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15 TA

 私はそれからも彼に命令して様々なことをした。

 次の日の放課後。彼とあの前髪の長い彼女がいい雰囲気なのを見て、何故か心がざわついた。だから私は二人の間に割って入ったのだ。


「こら、そこの二人! 特に男子の方! 早く職員室に行くわよ!」


 すると側にもう一人少女がいることに気づいた。向こうも今しがた気づいたとばかりに呼びかけてくる。


「あら、あなた……」

「何?! 私は今忙しいの!」


 その少女を見たとき、はっとなった。長い睫毛にすっと通った鼻梁、白磁の肌。まさに彼に思ったことと同じことを思ったのだ。しかも、彼女も私を見ても無表情のままで。

 そういえば、と思う。彼には私が流した噂に加えてもう一つ噂があった。それは確か、双子の妹がいるというもので。それが彼女のことかと言われなくても理解した。それくらい雰囲気がそっくりだったのだ。

 見惚れていると、彼女が口を開いた。


「あなた、あれからちゃんと彼にクラス分け表の時のお礼は言ったの?」

「え……何でそれを」


 それを知っているのはあの場にいた者でも限られている。だからこそ私は噂を吹聴して回れたのだ。……結局彼にはお礼も謝罪もできていなかった。


「私よ。入学式のとき、あなたに『アドバイス』をした」

「えっ!」


 なんと、彼女があの三つ編みの少女だったというのだ。あの時は黒縁の眼鏡をかけていたので同一人物だと気づかなかった。私は無表情の彼女に感謝しなかったことを責められている気がして、慌ててその場から逃げ出した。


「……っ! 行かないなら置いていくから!」

「あー、ちょっと待てってっ」


 彼が追いかけて来てくれているのを実感しながら。




 職員室から帰ってくると、ごみ箱の近くにぐちゃぐちゃになった紙が捨てられていた。一体掃除係は何をしているんだ、と思って拾おうとする。しかし、少し考えて。


「坂本、そこにある紙くず捨てて頂戴」

「はいはい……」


 結局彼に拾わせた。彼は無表情のまま拾うと「うん?」と呟き、紙を広げた。


「……へえ?」

「何してるの、早く捨てて!」

「いや、これは俺が預かる」

「は? あんた、ごみを持ち帰る趣味でもあるの?」


 「そういう訳じゃないが」と否定しながら、彼はそれを丁寧に畳むとポケットに忍ばせる。


「天城」

「何よ」

「もしかしたらお前はこれから辛い目に会うかもしれない。そういう時は誰でもいいから頼れよ」




 それが予言であったかのように、休み明け以降私に対するクラスメイトの反応が変わった。元々少し疎ましがられつつあったのは私も感じていたが、ここまであからさまなものではなかった。


「ねえねえ、あの子だよ。坂本の噂流してるの」

「最低だよなー。坂本が何も言わないことをいいことに命令しまくってるし」

「あれじゃない? 自分が相手にされてないってわかるから、ロリコン呼ばわりしてこき使って意識させようとしてるんだよ」

「うわー、性格悪っ。相手にしないのもわかる気がするわ」


 そう堂々と私に聞こえるように陰口を叩くクラスメイト達。しかし彼らは彼がいる場では決まって、彼のことをロリコン扱いして私を持ち上げるのだ。

 数々の嫌がらせも彼にはわからないように巧妙に行われた。まるで彼にはばれてはならないというように。私も彼には気づかれて欲しくなかったので丁度よかった。

 私は彼の前では努めて気丈に振る舞ったのだ。それなのに。


「天城。その……大丈夫か?」

「……何が?! それよりその書類ちゃっちゃと片付けてよ!」


 そう無表情で心配された時はどうしようかと思った。思わず泣きそうになった。だけど、ばれてはならない。彼にこれ以上心配をかけたくない。その一心で彼に命令し続けた。




 だから、罰が当たったのだろう。机の上の落書きを見て、絶望した。内容は……見たくもない。もう何も考えたくない。だけど自分が何をしなければならないのかだけはわかった。


「消さなきゃ……」


 そう呟き、涙目で雑巾を手に取り拭き取ろうとする。だが文字は油性ペンで書かれているのか、なかなか落ちない。でも消さなきゃ、先生が来る前に、彼が来る前に……。早く、早く!

 周囲のクラスメイト達はその姿を見て嘲笑していた。そこに、がらっと扉の開く音が響く。


「……天城?」


 彼の声がする。気のせいかな、多分気のせいだ。そう思いながら、拭き続けようとする。しかしそこに影が落ちて、雑巾を奪われた。


「何だこれ……おい、やったのは誰だ」


 そこからは凄かった。彼が誰彼構わず話を聞いて回ったのだ。時に胸ぐらを掴みながら、時に脅しをかけながら。それでも犯人は見つからなかった。そのことに彼は申し訳なさそうな声で、でもその割には無表情に。


「すまん、天城。犯人はわからなかった。多分庇いあってるんだと思うんだが……」

「どうしてあんたが謝るの。あんたは何も悪くないじゃない」


 むしろ被害者だ。謂れのない噂を流されて、ずっと私にこき使われて。


「いや、悪いよ。多分今回の出来事は……」


 そこまで言って言い澱む彼は何か心当たりがあるのか、口元に手をやっていた。だがそれ以上聞く気にならず、別のことを尋ねる。


「あんたは、その……何で助けてくれるの?」

「え?」

「だから! 私はあんたに、一度も優しくなんてしてないじゃない。それなのに、何で……」


 段々と尻すぼみになる声。私は何を聞いているのか。彼になんて答えて貰いたいのか。それを考えて、やっと私は自分の気持ちに気づいた。……多分、一目惚れだった。


「もしかして私のこと……」

「それが俺の宿命だと思っているからだ」


 言葉は遮られ、返ってきたのは無情な答えだった。それでも一縷の望みを賭けて彼に尋ねる。


「宿命って何よ。もしかして運命の相手だからとか……」

「確かにある意味で『運命の相手』とは言えるのかもしれない。だけど、そういう意味じゃない。ごめん天城」


 そうきっぱりと振った彼はやっぱり無表情で、やっぱり美しかった。


「ねえ、それじゃああんたの従妹はどうなのよ。あの子も宿命の相手なの?」


 最後の抵抗として、従妹との関係を聞く。この頃にはもう彼女が双子の妹なんかじゃなく従妹だと私でも知っていた。


「あいつは宿命とは関係ない。でも、それでも、いやだからこそ……俺が守らないといけないんだ」


 「それでも疑ってしまうんだけどな、あいつのことも」とそういう彼は、心持ち眉が下がっている気がして、ああ敵わないなあと思ってしまった。




 次の日のホームルーム。昨日の落書きは何故か彼が持ってきていたクリーナーで何とかなったが、相変わらずクラスメイト達はわからないように嫌がらせをしてくる。これからもこんなことが続くんだろうな、と思っていると。


「たのもう!」

「こんにちは、皆さん」


 そう言って入ってきた二人組に目が点になる。そして私は約束を違えてしまったのだと気づいた。思わず二人組の男子の方……兄を睨みつける。それでもこんな青ざめた顔じゃ、震える自分じゃ、怖くなんてないだろうなと思った。

 結局予想した通り、兄は私が自分の妹だとあっさり明かしてしまった。それに文句をつけてもすぐに反論されてしまう。

 兄は昔からそうだった。私より何でもできて、常に私の先を行く。私のことを可愛がるのも内心では見下しているからなんだろうなと思っていた。だから兄のことは嫌いだ。

 兄が水を向けると、クラスメイト達が自分達のことは棚に上げて私の所業をばらす。そして今、話題に上った彼が指名された。私は緊張で震える拳を押さえつける。


「俺は、確かに天城さんにいいように使われていました」


 目の前が真っ暗になったような気がした。ああ、彼も私がこき使っていたと思っていたのだ。ショックを受けていると、彼が「ただ」と言った。


「何か言いたいことがあるようだな?」

「はい。ただ、それは天城さんを途中で止められなかった俺の責任でもあります」

「え……」


 私は思わず振り向いた。彼はこんな状況にも関わらず無表情だった。


「俺が最初に、噂の存在を知った時に、天城にちゃんと言っていればこんなことにならなかった」


 違う! 彼は悪くない。無理矢理彼を学級委員にする為に、私が卑怯な真似をしなければそもそも問題は起こらなかったのだ。彼がそんな申し訳なさそうに話す謂れはない。

 「それに」と話を続ける。皆、何も言わない。


「その後も、彼女の頼み事を唯々諾々と引き受けていなければ、きっと彼女はいじめられることもなかった」


 違う! 彼はいい人だ。「人を使う」という意味を履き違えて、調子に乗って自分でできることすら彼にやらせていた私が悪いのだ。そんな私に文句も言わず付き合ってくれた彼が反省することはない。

 彼を見ていられなくて、視線を下げる。

 突然、ばんっと机を叩く音がした。私は驚いて教壇の方に向き直る。


「そんなことないわ! 光太郎ちゃんは悪くない!」

 

 その通りだ。先輩がつかつかとこちらに近寄ってくる。叩かれても文句は言えないなと思った。甘んじて受けようと覚悟を決めていると、兄が行く手を遮ってしまった。余計なことをと思った。


「橘、落ち着け」

「これが落ち着いていられるものですか! 光太郎ちゃんが傷つけられたのよ?! あなたのせいで!」


 ああ、そうか。私は被害者でもあったが、彼女にとってはどこまでも加害者なのだ。そう言われて、責められている筈なのに何だか彼女に感謝したい気持ちになった。

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