一人殺せる
「マジだるいんすけど」
石原が私に言った。
気怠そうにポケットに手を突っ込み、首を傾けて目を半開きにしている。
相変わらず挑戦的な姿勢だ。
仕事は大したことをしないくせに、とにかくプライドが高い。ちょっと気に入らないことがあれば正義は我にありとばかりに猛抗議だ。駐車場のゴミ拾いを頼んだらすぐこれだ。
「え、それ自分がやるんすか。店長とかが手空いてるならやればいいじゃないすか」
だってさ。あまり口を動かさず、喉から漏らすようにだるそうな声を出す。本当にぶっ殺したくなる。
代わりが見つかればすぐにクビにするのに、なかなか代わりが見つからない。
このコンビニにバイトが集まらない理由は二つ。この店で強盗が三回あったこと。それから、車通りの多い道に面していて、非常に客が来ることだ。店長の私としては繁盛するのは嬉しい限りだが、バイトは忙しすぎるのが嫌なようで、時給を九百七十円に上げても来やしない。
「そろそろ時間なんで。上がっていっすか」
早々と帽子を被り、帰る支度をしている。奴の被っているこの帽子がまた気に入らない。帽子も気に入らないが、被り方も気に入らない。ファッションだかなんだか知らないが、金髪の女みたいな頭にちょっと斜めに乗せるだけ。かぶるのか、かぶらないのかはっきりしろというんだ。
私は笑顔で、
「ああ、いいよ。さっきはありがとね」
と言った。
石原は私を、ゴミを見るような目でちらと見ると、あろうことか何も言わずに帰っていきやがった。
むかつく背中だ。
一人殺していいなら、間違いなくあいつを殺す。
石原不死。履歴書を見たときは、なんと読むのか全く見当もつかなかった。
しのん、と読むらしい。なぜこんな名をつけたのか。死が無いから、しのん。人間は死ぬ。いつか絶対に死ぬ。それを死なないと言い張るのは親のエゴじゃないのか。
ゲームか漫画のキャラクターみたいな名前をしやがって。名前はさておいても、奴のことが気に入らない。
ギャル男。チャラ男。そう呼ばれている部類の人間だ。歳は三十一。もういい年なのに、高校生みたいな髪型して、しかも自分がイケメンだと思っていやがる。コンビニ飯ばかり食っているせいか、肌も荒れている。奴がここに来たての頃は、奴も下手に出ていた。だから私は、恰好はだらしないが、なかなか謙虚な奴だ、使えそうだ、と思ってしまった。だから、教えられることは精一杯教えた。大きめのミスも先のことを考えて大目に見てきた。だが、仕事を覚えてからは、自分一人の力で仕事を覚えたような顔をして、感謝も尊敬の態度もない。私と対等な立場になったように勘違いしている。別に恩を売ったわけではないが、あんまりひどい。
このままでは衝動的に殴ってしまいそうだ。
といっても、他のバイト店員に愚痴を言えるはずもなく、一人でむしゃくしゃしていた。
「ったくよう、最近の若い奴は感謝も反省もねえよな。やりたいことだけやってりゃそれでいい、みたいな風潮があるでしょ、今って。それがダメなんだよ。ちゃんと教育しなきゃさ」
「そうだな。そういうところはあるな」
と、古い友人との飲みに行ったときに愚痴を言った。保育園からの付き合いになる、気の置けない友だ。
「クビにすればいいじゃないか」
と友人は言った。
「だから、それは無理なんだって。人が足りないんだよ」
「その変な名前の奴、仕事できるのか?」
「いいや。いつもかっこつけてさ、口だけは達者なくせに、大したことできねえんだ。この前、バイトの女の子に弁当の入ったケース持ってもらってたし。男のくせに非力なんだよ。それくらい持てっていうんだ」
「最近の男は、ひょろひょろしてるほうがもてるんだよな。男が肌の手入れして、化粧もするなんてな。時代は変わったよな」
「いや、付き合ってるときはそれでいいかもしれんがな。どうせ、スピード結婚して、盛大に式を挙げて、数か月後に離婚するんだよ」
「そういや、田中の奴、離婚したらしいぞ」
田中とは中学校の同級生だ。やつが離婚してもなんの不思議もない。友人のせいで話が逸れそうになったので、
「石原しのん。今、一人殺していいなら奴を殺す」
酔った勢いで言った。いいだろう。言うだけなら。
友人は、少し沈黙を作った。殺すという単語に反応したのだろうか。
「そんなに殺したいなら、殺すか?」
と軽い口調で言った。顔は真剣である。こいつは、この顔で冗談は言わない。昔からの付き合いで分かり切っている。
「ほう、お前が殺してくれるのか」
酒の勢いもあって、俺はそう言った。
「いやあ、ぼくが殺したんじゃ復讐にならんでしょ。殺すのはお前がやることになるんだけど」
と言って、カバンから何か取り出した。一枚の紙だった。
「いやあ、もらったはいいけど、ぼくもそこまで殺したいほど憎いやつがいなくてさ、どうせなら、お前みたいな人にもらってほしかったんだ」
「なんだよ、その紙はよう」
見ると、チケットくらいの大きさの紙の裏側には細かい説明書き。表は真っ黒に印刷されて、白文字で『殺人許可証』とあった。
「ほう、これで人が殺せるのか」
冗談半分で言った。
「一人だけな。裏面の注意書き、しっかり読めよ」
「ほう」
「おい、いいか。これには期限があんだからな。期限過ぎての殺人は本当に犯罪になるから気をつけろよ」
期限は2月27日。来週の月曜までだった。
そのチケットをもらってから数日経った。
本当かどうか、チケットの裏側にあった番号に電話をかけてみることにした。
「はい、〇〇市役所福祉課です」
と、意外なところにつながった。
あっ。あいつにかつがれた。そういうギャグだったんだな。そういえば、あいつは市役所職員だった。
そう思った。
「もしもし?」
私が黙っているので電話の向こうで女性が言った。
「私、殺人許可証というものをもらったのですけれど」
騙されたついでに、こっちも本気で信じたふりをしてやろう。元々、そういうのは嫌いじゃない。今後、誰かと飲みに行くときのネタにしてやろう。
「お使いになられました?」
「いえ、まだなんですけど」
「ピストルや日本刀などで殺害されますと、銃刀法に抵触しますので、なるべく身近にあ
るものをご使用ください」
市役所の女性の声はいたって真面目で、騙しているという感じはない。
少々真面目になって聞いた。
「あの、本当に殺していいんでしょうか」
「え、私をですか?」
女性の声は少し焦っていた。
「いえ、お姉さんではなく、憎い奴を」
「許可証をお持ちなんですよね?」
「はい」
許可証があるかどうかに妙にこだわるな。
「許可証をお持ちなら結構です。期限内に使用ください」
本当に、いいのか。だんだん、真実味を帯びてきた。
「じゃあ、仮に一人殺したとしても、罪にはならない?」
「はい」
「そうですか。……わかりました。でも、なんで福祉課なんですか?」
「殺したくなるような不要な人なら、この街にいても有益ではないと市長が考えたんです。許可証が届いた方にだけ許される権利ですので、そもそも問い合わせが少ないんです。 それに一度きりの試みですので、福祉課が兼任しています」
私は電話を切った。
そうか。
俺は人を殺せる。自由に人を殺せる。
ペガサスの翼を得たような心持ちだった。
時刻は夜の十時。本当はもっと遅い時間がよかったのだが、あまりに深夜だと怪しまれる。
ここは黒喜ダム。山奥にあるダムだ。ここに石原が来る予定になっている。嘘をついて、私が呼び出したのだ。
ダム近くにある駐車場にいる。車の中で、辺りを伺って、石原が来るのを待っている。さっきから足が震えている。緊張のせいで指先が異常に冷え切っている。
今日、私はここで人を殺すのだ。うまくいけば、石原をこの世から消せる。しかも、罪にも問われない。
人は誰もいない。当然だ。こんな夜に、山奥のダムに用のある人間はいない。
いてもらっては困る。
『実は君だけにボーナスを支給しようかと思ってるんだ』
私は、数時間前、石原にかけた電話の内容を思い返していた。
『渡したいから、取りにきてくれるか』
『じゃ、行きます』
『あ、コンビニの方じゃなくて、黒喜ダムに来てくれるか?』
『は? なにダム?』
『黒喜ダム』
『え? 自分がいくんすか。そこどこすか』
『いや、キノコ採りに行った帰りでね。場所がわからないなら、調べてきて。待ってるから』
『あ、そうすか。じゃ、行きます』
ちょっと不自然だったような気がする。石原が怪しんでいる感じはなかった。とにかく、私との電話を一刻も早く終わらせたいという話し方だった。目上の人への感謝も尊敬もない。自分の都合だけで生きているような奴だ。
相変わらず、失礼な奴だ。ぶっ殺してやる。
あいつの青白くて、澄ましたような顔を思い出して怒りがこみ上げた。
そうだ。気合を入れて、悪を滅してやるのだ。
まだ来ないのか。
あれから十分だった。石原は来ない。諦めて帰ろうかと考え始めたとき、車のライトが見えた。白い軽自動車だ。男のくせに、女が乗るような車に乗りやがって。
私は車から降りた。石原は私の姿を確認すると、少し離れた場所に車をとめた。助手席に人は乗っていない。一人で来たようだ。誰か乗せていたら、予定が狂う。
石原は、だるそうに車から降りて、こちらへ来た。
「やあ」
私は言った。これから殺す相手が目の前にいる。俺は、これからこいつを殺すのだ。
「じゃあ、ボーナス。みんなには秘密にしといてな」
「はい」
石原はポケットに手を突っ込んで、そのまま立っていた。
「じゃあ、これ」
新聞紙を詰めた封筒だった。私はそれを手渡した。
「ふん」
と、石原はそれだけ言った。そして、踵を返して自分の車の方へ向かっていく。
「石原くん、ちょっと待った」
「なんすか。自分、早く帰りたいんすけど。こんな時間に呼び出しといて、常識的におかしいと思わないんすか?」
石原は もらうものをもらったらそれで帰宅というわけか。
本当にふざけた奴だ。
「いや、なんでもない。それじゃあね」
奴が背を向けていた方が都合がいいことを思い出し、そのまま見送るふりをした。
そして、背中に隠しておいた五十センチほどの鉄パイプを取り出した。
「死ね、石原不死!」
一発殴った。ぼおん。と、鈍い音がした。
体の内側から、熱いものが爆発したような感じがあった。しかしそれは今まで感じたことのない甘美で、しかも強烈な快感だった。
「あう」
と、石原は声をもらして、次の瞬間切れたようだった。
「ってえなジジイ! なにやってんだ! 警察行くからな。傷害罪だぞ」
石原の頭から血が流れている。石原は頭を手で押さえ、痛みに耐えているようだ。
今度は、ボールを打つようにして、横のスイングで石原の顔を殴った。今度は何も言わなかった。数秒後になってようやく、
「あいいっ。いやっ」
と情けない声を上げた。
罪を犯しているという恐怖に駆られながらも、私は復讐をしっかりと楽しんだ。無意識に快感が沸き起こってくるのだ。
「いたいっ、ひたいいいいいっ」
石原は女のようにぺたんと座って、涙を流しながら鼻を押えている。奴の鼻は手で隠れて見えないが、折れていることだろう。
その哀れな姿を見て、とどめを刺してやろうと思った。
「こら、石原! このガキが。大した仕事もしねえくせに、ギャーギャーうるさいんだよ。俺がどれだけ我慢してきたか、わかってるのか。お前なんかが生きてても、この国の役に立たないんだよ。俺は殺人許可証もってんだよ! ここで殺してやるから好きなだけ泣け。何か言うことはあるか?」
私は、これまで言えなかったことを吐き出した。
「すいませんでした。許してください、許してください!」
石原は鼻を押さえながら謝った。
「謝っても遅い。このチャラ男が。おめえみたいな非力で髪型だけ頑張ってるようなひ弱な男が、俺は大っ嫌いなんだよ! そんなんが恰好いいと思ってるのか!」
と、石原が自分のポケットに手を入れた。助けを呼ぼうとしているのだと咄嗟に理解して、鉄パイプを奴の頭に振り下ろした。我を忘れて、全身全霊を込めて、パイプを何度も打ち下ろしていた。
一体どれほどの力で殴っていたのか、鉄製の丈夫なパイプはひん曲がっていた。
額は汗に濡れて、体は異常なほど熱を帯びていた。
「はあ、はあ」
目の前には、動かなくなった石原の死体があった。
私は、石原を殺したのだ。
決着はついた。憎い奴は死んだ。
私は、石原の腕を掴んで引き起こした。首がだらんとして、本当に死んでいることを意味していた。
「ほら見ろ。人から恨まれることばっかやってると、こうやって巡り巡って代償を支払うんだぞ」
死んだ石原に語りかけた。それから欄干の方へ引きずった。ひょろひょろしているだけあって軽い。
「お前はもう悪態もつけない。あのだるそうな、くねくね踊りも踊れないな。生きてるのがだるいんなら、自分で死ねばよかったのに。くそったれ」
石原の胴体を欄干の上にずり上げて、奴の足首の辺りを掴んだ。
「地獄に落ちろ」
奴の足首を持ち上げて、欄干の向こう側へ落とした。
石原は、音もなくダムの湖面へ落ちていき、着水の音だけが聞こえた。
あれから、一週間が経った。もし、遺体が発見されたら事件になってもいいはずなのに、警察も調べに来ない。普段通りの毎日が過ぎていった。
私の心中は穏やかではなかった。人を殺したのだ。しかし、私は殺人許可証を持っている。逮捕されるはずがない。しかし、私は人を殺した……。心の中で問答が無限の輪となって蟠っていた。
「店長、店長に会いたいって言ってる人がいるんですけど」
休憩室にバイトの女の子が来て、言った。
警察か。心臓の鼓動が早くなった。
転げるように出てみると、五十歳ほどの女性だった。身なりからして、警察ではないらしい。しかし、気が抜けない。
「は、はい。なんでしょうか」
「石原不死の母親です。不死は、ここで働いているそうですが」
親が来たのだ。奴を探しに来たのか。全身に震えがきた。
「と、とりあえず中へ」
休憩室へ通した。そのへんにあった丸イスを二つ並べた。本来は相手を先に座らせるべきだったが、動転していて、私が先に座った。
「あっ。どうぞ」
私がそう言うと、不死の母親は静かに座った。
「突然お邪魔してすみません。息子は十八のときに家出して、それから音信不通でした。荒れた家庭で、それが嫌になったんだと思います。不死には5才離れた姉がいるんです。ユリといいますけど、ユリとは連絡をとっているようでした。それで、ユリが私に連絡してきたんです。このコンビニで働いていると。でも、ここ数日音信不通になったそうです。おそらく、職場にも黙っていなくなってご迷惑をかけているんじゃないかと思いまして」
私はしばらく黙った。この女性は何を言っているのか、気が動転してよくわからなかったのだ。
つまり、不死の母親は、奴がいなくなったから探しにきたのだ。まだ死んだとは思っていない。それに目の前に息子を殺害した犯人がいるなどとは少しも考えていない。
私は不死が死んだことを、知らないふりをしなければならない。
「そう、そういえば最近来てないな。どうしてるかと、私も心配して電話をかけてみたんですが、つながらなくて。人がいなくて困ってたところなんです。突然、いなくなったんです」
しどろもどろだが、私はそう答えた。
「そうですか……」
不死の母親は言った。
「たぶん、あの子のことだから、色々屁理屈言ったりして、店長さんを困らせたと思うんです。あんな子でも働かせてくださって、ありがとうございました。あの子の代わりに、他の子を雇ってください。こちらの勝手なことばかりで申し訳ありません」
不死の母親は、椅子から腰を上げて、丁寧に一礼をした。
石原不死。あんな奴でも、人の子なのだ。親がいて、兄弟がいる。つまりは普通の人間だった。悪感情ばかりが溜まって、それを忘れていた。奴を悪魔か蛇のように思っていたのだ。
世の中には、あんなクズのチャラ男は掃いて捨てるほどいるのだ。
ただ、クビにすればよかったのだ。それで縁が切れたのに。
殺すことはなかった。
私は逮捕された。両親や兄弟は人殺しの親族として白い目で見られ、迫害された……。
と、そんな悪夢で目が覚めた。全身が恐怖でこわばっている。
憎き石原不死を殺めてから、常に誰かに追われている感覚が襲って、少しも気が休まるときがない。
こんなことなら、殺さなければ良かった。その思いと、憎い奴を粛清して清々した気持ちがあった。
石原不死にはあんなことをしてしまったが、私は常識を持った人間であることに変わりはなかった。
泥でも詰め込まれたかのように、いつも胸が苦しい。
楽になりたい。いつもそう思うようになっていた。
自首して楽になりたいと思った。
結局、思いつめてどうしようもなくなったので警察署に行くことにした。
受付で自首をしたい、と言うと、三人ほどの警官が飛んできた。
聴取の殺風景な部屋に通されて、私は自分のしたことを全て話した。
警官は私の話を聞き終わると、
「で、おたく許可証もってる? 持ってたからやったんだよね?」
許可証を見せた。
警察官は顔をしかめて、
「なーんだ。ちゃんともってるじゃない。こういう人、ちらほら出てんだよなあ。許可証持ってるんなら自首しちゃ駄目じゃんよ。自首したら捕まっちゃうよ」
「え?」
「自首しなきゃ、どれだけ証拠があっても罪に問われないのに。はっきり言ってしまうけど、許可証あっての殺人は死刑だから」
「え、ええ!」
現実に耐えきれなくなって、私の目の前は真っ暗になっていった。
ガチャ、とドアが開いて、さらに警官が入ってきた。
「どう、やった?」
入ってきた警官が聞いた。
「はい。殺しちゃったんです。許可証の話、すっかり信じて」
「え、許可証、嘘なの?」
私が聞いた。
「ホントなわけないじゃないですか。そんな与太話信じて、人を殺したらだめでしょう、いい大人なんだから。まあ、死刑の話は嘘だけど、十年はムショ暮らしだから」
「え、えええ!」