15 自然災害 ー千明ー
千明は、泥に呑み込まれた町を眺めて小さくため息を漏らした。
大都市圏には、すでに民間の企業によって耐気象シェルター型複合建築物=通称シェルター・シティと呼ばれるメガビルがいくつも建設されていたが、地方にはそうした動きはまだ少ない。
1つには大都市圏に比べて人口が少なく、予算も不足していることがある。もう1つの理由は、地方の住民の中には「住み慣れた自然の中で暮らしたい」という欲求が強い人が多いことだった。
その「自然」が、もはや以前の「自然」ではないんだがな・・・。
千明は顔には出さないように気をつけながら、土石流に押しつぶされた町の残骸を眺めて胸の中だけでそう呟いた。
古渡千明は国土交通省の中堅官僚である。
10年ほど前ならば、こうした大災害の現場には大臣が「視察」に来たものだったが、今はあまりにも頻発するため、そうした政治的視察は行われなくなった。
代わりに千明のような実務官僚が、地方自治体の復興計画を国として後押しするための実務的すり合わせに派遣される。
精神的に疲れる仕事だった。
無惨に破壊された町(それは人々の記憶そのものだ)と、肉親を失った悲しみと明日の生活のめどのたたない状況に打ちひしがれる大勢の人々。
それらを目の当たりに見ながら、厳しい予算の話をしなければならない。実務とは「寄り添う」と言いながら、自治体が要求する復興支援の国の負担分を極力絞り込むことでもあるのだ。国交省の予算は、無限ではない。
胃の痛くなるような「仕事」だった。
そんな千明は今、省内の有志と組んで局横断的な「勉強会」を立ち上げ、若手による政策提言をまとめようとしている。
千明たちが有識者として頼りにしているのは、筑波大の茜部教授だった。茜部悠樹は日本で最初にシェルター・シティの概念を提唱した人物で、この方面の研究では知る人ぞ知る第一人者でもあり、同時に現役の建築家でもある。まだ40代ながら、出版された書籍はそれなりに話題にもなっていた。
千明は茜部教授の提唱する「コンパクト・シティ構想」を、国家戦略にまで持ち上げたいという野心を持っている。
そういう意味では、千明は中堅官僚の中でも野心家であるといえた。ただ、彼の野心は自分の利益というよりは、日々目の当たりにする悲惨な状況を止める手立てはこれしかない——という悲壮感をそのベースにしているようだった。
別に茜部教授から何かをもらっているわけでもなく、彼の描く国土改造案が茜部教授の方向性と極めて似通っているに過ぎない。この計画の賛同者を増やし、政治家連中を動かす。
「勉強会」を立ち上げたのは、そういう意図があるからだった。
「あくまでも私の試算ですが、このように災害が起きてから復興や対応策をとるより、はるかに少ない予算で費用対効果を大きくすることができます。」
茜部教授はパワーポイントでスクリーンに映し出されたグラフをレーザーポインターで指し示しながら、コンパクト・シティ構想の最大のメリットを強調した。
千明にとってはお馴染みの費用比較だ。
ただ今日の勉強会がいつもと違うのは、審議官の槇山が顔を見せていることだった。千明のような若手が主催する自主的勉強会に審議官のような高い地位の人がやって来るのは異例と言っていい。
どうやらメンバーのそれぞれが自分の所属する局の局長に、その都度報告を入れていたことがどこからか審議官級の耳に届いたらしい。
今回の勉強会は、期せずしてプレゼンのような意味を持つことになった。
勉強会の後半の政策提言の素案作りにも槇山審議官は同席し、好意的な雰囲気でいくつかの補足的意見を言った。
これは・・・、かなりいい感触だ!
勉強会終了後、槇山審議官は千明の傍らに近寄ってきて、こんなふうに声をかけた。
「いや、ご苦労さん。君たちのような若手がこんなふうに頑張っているのを見るのは、いいものだね。心強いよ。古渡くん、どうかね? 腹も減ったことだし、この後、一緒にメシでも食わんか。それとも、奥さんが待ってるから悪いかな?」
これは・・・!
「いえ、大丈夫です。遅くなるのはいつものことです!」
千明のような地位の者が、審議官に直接こんな声をかけられるなどということは通常あることではない。
これは、何か大きな話の前触れだ。
しかも、審議官は千明の名前を出した。帰りかかっていた同期の何人かがその意味を察して、千明を見た。
頼むぞ! という期待の入った視線の中に、わずかな嫉妬が混じっている。
千明が連れていかれたのは赤坂の日本料理店で、やや隠れ家的な雰囲気のある店だった。
「君の噂は、官房の方にも聞こえているよ。」
料理と酒を注文した後、槇山審議官はくつろいだ雰囲気でそう言った。
「今どきの若いもんには珍しい、なかなか積極的な男だってね。」
酒が運ばれてきた。千明はさっと徳利を持って審議官の猪口に傾けようとする。
「いや、ありがとう。」
槇山審議官は猪口を左手で持って、にこやかにそれを受ける。千明が自分の猪口に注ごうとする徳利を槇山の右手が上から掴んで止めた。
「まあまあ、ここは私に注がせてくれよ。」
槇山は相変わらず穏やかににこにこしている。もちろん、千明は手を放して槇山に徳利をゆだねるしかない。
「恐れ入ります。」
大丈夫なのか? この展開は・・・・。オレは今、とんでもない罠の入り口にいたりしないだろうな?
期待の中に、かすかな不安がよぎる。