああ、さっきのあれは仕事を押しつけられた班長の八つ当たりだったのか。結局ここでの居心地の悪さは、直属の上司の嫌がらせが原因の大半を占めていたようだ。ずいぶんと嫌われていたものだ。
「これまでご苦労だった。イングレイでも活躍を祈る」
「今までありがとうございました。どこへ行っても、元アビントン辺境騎士団員として恥じぬ働きをします」
胸に手を当てて敬礼し、団長が通り過ぎるのを見送った。
給与の精算もあり、退職金は後日取りに来るよう言われ、さすがに無理なので実家に送ってもらうよう手続きした。制服をすぐに返せと言われ、急いで宿舎に戻って普段着に着替え、返却した。
「礼服は?」
と聞かれたが、
「入団式の時しか借りてませんけど、ちゃんと返しましたよ?」
怪訝な顔で帳簿を調べられたが、入団式で一度着て返却し、以後一度も貸与された記録はなかった。
「あ、ほんとだ…。…何で?」
エリザベス以上に担当者が驚いていた。
賓客が来る時や大きな式典には「おまえは居残りだ」と言われ、参加する機会はなかった。当日急に着替えを言われて借りられず、イベントに参加できなかったのも「役立たず」のネタにされた。班長以外は一時貸し、その時々で借りて返せと言われていたが、借りっぱなしでも良かったんだろうか。手の込んだ嫌がらせ?
それも今となってはどうでもいい。
大して荷物が多いわけではないが、それでも三年は過ごした部屋だ。何とか期限30分前に掃除も終え、荷物は大小トランク二個。部屋は修理箇所はなしと言われ、安心して鍵を返し、もう戻ることのない宿舎を出た。
明日の出発の準備に追われ、フロランは一息つき、休憩を取っていた。
窓辺に座るフロランを見つけたエリザベスは手を振り、大声で叫んだ。
「フロラーン、宿舎、追い出されちゃったー。今日も泊めてー!」
すぐ隣にいたエルヴィーノがコーヒーを吹き出し、大笑いした。
”『も』…。『今日も』っていいやがったぞ! おい、レン、本当にあんな女が嫁でいいのか?"
驚いているのはエルヴィーノだけではない。屋敷を警護しているローディアの護衛も、辺境騎士団の第一隊の面々も、大胆なエリザベスの発言に目を丸くしている。
"まあ、ね。…ちょっと現実とはずれてるけどね…"
フロランはすぐにエリザベスを迎えに行き、トランクをエリザベスの手から取って一緒に建物に入った。
「隣の部屋、空いてたら今夜だけ使ってもいいか聞いてくれる? 無理だったら街で宿取るけど」
そういうことだろうと思った。フロランはにっこりと優しげな笑みをエリザベスに向けた。
「宿、いらないね。寝るとこダイジョブ。心配いらない」
そしてまずは朝まで共に過ごした自室にエリザベスを招き、トランクもそこに置いた。




