39
光太郎との間にあいた微妙な距離が縮まらないまま週末になった。今日の勉強会は叶多君が場所を知っているのが私の家しかないということで、そのまま私の家での開催になった。
私は皆を出迎えるための準備を進めつつ、今日はまず何から質問しようかと考えていた。せっかくなので一応わからない箇所をある程度ピックアップしてある。
光太郎とスミ姉は最初から頼りにしていないが、真は聞きたいことさえはっきりしていたら割とわかりやすく教えてくれる。それに今日は叶多君もいるので、最悪彼に聞けばいいと思ったのだ。
ちなみにリンちゃんにも、そうしておくといいかもしれないということはメッセージで送ってある。『わかった、ありがとうアヤお姉ちゃん!』と元気一杯の返事が返ってきたのできっと大丈夫だろう。
ある程度準備が終わったところでチャイムの音がした。玄関に向かい扉を開けるとそこには傘と鞄を持った光太郎がいた。
「よう、他の奴は……まだ来てないみたいだな」
光太郎は靴の有無で来客数を確認したようだった。ほっと安心したように息をついている。
「そうね、あなたが一番乗りよ。とりあえずここじゃなんだから上がって」
「お邪魔します」
そうして光太郎をリビングに案内している時。不意に彼が聞いてきた。
「今日は新太さんと詩音さんは?」
「お父さんとお母さんなら今日は席を外してもらってる」
坂本新太と坂本詩音は私の父と母だ。光太郎にとっては叔父叔母にあたるのだが、何故か光太郎は小さい頃から『叔父さん』『叔母さん』とは呼ばず『新太さん』『詩音さん』と呼ぶ。
「そっか……よかった」
あからさまに安心したような声を上げる光太郎。彼は私の父母には滅法弱い。何故なら彼らがやたらと光太郎を可愛がるからだ。
母は『本当に若い頃の新太さんにそっくり!』という理由で構い倒すし、父は『うちのアヤはやらん!』と絶対零度の笑みで追い詰める。要は彼らはなんだかんだで光太郎のことが大好きなのだが、それゆえに光太郎はいつもやりづらそうにしている。
リビングに着いたので、私は光太郎に「適当にくつろいで」と言った。
「絶対新太さん何か勘違いしてるよなあ。真にはあそこまでしないし」
「まあ真はいつも一緒にいる訳じゃないから……光太郎、麦茶とジュースだったら?」
「麦茶で頼む」
私は頷いてキッチンに向かった。
一番最後にやってきたのは叶多君だった。彼はリビングに集まったいつものメンバーを見渡すと目を見開く。
「やば……美男美女ばっかり! なんか全員きらきらしい! 俺もしかして浮いてる? 浮いてない?! どう思うコタロー!」
「うるさい、浮いてると思うなら帰れ」
「ひどっ! コタロー、そこはフォローしてよ!」と相変わらず賑やかな叶多君。
真が立ち上がって彼に歩み寄る。そして笑顔で自己紹介をした。心持ち冷たい声色で。
「君が噂の『叶多君』かな? 僕は茅葉真って言います。よろしくね」
「俺は柊叶多って言いまーす! よろしく、マコっち……ってあれ?」
叶多君は真の姿に何か思うところがあったらしい。じろじろと眺めている。
「何かな?」
「君みたいな泣きぼくろイケメンうちの学校にいたっけ……? まさか年下?」
「ああ、僕は宝ヶ丘学園に通ってるから。君と同じ高校一年生だよ」
叶多君はそれを聞くと飛び上がりそうなほど驚いた。
「宝ヶ丘ってあの宝ヶ丘だよね? 超名門男子校の! すげー通りで頭良さそうだと」
そのまま彼は俯いて何事か考え始めてしまった。そこにスミ姉が話しかける。
「初めまして、柊君。私は橘香澄よ。そしてこの子が私の妹の」
「橘花梨って言います。中三です。今日はよろしくお願いします!」
「橘先輩初めまして! お噂はかねがね……。聞いてた通りお綺麗ですね。それと君が橘先輩の妹さんか。めちゃくちゃ可愛い! よろしく花梨ちゃん!」
彼は笑顔で挨拶する橘姉妹にもいつも通り応対していた。若干スミ姉に対してはテンション低めだったのが引っかかるが、多分緊張しているからなんだろうなと私は思った。
ぱんっと音がしてそちらを見ると光太郎が無表情で座っている。
「自己紹介も終わったことだし、そろそろ勉強始めようぜ」
その一言で皆はそれぞれの席についた。私も叶多君に麦茶を用意すると、空いているところに座って勉強用具を取り出す。
「うー……やっぱりここでなんでこの公式を使うのかわかんない」
「花梨、どうしたの?」
唸り声を上げるリンちゃんに隣のスミ姉が話しかけた。リンちゃんは引きつった声を上げる。
「お、お姉ちゃん……。ううんなんでもないよ」
「なんでもないってそんなことないでしょう。さっきから手が止まってる」
「うっ……」
「ほら、私に見せてみて……ああ、これなら簡単よ! この公式はね、この証明を引き締めるためにあるの!」
ああ、またか……。私と多分リンちゃんは一緒に心の中で頭を抱える。スミ姉の超感覚派な教え方は一切参考にならない。引き締めるってなんだ。
「リン、わからないんだったらいっそその解き方ごと覚えてしまった方が早いぞ」
そう言うのは光太郎。彼はあくまで丸暗記推奨派だ。私も一時そういうものかと思って従ってみたことがあるが、そういう覚え方をすると絶対大事な時に思い出せなくなる。ということで参考にならない。
「ミツはそれできるかもしれないけど、普通はできないからね? ……えーっとリン、この公式を使う理由はね。とりあえずこの問題の証明をしてみるとわかるよ」
真は真で、私たちと理解の仕方が違う。確かに言われた問題を解けば何となくわかりはするのだが、いちいちそんなことをしていてはすぐに日が暮れてしまう。
「アヤお姉ちゃーん……」
リンちゃんが泣きそうな声で私の名前を呼んだ。苦笑して私もリンちゃんの問題を確認するために席を立とうとする。今日はそんなことをずっと繰り返していた。
きっと今日はこれだけで時間が潰れてしまう。まあいい、私の勉強は後からでもできる。今は受験生であるリンちゃんを優先しよう……そう思った、ちょうどその時。
「あーっ! 見てられないし、聞いてられない!」
意外と静かに勉強していると思われた叶多君が突然大声を出した。皆驚いてそちらを見る。彼は立ち上がってスミ姉を指差した。
「橘先輩、あなたは教え方がおかしい! 感覚で理解しているのはいいですけど、それを指導に持ち込むな! 理論を説明できないならしゃしゃり出ないでください!」
呆気に取られているスミ姉を置いて、彼は次に光太郎を指差した。
「次にコタロー。解き方を覚えてしまうのは時と場合によってはありだ。だけど、それは最終手段だ! 全部全部暗記してたら絶対に最初に覚えたことから忘れていく!」
「……そうか?」
いまいち納得いっていないように首を傾げる光太郎。それを無視して叶多君は真を指差し、言う。
「最後にマコっち! 確かに君の見せた問題は根本を理解するのには向いてると思う。だけどな、今必要なのは問題じゃなくて解説なんだよ! 問題を提示するなら同時に解き方も教えろ!」
「……でもそれだとリンのためにならないと」
何事か言い訳しようとした真を遮るように、仁王立ちの叶多君は叫ぶ。
「うるさい! あんたたちは教え方がなってない! このままだと花梨ちゃんと綾音ちゃんがかわいそうだ! だから……」
「だから?」
光太郎が続きを促すように叶多君に尋ねる。叶多君は一瞬固まったが、やがて覚悟を決めたように。
「……あー、だから! 今日は花梨ちゃんに教えるのは俺の担当! 何人たりとも邪魔しないで、自分の勉強をして! 以上!」
そう言うと彼はリンちゃんの隣に座り直した。「で、わからないところはここだよね。ここは……」と図を書いて説明し出す叶多君を見て大丈夫そうだと判断した私は、改めて自分の勉強に集中しようとした。
その時一瞬だけ、視界の端に……光太郎が笑っているのが見えて。どうしたんだろうと少し疑問に思った。
「あっ、もうこんな時間だ」
そう声を上げる真につられて壁にかかった時計を見ると、時刻は夕方を指していた。私は思い切り伸びをして、今日の成果を眺める。
「かなり捗ったわ……ありがとう真」
「どういたしまして。綾音ちゃんのお役に立てたようで何よりだよ」
私は叶多君がリンちゃんにかかりきりだったのもあって、真にわからない箇所を教えてもらった。真は先ほどの叶多君の指摘に思うところがあったらしい、普通にわかりやすく教えてくれたので非常に助かった。
「綾音ちゃん。勉強のことだけじゃなくても、もっと他のことも頼ってくれていいんだからね?」
眉を下げて困ったように笑う真の言葉に、曖昧に頷いた。……そんなに私は皆を頼っていないように見えるのだろうか。私はそんな事ないと思っているのだが。例えば光太郎には現在進行形で頼りっぱなしだ。
何となく気まずくて視線を逸らすと、リンちゃんと叶多君の姿が目に映った。
「叶多お兄ちゃん、ありがとう! すっごくわかりやすかった!」
「いやいや、花梨ちゃんこそ。素直だから俺もすごく教えやすかったよ」
リンちゃんはすっかり叶多君に懐き、『叶多お兄ちゃん』と呼ぶようになっていた。叶多君も満更ではなさそうだ。
そのまま視線をずらすとスミ姉の姿が見えた。スミ姉は結局あれ以降口を開かず黙々と勉強していた。今も顔を下に向けていて表情は窺えない……と思ったその時。突然スミ姉が顔を上げた。そして叶多君の方を見る。
「柊君、ちょっといいかしら?」
「は、はい! なんでしょう橘先輩」
まさかスミ姉から話しかけられると思っていなかったのだろう、叶多君は驚いたように目を見開いていた。
その様子には気がついていないように、スミ姉が言った。
「どうか、私に……勉強の教え方を教えてくれないかしら」
「……え? えええ?!」
「この通り! このままじゃ私は……」
続く言葉は私の場所からでは聞こえなかった。
「柊」と光太郎が叶多君に話しかける。
「せっかくだしスミ姉と連絡先交換したらどうだ? それが『目的』だったんだろ?」
「いやコタロー、俺は……」
「光太郎ちゃん、それはいいアイデアね! 柊君、私と連絡先交換してくれる?」
何事か言おうとした叶多君に被せるようにスミ姉が声を上げた。私もスミ姉自身が乗り気だし、叶多君にとってはこれ以上ないチャンスだと思って、背中を押す。
「叶多君、これはいい機会だと思うわ。交換したら?」
そう言うと叶多君は観念したように了承した。
「うう、綾音ちゃんも言うなら……わかりました、交換しましょう!」
「ありがとう柊君! それじゃあ早速……」
いそいそと自分のスマートフォンを取り出すスミ姉に、苦笑い気味で携帯を操作する柊君。それを何とはなしに眺めていたら、いつの間にか近くにいた真が「ねえ、綾音ちゃん」と言った。
「何かしら、真」
「綾音ちゃんはさ、今度の夏祭り……」
「夏祭りか。そういえば去年は行ってないな」
突然横あいから聞こえた声にびっくりする。真もそれは同じだったようで、目を丸くしていた。
「ミツ。いつの間に」
「ついさっきだ。で、今年は参加するのか?」
彼らがさっきから話している『夏祭り』というのは、近所の神社で行われるお祭りのことだ。広い神社で行われるそれは、終盤には打ち上げ花火も上がる、この辺りではそれなりに規模の大きいイベントなのだ。
私たちは一昨年まで毎年一緒にその夏祭りに行っていたのだが、去年は私と光太郎の二人も受験生がいたということで、参加を見送っていた。
首を傾げる光太郎に、真は苦笑しながら口を開く。
「うーん、どうしようかな。香澄さんは大丈夫だったけど、リンが受験生なのは気になるかも」
「マコお兄ちゃん、どうしたの?」
リンちゃんが自分のあだ名を呼ばれて反応する。こちらにやって来た。
「リン、夏祭り行けそうか?」
「えっ、夏祭り?!」
光太郎の質問に、何故か動揺したような声を上げるリンちゃん。
「そうだ、夏祭り。リン今年受験生だろ? やめておいた方がいいか?」
再度の光太郎の質問に、リンちゃんは首を横にぶんぶん振った。
「ううん、私なら大丈夫! だから行こう夏祭り!」
「……だとよ。残念だったな真」
光太郎が真に向けて若干笑う。それはまるで嘲笑うかのような笑い方で。
「何のことかな、ミツ」
その笑いを見ても真の微笑みは崩れることがなかった。




