1.プロローグ
「ここはゲーム世界で。私、どうやらそのゲームの主人公みたいなの」
「……は?」
話を切り出すと、向かいに座る彼の口がぽかんと開いた。その間抜けな表情は、このカフェの雰囲気にも彼の整った顔立ちにも全く合っていなくて、より一層可笑しく感じたが笑うことはしない。誰だって突然先程のようなことを言われたらそんな顔をしてしまうに違いないからだ。普段ポーカーフェイスに定評のある私でさえ唖然としてしまうのを止められないだろう。
そしてその次に起こすアクションは、恐らく……。
「冗談……」
彼はそう呟いた。思った通りである。こんな突拍子も無いこと、大抵は出鱈目だと軽くあしらって、まともに取り合わずに終わるもの。それが定石だ。
しかし彼は違うと言うように首を振った。
「いや、お前はそんな下らないことを無意味に言う奴じゃあないな。あいつらと結託して俺を驚かそうとしてるのか、あるいはまだ寝惚けてるのか。でも意識はしっかりしてそうだしなあ。それなら現実逃避か? まさか、また何か……」
「大丈夫。そっち関連では何も問題は無いから」
黙って彼の一人問答に耳を傾けていたら、変な方向に勘繰り始めた。事実無根なことで心配をかけるわけにはいかないので、問い詰められる前にはっきり否定する。彼はしばらくこちらの様子を伺っていたが、私の落ちつきを見て本当だと判断したらしい。乗り出しかけていた身体を元に戻した。
「じゃあ、本気なのか?」
「そうよ」
「まさかの?」
「そのまさかよ、嘘じゃないわ」
信じられないのはわかるけれど。正直なところ、私自身も半信半疑だった。だって春休みもあと少し、四月に入った途端にふっと何の脈絡もなく私の中に舞い降りてきたモノである。直ぐに受け入れることはできなかった。エイプリルフールだったのもあって、もしかしたら自分で自分を騙すような器用なことをしたのかもしれないと、時計の針がねたばらしの午後を指すのをひたすら待って。それくらい、あり得ないと思っていた。
……結局思惑には程遠く、寝て起きて次の日になってもそれは頭の中から消えなかったが。それどころか寧ろ考え過ぎて存在が大きくなるばかりで。
私はきっと、その事を受け入れるしか道はなかったのだ。
「……証拠は?」
「え?」
事の発端を思い返していた丁度その時、急に尋ねられて驚く。話を聞いていなかった。咄嗟に聞き返す。
「だから、証拠だよ。……別に疑っている訳じゃない。が、そんな妄想みたいな話、流石に根拠無しに『はいそうですか』と認める訳にはいかないな」
彼は意外な程真剣な顔でそう言った。この態度に彼なりの誠実さを感じて、私の中に希望の光が灯る。つまりそれ相応の証拠さえあれば信じてやる、と。なるほど理に適っていて、かつ彼らしい解決方法だ。
証拠。……それならあれしかない。
「私には前世の記憶があるわ」
どーん、と。もしこれが漫画であったなら、きっと私の背景にはそう描かれていたことであろう。そのくらい胸を張って自信満々に言った。
四月の始め、私はこの世界とよく似たゲームをプレイしたという前世の記憶を思い出した。割と食い違う部分はあるものの、何故か私にはこの二つが無関係には思えない。まあ実際の所はわからないが、しかしもしイコールだとするなら、私のポジションを鑑みるにヒロインとしか思えない。どうだ、これで納得したか?
彼はさぞ驚いただろう。きっと目を見開いてさっきとは比にならないくらい面白い顔になっている筈……。
「はあ……」
しかし彼は私の予想に反して頭を抱えて、盛大な溜め息をついたのだった。まるで呆れたとでも言わんばかりに。
「その突っ込みどころの多さ、通常運転で何よりだ。取り合えず一つ言わせて貰うなら、どうやってお前の主張するところの『前世』が正しいと証明するんだ?」
「まずはそれができなきゃ肝心の話も夢の域を出ないぞ」そう言う彼にそれもそうかと納得する。だったら、こう言うしかない。
「あなたが信じる私を信じなさい」
「いや何の解決にもなってないし、俺お前のことそこまで信じている訳じゃないし」
「えっ、信じてないの……?」
「え、何でそんな悲しそうな顔するんだよ?」
「そんな顔されたら俺、ここに居づらくなるじゃんか」と大変居心地悪そうにする彼を見て、更に泣き真似を追加する。勿論私も彼もほとんど表情に出していない。とんだ茶番だ。
「うっ……ぐすぐす」
「……はあ、わかった。冗談だよ、信じればいいんだろ信じれば。因みにジャンルは?」
そう言った瞬間に演技を止め、ニヤリと笑う。
「乙女ゲームよ」
「なるほどね。イケメンの男を落とすゲームか」
「ちょっと、言い方変えて頂戴。間違ってないけど」
「間違ってないならいいだろ別に」
「まさしく羨ましがられるポジションだな」と彼は呆れたように言う。その言葉に、私は片眉を上げた。全然これっぽっちも私が喜んでいないとわかっていての発言だったからだ。
しかしそんな様子を気にも止めず、彼は無表情に戻ると意外なほど真剣な表情で言った。
「まあ、色々言いたいことはあるが。本気で信じてやってもいいぞ」
「えっ、いいの?」
私は驚いた。私としてもこんな簡単に信じてくれると思っていなかったから。今までの話は言わば冗談の類で、これからどうやって信じてもらうか悩んでいたので有り難い。
流石我が従兄殿、話がわかる……と感動していると「ただし」と鋭い声がかかる。彼はごそごそと鞄を漁り、一冊の手帳を取り出した。
「お前が覚えているゲームの内容を、ここに書き出せ。特に、俺関連の話を」
「それはできないわ」
申し訳ないがそれはできない。間髪を容れず断る私に「はあっ? 何でだよ」と叫ぶ彼をどうどうと宥めつつ、理由を説明する。
「単純に今すぐ全てを思い出せと言われてもできないっていうのもあるけれど。正確には、あなた関連の話を書けない。何故なら、食い違う部分の一つがあなたの存在だから」
「はあ……?」
「ゲームには存在しない筈なのよ、あなたは。私の覚えている限りだと」
もしかしたら私が知らないだけで、彼は隠しキャラとかそういうのかもしれないが。しかし、前世では私はこのゲームを相当やり込んでいたようだ。その上で、断言する。このゲームには隠しキャラは存在するが、それは彼ではないと。
「じゃあ俺は何なんだよ。こう言っちゃ何だが、俺も割とイケメンだと思ってるんだが」
「自分で言ってたら世話ないと思うわよ」
「ヒロインとか抜かすお前にだけは言われたくない」
まあ確かに、彼の顔立ちは小学生の頃に女児と間違われて誘拐されたことがあるほど整っている。いるが、その割に告白とかはされたこともないらしい。そのことは私たちの間でからかいの種になっている。
「じゃあ、俺でも答え合わせができるネタを書いてくれ」
「例えば?」
「そうだな。例えば、攻略対象の名前とか。もし言った通りの人間がいれば、一応は証明できるだろう?」
最後の言葉から彼が何を言いたいのかを察した私は、彼をちらりと見やって再度確認するように尋ねる。
「……本当に信じてくれるのね?」
「まあな。お前のことを完全に信じているわけではないが、それ以上に真剣だったから」
そう優しげな声で告げる彼に私は若干いたたまれなくなって。そして照れたように言ったのだ。
「ありがとう」
彼は少しだけ口端を持ち上げて、仕切り直しとばかりに。
「まあ攻略対象の情報は後々必要になるだろうからな、今のうちにお前が思い出せる範囲で話を聞いておきたい」
「え?」
私は再度驚きで目をまたたく。まだ私は何も言っていないのに、彼はまるで私が今から何を頼もうとしているかわかっているかのようだった。思わず口から溢れる。
「私、まだ何も言ってないのに……」
「言わなくてもわかってる」
「いつものことだからな」そう言って傍目にはわからない程度に笑う彼にほっとした。未だに彼にこの手の頼みごとをするときは緊張するので、向こうから言ってきてくれたのは非常に助かる。
「要は今回も相手の男どもを近づけさせなければいいんだろう?」
果たして彼は私が頼みたかったことの一つを見事言い当ててみせた。しかし今回はもう一つ頼みたいことがあるのだ。
「ええ。それに加えてフラグをへし折る手伝いもしてくれると嬉しいわ。その為にあなたに頼むんだから」
「どういうことだ?」
不思議そうに首を傾げる彼に、自分の考えを披露する。
「所詮この世界においてゲームのキャラに過ぎない私がフラグを断ち切ることなんてできないかもしれないけれど。対してあなたはこのゲームにおいてはイレギュラーな存在だから、その辺り任せられる気がしたの」
そう言うと何故か、彼に値踏みするような視線を向けられた。そして尋ねてきたのは。
「……俺がただの脇役って可能性もあるぞ。脇役にどうにかできるくらいならお前にだってフラグを折るくらいできるかもしれない」
私はそれに対し、首を横に振って彼の目を見つめて言い放つ。
「いいえ、そんな筈ない。だってあなたは私の従兄であり、なおかつ美形だもの。だからきっとどうにかしてくれるって信じてる」
「お前がそう言ってくれるお陰で、俺は自信を失くさずに済んでいるよ」
そう言ってやれやれと首を振る彼に向けて、私は思いっきり笑った。……ほとんど口角は上がってないが。
「ところで、お前が言うところのゲームのタイトルって何なんだ?」
「それが、殆ど覚えてないのよね。ただ、『フォー』って言葉が入ってたのは確かよ」
「……数字の4?」
「さあ、それすらもわからないわ」
「ふうん……」




