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「ねえ柴﨑君、ついに彼女作ったって本当?」
「さあ、どうかな?」
「しかもその子、例の超美少女だっていうじゃん! 羨ましい……」
僕の席の周りで騒ぐクラスメイトらを煙に巻きながら、やっと噂が出回り始めたと心の中で一息つく。これが『あいつ』の耳に入れば今までの傾向からしても、まず間違いなく彼女をターゲットにするだろう。
これで彼女が『あいつ』からの被害を僕に伝えてくれれば、それを理由に『あいつ』を罰せられる。念押しもしたし、彼があんな調子だから彼女が頼りにするのは確実に僕だろう。
彼女ならきっと『あいつ』に何かされても大丈夫。今までの人たちみたいに精神的に追い詰められたりしない。そうは思うけれど、ずくずくとどこかが痛むのを感じた。
「でもその子、確かデブ専って誰かに聞いたような……」
「そういえばD組の藤原に興味持ってるらしいね」
「え、趣味悪……」
噂話が突拍子もない方向に飛ぶ。僕はまだその噂が流れているのか、とうんざりした。
僕と彼女の登下校が始まって本当にすぐ、見計らったように……突然それは流れ始めた。
『あの例の美少女が二年D組の太った男に懸想している』
そのゴシップはインパクトも相まって、すぐに二年生の間で広まった。そのせいで僕らの関係が噂になるのが遅れたのだ。全く迷惑な話である。
しかも厄介なことに、当の藤原が本気にし始めた。恐らく最近登下校中に感じる視線は彼のもので間違いない。
いっそ彼女を一人にしてしまえば藤原も姿を現すかもしれないな、と思った。
悩んだ末、このままじゃ埒があかないと彼女を一人にしてみた。少し離れたところで様子を伺う。果たして現れたのは藤原その人で、僕はやっぱりと思った。
藤原はぎりぎり昔の面影を残しながら、しかし小学生の頃とは比べ物にならないくらい立場は落ちぶれている。
といっても元々自惚れやすい性格だったから体よく担がれていただけで、実はそこまで影響力はなかったのだと、後で当時の同級生から聞いた。むしろ本当に皆から恐れられていたのは『あいつ』だったと。
それを聞いたとき、僕は自分の観察力のなさを呪い、人をじっくり観察する癖をつけることにした。お陰様で今や件の彼らの表情すら読めるようになっている。
いや、今はそんなことはどうでもいい。あり得ないとは思うが、万が一彼女が藤原に襲われて一大事になりそうだったら、僕は警察を呼ぶ。その用意はしてある。
しかし僕の心配を他所に彼女は華麗に藤原をやっつけてしまった。ぱんぱんと手を払う姿に頼もしさしか感じない。
僕はタイミングを見計らって、さも今帰ってきましたという振りをして、彼女の前に立つ。
「坂本ちゃん、大丈夫だった……みたいだね」
そうして藤原を脅し、もう二度と彼女の前に現れないことを約束させた。
「柴﨑先輩っ」
次の日の昼休み。僕のクラスの教室に件の彼が現れたときは何事かと思った。
クラスメイトたちが途端に騒めき立つ。そのことに気づいているだろうに、彼はまるでそんな些細なことはどうでもいいというように、僕の名前を呼ぶ。
「柴﨑先輩、いますか?」
「どうしたの? そんなに血相変えて」
僕は彼の前に立つ。すると彼は「ここじゃ話しにくいので。後携帯持って来て下さい」と言った。
僕はよくわからないままスマートフォンを手に廊下に出た。
「それで、何かな? 坂本君」
「……あいつが殺されるかもしれません」
「え?」
殺される? なんて物騒な……そう思いつつ、まさかと思う。まさか『あいつ』が、いやいやそこまで短絡的ではないはず。しかし彼はいっそ僕を責めるように。
「心当たり、先輩ならありますよね? だったらついて来て下さい」
「う、うん……?」
彼の勢いに呑まれて頷くと、彼はさっさと歩き始めてしまう。ついていくと今度は橘さんの教室へ。橘さんは彼と二言三言会話しただけでついて来た。
そのまま階段を上ろうとする。その時。
「おい、坂本光太郎。俺様は仲間外れか?」
「坂本君、何があったんですか? 上級生の間で騒ぎになっています。殺すとか殺さないとか……」
会長と椿先輩が現れた。彼が二年生の教室に現れたことがよほど意外だったのだろう。それに加え彼が物騒なことを言っているのを誰かが聞いていたらしい。早くも噂は広まり、会長と椿先輩の耳に入ったようだった。
「すみません、歩きながら話します」
そして階段を上りながら彼は語る。彼女から手紙を受け取ったことを。
『二年の先輩に頼まれて、昼休みに501の空き教室に行くことになりました。話したいことがあるそうです。でもその先輩、少し前から私を脅迫してくる人で、怖いです。今度こそ殺されるかもしれません。なのでできる限り人を集めて助けに来て下さい』
僕は衝撃を受けた。もしかして彼女はずっと『あいつ』から被害を受けていた? いやもしそうなら僕に言わない理由が……。
「あいつ、前から基本的に人を頼らないんです。唯一の例外が俺で、だけど最近俺があんな調子だったから、ずっと言えなくて困ってたんだと思います」
「そうね。アヤちゃんは私のことすら余り頼ってくれないもの」
橘さんまで言うのであればそれは確かなのだろう。僕は冷や汗が背中を伝っていくのがわかった。何も言えない僕を置いて話は進む。
「ですがそれなら誰か教師も連れて来た方がいいのでは? 確か501でしたよね。私、行って来ます」
「副会長、頼みました。すみません、できれば吉良先生を連れて来てくれると助かります」
椿先輩は一つ頷くと輪から外れた。吉良先生は確か記憶力がいい。相手の生徒が誰であれすぐ名前を言えるぐらいには。だからわざわざ彼は指名したのだろう。
そんなどうでもいいことを考えていると、突然会長が発言した。
「坂本光太郎。一つ聞きたい……手紙の内容、それは事実か?」
前を向いているせいで坂本君の顔色は窺えない。ただ一瞬、彼は黙って。
「……嘘は言ってませんよ。少なくとも重要なところは」
その言葉に何となく引っかかるものを覚えた。
彼の作戦はこうだった。教室を開けたと同時に携帯の連写機能でフラッシュを焚く。そうしたら相手が光にやられて怯むのでその隙に彼女を廊下に引き込んで救出。その後写真を撮ったと相手を脅して敵意を失わせるというものだった。
『俺もスマートフォンを持って来てはいたんですが、一台だと効果が薄いかと思って。柴﨑先輩にも持って来てもらいました』
というのは後で聞いた話だ。
当然ながらそこまでする必要があるのかという疑問も上がった。だが彼は『相手が凶器を持っていないとも限らないですし、念には念を入れたいんです』と譲らなかった。
僕は話を聞いてまさか、とは思ったものの、『あいつ』の犯行を撮影するチャンスかもしれないと最終的には従った。
結果的にはその作戦はうまくいったし、しかも『あいつ』がナイフを手にしている決定的瞬間すら撮れてしまった。
しかし、と思う。『あいつ』……委員長はあんなに愚かだっただろうか。どちらかというと外堀を埋めて追い詰めてくるタイプだとずっと思っていた。事実、今までしつこく僕に言い寄ってきた人たちは、毎回かなり巧妙な手段で誰にもわからないように嫌がらせを受けていたという。だから僕が委員長の仕業だと気づいたときにはもう手遅れで、その頃には僕に告白してくる人はいなくなっていたのだ。
それなのに、あの時の委員長は余裕がないというか、なりふり構っていないというか……まるで何かのたがが外れてしまっていたかのようで。
そんな人間は何をしでかすかわからない。もしかしたら彼女でも無事じゃすまなかったかもしれないと思うと、巻き込んでしまったことを本気で後悔した。
「柴﨑先輩」
お昼休み。いつものように一人で食堂に向かおうとすると、声をかけられた。その声は可愛らしい女の子のものではなく。僕がそちらを見ると坂本君の姿があった。
「一回サシで話しませんか? ご飯でも食べながら、屋上で」
僕は基本的にご飯は一人で食べる派だ、なので誘われても特に理由がなければ断っている。しかしこの誘いは断れないだろうな、と苦笑した。
「いいの? 僕お弁当持ってないけど」
「安心して下さい、俺が奢りますよ。と言ってもコンビニ弁当ですが」
「折角早起きして調達して来たんで、食べて下さい」とビニール袋を持ち上げる彼を見て、腹を括る。了承すると、彼は笑った。
屋上は僕ら以外いなかった。ここは何故か前から人気がない。単純に開放されていることを知らない生徒が多いのかもしれないが、それにしてもと思う。
「さて、先輩。早速ですが俺の推理、聞いてもらってもいいですか?」
着いて早々、彼は話を切り出した。僕は言葉の続きを促す。
「どうぞ」
「先輩があいつと登下校を一緒にしたいと言い出した、その理由」
そして彼は語り出す。僕の行動の真相を。
「先輩はあいつの知名度……噂になりやすさを利用しようとしたんですよね」
「……」
僕は黙って聞く。受け取ったコンビニ弁当を開けながら。
「あいつはただでさえ容姿が目立つ。そんな奴が男と二人きりで歩いていたらどうなるか。絶対に噂になる。それも『付き合ってるんじゃないか』って」
箸を割る。ぱきっと乾いた音が鳴った。
「先輩はありもしない噂を作って、あの人……大山命を刺激しようとした。結果彼女はまんまと嵌められてあいつを呼び出し、事に至った。そこを押さえるつもりだったんですよね? あいつが頼ってくること前提で」
「理由は? 僕が無意味にその人を捕まえようとしたとでも?」
僕は適当に生姜焼きを摘んだ。それを口に運ぶ。……まあまあかな。
「それは多分、迷惑してたからでしょう。俺知ってるんですよ、先輩に言い寄った女子は皆誰かに嫌がらせを受けるって。そんなことされたら先輩の周りの女子がいなくなる。それを恐れて」
「……」
どうやら彼女は僕の過去を、僕に思い人がいることを彼に話していないらしい。時間の問題かもしれないが、そこだけでも彼より自分を優先してくれた気がして少し気分がいい。
なので彼にアドバイスしてもいいかなという気になった。先輩として。
「ねえ坂本君。何で君は坂本ちゃんを名前で呼ばないの?」
「え?」
「僕は名前で呼んだ方がいいと思うけどなあ。名前を呼べるって、知ってるってことは素敵なことだと僕は思うよ」
『あの子』の名前を知らなかった時期があるから尚更、と心の中で付け足す。
彼は当初戸惑っていたようだが、やがて何かに気づいたように。
「呼び方と言えば、先輩は副会長のこと『先輩』呼びしてますよね。会長のことは『会長』呼びなのに」
僕は苦笑する。やはり彼は鋭い。どうか彼女が彼に僕の思い人の話をしないように祈った。
「何となくね……ところで坂本君、『人がいい』君に頼みがあるんだけど」
「何でしょう?」
「僕を殴ってくれないかな」
そう言うと、彼はやれやれといった風に首を振る。
「……それだけであいつを利用して危険に晒したことが許されるとでも?」
「そうは思ってないよ。これは僕なりのけじめだ」
笑いながら告げると、彼はじっとこちらを見た。
「俺はあいつみたいに手加減しませんよ?」
「それでいい。むしろそれがいい」
「じゃあ先輩、二つだけ条件があります」
僕は彼の条件を呑み、望んだ通り思い切り殴られた。内臓が飛び出るかと思うほど強烈な奴だった。
……うん、やっぱりちょっと手加減してもらえばよかったかもしれない。




