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ホモ・ノウム  作者: Aju
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7 チャンスには後ろ髪がない ー悠樹ー

 井戸原はいい仕事をしている。といっても、彼女は悠樹の指示に従って笑顔で資料を提示して見せるだけだ。

 悠樹はわざと、ところどころを井戸原に説明させた。井戸原は目を輝かせ、持ち前の明るい笑顔を振りまいて熱のこもった説明を行った。

 なかなかいいぞ、井戸ちゃん。


 市長の篠原が、そんな井戸原優いどはらゆうの笑顔を少し鼻の下を伸ばしたような顔で見ている。

 ははぁ〜ん。

 篠原市長、優のようなタイプが好みか——。当たりだな。今度、井戸原を連れて市長を接待してみるか・・・。親父を使えそうだな——。



 市長がすっかりその気になってくれたおかげで、話はとんとん拍子に進んでいった。


 敷地は、1ヶ月前に2度目の洪水に見舞われた中河原地区を想定することになった。ほとんどの住宅が、まだその前の被害の片付けも終わらないうちに2度目の床上浸水の被害にあっていて、建て替えを余儀なくされる住宅や店舗がほとんどだが、復興の目処は全く立っていない。

 河川の堤防のかさ上げと補強だけでなく、広範囲な排水設備の更新も必要になる。住民への補助策も含めれば膨大な予算措置が必要だった。

 そこにこの計画を政策の目玉としてぶち上げてみる、というわけだ。


 これはいける。と悠樹も期待した。


 基本プランがまとまり、議会への根回しもおおむねできて、いよいよ実際に動き出せるところまでお膳立てが整った。

 ところが・・・。この段階になって、悠樹が思ってもみなかった障壁が立ちはだかったのだった。


 市民である。


 市の計画発表と同時に住民の反対運動が巻き起こったのだ。

 想定外だった。


「市は地域の歴史を何だと思っているのか!」

「我々の故郷を奪い、狭い檻の中に閉じ込めるのか!」

「人々の思い出の詰まった街並みの復旧を!」

「市長のSF趣味に市民を巻き込むな!」


 連日、市役所に入る抗議の電話。

 次第に膨らんでいくデモ。


 悠樹は狼狽えた。

 まさかこれほどの反発があるとは思っていなかったのだ。

 地元新聞は「市長の突然のSF都市計画」「被災者の心情を逆撫で」と面白おかしく書き立て、テレビの全国ニュースでも市長の強弁部分だけが取り上げられて報道された。


 そこじゃないんだよ。本質は・・・。


 地元出身の若手建築家による斬新な気候変動対応案! 地方紙のそんな見出しで称賛されるとばかり思っていたのが、話は思ってもみない方向に流れてしまったのだった。


 多少のわからずやはいるだろう、とは思っていたが、まさか、これほど・・・。これほど反発が大規模になってしまうとは・・・。

 悠樹には、市民が全て敵に回ってしまったようにさえ見えた。全く想定していなかった事態に、悠樹は方図を失った。

 若い——ということだろう。


 市が災害でやられた土地を買い上げてくれるなら——と賛成に回る被災住民もいたが、多くの住民は反対で、中には自力で小屋を建て始めて抵抗する人もいた。

 混乱の中、市長は議会で野党に責め立てられ、結局、「白紙から再検討」というところまで押し戻されてしまったのだった。


 この間、情けないことに悠樹は表に出て矢面に立つことができなかった。県議会議員の父親に止められたということもある。

「県会議員の俺にまでとばっちりが来てはかなわん。おまえはまだ若いんだから、後ろに隠れていろ。」

 建築家として堂々と表に出て、懸命にその意義を説明すれば、あるいは賛同者も増えたかもしれない。

 しかし、悠樹は自分の故郷であるはずのこの市の住民の怒号に怯えてしまった。


 こんなに・・・反発されるなんて・・・。


 結局この話は立ち消えになり、市長の勇み足で若手建築家が振り回された・・・みたいな話になって終わった。

 悠樹の提案は、設計事務所の隅で埃をかぶるだけのものになってしまった。


 気候災害に苦しむ地方都市なら・・・。それも自分の故郷でなら・・・。そう思った悠樹は、自分が甘かったことを認めざるを得ない。

 地方は規模が小さい分、身軽に動ける部分もあるが、同時に保守的でもあるのだ。

 それは悠樹が東京に逃げ出した頃と、なんら変わってはいなかった。


 もし悠樹に難があるとすれば、被災前の街の風景を捨て去ることができない——という住民の心に寄り添うだけの想像力がなかった、ということかもしれない。

 人間は合理性だけで動いてはいないのだ。


 さらに悠樹を落ち込ませたのは、それから5年もしないうちに大手ゼネコンが首都圏に打ち出した災害に強い「シェルターシティ」の構想だった。

 悠樹の「コンパクト・シティ」のアイデアそのままに規模を大きくしたもので、都市機能をコンパクトにまとめた分、周囲に緑地ビオトープエリアをとって人々が憩うことのできる自然を都市に呼び戻す——というものだった。

 もちろん、年々酷くなる気象災害に対応する避難施設としての役割も主たる目的としている。その部分は悠樹の方が多少尖っていた。悠樹の案は「避難施設」ではなく、街そのものだったのだ。


 大手不動産会社とゼネコンがタイアップし、政府の後押しも得て現実に首都圏に出現させたそれは、建築界だけでなく一般社会の話題をも華々しくさらっていった。


 ふっざけんなよ!

 それはオレのアイデアだぞ! 形にはなってなくても、オレの方が先に発表してるんだぞ!?


 オレが無名の若造だから無視された・・・。

 いや、あの騒ぎの中で、騒ぎだけがマスコミに取り上げられ、中身は全く伝えられなかった。

 あの時、オレ自身が矢面に立って中身を主張していたなら・・・。あるいは・・・。


 悠樹はほぞを噛んだ。

 チャンスには後ろ髪はない。

 いずれ歴史が進めば、あの首都圏のプロジェクトの前に日の目を見なかった幻のプロジェクトを提案していた建築家がいた——という形で悠樹の名誉は回復されるかもしれない。


 だが、それがなんだ。

 そうなったとしたって、それは金にはならない。



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