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元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第4章(4)二つの罰

作者: 刻田みのり

 朝。


 俺はほとんど眠れぬままキャンプ地の広場に顔を出した。


 そこには既にプーウォルトとシーサイドダックがおり深刻そうな表情を浮かべて何やら話し込んでいる。


「よぉおはようさん、眠れたか?」


 シーサイドダックが俺に気づき片手を上げた。


 プーウォルトも俺に顔を向ける。


「ミジンコか。今日の訓練は予定変更だ。ラ・プンツェルを何とかしなくてはならんからな」

「やはり放置はできないか」


 まあそうだろうな。


 俺がそう思っているとプーウォルトが眉を顰めた。


「おい、発言の前にサーを忘れているぞ。気をつけろ」

「……」


 あ、うん。


 そういや、そうでしたね。


 俺は一つ咳払いをして気を取り直してから言い直した。


「サー、やはり放置はできないでありますか」


 ノリでそれっぽい言葉遣いにしてみる。あくまでそれっぽくしているだけだが。


「あいつは間違いなくアルガーダ王国の災厄となるからな」

「それどころか大陸制覇も狙っているみたいだしよぉ」


 プーウォルトが腕組みしながら鷹揚にうなずくとシーサイドダックが嫌そうに付け足した。


 そして、スルーされる俺の言葉遣い。こいつらノリが悪いなぁ。


 ま、いいや。


 俺は質問することにした。


 でも、何か喋り難いから普通に喋ることにしようっと。


 発言の頭に「サー」さえ付けていれば問題ないよな?


「サー、手下はあの竜人だけだよな? たった一人で本当にアルガーダ王国と戦えると思うか?」

「あれはたまたま一人しか魅了できなかっただけだ。あの竜人が奴の封印を解いたと言っていただろう? 恐らくその後すぐに魅了して下僕としたのだろう」

「んで、あのやばい指輪を与えたってことか。すげぇ迷惑な話だな」

「サー、そういやラ・プンツェルは前にも指輪を人に与えていたんだよな?」

「ああ」


 俺が確認するとプーウォルトがゆっくりと首肯した。


 心の底から嫌悪するように。


「本官が最初に見た犠牲者はマンディの護衛騎士だった。実直で職務に忠実な男だがそれが仇となったのだな。最後はマンディを庇うように砂になった」

「ウチの知ってる奴はえらく美形で若い騎士だったぜ。剣の腕も一級品でプーウォルトのラリアットを食らっても生きてたくらい頑丈な奴だった。まあ最後の最後で指輪に全部吸い取られて砂になっちまったけどよぉ」

「うむ。あれはなかなかに強敵であった。とは言え本官の方が戦士としては数段上だがな。何しろ本官は超強いだけでなく賢いからな」

「はぁ? 賢い?」


 シーサイドダックが目を丸くする。


 直後に腹を抱えて笑いだした。


「あーはっはっは、クマゴリラの癖に賢いときたか。何の冗談だよっ。つーか脳味噌まで筋肉の男が賢いだなんてとんだお笑い草だぜっ」

「……」


 爆笑するシーサイドダックをプーウォルトが無表情で見つめている。


 俺はちょい背筋が寒くなってそっと二人から離れた。


 シーサイドダックが苦しそうに息をし、両膝をつくとバンバン地面を叩き始めた。


「はぁはぁ、すげー笑える。いやマジでいいぞそのジョーク。クマゴリラにしては傑作だ」

「……き」


 絞り出すようにプーウォルトが声を発した。


 笑い過ぎて涙まで浮かべているシーサイドダックがその声に反応する。


「き?」


 水平に構えたプーウォルトの右腕が魔力の光を帯びて赤く発光した。


 さして距離もない位置からプーウォルトのイースタンラリアットが炸裂する。


「貴様本官を愚弄するつもりかぁっ!」

「ぐおっ!」


 勢い良く吹っ飛ぶシーサイドダック。


 見事なまでのクリーンヒットである。


 しかし、そこはさすがと言うべきか、シーサイドダックは空中で一回転半捻りを決めると華麗に着地した。


 タンッ、と地を蹴ってプーウォルトに突撃をかける。


 プーウォルトとシーサイドダックの双方がめっちゃ速い攻守を切り替えながら接近戦を繰り広げていく。


 つーか、シーサイドダックって魔法だけでなく格闘もできるんだね。何だか意外。


「おめーよくもウチにラリアットなんてかましてくれたな。ちょっと揶揄っただけじゃねぇか」

「本官より頭スカスカな貴様が馬鹿にしてくるのが悪いんだろうが」

「ああん? おめーマジで言ってんのか? 鳴かすぞ」

「ふん、本官より弱い貴様がどうやって本官を鳴かせると言うんだ? お涙頂戴話でも披露してくれるのか?」

「鳴かす、絶対に鳴かすっ!」


 シーサイドダックが大きく飛び退いてプーウォルトとの間合いを広げると両手を交差させて十字に構えた。


 短い詠唱とともに十文字を基調とした光りの魔方陣が構えに沿って浮かび上がる。


天使領域(エンジェリックレイヤー)に行けこのクマゴリラ」

「ぐっ」


 凄まじい吸引力でクマゴリラ……じゃなくてプーウォルトが魔方陣へと引っ張られる。


 だが、プーウォルトも負けてはいない。両脚をしっかりと踏ん張って魔方陣の吸引力に抗おうとしている。


 まあ、それでもずるずると引き寄せられているのだが。


「ウチの魔力はおめーより上だぜ。ご自慢の筋力でウチの魔法に勝てるかねぇ?」

「くっ、本官ともあろう者がこの程度の魔法に苦戦するとは……何という屈辱」

「どうした? さっさとこの状況を切り抜けてみろよ」


 シーサイドダックが嘲笑うように挑発する。


 歯ぎしりするプーウォルト。


 その右腕が再び魔力の光りを放つ。


 シーサイドダックが馬鹿にしたように目を細めた。


「はんっ、幾ら威力のあるおめーのラリアットも食らわなきゃ怖くねぇんだよ。ウチにラリアットかます前に魔方陣に吸い込まれるだけだっつーの」

「ならばその魔方陣をぶっ壊すのみッ!」

「はぁ?」


 プーウォルトの言葉に唖然とするシーサイドダック。


 吸引力への抵抗を止めたプーウォルトが魔方陣へと突進した。


「うおおおおおおおおッ!」


 雄叫びを上げるクマゴリラ……いやプーウォルト。


 魔力よりむしろ気合いがこもっているかのような右腕の光。


「食らえっ、ハイパーイースタンラリアットを」


 魔方陣に叩きつけるプーウォルトの右腕。


 ほいで。


「あっ」

「ははっ、ざまぁ♪」

「……」


 当然のように魔方陣に吸い込まれるプーウォルト。


 勝者、シーサイドダック。


 あまりのことに呆れて言葉も出ない俺。


 てか、こういう展開の時はプーウォルトがラリアットで魔方陣を破壊するんじゃねーの?


 どうして吸い込まれてるんだよ。阿呆か。



 この後暫くしてからボロボロになったプーウォルトが魔方陣からポイされた。


 どうやらハイレベルの天使たちと交戦してめっためたのぎったぎたにされた模様。でも何故かめっちゃ上機嫌でやんの。


 あれか、こいつも好戦的戦闘中毒患者(バトルジャンキー)なのか?


 あまりギロックたち(特にニジュウ)を近づけない方がいいかもしれないな。影響されても困るし。


 自称保護者としては心配です。



 *



「シュナはあれね。聖剣ハースニールの超回復機能があるからあたしの回復魔法なんか無くても大丈夫。そのうち起きてくると思うわ」


 広場に設けた大テーブルを囲んで遅めの朝食を皆(シュナとタッキーヲ除く)で食べているとイアナ嬢がため息混じりに言った。


 麦粥と分厚い謎肉のステーキという取り合わせに出たため息ではない、と思う。


 というかこの謎肉って昨夜黒猫が狩ったワイルドボアだよな?


 それにしてはやけに美味いんだが。あれか、調理したシーサイドダックの腕がいいのか。


「ニャア(こりゃあれだな、保有魔力量が旨みになってるな)」

「……」


 ああ、オーク肉と同じ理屈か。


 それなら素直にワイルドボアの肉って言えばいいのに。


 謎肉って何だよ。謎肉って。


 俺は食事の前にシーサイドダックが「今朝は麦粥と謎肉のステーキだぞぉ」と言っていたのを思い出しながら程良く焼けた謎肉にスプーンを刺した。


 なお、このスプーンは形状がスプーンに似ているが先が割れてフォークのようになっている。


 その名も「先割れスプーン」と呼ぶらしい。お嬢様の命名です。


 さすがお嬢様。これならこの一本で何でも食べられますね。


 やっぱり天使、お嬢様最高。


 ……とか俺がいろいろ現実逃避しているとニジュウがつっこんできた。


「勇者の剣があればおっかない聖女要らない?」


 ジュークが続く。


「勇者の剣、量産しよう」

「そうね」


 しれっとこの場に混じっているアミンがうなずいた。


「アミンもいるし、回復役(ヒーラー)はもう足りてるわ。聖女なんていなくてもOKOK」


 そして、嬉しそうに謎肉のステーキを頬張るアミン。しかもこいつおかわり五階もしています。ずうずうしいですよね。


「……」


 あ、イアナ嬢の目が吊り上がった。


 おいアミン、お前のせいでただでさえ目つきの悪いイアナ嬢の凶悪さが八割増しになってしまったじゃないか。


 どうするんだよ。


「言っておくけど」


 先割れスプーンを麦粥の器の脇に置いてイアナ嬢が静かに告げた。


「あたし、あんたを仲間にしたつもりはないからね」

「はぁ?」

「だってそうでしょ。あんたは昨夜ジェイが引っかけてきただけの女でしかないじゃない。そりゃ仲間の竜人を失ったことには同情するけどそれとこれとは話が別でしょ?」

「ひ、引っかけてきただけの女……」

「おいおい、そんな言い方はないだろ」


 イアナ嬢の言葉にショックを受けた様子のアミン。


 それを見た俺がアミンを庇おうとするとイアナ嬢に氷の刃のような鋭い視線を向けられた。めっちゃ怖い。


 ふん、と鼻息を一つするとイアナ嬢が再び口を開く。


「あと、今さら新しい回復焼く(ヒーラー)が入っても足手纏いにしかならないのよ。あたしたちのパーティーってすんごい強い絆で結ばれているんだから。そこに割り込まれるのは迷惑なの」

「……」


 俯くアミン。


 ええっ、という顔をするギロックたち。


「もしかしてジューク邪魔?」

「ニジュウ、要らない子?」


 黒猫がつまらなそうに鼻を鳴らした。


「ニャー(絆か。そんなもんに頼ってるうちは強くなれんぞ)」

「……」


 黒猫。


 お前、何かあったのか?


 それはともかく。


「ジュークたちは邪魔じゃないし要らない子でもないぞ。そうだよなイアナ嬢?」

「えっ、ええ、そうね」


 その言葉にほっとするギロックたち。


 まあ仮にイアナ嬢が二人を要らない子認定しても俺は見捨てないけどな。


 俺、もうこいつらの保護者みたいなもんだし。


「アミンは……」


 俯いていたアミンが顔を上げた。


「アミンは別に要らない子でもいいわよっ。どうせドモンドにも嫌われていたみたいだし、きっとウサミンもアミンのこと本当は邪魔に思っていたんだろうし」


 席を立った。


 勢い良く立ったからか椅子が後ろに倒れる。


「ひ、一人でだって生きていけるんだからねっ!」


 俺たちに背を向けてアミンが走り出した。


 けど、走り去る前に謎肉のステーキを一切れ掴んでいくのはどうかと思います。


「やれやれだな」


 俺も席を立った。


 イアナ嬢に向き、一言。


「ちょいと回復役(ヒーラー)を捕まえてくる」



 **



 森の奥に少し入ったあたりでアミンを見つけた。


「ち、近づかないでよっ。アミンを食べても美味しくないんだからねっ」

「グルルルルルルルル」

「……」


 昨夜森で会った時と同じようにアミンがフォレストウルフ(やけにでかい)たちに狙われていた。


 こいつ、この手の魔物を引き寄せる匂いでも放ってるんじゃないのか?


 とか思いつつマジックパンチを連射。


 速攻でフォレストウルフ(やけにでかい)たちを全滅させた。


 目の前でフォレストウルフ(やけにでかい)たちが全て倒されたからかアミンがぽかんと立ち尽くしている。


 俺は彼女に歩み寄った。


「手間かけるんじゃねぇよ」

「ジェイ」


 振り返ったアミンがぶわっと涙を流す。


 それが自分でも無意識だったからなのかアミンが慌てて涙を拭った。その仕草はちょい可愛い。


 不覚にもグッときたのは内緒だ。


「さ、皆のところに戻るぞ」

「何でよ」


 まだ濡れた目でアミンが睨んできた。


「どうせアミンがいたら皆の邪魔になるだけでしょ。アミン大食らいだし魔力探知もろくにできないし。それにそっちはもう回復役(ヒーラー)がいてアミンのいる意味もないじゃない」

「イアナ嬢の言ったことを気にしているのか?」

「気にしてなんかないわよっ。あんな聖女の言うことなんてアミンちっとも気にしてないんだからねっ」

「……」


 いやめっちゃ気にしてるだろ。


 ……とは言えず。


 言ったら今以上に面倒くさくなりそうだよなぁ。


 アミンがプイと横を向く。


「と、とにかくアミンはもう一人で生きていくんだから。そう決めたんだからっ」

「無理だろ」


 思わずつっこんでしまった。


 だって、本当にこいつ一人で生きていけるとは思えなかったし。


 それよりギロックたちの方がよっぽど生きていけるんじゃないか?


 あ、黒猫も一匹で生き抜きそうだよなぁ。


 俺が即座に否定したからかアミンが顔を真っ赤にして怒りだした。地団駄のおまけ付きです。


「アアアアミンだって一人で生きられるわよっ。り、料理だってとりあえず全部焼けばいいんだし洗濯だって川とか湖でじゃぶじゃぶ洗って乾かせばいいんだし。どっか雨風凌げる場所があれば寝床にだって困ることはないだろうし」

「……」


 俺は黙ってアミンを見る。


「そ、それにいざとなったら町に出て回復魔法を活かしてお金を稼ぐとかすればいいんだし。うん、それなら十分やっていける。アミン頭いいっ」

「……」


 俺は黙ってアミンを見る。


「あともしかしたらアミンの可愛さに陥落した王族とか貴族がプロポーズしてくるかもしれないじゃない。そしたら玉の輿よ、玉の輿っ」

「……」


 俺は黙ってアミンを見る。


 いろいろつっこみたいけど我慢。


 今はまだその時ではない。


「ま、まあ玉の輿に乗れなかったとしてもアミンくらい魅力があれば男共が放っておかないと思うのよね。ジェイだってアミンが可愛いからジャムパンとかウマイボーをくれたんでしょ? ねっ、だからアミンは一人でも大丈夫」

「……」


 俺は黙ってアミンを見る。


 つーか、こいつどんだけ自分を可愛いと思っているんだよ。


 とんでもない自惚れ屋さんだなあ。クスクス。


「あ、あとは……えーと」

「……」


 俺は黙ってアミンを見る。


 てか、いきなりネタ切れっぽくなってきたな。


 アミンが中空に目を遣りながら「えーとえーと」と繰り返す。


 ああ、困ってる困ってる。


 こりゃそろそろ降参かな?


 なお、最初のうちこそアミンは顔を真っ赤にしていたが今はほとんど赤みを失っている。


 だらだらと冷や汗とか流しているしもうあんまり怒ってないかもしれないな。どっちかっていうと見栄を張りたいだけ?


「……」


 あ、遂に黙っちゃったよ。


 仕方ない。ここらで宥めて連れ帰るとするか。


 と、俺が口を開きかけると……。


「見つけた!」


 聞き覚えのある少女の声が空から聞こえた。



 *



「ジェイ・ハミルトン、そこから離れて!」


 空からの声に俺はぎょっとした。


 この声……やばい。


 俺はアミンに駆け寄った。


 目を見開くアミンの手を掴んで走る。


「えっ、ちょっ、いきなり何?」

「いいから走れ、殺されるぞ」

「ええっ?」


 俺は探知で相手の動向を確認しながら森の奥へと走る。


 ダーティワークの身体強化も使ってとにかく走る。アミンが走り難そうだったので途中で手を離したのだが……よし、ちゃんとついてきているな。


 俺は速度を落とさず進路状の障害物は殴るかマジックパンチもしくはサウザンドナックルで対処する。


 出会したワイルドボアを銀玉の一撃で排除。


 群がってきたキラービーの大群をマルチロックしたマジックパンチで撃破。


「あんた、そこらの竜人より化け物だわ」

「俺は人間だ」


 呆れたようなアミンの発言を一蹴する。つーか守ってやってるのに化け物呼ばわりって酷くね?


 倒木を跳び越えさらに数体の魔物をぶん殴っていると視界が拓けた。


 どうやら森の奥に湖があったようだ。そんなに大きくないので昨夜空を飛んだ時には見落としていたらしい。


「……」


 目の前は湖。


 追って来ているのは水の……。


 て。


 これ、やばくね?


 一瞬よぎった不安を裏付けるかのように風も吹いてないのに湖面が大きく波打った。


 後方にあったはずの魔力反応が俺の目の前の湖に転移している。


 空気がめっちゃ冷たい。


 それなのに俺は汗をかいていた。


 走っていたからではない。もちろんそれでかいた汗もあるかもしれないが俺が意識している汗は別種の物だ。


「ザワワ湖以来だね、ジェイ・ハミルトン」


 湖の上に現れたのは黒髪ショートのボーイッシュな雰囲気の少女だった。控え目というかほぼ平面な胸と腰周りを水色の布で隠しているだけの肌色多めな格好だ。


 今思い出したのだがこれって昔お嬢様から教わった「ビキニ」とかいう水場で遊ぶ時に着る物なのでは? それにしてもはしたない格好だな。


「ちょっと、何僕のことじろじろ見てるのさ。もしかして欲情してる? 変態?」

「……」


 ワォ。


 相変わらずきっついな、こいつ。


「みみみみ水の精霊王!」


 アミンが今にも卒倒しそうな顔色で悲鳴を上げる。


 慌てて回れ右して逃げようとしたアミンの腕を俺は掴んだ。


「もう無理だ。これだけ追い詰められたら諦めるしかない」

「ええっ」


 アミンがじたばたするが俺は掴んだ腕を放さない。放すつもりもない。


 水の精霊王ウェンディはアミンを睨んでいる。彼女から溢れる怒気が周囲の冷気と湿度を増していた。空気がめっさ重い気がするのは気のせいではないだろう。


「緑竜族のアミン、君のことはよーく憶えているよ。シャーリーと野イチゴの早食い対決とかオーク肉の早食い対決とか茹で玉子の早食い対決とかしていたよね」

「……」


 はい?


 何だよそれ。


 シャーリーがたぶん300年前に起きた内乱で亡くなったアルガーダ王国開祖の姫のことなんだってことは何となくわかる。つーか、この状況でウェンディが口にするんだからそのシャーリー以外ないだろう。


 でもさ、何その「早食い対決」って。


 あれ、ひょっとしてシャーリー姫ってアミンと同類?


 うわぁっ、イメージ崩れるっ!


 そういうの夢が壊れるから止めてもらえませんか?


 何かこう、もうちょい儚い感じのお姫様って人物像を想像してたんだけど。


 それが「早食い対決」て。


 そんなの知りたくなかったよ。


 てか、そんな情報要らない。


 むしろ記憶から抹消したい。


「まあいつも負けていたのはシャーリーだったけどね。それでお腹壊してリアに介抱してもらってたっけ」

「……」


 シャーリー姫。


 あなた、負けっぱだったんですか。


 てことは食は人並み?


 うーん?


 とか俺がちょい悩んでいると震えた声でアミンが訴えた。


「ああああの時はべべべ別に率先してあっちについたんじゃない……んです。ドドドドモンドたちがその方が勝ち馬に乗れるからって言うから仕方なく」

「へぇ、あいつらのせいにしたいんだ」


 ウェンディがにっこりと笑う。


 ただし、全く笑っている感じがしない。つーか怖い。


「そうだね。あの赤竜族の奴も青竜族の奴ももういないもんね。死人に口なしだよね。うんうん、君は悪くない悪くない」

「え」

「……」


 戸惑うアミン。


 俺もこれは反応に困るというか……正直関わりたくない。


 あれだ、ウェンディも結構やばいよな。リアさんほどじゃないけど。


「でさ、リーエフから聞いたよ。あの二人って昨夜死んだんだって? 天罰かな?」

「……」


 アミンが俯いてしまう。


 俺は少しイラッときて言った。


「おい、それはさすがに酷いだろ」

「酷いのはシャーリーを裏切ったこいつらだよっ!」


 ウェンディが怒鳴った。


 待機が震え、湖面が荒々しく波打つ。


 湿度がさらに高くなったかのように俺の身体に纏わり付く湿気が増した。むっちゃ気持ち悪い。不快だ。


「こいつらシャーリーと仲良くしていた癖に、あの王様にも良くしてもらっていた癖に、簡単に裏切ってくれちゃって」


 ウェンディの頭上に水球が生まれ、どんどん大きくなっていく。


「本当にムカつくよ……ねぇ、覚悟はいい?」



 **



「本当にムカつくよ……ねぇ、覚悟はいい?」


 ウェンディが静かな口調で言い、頭上の水球をさらに巨大化させる。


 それはもう俺の背丈の二倍くらいになっていた。しかもまだまだ大きくなるようだ。


 俺は慌てて止めにかかった。


「待て待て、確かにこいつが敵側に回ったとしてもシャーリー姫を直接手にかけたとかじゃないんだろ? それならこれはやり過ぎなんじゃないか?」


 俺はシャーリー姫が300年前の内乱で亡くなったとしか聞いていない。


 具体的にどう死んだのかとか殺されたとしても誰に殺されたのかとか詳細については全くと言っていいほど知らないのだ。


 だから、アミンがシャーリー姫の死にどう関わったのかも当然知らない。あくまで彼女が敵側についていたとしか知らないのだ。


 まあ、これでアミンがシャーリー姫を殺したというのであればもうどうしようもない。アミンには悪いがウェンディの気の済むようにしてもらうしかないだろう。


 俺には怒れる精霊王を止められないからな。幾ら常人離れしているからってそれは無理だ。つーか試すつもりもない。


「……」


 ウェンディの冷たい視線がめっちゃ怖い。


 しばらく俺を睨みつけるとウェンディがはぁとため息をついた。


 それでも水球の膨らみは止まらない。


 あ、これもうドラゴンも余裕で入るサイズだ。


 こんなもんぶつけられたら死ぬね。間違いない。


「シャーリーを殺したのは別の奴だよ。そいつはもう婚約者に仇討ちされているしそいつの部隊も全滅している。命令を出したグーフィーも処刑された」


「そうか」


 つまり、アミンは直接的な関与をしてなかった、と。


 ならセーフ……か?


「アアアアミンはあの時別の部隊の支援をしていた……していました。というか城の外にいたのでシャーリーを殺すなんてできる訳ない……できる訳ありません」


 声を震えさせているアミン。


 よほどここから逃げ出したいのか腕を掴んでいる俺が力負けしそうなくらいぐいぐい引っ張ってくる。凄い馬鹿力だ。さすが竜人。


 でも、ここで逃げたところでもう逃げ切れないと思う。


 あ、でもマリコーのラボから離脱した時のように転移すればワンちゃんあるのかも。


 俺は小声でアミンに訊いた。


「ここから転移で逃げられないか? ワークエの時もやってただろ?」

「そういうのウサミン任せだったから。あの時も転移を使ったのはウサミンなの」

「自分では?」

「ごめんなさい」

「……」


 詰んだ。


 ま、まあ一緒にいるからってウェンディも俺まで始末しようとはしないだろう。


 だからってアミンを見捨てて俺だけ助かるなんてことはしたくないが。


 そんなことをしたのがお嬢様にばれたら絶対に軽蔑されるからな。もちろんばれなくても駄目だ。


 ここはアミンを守るの一択だ。


 だが、精霊王と戦うってのもなしだ。リスクもそうだが俺はウェンディと戦いたくない。


 さて、どうする?


「相談は終わった?」


 ウェンディ。


 超巨大の水球が完全に発射態勢になっている。


 ウェンディがその気になればそこで俺たちはジ・エンドだ。


 ああ、やばすぎて吐きそう。


 ウェンディが俺からアミンへと視線を移す。


 嘲るようにその口許が緩んだ。


 超巨大な水球から一筋の水が放たれアミンに命中する。


 一瞬だった。俺が反応する暇もなかった。


 びっしょりと濡れたアミンが目を白黒させる。おっと、ダメージは大してない……のか?


 爆笑があたりに響いた。


 ウェンディだ。


「あははははは、全然動けないでやんの。竜人の癖に恥っずかしいっ♪」

「……」

「……」


 俺とアミン、絶句。


 そして、超巨大な水球から容赦なく連射される水。どれも俺を避けてアミンを狙い撃ちしてくるあたり悪意があるというか何というか。


 あーはいはい悪意はありますよね。


 報復なんだろうし。


 しかし、全部食らってもアミンにダメージは一切見当たらない。ただし精神的ダメージは除外しています。


「え、あ、ちょ、ちょっ、止めて、えっ、ええっ!」

「僕、女神プログラムのルールのせいで君に報復目的で危害を加えられないんだよね。でもさ、これならノーダメージだしギリギリセーフ? うん、これといったお咎めもないみたいだしセーフセーフ♪」

「やめっ、いやっ、ちょっ、止めてくださいっ。ジェッ、ジェイ助けてっ、いやっ、いやぁっ!」

「あははははっ、いいザマ。もっとずぶ濡れになっちゃえっ!」

「……」


 超巨大だった水球が水を撃ち出していくにつれてだんだん小さくなっていく。


 それに比例してアミンを中心とした水溜まりが広がっていった。


 アミン?


 そりゃもうどうしようってくらい濡れちゃってますよ。いよっ、水も滴るいい女っ。


 あ、もちろん俺のお嬢様の方がいい女だけどな(力説)。勘違いすんなよ。



 *



 ウェンディの頭上にあった超巨大な水球は跡形もなく無くなっている。


 つーか全部アミンに放水されてしまったので実質アミンの周囲の水溜まりになったと言ってもいいだろう。


 それにしてもびしょびしょのぐちゃぐちゃのびちゃびちゃでアミンも周りの地面も酷い有様だ。これやっぱりやり過ぎじゃね?


 あまりのことに肉体的ダメージは無くても精神的には大ダメージだったようでアミンは水溜まりの中でぺたんと座り込んでしまっている。泥も跳ねまくっていたため下半身どころか頭の先まで泥まみれだ。もう水も滴るどころではない。


 これ、ウェンディの報復というより単なる苛めになってないか?


 めそめそしながら「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」としか言わなくなったアミンがめっさ憐れだ。


 やり切ったといった感じで「ムフゥ」と鼻息を荒くするウェンディとの対比が酷い。


「……」


 俺はウェンディからアミンへと視線を戻し、それから再びウェンディへと向いた。


 ちょい「あの泥沼と化した水溜まりの中に入るには有機が要るな」とか思ったのは内緒だ。てか、できればご遠慮したい。


「気は済んだか?」


 俺がそう尋ねるとウェンディは急に不機嫌な顔になった。


 尊大そうにふんぞり返る。未発達なお胸を強調しているようにも見えるが残念ながら全くそそらない。お嬢様とかリアさんなら良かったのに。ファストでも可です。


「ふ、ふーんだ。これで罪が帳消しになったと思わないでよね。こんなんで僕の怒りは晴れないんだからっ」

「……」


 ウェンディ。


 その割にもうあんまり怒っているように見えないのだが。


 とは、もちろん言えず。


 言ったら状況悪化させるだけだろうしなぁ。


 とか俺が思っているとウェンディは湖の上からアミンの傍へと転移した。


 めそめそしたまま俯いているアミンの顎を指でくいと上げ、その顔を覗き込む。


「ねぇ」


 ウェンディが感情のない声で問う。


「あの二人が死んじゃって悲しい?」

「!」


 アミンが大きく目を見開く。


「悲しいよね? だってずっと一緒にいた仲間なんでしょ。悲しくならない訳がないよね? それにすっごく悔しいしすっごく胸が痛くなるよね?」

「……」

「シャーリーがあの内乱で死んだ時僕はすっごく悲しかったし悔しかったよ。胸もすごーく痛くなった」

「……」


 アミンがめそめそするのを止めていた。


 彼女はただ黙ってウェンディを見ていた。


 ウェンディがアミンの顎から指を離す。


 そして、その指をアミンの胸に突きつけた。


「ねぇ、あの二人のことを思うと胸が痛いよね? とっても苦しくて堪らなくなるよね? 寂しくて寂しくてどうしようもなくなるよね?」

「あ、ああ……ううっ」


 アミンの目から涙が溢れてきた。


 そして、ウェンディの目からも涙が溢れていた。


「君にとってあの二人が大切な存在だったように僕にとってもシャーリーは大切な存在だったんだ。それなのに彼女はもういない。ねぇ、君にもわかるよね? 大切な存在を失うことがどんなに辛いことかわかるよね?」

「あ……ああ、えくっ、ご、ごめんなさい」

「僕は君の裏切りについてもうこれ以上何かしたりはしないよ。だって、そんなことしてもシャーリーは戻ってこないし君の命くらいじゃ何の代償にもならないもん」


 まあルールもあるからね、と小声で付け足したウェンディの言葉を俺は聞かなかったことにした。


 そういうのにいちいちつっこむほど俺は無粋じゃないので。


「君はこれからあの二人を失った悲しみを背負って生きていくんだ。それが君への罰」

「……うぐっ、ううっ」

「もちろんシャーリーのことも忘れないでね。裏切ったこととかじゃなくて君とシャーリーが友だちだったってこと。それを忘れたら僕本当に許さないからね」

「……うぐっ、は、はい」


 こくんとうなずいたアミンの頭をウェンディは乱暴に撫でた。


 泣き笑いの表情でわざとらしく嘆息する。


「あーあ、僕も甘いなぁ。この程度で済ませたなんてリアが知ったら何と言われることか」

「……」


 そういやそうだった。


 つーか、リアさんの方がウェンディより厄介だぞ。


 何せ、闇落ちの精霊王だからなぁ(違います)。



 *



 もう一度アミンの頭を撫でてからウェンディは消えていった。


 俺はとりあえず無事に終わったことに安堵のため息をつく。いやマジでこの程度で済んで良かったよ。


 精霊王とのバトルなんて洒落にならないからな。


 水溜まりの中でぐすぐすと泣いているアミンを一瞥し今度は別のため息をつく。


 泥まみれのアミンは俺の視線に気づいたらしく弱々しく立ち上がった。泥沼のような水溜まりに座り込んでいたからもう勘弁して欲しいくらい汚れまくっている。丁度すぐ近くに湖もあるしそこで洗い流してやりたいくらいだ。


 というか泣き止んだら水浴びさせよう。


 そう決心しているとアミンが俺に飛びついてきた。うおっ。


「ジェイ、ごめんね。少しだけ胸貸してっ!」

「……」


 俺の胸に頭を埋めてアミンが静かに泣き出す。いや飛びついてきた段階で泣いていたのだから「泣き出す」というのはおかしいのかもしれないがそれは些細なことだ。


 それよりこいつ泥まみれの格好で俺に……いや、それも気にするのは止めよう。既に手遅れだし。


「うぐっ、ごめんね。すぐに泣き止むから……ううっ」

「……」


 仕方のない奴だなあ。


 まあ、こんな時くらいは大人しく付き合ってやるか。


 俺は心の底からため息をつき、何も言わず子供をあやすようにアミンの頭をポンポンと叩いた。



 **



 アミンを伴って俺がキャンプ地に戻ると子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。


「わぁ、猫ちゃんしゅごーい!」

「ニャン(ふっ、このくらいできて当然だ)」

「おおっ、ダニーさんの片手逆立ち」

「ニジュウもやる」

「……」


 なーんかニジュウが黒猫の真似をして片手逆立ちをしようとしているんだけど。


 おいおい、危ないことして怪我とか止めてくれよ。


 つーか、誰か止めろよ。


 俺が慌てて広場に駆け込むと黒猫とギロックたち、イアナ嬢、それにシャルロット姫と侍女姿のリアさんがいた。


 子供たちが黒猫と遊んでいるのをテーブルに座ったイアナ嬢がおやつを食べながら眺めている。リアさんが侍女服の袖口からおやつを補充しまくっているため大皿一枚のおやつはほとんど山を崩していない。


 なお、本日のおやつはバタークッキーと玉子蒸しパンのようです。


 わあ、玉子蒸しパンなんてお嬢様がまだ王都にいた頃に食べたきりだよ。すげぇ久しぶり。


「えっ、何あれ美味しそう(じゅるり)」

「……」


 大食らいの竜人が反応しちゃったよ。


 てか、おい。


 これやばくね?


 折角ウェンディを何とかしたってのに今度はリアさんかい。


 もうちょい俺に休む暇くらいくれよ。


「あ、ジェイだ」


 げんなりしているとジュークが俺に気づいた。


 駆け寄って来る。


「ジェイ、来しゃいました」

「見て見て、片手逆立ち。ニジュウもできたっ」


 シャルロット姫とニジュウもこっちに来る。


 というかニジュウ。


 片手逆立ちでぴょんぴょんしながら跳ねて来るのは危ないから止めなさい。


 つーかすげーよ。


 いや片手逆立ち自体もすげーんだけどそれ以上にドラゴンランスのドラちゃんまでぴょんぴょんしてついてきてるし。


 あれか、この槍って実は魔法生物の類とかか?


 けど、確かマリコーがあの女性型ギロックたちの武器について自立型ウェポンだって言っていたような。


 あれれ?


 違ったっけ?


「ジェイ」


 片手逆立ちしたニジュウが自慢げに俺を見上げた。


 とっても誇らしげだしめっちゃ褒めてもらいたがっている。


「ニジュウ、おっかない聖女にマジコン教わった。ドラちゃん遠隔操作できるようになった」

「……はい?」


 聞けばどうやらニジュウはイアナ嬢が円盤を操っていたのを羨ましがってやり方を訊いたらしい。


 ほいでドラちゃんはマジコン用の魔道具に必要なミスリルの量を満たしているとかでそれ向けの術式も刻んでもらったのだとか。


 刻んだのはシーサイドダックです。


 見本(円盤)もあるから即興でちゃちゃっと仕上げたらしいですよ。あいつ天才か。


「これでまたあいつと戦っても今度は余裕で勝てる。ニジュウのドラちゃんこそ本物のドラゴンランス! ニジュウこそ真のドラゴンランス使い!」

「そ、そうだな」


 ニジュウはニジューロクというもう一人のドラゴンランスの使い手と真のドラゴンランス使いの座を争っていた。


 こいつらマリコーのラボでの戦いでは決着をつけられなかったみたいなんだよね。


 俺、マリコーと対峙していたからニジュウたちがどんな戦いをしていたのか直接見ていないけど。それでも、きっと厳しい戦いだったんだろうなぁとは思う。


 保護者(自称)としてはうちのギロックたちに危険な目に遭って欲しくない。でも、ニジュウにとってドラちゃんは大事なんだろうからそのあたりは気持ちを汲んであげないと。


 ま、それはそれとして。


 俺はシャルロット姫に向いた。


「ええっと、どうしてここにいるんですか?」

「来ちゃ駄目でしゅか?」

「……」


 眉をハの字にして尋ねるシャルロット姫。


 わざとじゃないんだろうけどちょいちょい噛む拙い喋り方が何とも……いや待て俺、いつからそんなやばい性癖に目覚めた。相手はロリだぞ。しっかりしろ。


「ジェイ、まさかあんた……」


 背後から冷たい視線を感じる。


 アミン、それは誤解だ。


 俺はそうじゃない、そうじゃないんだ。


 えへへー、と左右からギロックたちに抱きつかれ(ニジュウは片手逆立ちを止めている)シャルロット姫に正面から物欲しそうな目で見つめられる。その手の趣味の人には血涙を流しながら羨ましがられるのかもしれないが俺はノーマルだ。


 大事なことなので繰り返すが俺はノーマルなのだ。


 むしろお嬢様がいいです。ロリコンではなくお嬢様コンとお呼びください。


 ……とか考えていたら。


「姫様があまりにもジェイさんに会いたいと仰るものですから連れて来てしまいました」


 いつの間にか傍まで近づいていたリアさんがひょいとシャルロット姫を抱えて自分の右肩の上に座らせた。流れるような動作である。


「それと私とは別の分身体がリーエフから裏切り者の話を聞きまして」

「……」

「ひっ」


 にっこりとするものの何やらドス黒いオーラを漂わせるリアさん。


 思わずごくりと喉を鳴らしてしまう俺。


 そして、短い悲鳴を発するアミン。


 リアさんがアミンに声をかける。


「久しぶりですねアミン。最後に会ったのはあなたと姫様がミルクの早飲み対決をした時ですからもうかれこれ300年になりますか」

「あわわわっ、闇の精霊王っ!」


 アミンが慌てて逃げようとする。いや、お前今まで気づかなかったんかい。


 あれか、食い物に目が行っていて他は見えていなかったって奴か。


 だが、逃げようとしたアミンの足下からにょきっと黒い手が伸びてその足を掴んだ。あれ、アミンの影から出て来たな。


「えっ、あれ何でしゅか? リア?」

「姫様が気にすることではありませんよ」


 シャルロット姫が吃驚して声を上げるがリアさんは何事もなかったかのように微笑んでいる。この人怖いよ。


「で、でもあの人……竜人さんでしゅよね。竜人しゃんが何か黒い手に捕まって……」

「姫様、お疲れのようですしちょーっとお休みくださいね」

「別に疲れてなんかいましぇんよ。それに今しょんなことしてる場合じゃ」

「おやすみなさい」

「……くぅ」


 かくん、と頭を垂れてシャルロット姫がリアさんの右肩の上で寝息を立て始めた。何故寝ているのに肩から落ちないのかは謎である。まあつっこまないけどね。


 リアさんは幸せそうにしばしその寝顔を見て、それから徐にアミンへと視線を向ける。


 口調が鋭くなった。


「さて、どうしてくれましょうかね」

「……」

「あわわわわわ」

「おおっ、おっかない聖女より怖そう」

「おばさん呼ばわりされたマムより……いやどっこいくらい怖いかも」

「ニャー(闇の精霊王の怒りか。こいつは迂闊に手を出せんな)」


 俺、アミン、ジューク、ニジュウ、そして黒猫。


 イアナ嬢は……あいつおやつに夢中でこっちに気づいてないな。おい、ふざけんなっ!


 あと何気に大皿の枚数増えてるんだが。


 こんもりとバタークッキーと玉子蒸しパンを山盛りにしてるんじゃねーよ。あれじゃ全部食べ終えるまでイアナ嬢が役に立たないじゃねぇか。


「あああああアミンのおやつがっ。すぐそこにあるのにぃっ」

「……」


 マジでこいつら同類かよ。


 わぁ、あんまり過ぎて目眩がしそうだ。


 それともこれも致死以外の状態異常無効の範疇になるのか? ぜひ範疇であって欲しいです、はい。


 リアさんが俺を見遣る。


「邪魔はしないでください。いいですね?」

「お、おい。何をする気だ」

「何をって、そんなの決まってますよ」


 俺はリアさんが仇討ちをするのだと思い止めようとしたが、強烈な魔力によって身体の自由を奪われてしまった。


 この動きを封じる魔力はラ・プンツェルのそれより上だ。あれこのリアさんって分身体だよね?


 めっさ強いんですけど。


 やばい、これじゃアミンを守れない。


「あ・な・た、シャーリーととおっても仲良しさんだった癖に裏切ってくれてどういうつもりなんですか」


 俺の脇を通ってアミンと向かい合ったリアさんが糾弾しだした。


「そりゃあの王様は健康おたくで自分だけでなく他の人にも食事制限とかさせようとしてましたよ。そのせいでシャーリーも甘い物をあまり食べられませんでしたし。たまにあなたと食べる対決形式のお食事がシャーリーにとってどれだけ楽しみだったことか……」

「……」


 えっ、何それ。


 アルガーダ王国の開祖の王様って健康おたくだったの?


 そういうの誰も教えてくれなかったんですけど。


 つーかあれか、歴史の闇に埋もれた新事実みたいな奴か。


 学者とか知ったら呆れて歴史書を窓から放り投げたくなりそうなレベルのくだらなさなんだけど。


「そんな愉快な……ではなくて心温まる交流をしていたシャーリーとの友情を裏切るだなんて……あなた極悪人ですか? ミジンコだってもうちょっとましなことするはずですよ」

「……」


 リアさん。


 凄い怒ってるからなんだろうけど途中から意味不明なこと言ってますよ。


 とは言えず。


 いや、何か今つっこむと反撃が凄まじそうだし。完全に闇じゃなくて闇落ちの精霊王になってますよね?


「ニジュウ、ミジンコってそもそも何?」

「さぁ? たぶん熊教官の言いぶりだと虫の類?」

「ニャ(そういうのはスルーするのがお作法だぞ)」


 ジューク、ニジュウ、そして黒猫。


 こいつらもつっこみたいけど放置しよう。


 とてもじゃないがやりきれん。


 黒い腕で高速されたアミンにリアさんが指を突きつける。


 アミンが恐怖で震えながら涙を流しているがリアさんに容赦はないようだ。漆黒のオーラとか漂わせているしこれはもう本格的にアミンはやばいかもしれない。


「あなたへの罰はもう決めています」


 リアさんの侍女服の袖口から黒い煙が吹き出しそれが中空で一枚の白い紙になった。


 羊皮紙よりも質感の良さそうな上質の紙だ。


 その紙をアミンの額に押し付ける。


「緑竜族のアミン、古の契約により(ピーと雑音が入る)の魔道をもってこの責を追わせるものとする。これを破ること一切許されず万が一破ることあればその魂を永久に(またピーと雑音)」

「えっ、何これ。頭の中で声が……」


 リアさんが凜とした口調で言葉を紡ぎ、それに合わせるように二人を囲む魔方陣が展開した。


 魔方陣の青白い光りが二人を照らし、これが絶対に違えぬ契りであることを主張する。


「……」


 それにしてもアミンとリアさんの表情の対比が酷いな。


 あと何気に魔方陣の中にシャルロット姫がいるんだが……あれは大丈夫なのか?


 まあリアさんも承知でやってるんだろうからきっと大丈夫。


 うん、信じるって大事。


「ねぇ、お姫様のまわりに何か文字が浮かんでる」

「わあ、何だかやばそう」

「ニャ(ありゃ契約と関係しちまってるな。ま、闇の精霊王がわかってやってるみたいだし平気だろ)」


 ジューク、ニジュウ、そして黒猫。


 おい黒猫。


 本当に平気なんだろうな。


 ちなみにシャルロット姫だけでなくアミンの方にも文字が浮かんでいた。


 リアさんの声。


「これであなたは姫様を裏切ることができなくなりました。姫様の危機には必ず馳せ参じてその身を盾としなければなりません。あなたはもう姫様の所有物です。その身が朽ちようと姫様がこの世に存在する限り……」



『リア』



 リアさんの言葉を誰かの声が途中で遮った。


 てか、お嬢様の声だ。



『なーんで本体が調整中なのにこんなことしているんですか? 自分の本体がどうして調整を食らわないといけなくなったのかちゃんと理解してます? もう少しお話が必要みたいですし分身体のあなたもこちらに来てもらった方がいいんですかねぇ?』



「……」


 お、リアさんが固まっちゃったぞ。


 これきっと俺やイアナ嬢と一緒にネンチャーク男爵と戦ったリアさんなら抵抗したんだろうなぁ。


 えっと、こっちのリアさんはその時のリアさんとは別人なんだよな。


 あれ、同じ人?


 ああもう分身体とか使うなよなぁ。区別するのがめんどいじゃないか。


 とはもちろん言えず。


 言ってもいいのかもだけどそれはそれで後が面倒そうだしなぁ。



 *



 お嬢様の声によってちょいぐだぐだになったけどとにかくアミンは魔法契約を結ばれてしまったようだ。


 今は広場のテーブルを囲んで皆でおやつを楽しんでいる。


 なお、リアさん(分身体)の調整送りはひとまず保留になったようです。その分本体がめっさ怒られるみたいですが。哀れ。


 皆が賑やかにおやつを食べている中、シャルロット姫も目を醒ましており玉子蒸しパンの美味しさにテンションめっちゃ上げまくっていた。


「これ柔らかくて甘くてしゅごく美味しいです。シャル、これしゅき」

「うふふっ、姫様がお気に召したのならまた後で用意しますね」

「えっ、それあたしも食べたいっ。いいですよね?」

「おっかない聖女、遠慮しろ」

「ニジュウ、おっかない聖女が太る未来しか見えない。デブ聖女爆誕?」

「ニャー(おい、肉はないのか? こんなんじゃ腹の足しにもならんぞ)」

「……あのっ!」


 わいわいとおやつを満喫している中にアミンの声が響いた。


 皆、一斉にアミンを見る。


 イアナ嬢を除いて全員の手と口が止まっていた。つーかイアナ嬢はもうちょい空気を読もうな。


 まあおやつが美味しいのはわかるが。


 お子様たちでさえわきまえているぞ。しっかりしてくれ。


 アミンが席を立ってシャルロット姫の傍に歩み寄る。


 何か決心したように真剣な眼差しでシャルロット姫を見つめていた。


「シャーリー……じゃなくてシャルロット姫」

「はい?」

「アミンとどっちが速く玉子蒸しパンを10個食べられるか勝負よっ! あなたがこの対決に負けたらアミンのお友だちになってもらうんだからねっ!」

「……」


 シャルロット姫はすぐに返事をせず、少しの間アミンをじっと見つめてからにっこりと微笑んだ。


「はい、いいでしゅよ。でも、わざわざ対決なんかしなくてもお友だちにはなれましゅよね?」

「!」


 アミンが目を見開き、それから彼女は挑戦的に笑んだ。


「そ、そうね。でも早食い対決はするわよ。いいわね?」

「もう、仕方ないでしゅねぇ」


 やれやれといったふうにシャルロット姫が承諾する。


 ツンとした態度でアミンがシャルロット姫の隣の席に座った。正直王族に対する態度じゃないがとりあえずそこはつっこまないでおく。


 それと、アミンの目の端に涙が浮かんでいたのも見なかったことにしよう。


 俺は姿形こそ変われど再び交流を始めた二人に無言で祝福を送りながら久しぶりの玉子蒸しパンを味わうのだった。

 

 

 


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