1-10
居心地の悪い空間でエリザベスは完全に逃げるタイミングを逸していた。
クククッと笑いながら椅子に座るよう促され、対面に座ったフロランの後ろには護衛が立っていた。よく見ると護衛を務めているのはこの学校の本物の学生で、一人はオコナー伯爵家の三男、もう一人は平民ながら学内の剣の試合で一位を取った男だったと記憶している。学生が護衛をしていたせいで護衛がいると気がつかなかった。将来王の近衛隊かアビントンの辺境騎士団をガチで目指している連中を護衛役にスカウトしたのだろうか。外で女の子達を連れている時だって護衛がいたようには見えなかったが、エリザベスの観察力が甘いのだろう。
これからフロランの正体が明かされる。不敬罪となると死刑かな、修道院送りかな、罰で側妃にされたら自爆してフロランも巻き込んでやろう、などと不吉な想像を巡らせていると、頭の中を読まれたのか、なだめるようによしよしと頭を撫でられた。
「そんな緊張しないよ。エリーらしくないね」
誰のせいじゃ、とエリザベスは睨みつけたが、フロランは全く堪えない。
しかし、話し始めるには少し覚悟が必要だったのか、深い呼吸をして自分に向けて小さく頷き、話を始めた。
「ワタシ、イングレイのたくさんいる皇子の一人。五番目の妃の子供、権力ない。父、ワタシ皇帝ならない決めてる」
今のイングレイの皇帝には皇妃と七人の側妃がいた。生まれた子供は一ダースを超えているらしい。その分争いも多く、妃は入れ替わりながら現在は四人、子供は病死や戦死、行方不明などで何人かいなくなっているようだが、正確な人数はわかっていない。
「五歳の時、皇帝ワタシの婚約者決めた。ブリジット・ラムジー公爵令嬢、彼女、婚約者ね」
「婚約者? …フロランの?」
ブリジッドに婚約者がいるのは知っていたが、別の人だとエリザベスは思っていた。この恋はフロランの横恋慕じゃなかったのだ。
「ワタシ、この国の公爵なると父とこの国の王と公爵決めた。ブリジット絵姿見ただけ。いつか結婚する人、ずっと会いたい、思っていた。ルージニア語勉強した。留学決まって楽しみだった。やっと彼女会える。楽しみだけど不安だった。彼女、ワタシ好きではないかもしれない。ワタシも好きになれる、わからない」
今の表情はブリジットが通り過ぎた後、振り返ったあの表情と同じだ。眩し気に微笑むけれど、遠いものを見ているように見えた。
「皇子秘密、身分隠して名前変えた。ブリジット、ワタシ婚約者だと知ってた。知っててしらんぷり。結婚は父が決めた、ほんとはイヤ。国離れたくない。婚約やめたい。そう言った。結婚しない、そばにいるだけ、それもイヤ。…仕方ない」
ブリジットはフロランが帝国の皇子で自分の婚約者だと知りながら、少しもそんな素振りを見せなかった。話しかけることも、歩み寄ることもなく、距離を取り続ける。それはブリジットの頑なな拒絶の意思表示なのだろうか。
フロランはエリザベスに『側妃』になれと言った。ということは、今でもブリジットが本命で、正妃にしたいと思っているのではないだろうか。
留学までしながら、あまりにふがいない他国の皇子。エリザベスをまきこもうとする図々しさだってあるくせに、それも本命ではない気軽さからに違いない。
「…ちょっと話しただけで、あきらめて婚約解消でいいんですか? これからどうするのかちゃんと話し合わなければいけないのでは? そもそも皇命って覆せるんですか? ブリジット様だけじゃなくて、ラムジー公爵の意向は確認しました? 『仕方ない』ってあきらめて済む話じゃないのでは??」
「…ん、…」
どうもしゃっきりしないフロランの態度に、エリザベスは立ち上がってフロランを指さした。
「悩んでないで動こう! ラムジー家にアポとって、本当の自分の名前でブリジット様とラムジー公爵に会って、婚約をどうするのか聞いてくること! うまく行こうが、振られようが、私は側妃になんてなりませんからね! 結果はレポートにまとめて提出! 以上!」
エリザベスはフロランに宿題を課すと、返事を待たずにドアに向かって歩いていった。そして部屋を出る前に、ちょっとだけ振り返って、
“ガンバラナ イカンヤロガネ。コワガラント ヤットウミ”
(エリザベス心の訳:がんばらなきゃいけないところですよ? 怖がらないでやってみては?)
真面目に話しているのにフロランはまたしてもプッと噴き出した。しかし笑顔はすぐに消え、
「そだね」
とだけ答えた。かすかに聞こえた溜め息は、エリザベスのようにレポートが面倒だから、ではないだろう。




