3-12
フロランはエリザベスを引き寄せ、歩く邪魔になりそうなほど近くに寄り添ってその後も店を廻り、食事をし、楽しい一日はあっという間に過ぎて行った。
別れ際に、エリザベスが今日一日ずっと覚悟をしていたことをフロランから言われた。
「来週、ローディア、行く」
エリザベスは頷いた。これがお別れの前の思い出作りの「デート」だとわかっていた。
フロランがここにいるのはローディアから迎えが来るまでの間。いなくなってしまうのはわかっていたことだ。
「エルヴィーノ、ローディア連れて行く、皇后の命令。死にかけたワタシ助けてくれた。必ず約束守る。その後、自由の約束した。でも…、わからない。帝国まだ不安定。ローディア、エルヴィーノの用事。エリザベス、ローディア連れて行けない。…お別れ、です」
短い再会だった。でも以前のような後悔はない。自分のできる限りの力を尽くし、フロランを助けることができた。この一か月はそのご褒美だった。充分過ぎる…。
言葉が震える前に、エリザベスは笑顔を作った。鼻の奥にツンと痛みが走ったが、ぐっとこらえて
「うん…。元気で…」
しかし続きを言う前に、フロランはエリザベスの手を握った。
「一緒生きる場所、見つける。だから、…二年待って」
「に、ねん?」
「きっと迎え行く。ワタシとエリーの場所見つける。…本当は今連れて行きたい。このまま逃げたい。でもそれはエリー、幸せできない」
二年。
待てるだろうか。エリザベスには自信がなかった。誰かのことを思い続けるのは難しい。思い続けても、立場が変われば叶わないこともある。押し付けられる政略結婚だってあるだろうし、突然運命のめぐり逢いがあるかもしれない。
なんて意地悪なんだろう。エリザベスは思った。
三年半も死んだと思わせて、再会してすぐに好きだと言われ、たった一ヶ月でまた離れ離れ。それなのにこの先二年も待てという。いわゆる適齢期だって着実に過ぎていく。あまり気にしてはいないが…
幸い実家とは縁遠くなり、もはや結婚については諦められている。誰からも急かされることはない。自分の意思で決められる。それは学校を卒業した後家に戻り令嬢として生きていたならありえなかった「自由」だ。
”仕方ないけん、待ったげてもええよ。ほやけど、遅れたらしらんよ。二年以上は待たんけんね”
きっとエリザベスなら待っていてくれる。そう思ってはいたが、本人からその言葉を聞けて、フロランは嬉しさのあまりその場でエリザベスを抱き締めた。急な動きにもあの時のようにひねり上げられることもなく、大人しくフロランの腕の中に納まっているエリザベスに、ついさっき自分で否定しておきながら、このまま連れ去りたい気持ちを抑え込めなくなりそうだった。
"できるだけ早く、…迎えに行く"
優しく締め付けるフロランに鼓動の高鳴りを感じながらも、エリザベスはずっと感じていた違和感をフロランに向けた。
「…気のせいかも、しれないんだけど…。フロランのイングレイ語の、発音…? 私に教えてくれてた時と、ちょっと違わない?」
こんな時に無粋な指摘をするエリザベスに、フロランは
”気のせいだよ”
と笑って、そっと唇を塞いだ。
ウィスティアでのデートの四日後、ローディアから迎えの馬車が来た。帝国の王族を迎える馬車はフロランを国へと送り届けたあの日のように豪華で華やかで、それが物理的な距離だけでなく社会的な立場をも遠ざかる証のようで、エリザベスの心を不安にさせた。
旅の日程が組まれ、三日後にはアビントンを離れることが決まり、準備で更に忙しくなった。
当日はエリザベスのような一兵卒が話をする暇はないだろう。別れは前日に済ませておいた。
「月に一度は手紙を書いて。一言だけでも、絵葉書でもいいから。…できるだけで、いいから」
「書くよ。返事なくても書く」
「そして、無事で、…元気でいて」
エリザベスの切なる願いに、フロランは小さく頷いてエリザベスを強く抱きしめた。ようやく距離を縮め、こうして触れあえるようになったのにまた離れなければいけない。
決してこれは最後にしない。再会を誓い、名残り惜しい思いを振り切るまで頬を寄せ、唇を重ねた。
出発当日、エリザベスは辺境騎士団の一員として見送りの列に並び、辺境伯が挨拶するのを遠くから眺めていた。
義足ができあがり、エルヴィーノは自力で立っていた。馬車に乗り込む時だけ少しフロランの手を借りたが、あの旅の時のように抱きかかえられはしなかった。こうして見ると男にしか見えないのに、あの時は華奢な姫君に見えたから不思議だ。あれこそ生き延びるための才能と言えるだろう。
荷馬車で入国してきたのが嘘のようだ。外から見ても乗り心地のよさそうな広くて大きな馬車は世話をする者や荷物を積んだ馬車を連ね、騎馬の護衛に守られ、辺境伯の屋敷を出発した。
通りに沿って大勢の団員が並ぶ中からフロランがエリザベスを見分けられたとは思えない。エリザベスにもフロランが馬車のどちら側に座っているかさえわからなかった。
あの時とは似ているけど違う。追い出されるのではなく、望まない帰国でもない。
新たな旅立ちを見送り、エリザベスはようやく何も知らなかった愚かなあの日の自分を許せるような気がした。




