ダム湖の祠
親戚のおじさんから聞いた話。
おじさんの知人にUさんという男性がいた。
彼は独立行政法人 水資源機構の○○ダム総合管理所に勤めていて、そこでダムの管理に携わる仕事をこなしていた。
当時、組織名は「水資源開発公団」という名称だったらしい。
さて、皆さんは「ダム」と聞くと「水をためる施設」というイメージが際立つだろうが、そもそも何のために建設された物かご存じだろうか。
ダムは水力発電や治水・利水、治山・砂防、廃棄物処分などを目的として、川や谷など包囲するなどして作られる。
こうしたダムで川を堰き止めた場合、規模によっては上流側に人造湖(ダム湖)が形成される。
また、土砂崩れや地すべりによって川が堰き止められて天然ダムが形成されることもある。
昭和36年、法律が整備され、各地の水系にダムが整備され、平成2年まで開発は進められていた。
そんなダムの開発には、いくつかの問題点もあった。
まず、人工の構造物で天然の地形や水利を変更するので、環境面への影響は甚大だ。
多くの動植物がその犠牲になる場合もあった。
次にダム湖形成による集落の水没である。
生まれ故郷の村や田畑がダム湖の底に水没することがあり、そのため従来住んでいた住民も立ち退きを迫られることがあった。
しかも、国などからの補償に傾き、立ち退き容認派と反対派の間で激しい争いが起きたこともあった。
そんな因業を持つダムだったが、Uさんは真剣に仕事に従事していた。
勤め始めて間もない新人だったUさんは、配属された管理事務所の先輩に連れられてダム周辺を巡回し、異常が無いか確認する仕事をしていたという。
さて、とある山奥に形成されたそのダム湖には、かつてある村落があった。
しかし、ダム湖造成により今は水底に沈んでいる…先輩の運転する車に乗りながら、Uさんはそんな話を聞かされた。
そんな巡回の最中、先輩は車を獣道のような草木が生い茂る道へと進めた。
車体には草や枝が派手にぶち当たり、舗装されていない道は砂利も薄い。
しかも、繁みで視界が悪くて気付かなかったが、Uさんの座る助手席から左側を見れば、すぐ下は崖になっていてダム湖に続いている。
ガードレールも無いその道は、運転を誤れば転落し、ダム湖へ真っ逆さまだ。
あまりの難所にUさんは肝が冷えたという。
が、先輩はそんな悪路もどこ吹く風と言った風に車を走らせる。
Uさんはそうした先輩の運転に違和感を覚えた。
自分の仕事はダムやその周辺の関連施設に異常が無いか確認するはずだ。
なのに、こんな誰も通らないような山道の先に何があるのか?
そうして、車はようやく停車。
先輩に促されて降りた先は、木々が鬱蒼と生い茂る森だった。
「こっちだ」
そういう先輩の背を追って、Uさんは驚いた。
行く手にあったのはえらく古い石段だ。
しかも、朽ち果てそうな赤い木製の鳥居もある。
先輩は石段の端を歩くように伝えると、慎重な足取りで石段を上る。
Uさんはいわれたとおり後に続いた。
が、内心では首をひねっていた。
こんな古い神社に何の用があるのだろう?
こんな辺鄙な場所にダムの管理に必要な施設があるとは思えない…
「着いたぞ」
先輩の声に気が付くと、Uさんは石段の上にある小さな祠の前に立っていた。
石造りのそれは、神棚に飾る小型の社ほどの大きさしかない。
苔むした石組みの塚の上に鎮座したその祠は、Uさんが今までに見たことも無い形をしていたという。
というのも、社の形でなく釣り鐘型で、しかもその前面は石の両開きの扉が付いており、大きく開いていた。
ちなみに祠の背後は木々の茂りが薄く、枝の合間からダム湖が一望できる。
Uさんは、まるでその祠がダム湖の入り口のように見えたという。
「ここでやることは一つだけだ。簡単だから、よく見てろ」
そう言うと、先輩は祠に一礼し、近付くと開いている祠の扉を両手で閉じようとした。
が、扉はびくともしないようだ。
しかし、先輩は安堵したように息を吐き、
「これでおしまいだ」
と、笑った。
一方のUさんはきょとんとし、
「え?何ですか、今の…!?」
と、先輩に尋ねる。
だが、先輩はUさんの肩をポンと叩き、
「まあ、その辺はおいおい教えるよ。とにかく、週に一回はここに来て、俺がやったように扉を閉めてみろ。で、こんな風に閉まらなきゃOKだ」
先輩の説明に、Uさんは頭の中を「?」でいっぱいにした。
そして、先輩に質問した。
「もし、閉まったらどうなるんです?」
すると、先輩は一瞬暗い表情になり、すぐに苦笑した。
「その時は俺か主任に報告しろ。いいか、忘れるなよ?」
そう言う先輩に、Uさんはやはり首を捻るばかりだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そうして、半年が過ぎた頃。
仕事に慣れたUさんは、徐々に独り立ちし、巡回の仕事を任されるようになった。
巡回ルートは完全に頭に入ったし、もう先輩の案内も不要なレベルだ。
なので、その日も鼻歌交じりに車を走らせ、ノルマをこなしていった。
本来は二人一組でやる巡回だったが、この日はたまたま人手が足りず、仕方なくUさん一人で出動した。
そして、週に一度は必ず立ち寄る「例の祠」の番になった。
最初の頃は、行きも帰りも肝を冷やしていた崖に面した悪路だったが、今はもう慣れたものだ。
そもそも対向車が来るはずも無いので、慣れればあっという間に走り抜けられる。
その日も、Uさんは軽快に車で石段の元に乗り付け、石段の端を昇って祠の前にたどり着いた。
当然だが、辺りには人もいない。
最初のうちは慣れなかった祠周辺の環境も、見慣れてくると絶好の展望台でもある。
もう少し涼しくなれば、一休みできる休憩スポットにも使えそうだ。
「…あれ?」
いつものとおり、開いている祠の扉を閉めようとし、Uさんは思わず声を出した。
というのも、いつもは固くて閉めようとしても閉まらない扉が、潤滑油でも注されたかのように簡単に閉まってしまった。
いつもとは違うその結末に、Uさんは一瞬唖然となる。
(何だろう?先輩が閉まるように何かしたのかな?)
昨日、巡回は先輩達が回っていた。
その時に油か何かを注したのだろうか?
「まあ、後で聞けばいいか」
と、Uさんは扉を閉めたまま祠を後にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その後も順調に巡回と設備の確認を済ませ、Uさんは管理事務所に帰還。
事務所で談笑していた先輩たちの姿を見て、尋ねてみようと思った。
「お、帰って来たな。お疲れさん。なにも異常はなかったか?」
と、笑いながら聞いて来る先輩にUさんが「異常ありません」と報告する。
「…あ、でも一個だけ不思議なことが」
「ああ?どうした?」
「あの祠の扉、簡単に閉まるようになったんですよ。先輩、油でも注したんですか?」
Uさんがそう言った瞬間、先輩達が一様に強張った顔になった。
その様子にUさんがたじろぐ。
「…おい、○○!至急、観測所へ連絡だ。あと✕✕、お前は監視カメラをチェックしろ!主任は?」
「確か、午後から支所で会議だ。直帰するかもしれないぞ!?」
別の先輩の言葉に先輩は舌打ちし、
「△△ちゃん、支所に電話頼む。会議後でいいからこっちに電話をしろって伝言な!」
途端に慌ただしくなる事務所の中で、Uさんは何が起こったかも分からずに立ち尽くすだけだった。
そして、その翌日、ダムから身を投げた仏さんが発見された。
Uさんはおじさんにこう言ったという。
「後から先輩が教えてくれたんだけど、そもそもその祠っていうのは、ダムに沈んじまった村の鎮守にあったらしい」
「鎮守」というのは、その土地や氏族などを鎮護する神様で、例の祠はその神様のものだった。
長く集落と人々を見守り続けたその祠は、その集落がダム湖に沈む際、地元の人々がそのままにするには忍びない、とこの高台に移築したと後で分かった。
そうして守る土地も人々も失った神様は、ずっとここで変わり果てた風景を見つめ続けてきた。
そんなある時、管理事務所の職員が偶然この祠へ迷い込み、その存在が知られたという。
祠の発見は、最初は気にも止められなかったが、ある時、ダムで身元不明の自殺者が出た。
その翌日、祠を発見した職員は信心深かったようで、形式だけでも弔いをしようと思った。
が、付近には寺も神社も無い。
で、偶然見つけたこの祠へ、せめて鎮魂のために、とお祈りにやって来たんだとか。
しかし、職員は祠に来て首を捻った。
見つけた時に閉ざされていた祠の扉が、開いていたのだ。
誰かが開けたんだろうと思い、閉めようと思ったが、固くて閉まらない。
付近には集落など無いし、他の職員に尋ねても誰も祠に行っていないと言う。
そうこうしている内に、再び自殺者が出た。
その職員は続く自殺に暗い気持ちになりつつ、また祠に向かう。
そして、開いたままの祠の扉を何気なく動かすと、今度は嘘のように簡単に閉まった。
胸騒ぎがし、今度は翌日にまた祠へ。
すると、閉まっていた扉は勝手に開いていたという。
そして、固くて閉めることが出来ない。
自殺者が出る度に簡単に閉まるその扉を薄気味悪く感じた職員は、扉がもう二度と開かないように自分で閉めて固定しまおうとした。
が、とても固くて閉められない。
それでも最後にはどうにか閉めて固定した職員は祠を後にした。
そして、その日のうちに、その職員はダムから転落し、死体で発見されたという。
Uさんは先輩から聞いたこの話を最初は信じなかった。
全ては偶然か、誰かの悪戯だと思ったという。
しかし、Uさんは最後にこう言ったらしい。
「先輩からこの話を聞いて、仏さんが出た翌日、俺は祠に行ってみたんだ…そうしたら、扉は開いていたよ。しかもいつものように固くて閉まらなかったんだ」
ちなみに、その祠は今もそのダム湖の高台に残っているらしい。
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