39 外へ ーナオミー
「やめておきなさい、お嬢さん。あなたが優しいのはよく分かるが、外にいるのは、あれはもはや我々のような『人間』ではない。ギャングです。」
何度も窓口に通い、散々押し問答した末に、窓口の担当者はそんなふうに言って話を終わらせた。
お嬢さん・・・・・か。
何の肩書きもないカレッジ生では、これが限界なのか?
ナオミは唇を噛みしめながら庁舎を出て、メインストリートの続くアトリウムを歩いた。歩きながら、その表情に決意を浮かべてゆく。
だったら、論文を書いて「研究者」の肩書きを手に入れてやる。
* * *
「クルーエ先生、先生の論文に感銘を受けました。」
そんなふうに言ってナオミの研究室に入ってきたのが、ロイ・アフマドだった。
ナオミの論文は、EUでも有数の文化都市として知られるフローニンゲン・シェルターのカレッジで認められ、その結果、この国でも研究者として認められることになった。
ナオミの論文「都市の容量」は、外の人口が仮定値でしかないため、あくまでも仮説の域を出ない。
その実証のために外のデータを収集する——という目的で、ナオミはシェルター外へ出て調査をする許可を政府から取り付けた。
肩書きの効力である。
ロイは、ナオミの研究室のドアをノックした時はまだただのカレッジ生だったが、この秋から「研究生」としてナオミの研究室で助手も務めることになった。
ナオミがドローンを飛ばして上空から観察してみたところでは、このシェルターの西と東にそれぞれ固まったスラムがあるようだった。
上空からの写真を分析してみた限りでは、双方合わせてもナオミが論文で想定した仮の人口=5万よりも少ないように見えた。
文献によれば、シェルターの建設が止まった時期には100万以上の人々が外に取り残されていたようだが・・・。
この数十年の間に、ほとんどが亡くなってしまったということか・・・。
多くは貧しい人たちだったはず。
ナオミはまた胸の奥がちくりと痛んだ。
でも・・・、わたしがそれをやったわけじゃない・・・。
ナオミはまず、規模の大きい西のスラムから調査を始めることにした。
ナオミが調べた範囲では、西側からの襲撃があったという記録はない。ギャングが多いのは、人口の少ない東側ではないか——と推測したのだ。
まずは、危険の少なそうな西側スラムから——。
外へ出る前に、ロイと2人で「変装」をした。顔を汚すメイクを施し、髪はボサボサにして微弱系接着剤を使ってところどころ絡ませる。ダイエットもして、栄養が足りていない雰囲気を出した。
これなら、スラムに紛れ込んでも目立たないだろう。
ドローンで撮影した上空からの映像にグリッドをかぶせ、マス目ごとに人数を数えて隠し持った端末からシェルター内の研究室のコンピュータに送信してデータを蓄積してゆく。
グリッドからグリッドへ移動する人間もいるから、それも考慮しないといけない。移動の多いグリッドでは境界を越える人の数をカウントし、それを元に移動係数を設定して、人口を推定してゆく。
名簿を作るわけではないから大雑把でいいのだが、それにしても地道で根気のいる作業になるだろう。
シェルターの出入り口は、基本、資源収集車と軍用車両の他にはない。(裏口がある、というウワサも聞くが、都市伝説だと思う。)
出入り口の管理官はナオミたちのいでたちを見て妙な顔をしたが、端末の許可ナンバーを照合すると訝しげな顔をしながらも人間用の小さな出入り口を開けてくれた。
「その格好で行くんですか?」
「向こうで目立たないためにね。」
「私が心配してるのは、行く時じゃなく帰ってくる時ですよ。絶対に端末を奪われたり失くしたりしないでくださいよ、クルーエ博士。」
シェルターの外へ出ると、ボサボサの髪を風がさらに巻き上げてぐちゃぐちゃにしていく。
「ひと雨来ますかね?」
ロイがそんなふうに言うが、雨の状況によっては調査は諦めなければならないかもしれない。嵐になれば調査どころではなくなる可能性もある。
だが、まだここは農場。フェンスの中だ。本当の「外」はフェンスの門の外にある。
ナオミは門のカメラに端末に表示した許可証をかざした。人間用の門が、ゆっくりと開く。
かなり危険なことをしようとしているのだ——とナオミも思う。なにしろ、徒歩で外に出るなどというのは、軍の兵士ぐらいのものなのだ。一般人の行くところではない。
しかし、外に取り残された人々は毎日この環境下で生きているのだ。
そう思うことで、ナオミの内側から足を踏み出す勇気が湧き上がってきた。彼らを救い出すための第一歩が、このフィールドワークなのだ。
目指すスラムは700メートルほど先にある。
一度坂を下って、また登らなければならない。おそらく、洪水時にはここを濁流が流れるのだろう。
腰まである草をかき分けながら、ナオミたちは進んだ。




