麗しき女怪との出会い
街に続く道すがら、我ら親子はカムラ王国の王族グラルグスを助け、街へと急いだ。
そのグラルグスは我らに怪物の討伐を依頼、出会ったのも何かの縁と引き受ける事にした。
そのやり取りの最中、私は娘との過去を少しだけ思い返していた。
ルネスの街にたどり着くと、まずはグラルグスの治療と街道付近に倒れている遺体の埋葬や馬車の片づけを頼むべく、酒場に向かう。
怪物退治から国同士の戦、それに雑用までこなす冒険者や傭兵が酒場では暇を持て余している。
彼らに声をかけて報酬さえ払えば、大抵のことはやってくれるだろう。
ルネスの街にも酒場は幾つかあるが、私がひいきにしている「竜の角亭」に娘を背負ったまま足を踏み入れる。
「いらっしゃい! って、セイさんとスラーニャちゃんじゃないの! 無事にお仕事終えてきたのね。あら、そちらさんは……怪我をしているわね?」
酒場を一人で切り盛りしている女将のロゼッタが驚きとともに迎えてくれた。
気風の良い女将を目当てに来る冒険者も多いと聞いている。
その彼女は目ざとく負傷したグラルグスに気付く。
「また世話になる。ああ、怪我人だ、治療術を使える者はいるか? いなければ先生を呼んでくるが」
「先生は呼んでも来ないじゃないの。仕方ない、昔取った何とやらよ、アタシがしようじゃないの」
私が世話になっている先生は既に老年で、めったに出歩かない。
その事実を示しながらロゼッタはカウンターの外に出てきてグラルグスの傷の見分を始める。
「結構ひどいわね、あとで神官に治療術を頼むにしても消毒しないと」
「酒でもぶっかけとけよ」
「良い男だからってべたべた触んなよ、ロゼッタ!」
「うるさいわね、飲んだくれども!」
一喝されても飲んだくれどもは大人しくなると言う事もなくゲラゲラと笑っていたが、スラーニャを見やればつまみで食っていた鳥の串焼きやら焼いた芋やらを差し出してくる。
「ほれ、おやじさんにしがみついてないで食いねぇ」
顔に傷のある髭面の戦士がいつものようにスラーニャに飯を勧める。
子供を構う方法をそれしか知らないのだ。
「ああ、俺も娘をこんな風におぶってたことがあったなぁ」
「別れた女房に連れられてった娘か?」
「主家と共に落ちぶれようってんだから、別れんのは仕方ねぇよ」
そして、私とスラーニャを見やって感慨深く話を始める。
酒場の飲んだくれにもいろいろな人生があると言う事だ。
「せっかくだ、ごちそうになっておけ」
「うん」
ここの連中は気心が知れているので、私も娘もその言葉に甘える。
「呪炎剣のお帰りか」
「あれが? 本当に子ども連れてる」
娘が下りたので軽く伸びをしていると、見知らぬ声を聞く。
声の方を窺うと確かに見知らぬ若い男たちがいた。
だが、警戒する必要もないか。
明らかにリーダー格と目される男は、古くからの知り合いである。
「治療もそうだが仕事を頼みたい。街道に骸が四つ転がっている、埋葬の手配を頼む」
「おや、あんたが斬ったのか?」
「三人はな。この兄さんとその連れが襲われて、そいつを見ちまったから襲われてな」
「目撃者があんたとはついてねぇな。おやじさんと一緒だったから怖くはなかっただろうが、嬢ちゃんも苦労したねぇ。食いねぇ、食いねぇ」
「もう食べてるよ」
髭面の戦士の問いかけに答えると彼は娘に同情したように告げてさらに食い物を勧めるが、スラーニャは串焼きを手にして笑った。
依頼の言葉に数名の男たちが立ち上がって、女将に声をかけて街道へと向かう事にしたようだ。
七面倒な仕事ではあるが、誰かがやらねばならない。
この街の役人は中央から離れているせいかあまり仕事熱心ではないので、私たちが率先してやらねばならないと言う訳だ。
その後、冒険者をやっている神官がやって来たのでグラルグスの面倒を見てもらう事にして、我ら親子は食事を行い、一晩の宿を借りた。
翌日にはグラルグスに教えられた怪物がいるという旧カムラ王国の貴族の別宅へ向かって出発した。
その場所はルネスの街から三日も歩けば辿り着くほどには近かった。
※ ※
怪物退治に赴いた我ら親子は道中の危険も特になく、目的の貴族の別宅とやらにたどり着く。
怪物の住処と呼ぶには小ぎれいで、庭はよく手入れされており季節の花が我らを出迎えた。
……正直予想していたような光景とは大きく違っていた。
怪物の住処となれば、大抵は廃墟や洞窟などが殆どであり、その辺りを意識して準備してきたのだが……。
「本当に、ここ?」
「……うむ」
傍らのスラーニャが周囲を見渡して、おずおずと問うと私も首を捻りながら頷かざる得なかった。
教えてもらった場所は確かにここだ。
だが、明らかに危険な怪物の住処ではない。
仮に強力な幻術でも使っているにしても、私が何も感じない筈はない。
生存している最古の呪術師と呼ばれる先生に教えを受けたこの私であれば、魔術、妖術の醸し出す魔力の流れに気付かぬはずはない。
先生曰く同じ力がその血に流れているスラーニャも特に何も感じていない様子である事から、これが現実の光景であると判断できる。
「食ってみるか」
そう呟いてその場に屈んで、私は土を一つかみ手に取って口に運ぶ。
そして咀嚼して飲み込めば、土の味が口に広がる。
……滋養高く食物が良く育ちそうな土だ。
そんな思考を打ち消す様に、頭の中で土の記憶が浮かび上がってきた。
荒れ果てた屋敷が佇んでいただけの数年前。
そこに兵士に護送されてやってきたのは、美しい狐獣人の娘だった。
金色の髪は背中辺りまで伸び、意志の強さを表す様にりりしくも美しい柳のような眉が印象深い。
まつげは長く美しい翠玉のような瞳には輝きが見て取れた。
彼女は敬われながらも囚人の様に扱われこの屋敷に取り残されても、その輝きは失せる事はない。
白い肌を殆どあらわにしない服装は高貴な姿に見えて、私は感じた事のない胸の高鳴りを覚えた。
彼女はここに取り残されたのだ、ごく少数の使用人と護衛と共に。
そこには怪物の姿などどこにもなかった。
だが、時が今に近づくにつれて美しい娘に変化が生じた。
彼女の足に鱗が生じ、その鱗が足を覆う頃には二足ではなくなっていた。
彼女の下半身は蛇のそれに変わっていたのだ。
それでもなお、彼女の姿は高貴さと美しさを損なっていないように思えた。
……彼女を殺せと言うのか?
その容貌から察するに、彼女は……。
「何者か?」
不意に声を掛けられ、過去の映像は霧散した。
屋敷の裏手より現れたのはローブのような服装を身にまとった下半身が蛇と化した美しい娘であった。
今垣間見た土の記憶と寸分たがわぬ美しい女怪が此方を不思議そうに見つめている。
その声を聞いてか、護衛が二人武器を手に屋敷より姿を見せた。
「おひいさま、おさがりを」
「子連れの旅人が何ようか!」
護衛二人も女であった。
「これ、そのように居丈高に言うものではない。旅の最中に迷われたか? ここには見ての通り恐ろしい化け物がおるでな、早々に」
「化け物なぞ、おるまいよ」
私は思わずその様な言葉を口走っていた。
口走りながらも娘を守る様に私は一歩前に出た。
「それでも、事と次第によってはお命を頂戴する。私はグラルグス殿に雇われた刺客なのだから」
嘘をつき穏便に済ませても良かったのだが、いや、それが正しかったのだろうが私は彼女に嘘をつきたくはなかった。
「……そうか、弟は余を殺す決意を固めおったか。されど、酔狂な刺客よな。自ら刺客と名乗るなぞ。御身のお名前をうかがっても?」
「征四郎、こちらは娘のスラーニャ」
「親子とは見えぬが――」
「お前が呪炎剣っ!」
護衛の一人、赤い髪の女が吼えた。
「オーガを一刀で斬り伏せたとかいう呪術戦士か……」
今一人白い髪の女は静かに武器を構えながら呟く。
美しき庭園に一触即発の空気が漂い始めていた。
<続く>