43 善意の報酬 ーナオミー
「東側は、私だけで行きますよ。」
ロイのそんな言葉に、ナオミは唇を噛みしめることしかできない。
「東はコミュニティも小さい。ギャングも多いし——。先生はデータを受け取って、分析を進めてください。その方が効率的です。」
ナオミは小さくうなずいた。
それしかできない。
マリアが濁流に呑まれた瞬間が、頭から離れなかった。地獄の悪鬼のようなアバルさんの声が、耳にこびりついたままになっていた。
あれは・・・。
長年にわたって締め出してきたシェルター住民に対する積もり積もった恨み?
わたしたちが・・・あの人たちを受け入れる。なんて・・・・本当にできるの?
むしろ・・・
受け入れてもらわなければならないのは・・・、わたしたちの方なのでは・・・?
ドロ麦の葉による切り傷は大したことはなかったが、ナオミは体全体の力が抜けてしまったようになって、日々横になることが多い。
ロイはそんなナオミを気遣っているのだろう。
実際、ギャンググループがいると思われる東のコミュニティは、今の状態のナオミには危険すぎる。
「少し・・・、時間を空けて・・・」
「あまり間が空いては、西と東のデータの鮮度に差が出てしまいます。」
ロイはそう言って、1人で出かけて行った。
程なく、ロイからのデータや報告がナオミの研究室の端末に入ってくるようになった。
ナオミはその分析に没頭することで、アバルさんやマリアのことを忘れようとした。
そんなふうにして2週間ほど経った日の夜だった。ナオミは研究室からの帰り道、人もまばらになった廊下を歩いていた。
すでに光を届けなくなっている天空照明のパネルが、突然、バン! という音とともに落ちてきた。
え? なに?
3mほどの高さのある天井を見上げると、昼間は外の光がそのまま入ってきて室内を照らす天空照明の光ダクトの穴から、黒い影がいくつも飛び降りてきた。
人だ。
しかしシェルターの中の人間ではない。
ボロ服を着て、色黒で、やや小柄で、銀色の体毛が濃い。
ギャングだ。
これが、噂に聞く食料庫襲撃ギャングだ。
後ろを歩いていた母子連れの母親が悲鳴をあげた。
が、そこにいた数人は一瞬で羽交い締めにされ、喉にナイフを突きつけられた。
逃げる暇もない。
「食糧庫はどこだ?」
ナオミを捕まえている男が、底冷えのするような声で訊いた。
「し・・・知らない!」
咄嗟にそう答える。
次の瞬間、腹に、どすん、という衝撃があった。
ナオミは自分の腹部を見た。
男のナイフが刺さっている。
どうして・・・?
わたしは、あなたたちを中へ・・・・。
痛みは感じない。
むしろ体の芯から凍えてしまうような憎悪が、毒のように広がって、ナオミの足から力を奪ってゆく。
これが・・・、あなたたちを締め出したわたしたちに対するあなたたちの答えなの?
「医者に抜いてもらえ。自分で抜くと死ぬぞ。」
ナオミを刺した男がそう言って、ナオミの体をアトリウム側の手すりにもたせかける。
そのやり様が、不思議にナオミには優しく感じられた。
誰かが食糧庫の位置を教えている声が聞こえた。
病院へ救急搬送されながら、ナオミは自分を刺したアウトサイダーの顔を思い浮かべていた。
まだ少年だった。
手術の麻酔が覚めると、意外な人物がナオミを見舞いに来ていた。軍のナンバー2、ボイド・ラグレン氏である。
「このような形になってしまって・・・。博士をお護りできなかったこと、慚愧に耐えません。しかし、奴らどうやって博士の位置をこれほど正確に把握したのか・・・?」
え? いったい何を・・・?
「アフマドから、不穏な動きがあると報告は入っていたのですが・・・。まさかここまでやるとは・・・。」
怪訝な顔をしたナオミに、ラグレン氏は鷹揚な雰囲気で少し微笑んだ。
「隠していて申し訳ない。アフマドは、博士の護衛を兼ねて『外』の情報収集に送り込んだ我々のエージェントなんです。」
この人は、何を言ってるの?
「博士のおかげで、貴重な『外』の情報が得られました。差し当たっての脅威は東側だけだ。しかもコミュニティは小さい。十分踏み潰せます。」
え? 何を・・・? ロイがエージェント?
踏み潰す?
わたしたちは・・・、ロイとわたしは・・・『外』の人たちを中へ迎え入れるために・・・。そのための基礎データを集めるために・・・。
「もっとも、西側と違法な接触をしている政府幹部がいることも副次的に分かりましたがね。まあ、博士のような方には信じられんでしょうが、子供を買っていたんですよ。」
ロイが・・・エージェントだった?
わたしは・・・、ずっと騙されていたの?
子どもを買っている・・・? ロイはそんなこと、ひと言も・・・。
「とにかく、命に別状がなくて良かったです。偶然、重要な臓器を傷つけることなく刃物が刺さっていましたのでね。ご安心ください。この仇は必ずとります。それをお伝えしたくて。」
「まって・・・」
ナオミはラグレン氏の背中に向かって言葉を発しようとしたが、まだ麻酔から覚めたばかりで声が上手く出ない。
違う! そうじゃない!
わたしの願いは復讐なんかじゃない!
あの子は、まだ子どもだった。
わたしは、そんなことしたかったんじゃない! そんなことのために調査に出たんじゃない!
違う—————————!!