空に昇ったドラゴンのぬいぐるみ
とある男の子の家に、ドラゴンのぬいぐるみがありました。
ドラゴンは宝物を守護する存在ですから、自分達の宝物である息子を守ってほしいという願いを込め、男の子が生まれたお祝いに両親が買ってきたものです。
男の子はドラゴンのぬいぐるみが大好きでした。いつでもどこでも一緒です。
さて、大切にされてきたぬいぐるみというものは魂が宿るものです。
このドラゴンのぬいぐるみにも魂が宿りました。
魂が宿ったぬいぐるみは自分の力で動く事が出来るようになります。
しかし誰かに動いているところを見られると、魂が抜け、ただのぬいぐるみに戻ってしまいます。
つまり死んでしまうのです。
彼はいつか、家の人達の目を盗んで外に出て、本物のドラゴンのように自由に大空を飛び回るのが夢でした。
そんなある日の事です。
男の子はパパとママとお出かけしていました。
勿論ドラゴンのぬいぐるみも一緒です。
しかし男の子はうっかりパパとママとはぐれてしまいました。
心細そうにドラゴンのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めながら、男の子はパパとママを探しました。
すると道路を挟んだ向こう側から、男の子の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。
パパとママです。
ドラゴンのぬいぐるみは動かぬ表情の下で、内心ほっとしました。
……ですが、おや?
男の子の名前を呼ぶだけでなく、他にも何か言っているようです。
えーと、なになに。
──危ないからこっちに来ちゃだめ?
──パパとママがそっちに行くから、そこでじっとしていて?
しかしパパとママが見つかって喜ぶ男の子の耳には、二人の言葉は届きません。
男の子はつい、二人の元に行こうと道路に飛び出してしまいました。
そして。
大きなクラクションの音。
耳をつんざくようなブレーキ音。
ぐんぐん迫りくる車体。
ドラゴンのぬいぐるみは、とっさに男の子の胸を突き飛ばしました。
男の子は尻餅をつき、間一髪、難を逃れました。
大きな怪我もなく、せいぜいかすり傷程度のものでした。
ドラゴンのぬいぐるみは男の子の腕の中にありましたから、両親には男の子がたまたま足を滑らせて転んだように見えたでしょう。
しかし男の子ははっきりと見たのです。
ドラゴンのぬいぐるみが自分を助けるのを。
突き飛ばされた時の感触が、今もまだ胸に残っています。
男の子が転んだ拍子に、ドラゴンのぬいぐるみは道路へと放り出されました。
そしてまるで男の子の身代わりとなるかのように、迫ってきた車に轢かれてしまいました。
硬いアスファルトの上に転がる姿は痛々しく、ズタズタに裂けた部分からは白い綿が飛び出しています。
男の子はドラゴンのぬいぐるみを抱き上げると、わんわん泣きました。
そして、「ありがとう」、とか、「ごめんなさい」、とか、「ぜったいなおしてあげるからね」、とか、たくさんたくさん話しかけました。
急いでやって来たパパとママは、その姿にただただ困惑するばかり。
ですがぬいぐるみの中にはもう、彼の魂はありませんでした。
動いている姿を見られたぬいぐるみは、魂が出ていってしまうのです。
泣きじゃくる男の子を見下ろしながら、ふわりふわり。
ドラゴンのぬいぐるみの魂は、上へ上へと浮かび上がっていきます。
──君が無事で良かった。もう会えないのは寂しいけれど……。
男の子がドラゴンのぬいぐるみを大好きなように、ドラゴンのぬいぐるみもまた、男の子の事が大好きでした。
だから悔いはありません。
それに。
──ああ、僕の夢、ちょっとだけ叶ったかな……。
自由に飛び回るとまではいかないけれども。
ドラゴンのぬいぐるみの魂は、ずっと憧れていた空へと昇っていったのでした。
それから十数年後。
立派に成長した男の子は、ぬいぐるみの治療をする、ぬいぐるみのお医者さんになりました。
彼の診察室には、所々うっすらと縫い跡の残る、ドラゴンのぬいぐるみが飾られているのでした……。
さて、実はこのお話、ちょっぴりだけ続きがあります。
空に昇っていったドラゴンのぬいぐるみの魂は、天の国へとたどり着きました。
天の国の神様は彼の事をたくさんたくさん褒めてあげました。
そしてなんと、彼を本物のドラゴンに生まれ変わらせてあげたのでした。
天の国に住まうドラゴンの姿は、地上の人々の目には見えません。
けれども子供達を守護するドラゴンとして、彼は世界中の空を飛び回りながら、今も皆を見守っているそうです──……。