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第八十一話 そして誰も

北ナ連の首都シムトカフ。


アバカロヴァと共に店を出る準備をしていたときにアナスタシアは冷たい手をぎゅっと当てて手を握ってきた。


「クチンスカヤ…元気でね。どんなことをするのかは…きかないけど…終わったらまた村に戻ってきて。私、そこで待ってるから」


アナスタシアは目をうるうるさせて言う。ニッコリと笑いかけたあげると安心したのか、彼女も笑みを浮かべた。


「きっと帰るよ」


手を離しアバカロヴァとともに凍てついた街道を歩く。アナスタシアがずうっと手を振り続けてくれていたということをアバカロヴァからの一言で知った。


「まだ振ってる…本当にクチンスカヤが好きなんだね」


二人は街道を歩くと途中、北ナ連の中戦車隊と出くわした。無人の路上を履帯で走行する彼等は彼女たちのことをまるで見えていないかのように通り過ぎていく。


「小銃を取りに行こう。そして狙撃ポイントも決める。そこから今日の午後にココーシナが演説をするらしい。その時を狙おう」


「…本当にやるんだね。今日が私達の命日にならないといいけど…」


「…どの道逃げ出せない。二人の死か、未来の戦没者か。天秤にかければ私達の命なんて塵芥(ちりあくた)と称することすらおこがましい」


すっかりと大人びた発言をするようになってしまった。まるで自分の人生を達観、または諦観したようなセリフを吐くとアバカロヴァは心配そうに顔を下に向けて立ち止まった。


「…変わったね、クチンスカヤは。なんだか羨ましいな。私はちっとも変われてない」


「…そんなことないよ、アバカロヴァは変わった。私も変わった。()()()()()()()()()


吹雪く町並み。小さな粉雪が叩きつけるように降り街道を駆け抜ける。


「変わった私達ならばこの国を殺せる。この終末を終わらせられる。私達は今、森羅万象の死を前にして、ついに死神になったんだ。今更迷いはない、私は新しく生まれ変われるんだよ。だってほら、私……『白い未亡人』、だからさ」


釣られて笑うアバカロヴァ。二人の幽霊が今、この戦争を終わらせようとしていた。


1月14日、肌が冷え込む冬の片隅の物語である。


冷たい階段を登り廃墟の屋上へと出る。そこからは広場が見渡せた。ひしめき合う人民たちの前には登壇するための演説会場と警備の軍人たち。あたりは軍旗や国旗が風に吹かれて揺れている。現場の熱狂は空気を伝って感じ取れる。


背負っていたカバンから狙撃銃Kar98kを取り出す。


「黒逸の小銃じゃん」


「うん、シュヴァルツが前に贈ってくれたんだ。照準器も付いてる。北ナ連の小銃じゃ距離が取れないからね、この銃は最大で1000mが有効射程、私はこっちを使う」


小銃を地面に置くと腹ばいに寝そべって足を開き内側の足を地面にくっつける。これが安定する狙撃の姿勢だ。


銃床を肩に委託してがっしりと銃身をホールドする。


「(おそらく…この戦争中で最も難易度の高いミッションだ。通常、対人に当てる際、まずおおよその計算を導き出し撃つ、そこからズレていたら調節してまた撃つ。これを繰り返して目標に当てる。だがそれは銃弾飛び交う戦場での話であり銃声がノイズにならない状況に限る。ここは首都、街中、そして大勢の人民…一発を外せば総書記は(かくま)われる、すなわち…失敗。それに今回は射程で選んでしまったが一度も使用したことのない敵国の銃。使い勝手が違う)」


様々な不安が脳裏をよぎる。不安の中には最悪の事態も含まれていた。思わず手が震える。寒さのせいではない。


アバカロヴァは双眼鏡を覗いて状況を報告していた。


「まだ総書記は出てきていないよ、コチェグラ総司令官はいるけど…クチンスカヤ、大丈夫?手が震えているけど」


誤魔化しきれない焦燥を見抜かれ思わずスコープから目を離す。


「この一発にすべてがかかっている。外せば終わり。本当に終わりだ。大丈夫、私は出来る…出来るから大丈夫…ううっ…」


それを見かねたアバカロヴァは同じ体勢を取ってくれた。腹ばいに寝っ転がって、まるで修学旅行先で宿泊した夜のように側にくっついて。


「何も思い煩わなくていいんだよ。いつも通り、いつも通りでいい。射程の計算、不安、集中、殺意…どれも物事を成功させるものじゃない、自分の経験を信じるんだよ。過去の自分の経験はすべての心象が納得する」


優しく語りかけるような声色の彼女に思わず感極まる。


「ありがとう、まるでお母さんみたいだね」


息を整えてスコープを覗き直す。膠着した運命を打開させる凶弾が放たれる時がついに訪れた。


「見えた……!ココーシナ総書記」


現れた背の低い総書記は軍帽を振って人民たちに会釈していた。にこやかに微笑む彼女は演壇のマイクの前に立つ。民衆の興奮が収まるのを待ち、静かになるとマイクに口を近づけて語る。


「同志諸君、陸海空軍諸君。政治将校、士官諸君。そして…億兆の万民労働者階級諸君。政府と評議会、そして党の代表として今登壇した。わしの名前はココーシナ。

敵国がけしかけた戦争が今は我々の自由で開かれた連邦に国難として襲いかかっている……」


淡々とした口調で語りかける総書記。その余裕からは溢れ出る指導者としての矜持(きょうじ)を感じられる。


「我らの赤き連邦に独立と繁栄を!黒逸軍人に死を!我々は断固として戦争を続ける!奴らの悪の帝国が滅びるその日まで!」


すうっと息を吸い込む。震えていた指はいつしか収まりそっと引き金に指の腹を当てた。


照準の先に映る総書記。今狙われているとは知らず着々と演説は続く。


「…我々は奴らのように暴力的手段に訴えることは決してない。ただ、正義のために戦おう。平和な世界を作るために共に戦おう。それが……それこそが、我が党の理念である。戦争は!私がここに立つ限り永久(とわ)に続くのだ!」


「……おさらばです。総書記」


使命に任せて人差し指に力を入れトリガーを引く。


バァンッ!!


乾いた銃声が響き渡る。同時に銃口から火を噴く弾丸が発射された。


真っすぐと伸びる弾道、そして……


彼女の狙い通りに総書記の頭部を撃ち抜いた。

どさりと倒れる総書記。人民たちは一瞬何が起こったのか理解できず呆然としている。


役目を果たしたクチンスカヤは息を吐き出した。


「見事命中だよ!お見事」


「……早く撤収しよう」


荷物をまとめ上げ早々にその場を離れる。コチェグラは倒れた総書記を抱え上げていた。


「総書記…!」


彼女は何も言わない、即死だった。事切れた総書記を地面に置く。


「(殺す手間が省けました…しかし、放置していては人民…いや党が許さないでしょう。銃創から射撃線上を伝って導き出される建物は…)」


官僚や党の関係者たちは慌てふためき頭を抱えてその場にうずくまった。だがコチェグラは演説のマイクを手に取って逃げ惑う人民に揉まれる軍人に呼びかけた。


「紅旗軍の最高司令官が射殺された!射角は30度、2時の方向!直ちに迎えッ!!見つけ次第射殺しろッ!!」


急いで現場を離れシムトカフを駆け抜ける。大勢の軍靴の音が迫ってくるのが聞こえる。


近くの雑木林に駆け込み凶器を捨てながら雪が積もる森の中を疾走した。


「はぁっ……はぁっ……ここまで来ればもう安全だねっ……」


乱れた呼吸を整える。ふと目についた大きな石の上に腰かけて一息つく。


「……終わったんだね、私達。勝ったんだ、ついに」


「うん、そうだよ。やっと、終わるんだ。これでようやく……」


そう言って二人は抱き合った。お互いの体温を分かち合う。


「あはは、あったかい……生きてるって感じするね」


「うん、そうだよ。私たちはやり遂げた。もう何も背負わなくていいんだよ」


するとその時、足音が二人に追いついた。


「…見つけ…ました。まさか生きているとは…」


コチェグラ総司令官が息を切らしながら近づいてくる。


「…やはり、殺したのはクチンスカヤたちですか、僕としては総書記の死は望ましいが、放っておけばと党の支持に関わる。この国を動かすのは僕です…!党を仕切り、戦争を勝たせるのは…このコチェグラだっ!!」


コチェグラは素早く拳銃を抜きクチンスカヤに向ける。 


「危ないッ!」


アバカロヴァは咄嵯の判断で飛び出してきて身体を突き飛ばした。


響いた一発の銃声と同時に肩を抑えて倒れ込むアバカロヴァは苦痛で顔を歪ませていた。


「アバカロヴァ…!なんで…」


胸から溢れ出る鮮血が雪の上に垂れていく。


「クチンスカヤ…前っ…」


前を見るとそこには銃口をこちらに向けていたコチェグラがいた。


「死ねッ!!」


瞬時に地面の深雪を蹴り上げて冷たい煙幕を生み出す。


「クソっ…!!」


闇雲に乱射する総司令官、しかしすでに移動しており回り込んで無傷の状態で彼女に飛びかかった。


馬乗りになり鳩尾(みぞおち)に肘を落とすと吐血をして拳銃を手放す。それを見逃さずにキャッチすると銃口を彼女に向けた。


「や、やめて…僕が党を仕切れば戦争に勝てる…この国を勝利に導くことができるのですよ、国の幸福のために…」


「国の幸福は散々味わったでしょ、私はね、今個人の幸福を味わいたいの」


「個人の…幸福…?」


「そう、それはね戦争の終結。そして…あなたへの復讐だよ」


ズドンと引き金を引きコチェグラの脳天を撃ち抜く。地面には脳漿と血が広がり、少し動いたあと糸が切れたように動かなくなった。


「ごめん…アバカロヴァ…私の慢心のせいで…いつもこうだ…いつも…勝負で勝って試合で負ける。」


急いでアバカロヴァに駆け寄ったが彼女はすでに虫の息だった。死神の鎌が振り下ろされる直前であるということは火を見るよりも明らかだった。


止まらない流血、虚ろな目。一瞬にして変わり果てた戦友の身体をただ支えて上げることしかできない自分の不甲斐なさに涙が頬を伝った。

評価、ブクマ、感想などいただけると大変励みになります…!ぜひ…!╰(⸝⸝⸝´꒳`⸝⸝⸝)╯




【補足】


この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。


登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨

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