8.新しい友人
うんうん考えている内に昼休みになった。今日からは普通に授業があるので、お弁当を持って来ている。それを光太郎と食べようと思って椅子から立ち上がった。すると花園さんがこちらに向かって歩いてくるのが見えたので、慌てて教室から出ることにした。
「それでそんなに焦ってたのか」
「それもあるけど。ねえ、光太郎。問題が発生したわ」
「問題?」
何とか花園さんを振り切って、今は光太郎と屋上でお昼ご飯をとっていた。この学校は今では珍しく屋上を解放している。頰を撫でる風が心地よい。
疑問符を浮かべる光太郎に休み時間にあった出来事を伝えた。
「という訳で本来赤谷君の個別ルートに入った後起こる筈の『ヒロインと赤谷君をくっつける為に花園さんが画策する』イベントが起こったって気づいたの」
「……イベントの順序は意図的に替えることができる? いやそれより……やはり彼女は」
すると光太郎は口元に手を当てて、何ごとか呟き始めた。考えごとをするときの彼の癖である。口に出すことで頭の中が整理しやすくなるらしい。私は黙って彼が結論を出すのを待った。
「なあ」
そして、ついに彼が顔を上げたその時。ぎぎいと重たい屋上の扉が開いた。驚いてそちらを見る。まさか花園さんが追いかけて来たのか。何て執念深いんだ……と思っていると。
「……」
そこに立っていたのは、一人の女生徒だった。但し花園さんではない。花園さんはこんなに前髪を伸ばしていないし、ここまで背は高くない。どちらかと言うと花園さんは小柄な方だ。
両目を覆い隠すように垂らした髪のせいで、彼女の表情は伺い知れなかった。しかし、唯一見えている口がぽかりと開いている所を見るに、恐らく驚いているのだろう。
「……!」
しばらく硬直した後、彼女は後ずさった。そしてそのまま後ろを向き駆け出そうとする。
「おい」
そんな彼女に光太郎が呼びかけた。彼女が驚いたように立ち止まり、振り向く。
「俺とこいつはそんな関係じゃない。折角だ。一緒に飯、食おうぜ」
「……?」
「迷惑だったら最初から誘ってねえよ」
「……」
一人問答を繰り返す光太郎に合わせたように彼女が側までやって来た。まるで彼女が何を言っているのか光太郎にはわかっているようだ。私には何もわからないが。
「ああ、ここに座れ」
「……」
そう言って、一人分のスペースを空ける光太郎。彼女はそこにすとんと座り込んだ。
「……ええと、初めまして?」
「……」
何となく何も話しかけないのも失礼かと思い彼女にそう言ってみるも、軽く微笑み返されただけだった。しかしそれでも光太郎は……。
「こら、そんなこと言ってやるなよな。何も知らない癖に」
「……!」
「それはお前の偏見だろ」
普通に会話を続けていた。え、何これ。彼女の声が聞こえない私が可笑しいの? と自分の耳を疑い始める。頭の上に疑問符を一杯飛ばしていると。
「あー、そうか。わからないよな普通」
私の様子に気づいた光太郎が女生徒の代弁をするように言った。
「こいつ、俺のクラスメイト。来栖幸って言うんだ。ちょっと事情があって声が出せないらしい。で、さっきはちゃんと『初めまして』って言ってた」
「……!」
「いや、流石にそのまま伝えたらやばいだろ」
一体彼女が何を言おうとしてたか大変気になる所だったが、それよりもっと気になることがある。
「声が出ないことは理解したわ。でも、何で光太郎には彼女の言いたいことがわかるの?」
「……?」
彼女も隣の光太郎を見上げる。それはまさしく、不思議そうに。
「あー……読唇術って奴? とにかくそういうのでわかる。こいつ話そうとしてるとき少しだけ唇動いてるから」
「……!」
光太郎が答えると、何故か彼女は怒ったように彼の胸を叩く。
「痛い痛い、やめてくれ……取り敢えずそういうことにしといてくれないか」
「ええ、それしか考えられないものね。まさかテレパシーなんてもの存在するわけないし。でもいつ読唇術なんて身につけたの?」
「……中学のとき、真とスパイごっこして遊んでたんだよ。そのときに」
「まあ、そんなことしてたの?」
若干目を逸らしながらそう言う光太郎に目を見開く。光太郎と真は男同士ということもあってか、私たちの与り知らぬ所で遊んでいるときがあった。私たちも私たちで女子会を開いたりしているのでお互い様だが。
「私も誘ってくれたらよかったのに。楽しそう」
「……!」
突然来栖さんに指で指された。彼女の方を見ると口をへの字に曲げている。何か気に障ることをしてしまっただろうか。すると、光太郎が彼女の言いたいことを教えてくれた。
「『自分が名乗ったのに何故お前は名乗らない!』って言ってる」
「まあ、これは失礼したわ。私は坂本綾音って言うの。よろしくね」
「……」
「『こちらこそよろしく』だってさ」
彼女が満足したようにうんうんと頷く。今度の通訳は間違っていなかったようだ。
「……?」
「えっ……それ言うのか? ……仕方ないなあ」
何故か代弁するのを躊躇う光太郎に再度ぽかぽかと叩く来栖さん。それに観念したように、彼は口を開いた。
「あくまで来栖の言葉だからな……『物凄い美人さん、一体何人と付き合った?』」
その言葉を理解するのに、暫しかかり。気づいたら私は光太郎に襲いかかっていた。
「チェストおっ」
「うわっ、何するんだよ? 今のはこいつの言葉だってば」
「……?」
「そりゃ怒るさ、こいつは大の男嫌いだからな」
恐らく来栖さんは彼に理由を尋ねたのだろう。しかし彼の答えには異議を申し立てたい。
「ちょっと、それじゃあ世の中の男性全員嫌いみたいじゃない。私が嫌いなのは、私に言い寄ってくる奴とか私が惚れていると思い込んで襲ってくる奴とかそういう迷惑な男共よ」
「……」
「『何だか大変だった模様』……ああ、本当にな」
光太郎は空を見上げて何かに思いを馳せていた。多分、今までの奴らとの出来事を思い出しているのだろう。
それを何となく眺めていると、肩を叩かれる。気づいたら来栖さんが近くにいて、箸を突き出していた。その先には唐揚げがあって、私が確認したことを見て取るとそれを私の弁当箱の中に置いた。
「……」
「『嫌なこと聞いた、ごめん。お詫びにこれどうぞ』だって」
「あら、気にしなくていいのに。美人さんって言われたのは嬉しかったし……そうだわ」
私は箸で出汁巻玉子をつまむと、来栖さんの弁当箱に入れた。
「……?」
「『何これ?』」
「仲良くなった記念に、おかずを交換しようと思って。……もしかして玉子嫌いだった?」
そう尋ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振り出汁巻玉子を口に入れた。
「……!」
「『美味しい!』……よかったな」
「ええ、自信がついたわ」
「……?」
彼女は光太郎を見つめる。光太郎はわかっているとばかりに彼女に頷き。
「こいつ、自分で弁当作ってるんだ」
「……!」
「ああ、確かに凄いよな……何故か器用でもあるんだよなあ」
「最後の言葉は余計よ」
そう言いながら彼女がくれた唐揚げを口に入れる。
「うん、醤油が効いていて香ばしいわ。あなたは誰かに作って貰ってるの?」
尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頭をぽりぽりと掻いていた。
「……」
「『恥ずかしながら』」
「じゃあ作ってる人にも言っておいて。とっても美味しかったって」
彼女はこくりと頷いた。
それから、光太郎を間に挟み彼女と対話した。何と、彼女も図書委員らしい。何でも本を読むのが好きなのだとか。私も趣味の一つが読書なのでとても盛り上がった。
しかもよくよく話を聞いてみたら私たちと帰る方向が同じらしい。花園さんを除けば最初に仲良くなった子がそうだなんて、こんな偶然ってあるだろうか。私は嬉しくて顔が若干にやけてしまうのを止められなかった。
時間が経つのは早い。気づいたら予鈴が鳴っていた。その頃には今度お互いにお勧めの本を持ってきて交換することが決まっていた。彼女推薦のミステリがとても楽しみである。
「それじゃあ教室に戻るか」
「ええ、そうね。とても有意義な時間だったわ」
「……」
「『自分もそう思っている』とのことだ」
そして、教室に戻る途中。紙束を抱えた女生徒の肩と光太郎の肩がぶつかった。ばさり、と広がる紙束。
「あー……すみません。大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。ですが……」
紙束はかなりの量があったようで、周りに散らばっていた。放っておく訳にもいかず、皆で拾い集めるのを手伝う。そして丁度今、最後の一枚を光太郎が拾った所だった。
「はい。これで最後ですか?」
「ええ。恐らく……」
そこで彼女が光太郎の顔を見つめた。
「……あの、何処かでお会いしたことありましたか?」
「いや、初対面ですよ。副会長さん」
言われて気づく。短い黒髪の彼女は入学式の時、生徒会長に耳打ちしていた人物だった。
「……!」
来栖さんも口を開けて驚いているようである。
女生徒……副会長が去った後、彼に聞いた。
「ねえ、よくわかったわね。あの人が副会長だって」
「……?」
「ああ、まあ……印象に残ってたんだよ」
確かにあの時の会長の発言により、あの場は目立っていた。しかし当の会長の印象が強過ぎて、正直彼女の影は薄かったと思うのだが。いくら光太郎の記憶力が良くても、限度というものがある。
もしかして、と思う。
「あなたも一目惚れしちゃったの?」
「……?!」
「いや惚れてないから。二人ともにやにやするな」
来栖さんと二人で光太郎をからかった。再度チャイムが鳴って私たちが慌てるまで、後少し。




