4.幼馴染み
真がやって来るまでの間、コーヒーを飲みながら、光太郎と世間話に興じる。近所に住んでいるお婆さんの猫の一匹がまた逃げ出したらしいだとか、『彼女』が探すのを手伝っているだとか……。
そうこうしている内に、誰かがカフェの扉を開いた。チリンチリンと涼やかな音がする。
目を向けると、こちらに向かって早足で歩いてくる真の姿。そして、私たちのテーブルの側に立つ。
「二人とも、お待たせ」
「よう真。相変わらずだな」
「真ったら、そんなに焦らないでも私たちは帰らないのに」
真はかなり急いでここまで来たのか、肩で息をしていた。服装も制服である学ランのままだ。私の心配する声にへらっと笑いながら、「もうちょっと待っててね」と彼は言う。そしてカウンターに向かい、今度はカップを手にこちらに来て、私の隣の席に座った。
「帰らないと言われても、やっぱり心配じゃないか」
「何がだ?」
光太郎が疑問を返す。私も首を傾げた。
「君達二人が一緒にいる所を見られたら、また例の人に逆恨みされるかも」
「あら、それなら大丈夫よ。もう奴には引導を渡したから」
安心させるように言うと、真は確認するかのように光太郎に尋ねた。光太郎はカフェの新メニューの宣伝を眺めていた。
「……そうなの?」
「ああ。この前も何とかなったよ」
「そうか。それなら良かった」
そう言って心底安心したように笑う真に、目を合わせないまま光太郎が呟いた。
「そんな心配しなくても、こいつ一人くらい俺だけでも守れる」
「あら、頼もしいわね。前回守られていたのはどっちだったかしら?」
「お前だろ。お前は詰めが甘いんだよ」
光太郎は私の発言にうんざりしたように返す。その様子に真が苦笑いで答えた。
「確か前々回は背負い投げして満足した綾音ちゃんが背後を取られてやばかったらしいね」
「大事になる前にミツが周りの人を集めていて何とかなったみたいだけど」と微笑みながら言う真に私は気まずくなって、コーヒーをスプーンでかき混ぜる。
「……何で知ってるの?」
「ミツから聞いた」
真の答えを聞いて、思わず光太郎の方を睨みつけた。
「ちょっと、光太郎」
「話にはオチが必要だろう」
そう飄々と嘯く彼に、「余計なこと言ってくれちゃって」と怒った振りをすると、そんな私を宥めつつ真が言った。
「僕が彼にねだったんだよ、綾音ちゃんの武勇伝はないかって」
「武勇伝って……嫌だわ、恥ずかしい」
私が口元に手を当ててそう言うと、光太郎が茶々を入れて来る。
「恥ずかしいってお前が言えたことか、あの暴れっぷり……痛え」
「……どうかしたの?」
真に気づかれないように光太郎の足を踏んだ。光太郎が文句を言おうと口を開きかけたのでもう一度踏む。それで観念したように彼は黙り込んだ。
真は仕切り直しとばかりに一つ咳をすると。
「そうは言うけどさ、いつまた変な人に綾音ちゃんが絡まれるとも限らないし、やっぱり用心するに越したことないと思うよ」
そう困ったように話す真に私は安心させるように力こぶを見せる。
「その度に返り討ちにしてやるから大丈夫よ」
「それでも、心配なものは心配だ。綾音ちゃんも女の子なんだから」
それでも表情を変えない真に私は若干気まずくなって、光太郎を揶揄う方向に持っていこうとした。少し大げさに。
「まあっ、ほらほら聞いた、光太郎? これがモテる男子の言動よ」
そう言って現状モテない光太郎に男子のお手本を披露するように手を広げる。光太郎は呆れたように、頬杖をついて。
「そんな歯の浮いたような台詞を言わないとならないくらいなら、俺は一生独り身でいい……」
「今のうちからそんな寂しいこと言ってると、本当になっちゃうよ?」
苦笑しながら真は光太郎をたしなめた。私も同調する。
「そうよそうよ、いざという時に格好いいこと言えなかったら困るわよ?」
「じゃあ言ってやろうか? お前に」
突然こちらに向き直りそう言う光太郎に、私は眉を吊り上げた。
「ちょっと、やめてちょうだい。いくらあなたでもそんなこと言われたら本気で踏み潰したくなっちゃう」
そう言うと彼はじっとこちらを観察するように見つめてくる。私も負けじと睨み返した。やがて先に目を逸らしたのは光太郎の方で、彼は思い切り溜息をついてから呟いた。
「安心しろ、お前にだけは絶対言わない……後が怖い」
ちらりと真に目をやりそう脱力した風に言う彼に、真が同意した。
「綾音ちゃんの本気は怖いもんね。仕方がないよ」
「……まあそうだな」
何故か一拍置いてから返事をした光太郎は、コーヒーの液面をただ見つめていた。
それから私たちは最近あった出来事を互いに話したりして、楽しい時間を過ごした。ふと、真が腕時計に目をやる。すると彼は目を見開いて。
「……あ、もうこんな時間。僕、急いで家に帰らないと」
「塾か。優等生様は大変だな」
「ちょっと、光太郎。そんな言い方しなくても……」
真は少々棘を含んだその言葉を、「あはは」と笑って受け流しながら、コーヒーを飲み干した。そして、来た時と同じように手を挙げる。
「じゃあね。綾音ちゃん、ミツ」
「またね」
「ん」
私と光太郎は手を降って、去っていく真を見送った。
「さて。用事も終わったことだし、俺らも帰るか」
「そうね」
そう言って、彼とカフェを出て、いつものように途中まで一緒に歩いて帰ろうとしていたのがついさっきまでのこと。しかし、何故か今私たちは路地裏を駆け回っていた。
ちょうど猫を追いかける『彼女』と偶然出会い、成り行きで手伝うことになったのがきっかけである。
「そっちに行った! 捕まえて!」
その声に素早く反応する私。ターゲットに狙いを定めて飛び掛かる。
「やあっ、捕まえたっ」
標的の両脇に手を差し込み、持ち上げる。しばらくの間じたばたと抵抗していた標的だったが、やがて諦めたように大人しくなった。
ふと後ろを見ると、光太郎と『彼女』が丁度追いかけて来た所だった。彼らに今しがた捕まえた子を見せる。
「ほら、何とか捕まえたわよ」
「……うん、確かにちび助だ。アヤお姉ちゃん、ありがとう!」
そうとびっきりの笑顔を見せる『彼女』……リンちゃんに捕まえたばかりの猫を預けた。光太郎はその様子に目を細めて。
「よかったな、無事に見つかって」
「うん! 光太郎お兄ちゃんも手伝ってくれてありがとう!」
そう満面の笑みでお礼を言うリンちゃんに対して、光太郎は気まずそうにした。
「いや、俺は何もしてないよ」
「またまた格好つけちゃって。逃げられないようにうまく袋小路に誘導してた癖に」
そう言うと、「ちょっ、言うなよ」と動揺したような素振りをする光太郎。その彼にきらきらとした視線を向ける瞳が二つ。
「本当に? お兄ちゃん、凄い!」
「そ、そうか?」
「そうだよ! 刑事さんになれそう!」
リンちゃんの発言に私もうんうんと頷く。
「そうね。将来、目指してみたら?」
割と本気で勧めてみるも、彼は首を振った。
「嫌だね、向いてない」
「そんなことないよー、光太郎お兄ちゃんなら頭いいし何にだってなれるよ」
言われた彼は、ぽん、とリンちゃんの頭に手を乗せる。
「ばーか、そういうのは真みたいな奴に言うべきことだ」
「えー」
戯れ合う二人を微笑ましく思いながら、私は笑っていた。
猫を飼い主のお婆さんに返して、私たちとリンちゃんは別れた。再び帰途についている最中、私は彼に言った。
「すっかりリンちゃんと元通りになったのね。よかったわ」
「……気づいてたのか」
「当然よ。何年このメンバーで過ごして来たと思ってるの」
リンちゃん……橘花梨はスミ姉の実の妹である。そして、私たちにとっては一歳年下の幼馴染でもあった。今朝私が言った『彼女達』の内のもう一人だ。彼女は私たちのことを本当の兄や姉のように慕ってくれているし、私たちも彼女のことを本当の妹のように思って接している。私も光太郎も彼女には甘い。唯一真だけは彼女に対しても平等だった。全員に優しいともいうが。
しかし、それが一時崩れたことがあるのだ。正確にはリンちゃんと光太郎が互いに余所余所しくなったというか……。何処か光太郎に遠慮するリンちゃんに、頭を撫でようとして途中でやめる光太郎。これで心配するなという方が無理な話である。
「別に、お前には関係ないだろう」
「関係なくないわ。あなたたちが気まずくしていると私たちの空気も悪くなるし、それに」
そこで一呼吸置いて、彼の方を向く。
「私はみんなが仲良くできるのが一番だと思っているの。光太郎もそうでしょう?」
「そうだな。できるのなら」
彼は自虐的に笑った。それがどうしてかは私にはわからなかったけれど、彼にそんな表情をして欲しくないと思った。だから私は堂々と言ってやる。
「あら、できるわよ」
「何で」
立ち止まりやけに真剣な様子でこちらを見つめる彼を、真っ向から見つめ返し私は言った。
「あなたと私が組めば、どんな運命だって好きなように変えられる。だって主人公とイレギュラーな存在よ? これで何もできない方が可笑しいわ」
そう断言すると、彼は最初目を真ん丸に見開いて。それからぷはっと思いっきり笑ったのだ。
「ああ、そうだな。その通りだよ」
笑いながら言う彼に、今更自分の発言が恥ずかしくなって、思わず八つ当たりしてしまった。
「ちょっと、笑い過ぎよ」
「うわちょっ、痛っ」
そして、それから時は過ぎ。無事帰宅した私は、お風呂に入っていた。入浴剤の香りが心地良い。
ほっと一息ついていると、ふいに『隠しキャラ』のことが頭に思い浮かんだ。
「まさか真が隠しキャラだったなんて……」
茅葉真、それが彼の名前だ。彼は幼稚園時代からの幼馴染だが、彼の家の方針で小学校からエスカレーター式の私立に通っている。それはゲームも同じ。だけど。
「確かゲームだと、二週目以降にある特定の行動をすることで彼と再会するのよね」
しかし現実は異なり、再会するも何も彼とは小学校に上がってからも度々遊んでいた。毎年、新年になったらいつもの面子で初詣にも行く。首を捻った。
因みに彼のルートは、久し振りに会った幼馴染の成長した姿に互いにどぎまぎして、そしていつからか惹かれ合うようになる……というストーリーだ。よくある話である。
それに比べて。確かに彼との仲は良好だ。互いに好いてもいると思う。しかし。
「私は言わずもがな、彼も恋愛的な意味では好きって訳じゃあないと思うし……」
彼は私を女の子扱いするような発言をよくするが、それはスミ姉やリンちゃんにもで、しかも口説いているというよりは紳士的な気遣いがほとんどだ。単純に彼の優しい性格から来るものだろう。だからこそ私も拒否反応が出ずに済んでいる。
それに私が男性を苦手になったのは、小学生から中学生くらいの頃からだったりする。なのでそれ以前から付き合いの深い光太郎や真に関しては、どこかで距離が近くても安心できる自分がいた。
しかしそれは恋だとか愛ではなく、あくまで従兄、幼馴染みとして信頼しているというだけで。
ある意味きっかけが潰れているから、惹かれ合わないのは当然かもしれないが。それじゃあ何故潰れた?
「やっぱり光太郎や橘姉妹の存在があるから?」
しかし運命を変えるのは難しいと、今日嫌という程思い知った。彼らの存在だけで運命が変わるのなら、作戦は万事うまく行っていた筈である。
「もっと他に、大きな影響を与えられる方法が存在する……?」
私だけでは、考えてもわからなかった。この後光太郎から届いたメッセージを見るまでは。




