11 我が身になるまで ームワイー
交渉は遅々として進まなかった。アッパークラスの住人たちが、近くにキャンプができることで治安が悪くなるのではないかと考え、反対が根強いのだという。
「ムワイ。家族と一緒に集会に来てくれないか? 他にも、行儀が良くて可愛い子どものいる家族を2家族ぐらい誘ってもらえないだろうか。直接顔を見て話せば、彼らの気持ちも受け入れに傾くと思うんだ。」
ある日、ジェームスがムワイを人のいない所に誘い出して、低い声で言った。
つまり、同情を買う見せ物になれってわけだ。
「いいですよ。うち入れて3家族ですか?」
ムワイは腹の中の思いは表に出さず、機嫌よく返事をした。
「2家族でもいいよ。子どもは小さい方がいいが、赤ん坊は泣くからだめだ。」
「分かりました。」
生き延びなきゃならない。
* * *
シェルターの建設が進んでゆく。遠い国ニホンの技術が使われ、ニホンの技術者も何人か来ている。
ムワイたちが川の近く、アッパークラスの外側の地域に引っ越してきてから5年が経つ。
この5年で、気候はさらに過酷なものになったが、ムワイたちには希望も生まれた。シェルター建設は政府のプロジェクトで、建設現場には仕事があるのだ。
ニホンの技術者たちは皆、温厚で親切だった。が、仕事には異様に細かい。
ムワイは英語ができたので建設現場で彼らと英語で話をすることもあったが、彼ら同士で話すニホン語はムワイにはさっぱり理解できない「音」でしかなかった。
何かひどく細部のことで議論しているらしいことだけは、雰囲気と指差している場所で分かった。
技術者の1人が、なんだか部材が5ミリほど飛び出していることが気に入らないようだった。
そんなのどっちでもいいことじゃないか? 大勢に影響するようなことじゃないだろうに・・・。
しばらくしてニホンの技術者の1人がムワイに笑いかけて、こう英語で言った。
「すまないが、取り付け直してくれないか。ここがそろうように。」
川の近くに建つ大きくてきれいな気象シェルターには、ショッピングモールも入り、1住戸あたりの単位面積も広いアッパークラス用だ。
工事に入った仲間の話では、とんでもなく贅沢なインテリアで、最上階にはプールもあるらしい。
「俺たちは飲み水もままならないのに——。」
そいつは吐き捨てるように言ったが、娘のジュディは後でこっそりムワイに言ったものだ。
「一度でいいから、そんなとこ入ってみたいね。」
制限は表向きされないらしいが、入場料が高すぎて我々貧乏人には無縁の場所だ。
それでも人々が従順に現場で働いているのは、仕事がある、ということと、自分たち避難民用のシェルター住居も同じプロジェクトとして建設が進んでいるからだった。
そっちは武骨で何の飾り気もなく、1住戸当たりの面積も小さなものだったが、それでもバラックではない場所に住めるというのは皆の希望になっていた。
噂では、ちゃんとエアコンも付くらしい。
それはありがたい。この5年間の気候の苛烈さは、毎年少なからぬ死者が出るというほどのものだったのである。
避難民たちが住む場所はもうキャンプではなく、あり合わせの廃材を使って自力で建てたバラックがごちゃごちゃ集まった町になっていた。井戸も掘ったので水も手に入る。
一応人間らしい暮らしができるようにはなっていたが、そこから見えるアッパークラスの連中が住むエリアの眺めがむしろ彼らの心に少しずつ毒を溜め込んでいった。
そういう毒が回り回って、血気盛んな若い連中の一部に集まるのだろう。アッパークラスのエリアで強盗事件が起きた。
アッパークラスの住居はセキュリティもしっかりしているので、めったにこういう事件を許したりはしないが、そのグループはどうやってかセキュリティを突破し、住民を殺害し、金品と車を奪って逃げた。
どうやらそのままどこかのテロ組織か武装グループに逃げ込んだらしく、犯人は捕まっていない。
「バラック街に逃げ込んできたら、半殺しにして警察に突き出してやる。」
自治会の自警団は息巻いた。こんなことで、貧民用のシェルター建設が止まりでもしたらたまったもんじゃない。
こんな奴らのために税金を使うな! というような声が税金を納めている連中の中で拡がれば、オレたちは生きることさえできなくなるかもしれない。
少なくとも、ここの街区の人間は危険ではない——とアピールしなければ、下手すりゃ全員の命が危ないのだ。
グループは5〜6人だったようだが、そのうちメンの割れた2人の家族が警察に引っ張られていった。
法も何もあったもんじゃないが、見せしめだろう。家族の消息は、その後わからない。
ムワイには関係ない。オレたちは従順なそぶりで波風を立てず、シェルターの建設を進めてそこに入る。
ムワイたちの住むバラックの材料は工事現場で出る建材の半端や廃材、破れた仮設用シート、アッパークラスの街から出てくるゴミなどだ。
そういうものを使って組み上げた「屋根」で強烈な昼間の日差しを遮るのだが、気温自体はそんなもので防げるような暑さや寒さではない。
ムワイたちバラックの住人は数家族まとまって地面を掘り、その穴の上にバラックの屋根を架ける、という方法でこの苛烈な寒暖差を和らげて凌いでいる。
それでも年に数回、このバラック住居はいったん廃墟になる。
洪水だ。
雨季の雨は以前のそれとは違い、風は「嵐」と呼ぶにふさわしく、その雨量は年々記録を更新し続けていた。
住居の「穴」は埋まり、「屋根」は流されて跡形もなくなってしまう。
ムワイたちはそこらに引っかかって流されそびれた「屋根」の残骸や、上流から流されてきたゴミ、政府が申し訳程度に支給してくれる建材を使って、また穴を掘り、「屋根」を架けて暮らしを始める。
慣れない最初のうちは大勢死んだりしたが、慣れた今では、空の様子を見て彼らはさっさと高台に避難する。「家」の中に、失うほどのものは何もない。
むしろ被害は川に近いアッパークラスのエリアの方が大きかった。死人こそ出なかったが、彼らの豊かな日常が侵される恐怖に直面し、そうして、国をあげて「シェルター住居」の建設に取り組む機運が生まれたのだった。
オレたちは運がいい。
特にアッパークラスの多いこの地区にキャンプがあったことは——。だからこんな生活も、もう間もなく終わらせられる。