プロローグ
【203X年5月】
「お母さん、本読んで!」
夜の闇が広がる時間、柔らかな電灯の光が、幼いヒロトの横顔を照らしていた。
両手には少し古めかしい本、『ムー大陸のふしぎ』が握られている。
「また?ヒロトは昔話が大好きなのね」
母は困ったように笑うと、ゆっくりと眼鏡をかける。
そして小さな咳払いをしてから、ページを開いた。
「昔々、人々が文字すら持たず、その日の糧を狩りで満たしていたころ。ムー大陸・アトランティス大陸という2つの大きな島がありました。それらの島住む人々はとても賢く、速い乗り物で空を飛び回り、高い建物を建てて優雅に暮らしていました――」
読み聞かせは続いていく。
「――繫栄の絶頂にあった彼らの文明は、大きな地震とともに1夜にして海底に沈んでしまいました。……それでも現代の人類を遥かに上回っていた彼らの文明は超古代文明と名付けられ、今の時代に伝わっています。――おしまい!」
「ねえ、ムー大陸やアトランティスってホントにあったの?」
ベットに寝ころびながらヒロトが問いかける。
「わからないわ。でも、みんな忘れてしまっただけで、きっとあったんじゃないかしら。さあ、もうおやすみなさい。明日も早いわよ」
「わかった。おやすみ……」
母の両腕に抱かれて、ヒロトは意識を手放した。
――現代に至るまで様々な調査が行われたが、ムー・アトランティス両大陸の痕跡は見つからなかった。
やがて、超古代文明の存在はオカルト話の珍説として扱われるようになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【204X年8月 太平洋 マリアナ諸島 サイパン島沖】
雲1つない青空。透き通るほど青く、穏やかな海。
そんな大自然に囲まれた島の中で、大きな人影を操る、黒髪黒目の少年がいた。
大きな人影の正体は機動兵装スタンベース。
ひと昔前ならアニメや漫画の中だけの存在だった、巨大人型兵器だ。
全長はおよそ20メートル。
バッテリーに蓄えた電力を運動エネルギーに変換して動力を得る。
地球征服を目論むエンハンスに対抗するため開発された、地球軍の主力兵器である。
少年――笹原弘人は、目を細めてディスプレイを眺めると、操縦桿を巧みに操る。
正面の敵機に狙いを定めると、対物ライフル弾を発射。
敵機は回避機動を取るが、2発命中。
「よし!」
喜びもつかの間、ヒロトの眼前にライフル弾が放たれる。
1発は彼の機体をかすめた。命中判定だ。
「やる気だな……それなら!」
ヒロトは敵機の背後をとるよう機体を滑らせていく。
敵も反応し逃れようとするが、ライフル弾で動き出しを牽制して逃げ場を奪う。
距離を詰めたところでコクピットにメタルブレードを突きつけた。
《ヒロト機の勝利!双方空母イズモへ帰投せよ》
母船の指令のあと、相手側と通信がつながる。
「また模擬戦でヒロトに負けたー!悔しいー!」
相手パイロット――田山真由美の元気な声がヒロトのコクピットに響いた。
母艦である空母イズモに到着したヒロトは、すぐに部屋に戻ろうとしたが失敗した。
居住スペース手前の通路で、元気ハツラツの少女、マユミに捕まったのだ。
「ヒロト、操縦のコツを教えてくれない?」
「マユミだって模擬戦の成績2位なんだから気にしなくていいだろ」
「負けっぱなしは嫌!私は1番がいいの!」
「子供か!……もうちょっと索敵に気を付けた方がいいよ。エンハンスとの実戦だと命取りになる。今回も俺が先に見つけて、先手を取ったし」
ヒロトがアドバイスすると、マユミは笑みを浮かべてうなづいた。
やたらニマニマしている。
「なんだよ」
「いつもアドバイスしてくれるし、ヒロトは優しいなって。……一緒に生き残ろうね?」
マユミはいたずらっぽく笑う。
だが、ヒロトの顔は暗い。
「約束できない。エンハンスの強さは知ってるだろ。スタンベースじゃ、あいつらが乗ってる機動兵装には勝てない。自分のことで手一杯だ」
エンハンス――突然宇宙からやってきた謎の生命体。
彼らのもつ軍事力は圧倒的で、人類は数ヶ月で軌道上の宇宙ステーションと、ヨーロッパ地方を失っている。
それだけじゃない、エンハンスの空襲で父さんと母さんも死んだ。
人類は追い詰められている。
「ネガティブ禁止!模擬戦トップのヒロトが暗い顔してたら、私たちどうすればいいのよ。エースなんだから自信持ちなさい!」
「……善処するよ」
「いい、沖縄の基地に戻った後どの戦線へ配属されても、絶対あきらめないで!」
うつむいたヒロトの顔を覗き込み、マユミは元気よく笑う。
ヒロトが言葉を返そうとした時、艦内に警報が響き渡った。
《レーダーに感有り!7時の方向より、急速接近する物体を確認!人型に2枚の翼……エンハンス軍の機動兵装、ホースタルと思われる!現在、直掩任務のスタンベースが急行中!待機中のパイロット各位は至急スタンベースで出撃せよ》
「あはは……前線配属前にいきなり実戦だね。まさかエンハンスが太平洋まで来るなんて」
「緊張しないのか?初めての実戦なんだぞ」
「私は18才。ヒロトより2つも年上なのよ。大丈夫、ヒロトは私が守るわ」
それだけ言うとマユミはヒロトの前に出る。
さっきまでのおちゃらけた顔とは打って変わって、彼女の表情はいつになく真剣だった。
コクピットへ向かうマユミに呼びかける。
「わかった。俺はマユミを守るよ。だから2人で生き残ろう」
笑顔で頷くマユミを見ながら、ヒロトはスタンベースに飛び乗った。
《左舷弾薬庫に被弾!火災発生》
発進準備の最中も戦況は悪化していく。
「オペレーター!発信許可はまだなのか!?」
《待ってください……進路上に敵影なし!ササハラ准尉、発進どうぞ!》
「了解!ササハラヒロト、スタンベース一番機。出撃します!」
カタパルトが射出され、ヒロトは雲一つない青空へと飛び立った。
緊張はすでにない。訓練通りの動きが出来ている。
しばらくして、ヒロト機の鼻先を光弾が掠める。
敵機ホースタルのレーザーライフルだ。
ヒロトは機体を倒して射撃を回避すると、対物ライフルを撃ち返す。
ライフル弾はホースタルの先頭機に命中し……弾かれた。敵の防御シールドを貫通できなかったのだ。
それでも不快感は与えたようで、編隊を組んでいた4機のホースタルの内1機が旋回してヒロトへと向かってくる。
スタンベースとは一線を画すスピード。
しかし、ヒロトは不敵に笑った。
「釣れた!よし、もっとこっちに来い……」
空母アルサディムには8機のスタンベースが搭載されている。
上手くすれば、それぞれ二対一の状況を作れるはずだ。
「ヒロト、援護するわ!そのままホースタルを引きつけて!」
ヒロトの思考を読んだように、マユミから通信が入る。
ホースタルの後方にライフル弾が命中し、火花を散らした。
「了解!」
マユミに短く返事を返すと、回避機動に集中する。
太陽を背にして上昇、敵機が狙いを定めたタイミングで急降下。
躱したレーザー弾が次々に海面で爆ぜ、水柱を立てる。
その間にもマユミの射撃は正確にホースタルを捉える。
ホースタルの防御シールドは無敵じゃない。数発のライフル弾は弾き飛ばすが、短時間に数十発が命中すれば綻びがでる。
僅かだが、ホースタルから黒煙が上がり始めた。
「よし、このまま……ッツ⁉わっと!」
順調に押し込んでいたマユミは慌てて、機体をひねる。
ヒロトを追っていたホースタルが反転、マユミにレーザー弾を放ったのだ。
ホースタルがマユミに撃った2斉射分の射撃。
それはヒロトにとって充分すぎる隙だった。
スロットルを限界まで開き、ホースタルの背後に飛び込む。
「落ちろ!」
両手持ちに切り替えたメタルブレードが、ホースタルの片翼に食い込み、1拍の内に切り裂いた。
小爆発が起き、ホースタルの高度が下がる。
「やった、翼もぎ取ったわ!流石ヒロト!」
マユミの興奮した声が響く。
「まだ手強い。油断するな!」
マユミに注意を飛ばしつつも、ヒロトの顔に笑みが浮かぶ。
ホースタルは翼ユニットから推力を得ている。今の攻撃で敵機の推力の半分を奪ったのだ。
追撃に移ろうとした瞬間、ヒロトの目にマユミへ迫るレーザー弾が映った。
新手のホースタルだ。
「マユミ、後ろだ!」
呼びかけて気づく。このタイミングでは、回避は間に合わない。
『大丈夫!ヒロトは私が守るわ』
『俺はマユミを守るよ。だから2人で生き残ろう』
脳裏に蘇る、格納庫での会話。
ヒロトはとっさに操縦桿を倒し、マユミのもとへ突進し――マユミ機を突き飛ばした。
レーザー弾の高エネルギーが、ヒロト機の右腕と胴体をえぐる。
ヒロトは一瞬衝撃で浮き上がると、機体とともに錐揉みしながら海面に落ちて行く。
「ヒロトッ――!」
海面へ落下するヒロト機を助けようと、飛び出したマユミの前に2機のホースタルが立ちふさがる。
「哀れな奴だ。地球人は。我らエンハンスとは科学力が人とミジンコほどに違うことが分からんらしい」
「さっきは随分やってくれたなあ?蜂の巣にしてやるよ」
ホースタルを操る敵パイロットたちの声が戦場に響いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
海面に叩きつけられたヒロトのスタンベースは、海底へ沈んでいく。
操縦桿を引き上げ、ペダルを踏み込むが機体が浮上する気配はない。
状況は最悪に近く、ヒロトが5体満足なのは奇跡といえた。
水面では強い光が瞬き、少し遅れて轟音が響く。
「空母イズモの信号ロスト……そんな!」
母艦である空母イズモとの連絡が途絶えた。
ヒロト機の通信はまだ壊れていない。
これが意味することはただ一つ、イズモは撃沈されたのだ。
ヒロトは歯を食いしばって、拳を握り込む。
空母イズモには数千人の乗組員がいた。その命がエンハンスによって奪われたのだ。
そして、死神はヒロトのすぐ背後まで迫っていた。
「くそ、浸水してる」
外装にヒビが入ったのか、水がコクピットに流れ込んでくる。
海底へ沈んだパイロットに待っているのは水圧に圧迫されてからの溺死・窒息死だ。
「約束したんだ、2人で生き残るって……まだ、死ねない……!」
上ではマユミが戦っている。諦めるわけにはいかない。
ヒロトは希望を求めてディスプレイに視線を送り、目を見開いた。
ヒロトの視線の先、海底深くに巨大な人影があった。
駐機体勢をとる人影は漆黒の装甲に覆われ、右腕には巨大なレーザー砲を装備している。
「機動兵装?なんでこんなところに……」
海底に沈んだ機動兵装が動くなんて、普通なら有り得ない。
だがもしも、もしも動くならこのピンチを乗り切れるかもしれない。
「このまま窒息するぐらいなら、イチかバチかだ……」
ヒロトは防水スーツを被ると、スタンベースから脱出、海底の機体へ向かう。
機体を間近で見て、ヒロトは格の違いを直感した。
地球軍の機動兵装スタンベースなど相手にもならないだろう。
ハッチに手を伸ばし、コクピットに滑り込む。
海底に沈んでいたにも拘わらず、内部は驚くほど清潔で、まるで昨日まで使われていたかのようだ。
ヒロトはパイロットシートに座ると、操縦桿を握りこんだ。
「頼む、せめて飛び立つだけでも……」
《パイロットの生体情報を確認。システムスリープ状態を解除。続いてムー大陸公用語の利用を停止。モニター言語をパイロット第一言語へ変更します》
ヒロトの脳内に直接音声が響いた。
(ムー大陸?太平洋に昔あったっていうおとぎ話の超古代文明か?)
次の瞬間、コクピットのモニター画面に色とりどりの光が点滅し、文字が浮かび上がる。
「トリニティ……これがお前の名前か」
ヒロトは、次々にモニター画面を切り替え、操作方法を把握していく。
「スタンベースと基本は一緒だ!古代文明の兵器だろうが、使いこなして見せる!」
メインカメラにホースタル2機の射撃を躱すマユミ機の姿が映った。
地面を蹴りつけ、スロットルを全開にする。
トリニティは海底の水圧をものともせず飛翔し、マユミと敵ホースタルの間に突っ込んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
攻撃力・機動力で上回る敵から逃げるのは難しい。
敵が複数であれば生還は絶望的になる。
戦場に残されたマユミは追い詰められていた。
レーザー弾が機体の脚部をかすめ、マユミ機の左足が吹き飛ぶ。
反撃のライフル弾はホースタルに命中するが、表面を傷つけるだけで弾かれてしまった。
「無駄だよ、地球人の機動兵装じゃ、俺たちの防御装甲は抜けない」
「上へ下へと、ちょこまか逃げるのだけは上手いようだが、これで終わりだ」
敵パイロットたちが勝ち誇ったように笑っているが、マユミに言葉を返す余裕はない。
レーザーライフルがコクピットに向けて放たれる。
マユミが死を覚悟して目を閉じたそのとき、漆黒の機体が両者の間に割り込み、レーザー弾を弾き飛ばした。
「マユミ、下がれ!ホースタルは俺が倒す!」
「ヒロト⁉無事だったのね!本当に良かった……」
マユミ機を背にしてレーザーライフルを構える。
「さっき落ちた奴か。……ふん、どうやって助かったのかは知らんが、機体を変えたところで地球人では我らのホースタルには及ばん!」
レーザー弾を弾かれた動揺から一瞬動きが止まった敵パイロットだったが、すぐに射撃を再開した。
彼は勇敢だったが、愚かだった。
彼は未知の機体に対して、なんの警戒もせずに攻撃し……それが運命を決定づけた。
ホースタルの動きを確認したヒロトは、モニターを確認し、照準を合わせる。
狙いはホースタルの胸部。コクピット。
トリガーを引き絞る。
ヒロトが放ったレーザーは瞬く間に敵ホースタルへ到達し、防御シールドに衝突。
あっという間に貫いた。
ホースタルが爆散する。
数十発のライフル弾を防いだ敵の防御シールドを、一撃で突破する攻撃力。
掠めただけで、機体がえぐられるレーザー弾を、無傷で弾き飛ばす防御力。
「これがトリニティの、超古代文明の力か……」
この日、人類は超古代文明の力を手に入れた。