2.入学式(1)
そうして、彼と二人で作戦を練り、遂に入学式の日がやって来た。まず最初のミッションは……とメモのコピーを手に取る。まあ確認するまでもないのだが、こういうのは形から入るのがいいと何処かで聞いたことがあったので、それに倣って。
「まずは出会いのイベントを潰すところからね……よし」
私はいそいそと準備を始めた。
鏡の前に立って最終確認をする。目の前には不揃いの三つ編みをして黒縁眼鏡をかけた私がいた。勿論伊達である。くるくると回り、制服の確認もする。かっちりとブレザーを羽織ってスカートは膝下三センチの長さだ。完璧。
「どこからどう見てもぱっとしない地味系真面目少女だわ」
そう一人、出来に満足していると、玄関のチャイムが鳴った。慌ててそちらに向かい、扉を開ける。
「お待たせ、光太郎」
「……おー、見違えたな。地味な方向で」
「やっぱり三つ編みを適当に結ぶのはありだな」と満足そうに頷く従兄に唇を尖らせる。
「もう、適当にって言っても、大変だったのよ。普通に結んだら完璧に仕上がってしまうものだから」
「それは自慢か?」
「当然じゃない」
そう胸を張る私に、やれやれと首を振る彼。学校に向けて歩き始めながら、彼と今日の打ち合わせをする。
「取り敢えずこれでチャラ男には目をつけられにくくなったな」
「ええ、私としても柴﨑先輩は特に避けたい人種だから、丁度いいわ」
「もう先輩って呼んでるのか、いるかどうかわからないのに」
「私にとっては決定事項よ」
そう言うと彼は「はあ……」と溜息をついて、私に忠告する。
「いいか、絶対に攻略対象の誰かと出会っても、自分がヒロインですなんて言うなよ? 逆に口説いているのかと思われるぞ」
「勿論、近づきたくもないわ」
「そうじゃない奴らにもだぞ? 頭がお花畑な奴だと思われる」
「それもわかってる。大丈夫よ」
そこまで言うと彼は突然立ち止まった。それにつられて、私も歩みを止める。彼は前を向いて言った。
「……あいつらにも、絶対話すなよ」
「ええ。でも、どうして? 彼はともかく彼女達には話しても……」
「いや、駄目だ。まだこの世界がゲームだと決まった訳じゃないだろう?」
「それは……そうだけど」
何となく腑に落ちない。彼は隠しキャラだから当然話さないとしても、光太郎と同じく関係ないと思われる彼女らには当初打ち明ける予定だった。しかし、光太郎に止められたのだ。曰く『言っても混乱させるだけ』とのこと。そのときは流される形で納得したのだが、協力者は多いに越したことはないんじゃないのかと今では思う。
すると、不満気な声音に気づいたのだろう。彼が本日二度目の溜息をついて言った。
「突然ここがゲームの世界だと言われて、受け入れられるのは俺くらいのもんだ」
「あら、それは自慢?」
「……ちげーよ」
彼は相変わらず前を向いたままだった。
光太郎との作戦はこうだ。まず、格好は誰の目にも止まらないように気をつける。これだけで、校門にて新入生に花を配る柴﨑先輩をスルーできるはずだった。しかし。
「おはよう、そして初めまして。僕は柴﨑純って言うんだ。よろしくね」
どうして私は当の柴﨑先輩に手を握られているんだろう。叫び出しそうなのを何とか耐える。他の人には普通に花を配って終わりだったじゃないか、どうして私だけこんな……。目線を逸らし、光太郎に助けを求めようとするも。
「あらあら、光太郎ちゃんったら不器用なんだから。お姉さんがお花、つけてあげましょうね」
「別にいいから。スミ姉は早く他の新入生に花、配れよ」
「もう! 遠慮はしなくていいのよ? ほら……」
……あっちはあっちで大変そうだ。スミ姉とは橘香澄のことで、光太郎の幼馴染のお姉さんである。つまり私とも幼馴染の間柄だ。しかし彼女は何故か彼に対してのみやけに世話を焼きたがる。そのせいで光太郎は彼女の存在を苦手にしているようだった。
私にとっては普通の優しいお姉さんなのだが。因みに今朝話していた『彼女達』の内の一人である。
「僕を前にして余所見とはいい度胸だね? 君の名前は?」
ぐっ、と手を握る力が強まった。仕様がないので柴﨑先輩に視線を戻す。
「坂本綾音です」
確かゲームではここで名前入力の画面が現れるのだ。しかし私には親から貰った大事な名前が既にあるので普通に名乗る。すると、先輩は満足したように手を離してくれた。
やっと前に進める。そう思って光太郎の方を見るとあちらも解放された所だったらしい。「行くぞ」と短く言うとさっさと歩いて行ってしまう。私は慌てて追いかけた。
「何でスミ姉の方に行ったのに、わざわざ私の方に寄って来るのかしら……」
「ああ、本当にな。お陰で俺がスミ姉に捕まった……」
「というか二人とも仕事放棄したら、花配る人いなくなっちゃうじゃない」
ちら、と振り向く。先ほどよりも明らかに増えている新入生の山に頭が痛くなった。
気を取り直して。
「次は教師だったか」
「そう、吉良先生よ」
「……」
じろ、と眺められる。そして彼は確認するように言った。
「その格好は、恐らく教師受けはいいよな」
「そうね。でも、それは大丈夫だと思うわ」
「何で」
「前も言った通り、吉良先生はお堅い人なの。この髪型に文句をつけられることはあっても、気に入られることはないわよ」
「だよな、その筈だよな」と念を押すように確認してくる光太郎に、そんな心配しなくても、と思わなくもなかった。まだ一回失敗しただけだ。柴﨑先輩の観察力は凄かったが、次の先生は『鈍感教師』で有名な人だったし、恐らく勘付かれることはないだろう。勿論前世のゲームの話だが。
「見えた。あの人よ」
「あの怖そうな人か。まーた厄介な所に……」
何を隠そう、吉良先生がいるのはクラス分け表の前である。彼の役目は自分のクラスを見つけられない生徒を案内することだ。
因みに彼は記憶力が非常にいい。少なくとも、新入生の名前とクラスを全て覚えられるくらいには。だからこその抜擢。才能の無駄遣いとはまさしくこのことだと思う。
とりあえず、ゲームの知識で何処のクラスに配属されるかは覚えている。が、一応確認しておいた方がいいだろう。ここは速やかに自分の名前を見つけて……と、黒板を眺めようとしたら、こちらを見やる先生の視線に気づいた。そして、私の方に歩いて来るのが見える。
私は咄嗟に身構えた。きっと、ぐちゃぐちゃな三つ編みに物申しに来たのだ。今回は攻略対象者に見つからないあるいは嫌われるというのを目標に動いているので、それ自体は結構なことだが。やはり自ら怒られに行くのは勇気が要る。目を瞑って、その時を待つ。
「素晴らしい」
あらぬ声がして思わず目を開ける。するとそこには、私の膝の辺りからスカートの裾の間の長さを目測で測る吉良先生の姿があった。
「……は?」
「規定通りのスカートの長さ。君のような生徒を見たのは久しぶりだ」
女子のスカートをまじまじと見る姿に、一瞬蹴ってやろうかと思った。そんな私の気持ちも知らず、先生は私の名前を尋ねてくる。
「君、名前は?」
「……坂本ですけど」
答えたくなくても、どうせ答えなければ解放してくれないだろう。諦めて名乗った。但し、苗字だけしか言わない。これはささやかなる抵抗である。まあきっとこの人ならこれだけでわかるだろうけど。
思った通り先生は、少し考える素振りをしただけで、見事私の名前を言い当ててみせた。
「坂本綾音君か?」
「はい」
頷くと、先生はとても嬉しそうな顔をする。と言っても口角が上がっただけだが。しかし、ゲームをプレイした私は知っている。彼もまた、私と同じく表情筋があまり動かない人なのだ。その彼が笑っていると傍目からわかる表情を見せるのは、とっても喜んでいるということである。
次に言われることが何かわかって、私はうんざりした。
「だったら君は一年B組だ。そのクラスは、私が受け持つことになっているんだが……」
そこで吉良先生は口を閉じる。彼の顔を見つめこれ見よがしに髪を弄っている私に気がついたのだ。ほらほら、みっともないでしょう? すると彼は掛けている眼鏡の奥で懐かしそうに目を細めた気がした。
「おっと、私の方から名乗るのを忘れていた。これは失礼した」
何を勘違いしたのか、名前を言わなかったことを謝られた。違う、そうじゃない。
「私の名前は吉良一と言う。以降よろしく頼む」
そう言って頭を下げられた。
嫌だ。教師の癖に生徒に恋をするような人間とよろしくしたくない……とは言えず。しかし、最後の抵抗として。
「あの……髪」
「うん、紙? 紙が必要なのか? すまないが、生憎と私にはメモ帳を持ち歩く習慣はなくてね」
結果、明後日の方向に勘違いされた。そして、ようやっと理解した。この髪型は吉良先生の琴線には触れないものだったのだ。
メモ帳を持ち歩かない? それはそうだろう、そんなご立派な頭脳があるのだから。
「……いえ、何でもありません。こちらこそ、よろしくお願いします」
駄目だこれは、と最終的にこちらが折れた。社交辞令を言うと先生は手を挙げて定位置に戻って行った。そのことにほっとしつつ、そう言えば光太郎は何をしてたんだ、と思う。小言の一つでも言ってやろうと隣を見ると。
「だから、私の代わりに名前探してって言ってるでしょう!」
「いや、流石のお前でもそれくらいはできるだろ……」
思わず、我が目を疑った。何と、光太郎が小学生位の背格好の女の子と口論している。但し、その女の子は小さめのうちの制服を身につけていた。つまり、うちの生徒だ。
彼女は今にも飛びかからんばかりに光太郎を睨みつけた。
「『お前でも』って何?! あんた私の何を知ってるって言うのよ!」
「知ってるっていうか……ああ面倒臭え」
どうやら光太郎は少女に絡まれているらしい。人のよ過ぎる彼にしては珍しく、少女の言うことを素直に聞き入れようとしていなかった。いや、付き合ってあげているだけやはり人がいいのかもしれない。
関係ない筈なのに……。まあ彼の交友関係を全て把握している訳ではないので、もしかしたら知り合いだったのかもしれない。
決して引き下がる気配のない彼女に、盛大に溜息をつきながら彼は「ヒントならやる」と呟いた。
「黒板の一番左のクラス」
「えっ……あ!」
「あったわ!」と言ってはしゃぐ彼女を見て、光太郎はそそくさと立ち去ろうとする。
「よかったな。じゃあ俺はこれで……」
「待ちなさい」
しかし彼女が引き留めた。光太郎は億劫そうに「まだ何か?」と尋ね返す。すると彼女はまだ絡み足りなかったのか、難癖をつけてきた。
「あんた、私の背格好を見て勝手に何もできない奴と判断したんじゃないの?」
「違うよ、そんなわけないだろ」
「じゃあさっきじろじろ見てきたのは何だったわけ?」
そこで彼女は何かに気がついたように、光太郎を指差した。そしてあらぬことを大声で言い放つ。
「もしかしなくてもあんたロリコンね! このロリコン変態ロリコン!」
それは周囲にも響くほどの大声で。彼女の身勝手な言動に流石に見ていられなくなって、口を挟んだ。
「ちょっとそれはないんじゃない?」
突然横あいから声をかけられた彼女は驚いた顔をしていた。そんな彼女に噛んで含めるように言う。
「彼はあなたがクラス分け表から名前を見つけるのを手伝ったのよね? それも様子を見るにあなたが無理を言って。その相手にまず言うべきことは何かしら?」
「……う」
言われた彼女は苦々しい顔をした。それを見て話の通じない相手ではないと判断した私は続けて指摘する。
「ほら、『酷いこと言ってごめんなさい』と『手伝ってくれてありがとうございます』は?」
「……し、知らない! 私悪くないもん!」
そう叫んで去っていく彼女の背を見送りながら、何だか容姿に見合った言動の持ち主だな……と思った。
ふと彼の方を見ると、ハンカチで目元を抑えていた。正確には『振り』だが。
「あのやんちゃだったお前がよくぞここまで……」
「ちょっと、失礼」
「ああ、すまんすまん。現在進行形でやんちゃだったか?」
思った通りすぐに無表情に戻る光太郎に、つかつかと近寄って行ってばしんと胸を叩く。
「ねえ、光太郎。あなたもよ。別にあんな子、無視したって罰は当たらないのに」
「そうかもしれないが。それが唯一の、俺の誇れるところだからな」
そう自虐する彼に驚いて目を見開く。
「あら、そんなことないわよ」
「何となく予想はつくが……そんなことない、とは?」
私はなるべく口角を上げて彼を指差し言い放った。
「あなたは今日出会った攻略対象の二人より、容姿が断然美しいわ」
「容姿だけかよ……」
そう言いつつも嬉しそうな光太郎に私は笑顔を向けた。




