16 審議官 ー千明ー
「君らの勉強会を知ってから、茜部教授の本も読ませてもらったよ。なかなか面白い考え方だ。」
日本酒を一口含んでから、槇山はそんなふうに話を切り出した。
「気象災害の被害は年々大きくなって、復興にかかる費用は膨れ上がる一方だ。かと言って、税収が増えるわけでもない。むしろ災害の余波で落ち込むばかりだ。」
「はい。」
それは千明も肌感覚で感じている。
「復興や予防のためには多額の予算が必要になるが、だからと言って正直、国交省だけが予算をぶん取ってくるのは難しい。農水省も経産省も厚労省も、同じように予算を必要としているからね。」
槇山はそう言いながら、ややいたずらっぽい目をしてテーブルの向こうから千明の皿に最後に残っていた刺身に箸をスッと伸ばしてきた。
自身も箸を伸ばそうとしていた千明は、驚いて思わず箸を引っ込める。
「はは。それは君のだ。まさか他所の皿の刺身まで盗るわけにはいかん。」
槇山は破顔して、箸を引っ込める。
刺身を予算に見立てた冗談?
千明は表情に困った。こういう時はどう対応すればいいのだ? 笑えばいいのか?
そんな千明を槇山審議官は面白そうに眺めている。
「ここらで起死回生の政策提案が必要だ。」
槇山がここに来てから初めて真顔になった。
「そんなことを考えていた時、君ら若手の『勉強会』を知ったんだ。山際くんからだ。」
山際局長は、千明の所属する局のトップになる。上長だ。
「概略を聞いてみると、着想が斬新でいい。で、実際にはどんなことをやっているのか興味を持ってね、とりあえず飛び込みでプライベートに参加してみたんだよ。」
槇山は徳利を持って千明に酒を勧めた。
「あっ、これは・・・申し訳・・・」
あまりの話の展開にぼうっとしていた千明は、慌てて自分の盃をとって両手で持って受ける。
何をやってるんだ! 千明の方から酌をしなければいけないのに——。
「結論から言うと期待以上だったよ。そこで古渡くん、お願いなんだが。」
槇山は千明の酌を受けながら、きらめきのある瞳で千明の目を覗き込んだ。一瞬で人の心を盗るような目の色だ。
「ここから先は『時間外』じゃなく、正式な仕事として今月中くらいまでに『提言書』をまとめてもらえないだろうか? 参加メンバーの各局長には私から話をしておく。局横断的な政策提言として取りまとめて、私のところに提言書を持ってきてもらうということで。」
それからまたちょっといたずらっぽい眼で笑って、こう言った。
「ところで参考までに、君たち若手がまとめたナマの提言書を私に直接メールで送っておいてくれないかな。局長連中を通すと、いろいろ『添削』が入って鮮度が落ちるだろうからね。」
あとは酒と料理の話題になった。
食事代はいつ払ったのか、槇山審議官は女将に笑顔でひょいと手を上げただけで千明を連れて外に出た。
「ああ、そうそう。」
槇山審議官は帰り際、思い出したみたいにこんなことを言った。
「テレビ局各社には根回しをしておくから、茜部教授には出演依頼がきたら精力的に出てくれるように君から言っておいてくれないか。世論を盛り上げたい。いざ動き出せば、参考意見を聞く『識者』も必要になるだろうし。」
槇山審議官を乗せたタクシーが走り去った後もしばらく、千明は深々とその方向にお辞儀をしたままでいた。
これは!
とんでもない幸運が舞い込んできた!
審議官。といえば、まさに省としての政策方針を作る要ではないか!
そんな人が、千明のような名もない若手のやっている「勉強会」に興味を持ち、それどころか省の目玉政策としてその提言を取り上げる(そういう意味だよな?)と言ってきたのだ!
千明は腰を折ったままアスファルトの路面を見つめて、自然に顔が綻んでゆくのを抑えることができなかった。




